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第106話 深淵の落とし子 ②

 迷宮の入口から溢れ出した「それ」は、もはや生物と呼べる姿をしていなかった。

 不定形の漆黒。周囲の光をすべて飲み込み、10000ルーメンを誇る日本のLED投光器の光さえ、その影の表面で霧消していく。


 空間が軋み、キィィィィィンという高周波のハウリングのような音が響き渡った。

「あ、が……あ……」

 最前線の兵士たちが耳を押さえ、その場に膝をつく。音そのものが精神を直接削り取るような不快な振動。やがて、そのノイズは不規則なリズムを刻み始め、古いラジオのチューニングを合わせる時のようなザラついた雑音へと変わっていった。


 『……ォ……ガ……キ……コエ……ル……カ……』

 雑音の合間から、途切れ途切れの言葉が漏れ出す。それは、アルテミシアの言葉だった。

 最初は音節の断片だったものが、次第に滑らかに、そしておぞましいほど「知性」を感じさせる響きへと収束していく。


 『……ハジメマシテ……理ノ……住人ドモ……。コノ……肉体ハ……馴染マナイ……』

 その言葉を聞いた瞬間、バルガスの顔から血の気が引いた。


「魔人が……喋った……?」

 隣にいた老練の戦士バッシュも、握りしめた剣をガタガタと震わせている。


「……終わった。アルテミシアの古い諺を知っているか、ユウマ。『魔物が人の言葉を紡ぐ時、その場に生ける者の魂はすでに冥府にある』……言葉を解する魔物は、災厄そのものなんだ」青ざめた顔のバルガスがユウマに説明した。


 周囲の冒険者たちの間にも、伝染病のような絶望が広がっていく。これまでの魔物は、どれほど強力でも「獣」の延長線上にあった。だが、目の前の『深淵の落とし子』は、彼らの存在そのものを嘲笑うかのような「意志」を纏っている。


 「……ふざけないでッ!!」

 静寂を切り裂いたのは、リリエッタの悲鳴に近い叫びだった。

 彼女の銀髪に差し込まれたキティちゃんのヘアピンが、彼女の激昂に呼応するように淡く輝く。

「お前が何だろうと関係ない! ここは私たちの街、私たちの世界よ! ……精霊の王よ、万象を灰燼に帰す裁きの光を我が手に!!」


 リリエッタが全魔力を込めたスタッフを突き出す。

「――『聖光極滅破(エクス・ルミナス)』!!」


 同時にフィアネスも、エルフの秘術を解き放つ。

「――『千風の処刑場(テンペスト・ギロチン)』!!」

 二人の最大出力の魔法が、漆黒の魔人へと直撃した。爆圧と光が網膜を焼き、二次防衛拠点のシルバーシートが激しく煽られる。歴戦の冒険者たちも、その勢いに感化され、恐怖を押し殺して一斉に魔法と矢を放った。


 だが、爆煙が晴れた後に広がっていたのは、絶望を上塗りする光景だった。

 魔人の表面にある黒い泥が、波紋のように魔法のエネルギーを飲み込み、何事もなかったかのように平然と佇んでいる。


 『……(ぬる)イ……。ソレガ……貴様(クズ)ラノ……スベ……テノ……力カ……?』

 魔人が一歩踏み出した。その圧力だけで、周囲の空気の重さが倍増したかのように感じる。冒険者たちは一人、また一人と武器を落とし、戦意を喪失して崩れ落ちていった。

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