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最終話

※この作品は全年齢向けですが、ヒロインが「ちょっと大人な小説」を読んでドギマギする描写があります。

真面目な顔で変なことを聞く婚約者と、心の中で絶叫する令嬢のすれ違いラブコメです。苦手な方はご注意ください!


 それからというもの、ダリオとの読書会は変わらず続いていた。


 羞恥心に顔を赤くする日は今もなお多いが、最近ではぽつりぽつりと、本以外の話題も交わすようになっていた。



 ある日の午後も、いつもと変わらない空気の中、ダリオが茶葉の瓶を手にして言った。


「すまない。茶葉を切らしたようだ。少し待っていてくれ」


 そう言って部屋を出て行った。サフィーナはひとり残され、静まり返った室内でふっと微笑む。


(少しずつだけど、距離が縮まってきている……気がする)



 その時――。


(もう戻ってきた? 早かったわね)


 ノックの音にサフィーナは目を向ける。



「どうぞ」



 扉が開くと、そこに立っていたのはダリオではなく、副官補佐のレオニスだった。


「あれ? 団長は?」


「今し方、茶葉を取りに行かれました」


 サフィーナがそう告げると、レオニスは部屋に一歩入ってくる。



「お貴族様なのに自分で茶葉まで取りにいって、かわってるよねー

 ……密室でふたりきりの読書会……なんて、まあ羨ましいかぎりです。団長の体力があれば、さぞや熱のこもった“読解”が進んでるんでしょうねぇ」



 ダリオならきっと、レオニスの言っている意味がわからなかったろうが、サフィーナは違った。

 だてに数々の獣人溺愛系の恋愛小説を読み込んでいるわけではないのだ。

 しかし、貴族令嬢として顔に出るわけにはいかない。


 レオニスの言っていることがまるでわからないように振る舞いながら、優雅に微笑む。



「ダリオ様には、お忙しい中お時間をつくっていただき、うれしいかぎりですわ」



 その反応が期待外れだったのか、レオニスはつまらなそうに鼻を鳴らした。

 しかし次の瞬間、彼の視線が机の上の本に向いた。



「あれ、『獣の爪痕に溺れる夜』……」


 その言葉にサフィーナはぎくりとする。

 レオニスは勝手に本を手に取り、ぱらぱらとページをめくる。



「“耳を甘噛みされて印を刻まれた夜、わたしはもう戻れない”……へぇ、サフィーナ嬢ってこういうの好きなんだ?」


 ぞっとするような笑みを浮かべながら、レオニスの目がぎらりと光った。



「でもあの団長じゃこういうのは無理でしょ?鈍感だしロマンチストじゃないし。」


 一歩一歩、間合いを詰めてくるレオニス。



 下がろうとするが、足が震えて動かない。だが、サフィーナは毅然として言った。


「なんのことかわかりませんが、婚約者がいる相手に気安く近寄らないでもらえますか」



 レオニスは鼻で笑う。


「“蒼月の花”とまで呼ばれた高嶺の花が、こんな趣味なんてバレたらマズいでしょ?

 ……ふたりだけの秘密にしてもいいけど?」


 サフィーナの首筋に、レオニスの指が伸びかけた――



 ――ゴンッ!



