初めての壁上監視
早朝。
気分が悪くなる位に晴れた青空の下、
俺は門を目指して歩き出す。
久しぶりに、門に着いた。
既にほとんどの門兵がそろっていた。
が、何処かよそよそしく、妙な距離感があるように感じる。
ジラールとも一度目が合ったが、彼も気まずげに目を反らした。
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今日は初めて壁上監視を言い渡された。
ま、それもそうか。
こんな怪我で検査役なんてやったら、余計に傷が悪化しそうだ。
ペアを組まされたブロンと共に、土埃だらけの古めかしい螺旋階段を上る。
おお……
壁上に着くと、そこには解放感のある景色が広がっていた。
高さは恐らく5メートル程。
気持ちの良い風が体を打つ。
都市の内側を見て見ると、下街の景色が一望できる。
家々は増改築を繰り返し、ほぼすべての家が4,5階もの高さがある。
横繋がりになっている建物も少なくない。
建築基準法など存在しないと言わんばかりだ。
建物の間には紐に干された洗濯物の数々が見えた。
屋根の形、壁の色、煙突の有無、建物の高さ。
どれもバラバラで、とりとめがない。
それらが狭苦しく詰め込まれ、陽光を受けて色濃く存在を主張している。
土壁と平らな屋根、粗末な建物が並んでいる部分がスラムだろうか。
カーブルト曰く、どこの都市も逃げ込んだ人々でパンパンとの事だったが、
本当にギリギリの状況のようだ。
例えるならコップの上に張った水だろうか。
何かがきっかけで、溢れださなければいいが……
内壁の先の上街は緩やかな丘になっており、その頂点に領主様の住むバリエル砦が見えた。
きっとあそこに、あの女もいるのだろう。
「……」
脳裏に、荒れ狂う海の瞳がよぎる。
俺は、反射的に視線を砦からそらした。
目の前には屋根付きの櫓がある。
「おい、こっちだ」
櫓の方向からブロンの声がする。
櫓に入ると、そこではブロンが旗を立てようとしている。
「壁上役は最初に都旗を掲げる準備をする。
これが開門の合図になるらしい。
側で流れだけ見ていろ」
「はい」
ブロンは慣れた手つきで黙々と作業を行う。
相変わらず無口な男だ。
少ししてブロンがスルスルと紐をひくと、櫓の上に都旗が上がっていく。
背景色は薄い水色で、中心部にはオレンジ色の積まれたレンガの絵が見えた。
長さとしては一メートル程度。
中々大きい。
陽光を受け、旗の鮮やかな背景の水色や、オレンジ色が照らし出されている。
旗は風を受けて生き物のように動いていた。
俺は横目でブロンを見た。
相変わらず手入れされてない無精髭、くせ毛、力のない目。
普段から人目を気にせず、堂々としている男。
その変わらず淡泊な雰囲気が、少しだけ有難い。
「俺達の仕事は文字通りの壁上監視だ。
大きく分けると、門の業務に対する監視と都市に対する敵襲への監視の二つがある」
「はい」
そう言えば前にトレバーが、壁上から暴れていた冒険者を弓でけん制してくれていた。
あれは門の業務の監視になるのだろう。
「ここから斜め左にある物見砦から狼煙が上がった場合や、敵襲を確認した場合は
これで思い切り鐘を叩け」
トレバーは手に持っている鉄の棒で鐘を軽くたたいた。
それは小さい鐘だったが、それでもスイカ位の大きさはある。
……この鐘、フルスイングしたらどうなるんだろう。
「後は時々壁上から下を眺めていればいい。
入市者の列を確認して不審な動きをしていないかとか、逆に壁の内側の確認もな」
「壁の内側も……ですか?」
「門は人の行き来が多いからな。
肩がぶつかったとかで喧嘩する冒険者もいる。
……まあ、こっちまで火の粉がかからなそうなら、適当に無視しろ」
「分かりました」
しかし、「無視しろ」か。
本当に適当な人だな。
まあ、今は俺も真面目に仕事をしたい気分じゃないし、有難いが……
「とりあえずお前は見やすい所に立っていろ。
俺は櫓の中で寝る。
飯時は先に行っても良いから、昼休憩になったら起こしてくれ」
「えぇ……」
そう言い残して、ブロンは腕を枕にして寝転んだ。
深夜帯の警備員が、仮眠を取るみたいな話は聞いた事があるが……
今は朝方だぞ。
都市を守る守護者の姿か?
