第四話
※この作品は全年齢向けですが、ヒロインが「ちょっと大人な小説」を読んでドギマギする描写があります。
真面目な顔で変なことを聞く婚約者と、心の中で絶叫する令嬢のすれ違いラブコメです。
苦手な方はご注意ください!
婚約者に、デートに誘われた。
たったそれだけのことなのに、心臓が跳ねる。
恋愛小説ではよくある場面。
でも、サフィーナにとってはそれが“初めて”だった。
毎月決まった日に、どちらかの屋敷でお茶をする。それだけが、ダリオとの交流だった。
だからこそ、「出かけよう」と言われた瞬間、言葉の意味がすぐには理解できなかった。
(デートって……なにをするのかしら)
本の中では見たことがある。街へ出て、肩を並べて買い物をしたり――
(……男の人と買い物って、本当に楽しいのかしら)
あるいは、オペラや劇場に行くのも定番の描写だ。
(でも、ダリオ様が演目に合わせて笑ったり泣いたりする姿……想像がつかない)
もしかして、湖畔で景色を眺めながら、ふたりで見つめ合って……そっと口づけを交わす、なんて。
「お嬢様、気を付けてください。ダリオ様が“獣の本能を解き放った狼”になるかもしれませんよ」
侍女のアンナが、いつの間にか背後からぬっと現れた。突然の声に驚いたサフィーナは、ベッドの上で妄想に浸っていた体勢を崩し、勢いよく腰を浮かせてしまった。
「ば、ばかなこと言わないで。そんなわけ……」
口では否定しつつ、サフィーナの脳裏には、読んだばかりの獣人小説のワンシーンが勝手に浮かび上がる。
(ち、違います! そんな展開には……っ!)
脳内で物語が勝手に進行していくのを必死に振り払うが、顔の熱は収まりそうになかった。
アンナはそんな主の様子を楽しそうに見つめている。
「……まさか、“湖畔の契り”を現実にしたいなんて思っていませんよね?」
「アンナっ!」
声を荒らげたサフィーナに、アンナは肩をすくめてくすくすと笑いながら部屋を出ていった。
部屋に再び静寂が戻る。
サフィーナはひとつ息を吐いて、ようやく落ち着きを取り戻したつもりだった。
だが、枕元に置かれた“楽しみにしていた新作小説”を手に取った瞬間――脳裏に浮かぶのは、なぜかダリオの顔だった。
(……読めるわけないじゃない……)
◆
――デート当日。
約束の時刻ぴったりに屋敷に現れたダリオは、いつもの騎士団制服ではなく、黒を基調とした落ち着いた平服に身を包んでいた。
軍服ほどの威圧感はないが、それでもその姿には隠しきれない凛々しさと品があった。
「お迎えにあがりました、サフィーナ嬢」
変わらずの無表情と落ち着いた声音。
だが、少しだけ耳が赤い気がして、サフィーナは胸がくすぐったくなるのを感じた。
行き先を尋ねても「行けばわかる」としか返ってこないダリオは、サフィーナの数歩前を無言で歩いていた。その姿はまるで、従者か護衛のようで――ある意味、らしいとも言えた。
だが、ふとした拍子にサフィーナとの距離があいた瞬間、ダリオはすぐに気づいたように振り返り、「すまない」と一言だけ添えて、慌てるように彼女の手を取った。
(まるで護衛のようね……でも、私を見失った瞬間、こんなふうに手を取ってくださるなんて……)
無言のまま並んで歩く時間が、やけに長く感じた。まわりは木々に囲まれ、風すら囁くような静けさ。あまりに音がないせいで、繋いだ手から自分の鼓動が伝わってしまいそうで——
それが恥ずかしくて、でもどこか心地よくて、サフィーナはそっと視線を足元に落とした。
やがてふたりが辿り着いたのは、城下町から少し外れた小高い丘の上にある、整備された庭園だった。
人の気配は少なく、木洩れ日が優しく芝に降り注いでいる。
「ここはいつも静かで、人が少ないんだ。君はこういう場所が好きなんじゃないかと思って」
そう言ったダリオは、言い終えたあとほんの一瞬だけ視線を外し、ぽりぽりと頭をかいた。
その仕草は落ち着き払った彼らしくなく、どこか居心地の悪そうな気配すらある。
不安と気恥ずかしさが入り混じったその動きに、サフィーナは思わず胸の奥が温かくなるのを感じた。
(……かわいい)
静かな庭園で昼食をとったあと、ふたりはしばらく並んで歩いた。柔らかな風が草木を揺らし、静寂のなかに鳥のさえずりだけが響いている。
この頃には、サフィーナの緊張もすっかりほぐれていた。言葉は少ないけれど、隣にいるダリオの存在が、以前よりもずっと近く感じられていた。
「もう一ヶ所、連れて行きたい場所がある」
食後、ダリオがそう口にしたときも、不思議と身構えることはなかった。
それが――まさか、あの場所だとは思わなかったのだ。
たどり着いたのは、城下の片隅にあるこぢんまりとした書店。
いつも侍女のアンナが、こっそり代わりに足を運んでくれていた、平民向けの本屋だった。
「君の興味があるものと言ったら、これだと思ってたな」
ダリオは少しだけ照れくさそうに目を伏せていた。けれど、その声音にはどこか誇らしげな響きが混ざっている。
その姿に、サフィーナは一抹の不安を覚えた。
(ま、まさか……そんなはず……そんなわけ……)
「もちろん、ここは俺に出させてくれ」
得意げに言い放つダリオの表情を見た瞬間、サフィーナの確信は固まった。
(やっぱり、そういう展開なのね!?)
本棚の前に立つなり、サフィーナは頭を抱えたくなった。
並ぶのは、獣人やら伯爵やらが“爪を立てたり耳を甘噛みしたりする”恋愛小説の数々。
しかもダリオは、真面目な顔で隣に立ち、どんな本が良いか尋ねてくる始末。
サフィーナの顔はみるみる赤くなっていった。
彼の無自覚な“辱め”は、今日も相変わらず、鋭くサフィーナの羞恥心を突き刺してくるのだった。
次回最終回は明日の22時に投稿予定です!
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