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半透明の影  作者: 穏田省吾
療養編
34/37

隔てるもの

 

 教壇では合唱団が合唱の練習をしている。


 石造りの礼拝堂には、ほとんど人がいない。

 普段の喧騒と打って変わって、がらんとしていた。

 説法が始まるまで、まだ時間がある。


 後方の長椅子の隅、俺は壁に寄りかかって座り込んでいた。

 脳内では今までの出来事がリフレインしていた。


 理不尽にこの世界に飛ばされ、色々な事に悩んで気を遣いながら何とかやってきた。

 でも今は糸が途切れたかのように、体に力が入らなかった。


 金の事も、転職の事も、人間関係の事も、色々な事がもうどうでもいい。

 もう、どうでもいいのだ。


 ………ああ、そうか。


 理不尽にリンチされた時、既に心は折れていた。

 義務感で仕事をして、流されるまま教会に通って、

 魂の無い、まるで人形のように、惰性で日常を続けてきた。


 もう、うんざりだ。


 こんな色の無い日々はいつまで続く?

 くすんで、すり減っていくような日々は、一体いつまで……


 ・

 ・

 ・


「こんにちは、今日も皆さんの顔が見れて嬉しいです」


 登壇したエタンはいつものようにそう言った。


「そろそろ春になり始めましたね。

 暖かい日が増えてきたような気がします。

 これから春の食材も出回り、人の往来も多くなるでしょう。


 さて、本日のテーマは人を理解する事についてです。

 私が昔別の場所にいた時に、このような話を聞きました。


 その都市はここと同じで、王国系の人々が大半を占めていました。

 そして流民の方々もいたようです。

 ただ、ここよりも内地だったため流民の数が少なく、点々と暮らしているような状態でした。


 その中でも、ある流民の青年がいました。

 彼はこの国の文化にあまり馴染めなかったため、孤独を感じながら生きていました。


 また、不況で仕事もなかったため、人生も悩んでいました。

 一人で街はずれに住んでいました。


 彼は人生に救いを求め、悩んだ末に、慣習を捨てて教会の門を叩きました。

 彼の知人は止めましたが、それでも彼は目を盗んで通い続けました。


 神父は彼のような改宗者が来たことに大変喜び、人々に紹介しました。

 流民からの改宗者は、当時から珍しかったからです。


 彼は何度も足を運び、時に質問し、聖書への理解を深めました。

 コミュニティにも受け入れられ、他の人から仕事も紹介される事も出来ました」


 同じ流民でも、異邦の剣とは似ても似つかないな。


「皮肉なことに、彼を追い詰めた苦しい状況ゆえに、

 彼は救いにたどりつくことができました。


 聖書にはこうあります。『悲しむ者は幸いである。その人は慰められるだろう』と。


 神父の言葉は確かに彼の心に作用し、彼が求めていたものを提供できたのではないでしょうか。


 どうでしょう。すばらしい事だと思いませんか。

 聖書を通して人々の心が繋がったんです」


 反論する気力が湧いてこない。

 俺は黙って話を聞き続けた。


「話は変わりますが、皆さんには、真に理解し合える人はいるでしょうか。


 いると思われた方、それは幸いです。

