第109話 凱旋後の静寂
北門付近には、まだ戦いの余韻が漂っていた。
魔物の氾濫でダンジョンの外で倒された大量の魔物の死骸は解体する前に大小様々な魔石に変化していき、冒険者たちが総出で手際よく魔石を探し拾い集めている。
空を覆っていた不気味な紫の霧は、迷宮の奥深くへと押し戻され、代わりにアルテミシアの清涼な朝の空気が街を包み込んでいた。
「ユウマ、本当に帰るのか? 祝宴はこれからだぞ!」
バルガスが、血と汗にまみれた顔で豪快に笑いながら、悠真の肩を叩いた。その背後では、冒険者たちが悠真を「英雄」と呼び、酒樽を担ぎ出そうとしている。
「すみません、バルガスさん。僕、向こうの世界じゃただのしがない商店主なんですよ。あまり帰りが遅くなると家族に心配されるので」
悠真は苦笑いしながら三輪カートのハンドルを握り直した。荷台には和央さんに借りた電動釘打ち機が入った箱が載っている。そして、もう一つバルガスから手渡されたずっしりと重い皮袋――中には、エデンベルクを救った対価としての金貨が、はち切れんばかりに詰まっている。
ギルドの口座に入金してくれれば良かったのだが、エデンブルグ防衛戦に参加した冒険者や兵士たちへのパフォーマンスの意味もあるのだろう。
「……ユウマ」
人混みを割り、リリエッタが歩み寄ってきた。彼女の銀髪には、赤いリボンの猫が二匹ちょこんと座っている
「今回はリリエッタがMVPだったね。ありがとう、助かったよ」
悠真が微笑むと、リリエッタは顔を赤くして視線を逸らした。
「……待ってるから、また来てね。」
「ああ」
「ガルド、すまないがダンジョンの周りに散らばっている釘は危ないから、冒険者たちに拾って貰えると助かる。拾った釘はガルドが再利用してくれ」
ゼノス、フィアネスにも、お礼と感謝を述べる。そして宿屋『守護の炎』の面々や街の人たちに見送られながら、悠真は「おみやげのながもり」へ戻って来た。
「……ふぅ。どうにか戻ったか」
自動ドアが「ピローン」と静かに開き、悠真は日本の『ながもり』の店内へと滑り込んだ。
つけた店内のLED照明が、現実感を冷たく突きつけてくる。壁にかけられた時計の針は、午前三時を回ったところだった。
外の商店街は、深い静寂に包まれている。時折、遠くを走る深夜トラックの走行音が聞こえるだけで、数時間前まで異世界で魔人と死闘を繰り広げていたとは到底思えないほど、平和で、退屈な夜だった。
「……っ、いてて」
気が張っていたせいか、足元がふらつく。悠真はカウンターの奥に腰を下ろすと、3輪カートから「電動釘打ち機」の箱を降ろした。
和央さんから借りたプロ用の道具には、魔人の泥と砂がこびりついている。
「これ、後でちゃんと掃除して返さないとな……」
悠真は、使い果たした充電バッテリーと箱を見つめた。
日本の建設現場で家を建てるための道具が、異世界で魔を討つ武器になった。
業務用スーパーの塩が、災厄を干からびさせた。
地域限定のストラップが、結界の要になった。
「商売って、本当に何が起きるか分からないな」
悠真は立ち上がり、半分下ろしていた店のシャッターをそっと下ろした。
それから、バルガスからもらった金貨の袋をスキルで日本円に換え、店の商品の代金をレジに放り込む。今のレートなら、この一晩でこの駅前商店街の年商を軽く超える利益が出ているはずだが、不思議とそれほど興奮はしていなかった。それよりも、エデンベルクの人々の笑顔や封印後に飲んだ温かいスープ、そしてお礼を言った時のリリエッタの照れた顔の方が、心に強く残っていた。
自宅に帰り、悠真は汚れた作業着を脱ぎ捨て、シャワーを浴び身体を洗った。
鏡に映る日に焼けた自分の顔は、少しだけ目つきが変わっているように見えた。
二階に上がると、母親の部屋から静かな寝息が聞こえてきた。
「ただいま、母さん」
小さく呟き、自分の部屋へ戻る。
窓の外、夜空には月が一つだけ、白く静かに浮かんでいた。アルテミシアの赤い三つの月とは違う、見慣れた優しい月だ。
悠真は布団に潜り込み、深く息を吐いた。
泥のように眠い。だが、頭の片隅ではすでに次の仕入れのことを考えていた。
朝刊を配るバイクの音が聞こえ始める頃、ようやく悠真は深い眠りに落ちた。
夢の中では、キティちゃんのヘアピンをつけたドラゴン、釘打ち機を構えたお姫様が、大量の塩の上でダンスを踊っていた。
翌朝、悠真が目を覚ましたのは午前9時。
一階から、味噌汁の香りが漂ってくる。
「悠真! いつまで寝てるの! 商店街の矢田さんが、夜間パトロールの件で連絡をくれって連絡が合ったわよ!」
母親の元気な声に、悠真は苦笑しながら起き上がった。
「はいはい、今行くよ!」
お土産屋『ながもり』の新しい一日が始まる。
昨日世界を救った男は、今日もまた、一本100円のジュースと、一箱900円の「停車場まんじゅう」を売るために、元気よくシャッターを上げるのだ。
異世界と日本、二つの「日常」を守るために。




