第105話 深淵の落とし子 ①
冒険者や兵士たちの必死の奮戦、そして悠真が持ち込んだ「異世界の知恵」が結実し、「深緑の迷宮」の入り口が見える場所に二次防衛拠点が築き上げられていた。
シルバーシートの壁が強烈なLED光を反射し、不気味な紫の霧を物理的に押し返している。その光景は、暗黒の海に浮かぶ不夜城のようでもあった。
「よし、今のうちに交代だ! 負傷者は後ろへ! 立てる奴は水分と栄養を摂れ!」
北の門から駆け付けたバルガスの号令が響く。
悠真が持ち込んだ「一口ようかん」と「手焼きせんべい」の食糧、そして「デ○ビタ」や「缶コーヒー」は、疲弊しきった冒険者たちにとって、まさに神の供物だった。
一口食べれば、あんこの濃厚な糖分が脳に染み渡り、炭酸の刺激やコーヒーの苦さが停滞していた魔力を強制的に循環させるようだ。
「なんだ、この黒い塊は……。甘さが脳を直接叩きやがる。力が湧いてくるぞ!」
「このシュワシュワする水……これ自体が高度なポーションじゃないのか!?」
そんな驚嘆の声があちこちで上がる中、悠真自身も、本日二個目の「カリ梅」を口に放り込んだ。
「頭がスッキリしたと思ったら、すごい酸っぱい!口の中が爆発したみたい!」と叫ぶ。
凄まじい酸っぱさが全身の神経を逆なでし、疲労で霞んでいた視界がパッと明るくなる。
そして、和央さんの店で借りてきた充電式電動釘打ち機を点検し、予備バッテリーに交換した。
戦況は、膠着状態に見えた。
悠真は再び熊よけスプレーを噴射し、リリエッタの風の精霊魔法で入り口付近の魔物たちはその「未知の激痛」によって、死体となり積み上がっていった。低階層の雑多な魔物は一掃され、中階層の巨大な魔物たちは、狭い迷宮の入り口で渋滞を起こしていた。時折空を舞うワイバーンも、リリエッタとフィアネスが構えるレーザーポインターの狙撃を恐れ、高く旋回するばかりだ。
「……勝てる。これなら、いけるぞ」
ゼノスが剣を鞘に納め、額の汗を拭った。周囲の兵士たちにも、ようやく安堵の表情が広がり始めた。
だが、その直後だった。
「……っ!?」
悠真の背筋に、氷を突きつけられたような戦慄が走った。
それは、音ですらなかった。
大気が、震えている。
エデンベルクの強固な城壁さえも揺るがすような、底知れぬ「重低音」が、大地の底から響いてきた。
「おい、なんだ……? 地震か!?」
ガルドが斧を構え直す。
迷宮の入り口――その巨大な洞穴を包んでいた紫の霧が、突如として一箇所に吸い込まれ始めた。
「ユウマ! 下がって! 何か来るわ!」
リリエッタが悠真の前に飛び出し、スタッフを掲げる。
迷宮の入り口付近の空間が、まるで熱された陽炎のように、ゆらゆらと不自然に歪み始めた。
空間そのものが「悲鳴」を上げているかのような軋み。
そして、その歪みの中心から、この世界の理では説明のつかない「純粋な黒」が溢れ出した。
「……『深淵』の門が、完全に開いたというのか」
バルガスの声が、かつてないほど沈んでいた。
歪みの中心から姿を現したのは、これまでの魔物とは明らかに「格」が違う存在だった。
それは、不定形の黒い泥を纏った、巨大な『魔人』のような影。
体長は五メートルを超え、その全身からは、周囲の光をすべて飲み込むような漆黒の魔素が吹き出している。
『深淵の落とし子』――迷宮の最深部、理の果てから湧き出した、この世界の破壊者だった。