 ですが、これから先も死ぬまでそうでいられるでしょうか」


 夫婦や親子のような、何組かの信徒が顔を見合わせる。


「たとえば、その人と付き合う事となった時、

 あるいは生涯を添い遂げようと誓い合った時、

 それか初めて自分の子供を抱き上げた時、


 あなたは万感を抱き、言い表せない思いで胸が一杯になったでしょう。


 その胸にいかなる感傷があったとしても、相手の事を完全に理解するのは難しい。

 生涯を通じて良い関係を築けるかは難しい。

 人と人が本当の意味で理解しあう事はできないからです。


 生涯を誓いあい、長年寄り添った夫婦ですら、しばしば離婚するものです。

 万感の思いで抱き上げた赤子と、後に険悪な仲にもなりえます」


 礼拝堂が重苦しい雰囲気に包まれていく。


「人々は沢山の物に規定されています。

 その日の気分、体調、自分の考え、感性、交友関係、言葉の選び方、しぐさ立ち振る舞い、所属組織での立ち位置。

 家族との関係、趣味、食事の好み、人の相性、過去の経験、生まれ持った外見、頭の良さ、身長。


 大きいもので言えば、人は文化、土地、性別、言語、風習。

 色々なものに定められている。

 それは人々に個性を与える一方で、人々を隔てるものになりえます」


 それを聞いて、今までの事を思い出した。


 上街と下街。流民と市民。貴族と平民。人と異形。信仰と無宗教。

 日本と比べ、隔てられていた。

 だから、それを埋められるように、努力してきたつもりだった。


 付き合いで、聞きたくもない詩を聞きに行った。

 嫌いな人間にだって、我慢してへりくだった。

 外見の事で侮辱されても、たえてきた。


 それも、全て無駄な事だった。


 今思えば、それも必然だったのだろうか。

 何故なら、人と人とはこんなにも隔てられているのだから。


「一つの詩を100人に聞くときにも、百通りの感想があります。

『これはいい作品だった。特に燃えるような恋がよかった』

『これはいい作品だった。特に燃えるような戦がよかった』

『これは悪い作品だった。この登場人物が嫌いだった』

『これは悪い作品だった。なぜなら雰囲気も暗く、テンポも悪いからだ』

『これは悪い作品だった。なぜなら俺が主人公じゃないからだ』」


 望郷の騎士の話を聞いて、

 ある者は胸を躍らせ希望を抱いた。

 ある者は顔を曇らせて嫉妬と嫌悪を抱いた。


「ある意味では、人々はそれぞれが隔てられた場所に置かれているのです。

 どんなに親しくて笑い合って楽しげに喋っていても、どこかでひっかかりがある。


 どこか、ずれが生じてしまう。

 皆さんも覚えがあるはずです。

 これはどうしようもない事なんです。


 ではどうすれば良いのでしょうか?

 心が通じ合わない。いくら言葉を尽くしても、理解し合えない。

 なら我々はどうすればいいのでしょうか?

 ただ黙り込んで、相手の態度を伺えばいいのでしょうか?


 旧き神々は、我々を弱く、短命で小さな者にしてしまいました。


 人に過度な期待や要求をしても、

 それは自分を、あるいは相手を傷つけるだけ。


 みんな傷つきたくないんです。

 だから壁を作る。だからこそ孤独を感じる」


 ……要は、人に期待しすぎるなという事だろうか。

 俺が知らず知らず、トレバーと恩人を重ね合わせていたように?


