107話 災い転じて
爆煙の中から現れた魔人は、無傷どころか、傷ついた箇所が泥のように滴り、それぞれが独立したナメクジやカタツムリのような不快な動きで蠢き、本体へと再結合していく。
「嘘……最大魔法が、全く効かないの……?」
リリエッタが絶望に膝をついた。剣士たちの攻撃も、泥を斬るだけで手応えがない。ただ一つ、ガルドが乱射した「鋼鉄釘」だけが、その粘着質な身体を僅かに抉り、泥を飛び散らせていた。
「ちくしょう! 斬っても魔法をぶっ放しても、ウニョウニョ戻りやがる!」
ガルドが忌々しそうに、飛び散った泥がナメクジのように這い回るのを見て吐き捨てた。
「ユウマ! この前、あの巨大オークの首を一太刀で切った『三枚の鉄の刃』を今すぐ転移できないのか!?」
「……っ、あれは刈払機に付けちゃって、もう在庫がないんだよ!」
悠真は焦った。あれがあれば、この泥を物理的に粉砕できたかもしれない。だが、今は手元にない。
目の前では、魔人が一歩ずつ、防衛拠点へと迫っていた。その足跡からは黒い腐食が広がり、地面が腐っていく。
「どうする……物理が効かない、魔法も通じない、おまけにあの分裂する動きの気持ち悪さ……。ナメクジ……そうか、ナメクジだ……」
悠真の脳裏に、日本の実家の庭で見かけた光景が浮かんだ。
「ナメクジなら……塩をかけてやればいいんだ!」
「塩? ユウマ、何を言ってるんだ! 料理の味付けをしてる場合か!」
ゼノスが叫ぶ。だが、悠真の目は本気だった。
「ゼノス、違うんだ! 日本にはナメクジを塩で退治する文化があるんだよ。あいつの身体、さっきから見てると水分が多すぎる。浸透圧で干からびさせてやる!」
悠真は店の奥に隠していた、ある「段ボール」を転移させようと念じた。
実は、エデンベルクで一儲けしようと、日本の業務用スーパーから『精製塩 5kgパック』を100袋――合計500kgも仕入れていたのだ。
しかし、商業ギルドのローレンツから「塩は国の専売品だ。勝手に売れば極刑になるぞ」と釘を刺され、店の奥で「不良在庫」として眠らせていたものだった。
「リリエッタ! まだ魔法は放てるか!?」
「……え、ええ。でも、あんな怪物に小規模な攻撃をしても……」
「攻撃じゃない。運び屋をやってほしいんだ! 僕が今から出す『塩』を、風の精霊魔法に乗せて、あいつの全身に、それこそ真っ白になるまで浴びせてくれ!」
悠真は転移で、山積みの塩の袋を次々とこちらの世界へ引きずり出した。
「ガルド、袋を切り裂け! ぶちまけろ!」
「がはは、よく分からねえが任せろ!」
ガルドが斧で塩の袋を一気に切り裂く。中から現れたのは、日本の最新技術で精製された、不純物ゼロの雪のように白い、サラサラの純塩だ。
「リリエッタ、今だ!」
「……風の精霊たちよ、白き恵みを運び、災厄を包み込め! 『過干渉な風の精霊魔法』!」
リリエッタの旋風が、大量の塩を巻き上げた。
紫の霧の中に、突如として白い吹雪が吹き荒れる。
500kgの塩が、巨大な魔人の全身に、そして這い回る分裂体たちに、容赦なく降り注いだ。
「……? コレ……ナニ……?」
魔人が初めて戸惑いの声を上げた。
次の瞬間、地獄のような悲鳴が迷宮周辺に轟いた。
「ア……アアア……アツ、イ! カラダ、ガ……トケ、ル……ッ!!」
魔人の漆黒の身体から、凄まじい勢いで水分が噴き出し始めた。日本の強力な精製塩は、魔人の身体を構成する「魔素を含んだ泥」から強制的に水分を奪い去っていく。
泥のように滑らかだった身体は、見る間にガサガサに乾き、ボロボロとひび割れていった。地面を這っていた分裂体たちは、塩を浴びた瞬間に縮み上がり、黄色い液体を出しながら消滅していく。
「効いてる……本当に効いてるぞ!」
バルガスが狂喜の声を上げた。
「野郎ども、チャンスだ! 塩で干からびた隙を狙え! 物理攻撃が通るようになったぞ!」
だが、魔人も最期の悪あがきを見せた。
「オノレ……ニンゲン……食ラエ……ッ!」
魔人が最後の力を振り絞り、自身の身体を構成する「高濃度の塩分を含んだ泥」を、周囲に弾丸のように撒き散らした。




