第三話
※この作品は全年齢向けですが、ヒロインが「ちょっと大人な小説」を読んでドギマギする描写があります。
真面目な顔で変なことを聞く婚約者と、心の中で絶叫する令嬢のすれ違いラブコメです。
苦手な方はご注意ください!
サフィーナ・カレストリは、自らの口から飛び出した一言によって、見事に自分で自分の首を絞めてしまった。
結果、翌週から週に一度、王国騎士団へ足を運ぶという謎の“義務”を背負うことになったのである。
騎士団長たるダリオには、重厚な扉と鍵のかかった専用の執務室が与えられていた。
そこに通されたサフィーナが待ち受けるのは――とんでもなく気まずい“読書会”だった。
机の上に置かれたのは、あの“成人向け”の恋愛小説。
サフィーナはそれを前に、内容を解説するというまさかの役目を担わされていた。
しかも、真昼間の、窓から青空の光が差し込む平和な時間帯に。
「……『たぎる泉を喉奥で迎え入れ』とは……どういうことだ?」
「……っ、それは……その、ええと……」
(ダリオ様は……本当に意味がわからないのかしら?)
読書会が進んでいく間も、ダリオの表情は一切揺るがなかった。
ひたすら真剣に、平民文化の学びとして小説を読み進めるその姿に、サフィーナの羞恥はむしろ増す一方だった。
(どうしてそんな真顔でいられるの……)
ようやく本日の読書会が終わると、ダリオは静かに立ち上がり、執務室の一角に設えられた小さな給仕台へと向かった。
もともと彼が「いちいち使用人を呼ぶのは煩わしい」と言って設置させたもので、鍛え上げた身体つきからは想像もできないほど丁寧に、茶葉を蒸らす湯の扱いに慣れている。
分厚い指で器用に茶器を扱う姿は、どこか場違いにすら見えた。
淹れられた茶は香り高く、驚くほど優しい味がする。
あいかわらず無言の時間がつづく。
最初は気まずさにそわそわと指をもてあそんでいたこの沈黙も、今ではどこか心地よいものに変わっていた。
無言のままでも居られる相手。
沈黙が自然に思えるのは、きっとダリオという人を少しずつ理解しはじめたからだ。
無愛想で、無口で、感情が読めない人。
最初は近寄りがたく、どう接してよいかも分からなかった。
けれど回を重ねるごとに、彼の言葉少ない誠実さや、不器用なやさしさにふれるたび、少しずつ印象が変わってきた。
(……どうしてこんな会が始まったのか、思い返すと顔から火が出そうだけど……)
そんな空気の中、控えめなノック音が静けさを破る。
「失礼いたします、副官補佐のレオニスです」
扉の向こうから聞こえた声に、ダリオが「入れ」と短く応じると、現れたのは長身で柔和な雰囲気を纏った男だった。
副官補佐レオニスは、もともとは平民の出でありながら実力で昇進した男で、金髪に琥珀色の瞳を持ち、制服の着こなしにもどこか妙な余裕を感じさせる。
常ににこやかで、口調も軽やか。ダリオとはまるで正反対の印象を与える人物だった。
レオニスは飄々とした笑みを浮かべたまま、サフィーナに会釈を送る。
「サフィーナ嬢、ようこそ。無口で無愛想な団長殿のお相手を、いつもありがとうございます。おふたりがこうして親しくされているのを見ると、団員たちも安心するようで……もっとも、“執務室からまったく出てこない”という噂も立っておりますが」
にこやかに放たれたその言葉の裏に含まれた意味は、あまりにあけすけだった。
ダリオはいつものように「そうか」と一言返すだけで、彼が気づいていないことは明らかだったが、サフィーナはにこやかさの裏に不躾な含みを滑り込ませてくるレオニスの態度に、じんわりと苛立ちを覚えていた。
それでも、彼女は必死に無垢を装い、微笑みを崩さなかった。
平然とした顔でやり過ごす術なら、貴族令嬢として何度も身につけてきた自負がある。
サフィーナの心のうちにある苛立ちには気づかぬまま、レオニスは悪びれた様子もなく続けた。
「サフィーナ嬢も……団長殿のような無口な方が相手では大変でしょう。デートのひとつやふたつ、ちゃんとお誘いいただいてますか?」
その問いに、ふたりはふと目を合わせた。
――していない。
思い当たるのは、数えるほどの舞踏会と、式典の同席くらい。
ダリオは常に任務優先で、サフィーナもそれを当然のように受け入れていた。
空気の変化に気づいたレオニスが、やや焦ったようにダリオの袖を引いて耳打ちする。
「……そんなんじゃ婚約破棄ですよ、団長。婚約破棄」
(……そんなの、私のほうが婚約破棄されてもおかしくないのに……)
ダリオはしばらく黙したあと、視線をそっと彼女に向け、言った。
「……行くか」
いつもと同じ無愛想な声音だったが、少しだけ彼の声がうわずったのにサフィーナは気づかなかった。
続きは明日朝7時に投稿予定です!
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