 自嘲に唇をゆがめる。

 ……今日の説法は、随分と傷口に染みる。


「でも、心には正しい開き方がある。聖書を通じて物事や価値観が共有される。

 環境や文化の壁を越えて、そこで我々は通じ合えるんです。


 聖書以外にも共通の趣味や仕事を通じて、同じような事ができるかと思います。

 それを行うのは難しいですが、道筋自体は確かに存在します。


 だからこそ、私たちは人が真の意味で理解し合えない事を理解した上で、

 人と分かり合えるよう努力する必要があるのではないでしょうか」


「……」


 ……綺麗事だ。


 ・

 ・

 ・


 朝方の人気の少ない道を通り抜けて門に向かう。

 最近は朝方の寒さも和らいできた。

 春が近いのだろう。


 門に向かう足取りは、重い。

 あのトレバーと顔を合わせる事、そして同じ役で二人だけにされてしまう事を考えると……

 本当に逃げ出したい。


「おい、来るのが遅せえぞ!」

「何やってんだ!」

「す、すいません」


 トマスやロジェから叱りを受けつつ、急いで列に加わる。


「よし……、では朝礼を始める。

 今日も引き続き、密輸品の検査に注意する事。

 特に今は上街も気を立てている時だ。漏れなど無いようにしろ」


「「「「「はい!」」」」」


 密輸品。

 真実を知っている者としては、胃が痛い。


 ・

 ・

 ・


 与えられた役割は、荷物検査役。

 今日からとうとう復帰できるようだ。


 肉体労働に戻ってしまった事への後悔。

 反面、トレバーと二人きりになるような役ではない事への嬉しさもある。


 ・

 ・

 ・


「おいっ とっととやりやがれ!穀潰しに戻りてえのか!」

「はい、頑張ります」


 トマスの容赦ない叱咤。

 俺は緊張を抑えながら返事をする。


 ・

 ・

 ・


 必死に体を動かし、何とか午前を乗り切った。

 肩の凝りと息切れはあったが、何とか復帰はできそうだ。


 と言っても、この仕事を続けるのは難しそうだ。

 トレバーがいる以上。


「ユーヤ、久しぶりだな。良くなったのか?」


 フォルだ。


「……はい、まあ……」


 俺はフォルから目をそらした。

 トレバーの一件があってから、人の目を見れなくなっていた。


「どうした? 元気が無いな。まだ体が痛むのか?」

「……そんな事、ないですよ」

「そうか……ま、何かったら言えよ。出来る仕事なら分担するから」

「……」


 雰囲気を察したのか、フォルは再びトマスの下に戻って行った。

 その後、何人かから声を掛けられたが、歯切れの悪い返事しか出来なかった。


 ・

 ・

 ・


 暗い気持ちを抱えながら、午後の勤務が始まった。


「はい、次これよろしく!」

「……はい」


 フォルが次々と置いていく荷物を手に取って検査していく。


「……ずっと下を向いてるけど、体調は大丈夫かい?」

「……いえ、大丈夫です」


 隣で検査しているランドンに声を掛けられる。


 体調が悪いのではなった。

 久々の労働に疲れているのではなかった。


 体を動かしてしまえば、目に留まってしまうかもしれない。

 顔を上げてしまえば、目があってしまうかも知れない。


 壁上にいる、あの男に……


 ・

 ・

 ・


 それは何気ない光景だった。

 二台の馬車を連れた商人と護衛の冒険者達の入市審査をしているときだった。


 彼等は窓口でジラールから確認を受けているが、

 全員の態度がどこかよそよそしく、目も合わせない。

 返事もあいまいで、どこか敵対的な雰囲気すらあった。


「やあ、良い天気ですね」

「……」


 ジラールの挨拶に対して男達は無言で、

 カウンターの前に乱雑に身分証等を置いていく。


「……」


 ジラールは悲し気な顔で、投げ渡された紙を手に取り、目を通した。


「荷主は……はい、聞いた方ですね。

 入市目的は市内への酒場への卸でよろしかったでしょうか」

「……そうだが?」


 商人の男は見下したような、不機嫌の目でジラールを見た。

 他の冒険者達も一緒だ。


「……分かりました」


 ジラールはそれを黙って受け入れた。

 不機嫌そうにしているエルドや他の門兵も黙ってそれを見ている。


 何とも奇妙な光景だ。

 普段ならゆすりの得意な、入市者を金づるとしか見ていないトマスですら、不機嫌そうに黙って眺めている。


「さっさとやってくださいよ。荷物が駄目になっちまう」