 その瞬間、鋭い音とともに、茶葉の入った缶がレオニスの頭に命中した。



「……何をしている」



 低く、冷ややかな声が部屋に響く。


 入り口にはダリオが立っていた。

 すぐさまサフィーナの元へ歩み寄ると、背中を守るように立ちはだかる。



「い、いてて……団長、おかえりなさい。ちょっとサフィーナ嬢がすごい趣味してるから、からかってただけですよ〜」


 レオニスは飄々と笑う。

 だが、ダリオは表情ひとつ変えず、本を手に取った。



「それは俺の趣味だ」


 場が静まり返る。



「俺では買いに行けないから、サフィーナの侍女に頼んで持ってきてもらっている。何か問題があるか?」



 レオニスの顔から血の気が引いていく。

 ダリオの目力に青ざめたのか、想定外の趣味に青ざめたのかはわからない。



「それより、お前にはあとで話がある。逃げるなよ」


 レオニスがしどろもどろに「失礼しました」と言って出ていくと、ダリオはすぐに膝をついてサフィーナに向き直った。



「……すまない。俺の不注意で、君を一人にしてしまった」


「ダリオ様……わたしは大丈夫です。助けてくださったじゃありませんか」


「いや。あいつは腕は立つが軽薄な男だと知っていた。それなのに油断した。……せめて鍵をかけておけば」


 どこか思いつめたように顔を伏せるダリオ。

 その肩が、静かに震えている気がして、サフィーナはそっと口を閉じた。



「君の興味あることを知れて、一緒にいられる時間が増えて……浮かれていたらしい」



 その呟きは、少しだけ掠れていて、彼なりに自分を責めているのが伝わってくる。


 サフィーナはその言葉を聞いて、思わずぽかんとした顔になった。



「……ダリオ様、もしかして……わたしのこと、好きなんですか?」


「好きだから婚約を申し込んだに決まっているじゃないか」



 あまりにも当たり前のように返されたその言葉に、サフィーナの顔は一気に赤くなり、口をぱくぱくとさせたまま何も言えなくなった。


 この婚約は、両家が決めた政略結婚だとばかり思っていたのに。



(だって、ダリオ様はいつも無口で……感情のひとつも読めないし……!)



 そんなサフィーナの混乱をよそに、ダリオは少しだけ眉をひそめ、不安そうに問いかける。


「……本当に、何もされてないのか?」



 不器用で、無口で、でも誰よりも誠実で優しい人。


(あぁ、そうよね。それが……ダリオ様)



 サフィーナは胸の奥がじんわりとあたたかくなるのを感じ、彼の気持ちを受け止められたことに、こっそりと幸せを噛みしめた。


 サフィーナが黙り込んだのを見て、ダリオは内心ひどく動揺した。

 鍵を閉めなかった自分を、サフィーナを一人にしてしまった自分を後悔していた。



「俺の管理不足だ。どんなことでも償う、言ってくれ」



 ――どんなことでも。


(ほんとに? どんなことでも?)



 目の前のダリオは真面目そのもの。

 きっと「君のために何でもする」的な騎士道精神で言ったのだろう。


 鼓動がバクバクと跳ねるなか、意を決して口を開く。



「……ダリオ様、わたし……その……」


 言葉が詰まる。どう言えば伝わるか悩みすぎて、最終的に投げた。



「最初からずっと……読書会が、恥ずかしくて苦痛でした!!」



 一瞬の沈黙。

 そのままサフィーナはダリオに勢いよく言う。



「恥ずかしいし、あの描写を真顔で読み上げられるのは嫌がらせだと思ってました!」



 その言葉に、ダリオはよろめいた。


「……嫌がらせ……」  



 低く、途切れがちな声。

 額に手を当て、頭を垂れ、黙り込む。



 しばらくして彼はサフィーナのほうをちらりと見て、絞り出すように言った。



「……すまない。君ともっと話すきっかけが欲しかったんだ。君の好きなものなら、自然と会話ができるかもしれないと思って」



その一言に、普段取り乱すことのない彼が必死になっている様子が可笑しくて、サフィーナは思わず笑ってしまった。


(もうこの人を可愛いとしか思えない。)



「これからは、毎週お互いのことを少しずつ話しませんか? ダリオ様が好きなこと、好きなもの、わたしも知りたいです」


 そう言って笑ったサフィーナは、まるで花が綻ぶような表情をしていた。

 ダリオはその笑みに、しばらく言葉を忘れた。



「君は……本当はそうやって笑うんだな」


 ぽつりとこぼれたダリオの言葉に、サフィーナは少し驚いたようにまばたきしてから、照れ隠しのように笑い直した。


「おかしな顔でした?」


「……いいや。とても、いいと思った」



 それだけ言って視線を逸らす彼の耳が、わずかに赤く染まっていた。







 午後のやわらかな日差しが、書斎の窓から差し込む。

サフィーナは窓辺の椅子に腰かけ、湯気の立つ紅茶を片手に一冊の本を読んでいた。


その向かいでは、無口な夫が静かに書類に目を通している。



「また、いつものやつか?」


 ふいに声がかかり、サフィーナは本のページを押さえたまま、ちらりと視線を向ける。



「“いつもの”なんて、失礼です。これは今話題の新刊なんですから。」


「ふーん……このタイトル、“蜜林に潜む獣は飢えたまま”って……これは、つまりどういう――」


「っ……もう! あなたにはそういうセンスがないのですから、諦めてください!」



 ぷんとそっぽを向くサフィーナに、ダリオは眉をひそめつつも、微かに笑う。



「でも、サフィ。君の興味があることは、なんでも知りたいんだ」


「……もう」



 ふてくされたふりをしながらも、唇の端が自然とゆるむ。

 言葉は少ないけれど、そのぶん伝わる想いが、ここにはちゃんとある。


 書かれていないページの先を、ふたりで綴る日々がもう始まっている。



最後まで読んでくださって、ありがとうございます!

楽しんでいただけたら、評価で応援してもらえると嬉しいです!

次の創作のモチベーションになります!

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