「すみません。少し待って下さい」

「チッ」

「相変わらず丁寧な仕事ですな」


 ジラールは緊張した様子で、へりくだって対応を続ける。

 その間、他の門兵は苛立ちながらそれが終わるのを待っている。


「は、はい。これで確認が取れました。次に身体検査を行ってください」

「丁寧な仕事ご苦労さん」

「待ちすぎて日が暮れるかと思ったぜ」

「……すみません」


 一日に数組は、こんな妙な光景があった。

 雑に扱われるジラールと、憮然とした顔の門兵達。


 最初は、相手が有力者と繋がりがあるから門兵がへりくだっているのかとも思った。が、段々と見ていく内に、相手は普通の商人達である事が分かってきた。


 普段ならこんな舐めた態度を取れば、トマスかロジェによってその場で素寒貧にされるだろう。


 この茶番劇には、何か理由があるのだろうか。

 理由はあるのだろうが、知りたくなんて無かった。

 自分事ですら精一杯なのに、

 これ以上重い話を聞かされても気が重くなるだけだ。


「……ヒル……」

「……」


 去り際、一人の冒険者が小声で捨て台詞を吐き、ジラールは小さく肩を震わせた。

 それはいつしか、何気ない光景になっていた。


 ・

 ・

 ・


 そうこうしている内に、門は夕方のラッシュに突入。

 たまに走る体の痛みに耐えつつ、

 怒声に急かされながら無我夢中で入市者を捌いていく。


 気付けば四の鐘が打ち鳴らされ、閉門作業をしていた。

 疲れた体を奮い立たせ、重い門を閉じ終わる。


 何とか、無事に終われた……!


 軽く挨拶をし、疲れた体を引きずって宿に向かおうとした時、


「おいユーヤ、ちょっと待て」

「……」


 体が一瞬震える。

 紛れもない、奴の声だ。


「……」


 内心の緊張を抑え込む。

 一呼吸し振り向く。

 そこにはトレバーとジラールがいた。


「……ッ」


 トレバーが善人面で話し始めた。


「この前の事で、ジラールにも話を聞いてみたんだ。

 そしたら思ったより気にしてないらしい。

 ここは俺の顔に免じて、仲直りしちゃくれねえか……?」

「……」


 怒りで目がちかちかする。


 厚顔無恥。

 恩人の顔の皮を被った獣。

 どのような精神をしていれば、ここまで厚かましくなれるのか。


 吐きそうだ。


「トレバーさん、ありがとうございます。

 ……ユーヤ、この前の事はすみませんでした。発言に配慮が欠けてました」

「……」


 言葉は、ほとんど頭に入ってこない。

 内心ではトレバーへの恐怖と怒りで一杯だった。


「また、前のように業後に出かけませんか?」

「……」


 息が苦しい。

 目が合わせられない。


「ユーヤ……?」


 ずっと俯いている俺を見て、ジラールが心配そうに言う。


「……ユーヤも急に言われたんでビックリしちまったみたいだな!

 ま、これでお前達の間に、わだかまりは無くなった訳だ。

 まだまだ若い二人なんだから、これからこの門を切り盛りしていってくれよな」

「トレバーさん、ありがとうございます」

「後輩の面倒を見るのも先輩の仕事だ。

 その分、後々には俺の下でこき使ってやるから覚悟しろよ」

「ハハハ、お手柔らかにお願いしますね」


 冗談めいた口調で話したトレバーに対し、ジラールが軽く受け流す。


 ……こき使ってやるという言葉に、後ろ暗い行いの片棒を担がされるような気がしてならない。


 お前……

 どの口でそんな事を?

 俺だけじゃなく、ジラールも食い物にする気か?

 気持ち悪い、サイコ野郎が――――


「あっ」

「おい?!」


 気が付けば、俺はその場をかけだしていた。

 その後の事はよく覚えていなかった。

 ただ気分の悪さを抑えて走っているだけで精一杯だった。


 宿に戻り、食事もとらずに自室に駆け込み、ベッドに身を投げ出した。


「……」


 頭の中では、先ほどの出来事が何度も繰り返されていた。

 怒りに拳を強く握ったが、どうすればいいか分からなかった。


 一瞬、告発という言葉がよぎる。

 しかし、トレバーは上街出身。

 皆に頼られ、頭が回り、実績と信頼と人気がある。

 片や、新人で貴族にリンチされたお荷物の下っ端。


 皆がどちらを信じるかは、あまりにも明白だ。





 怒りに握った拳はゆっくりと弛緩し、力なく開かれていた。



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