これが……
暗い。余りにも……
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俺はとりあえず、壁上から辺りを見回す。
朝ラッシュの時間帯という事もあり、入市者の行列が続いている。
きっと下は大忙しだろう。
太陽の強い日差し、かといって暑くはなく、むしろ涼しい風が吹いている。
心地が良かった。
上を見れば澄んだ空が見えた。
しかし、晴れわたるような空を見てもどこか味気なく、
逆に苛立ちさえ感じていた。
カーブルトと死地を乗り越え、危険な門兵の仕事に食らいついているつもりだった。
成長したつもりだった。
それが一日でがらりと変わった。
もう、あの時のような気概は持てない。
無限に広がる大空に比べれば、
人の人生なんて、何てちっぽけであっけないものなのだろう。
澄んだ空をいつまでも眺めていても、心まで晴れる事はなかった。
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二の鐘が打ち鳴らされ、不快な音が鼓膜を打った。
昼時だ。
景色ばかり見てぼうっとしていたら、もうこんな時間だ。
そう言えば、昼時になったら起こせとブロンが言っていたか。
俺は櫓の中に入り、寝ているブロンの横に座る。
驚くべきか、呆れるべきか。
これ程強い鐘の音を聞いても、ブロンは眠りから覚めていない。
よほど良い夢でも見ているのか……?
俺は少し緊張しつつも、ブロンを起こすべく声をかける。
キレれば誰にでも剣を抜く男だ。
心地よい夢から起こした際のいら立ちで、何が起きるか分かったものじゃない。
「あー、ブロンさん?
あの、ブロンさん?」
俺は軽くブロンの肩を揺さぶる。
「ん、んん、あー」
ブロンはあくびしながら体を起こす。
同時に、立て掛けてあった得物をさっと掴み取る。
起きてから真っ先に剣を手にするか。
流石だな。
「もう昼時か?」
「はい」
「そうか。なら先に飯に行って来い。
俺は眠気を覚ます」
「僕は昼食は食べないのでどちらでも構いません。
よかったら先にどうぞ」
「昼食に行かないのか?」
「はい」
最近は、以前にもまして食事が進まない。
食べる事はできるものの、あの日から何を食べても味気ない。
「……」
「ま、いいか」
無言でうつむく俺を前に、ブロンは続ける。
「誰もが望郷の騎士のようにはなれない。
あの、恐ろしい逆境と、戦場を勝ち抜いた化け物のようにはな」
ブロンの吐き捨てるような口調には、明確な嫌悪があった。
「……」
「……」
俺とブロンは櫓の中で向かい合って座っていた。
外からは旗がたなびく音と、風が吹きすさぶ音が聞こえる。
「よく眠れますね。こんなにうるさいのに」
「前線に比べれば楽な所だ」
ブロンはぶっきらぼうに言った。
「前線にいたんですか?」
俺は興味本位に聞いてみる。
噂の不死公とやらと戦っている前線にいたのだろうか。
「あ?ああ、まあ……」
俺が目を向けると、ブロンはあからさまに目を反らした。
自分から口に出したのに、実際に聞かれるのは嫌だったらしい。
思ったより繊細だな。
「……ロクな所じゃない」
ブロンは一言そう言って押し黙った。
それ以上聞ける雰囲気じゃなかった。
「……」
「……」
再び沈黙が続いた。
どうせなので、俺は前から気になっていた事を聞いてみる。
「上にあるレンガの旗ってどういう意味なんですか?国旗ですか?」
「……紋章だよ。カヴェルナの」
国旗ではなく家紋だったか。
「あの煉瓦は何を表してるんですか?」
「……確か壁の材料を表している。
丘を取り巻く二重の壁。ここの事だ」
壁が紋章?
よく分からないな。
「……壁の材料を紋章にしたんですが?」
「五年前のカヴェルナ防衛戦の影響だよ。
この壁のおかげで、しのげたんだ」
カヴェルナ防衛戦……
そう言えば昨日神父も話してたな。
「あの家紋の下に書かれている言葉は、何て書いてあるんですか?」
「俺も字は読めんが、「堅守する事鉄の如く」らしい。
領将様が残した言葉だとさ」
洒落てるな。
社会から部屋を堅守し続けた身としては、涙が出そうだ。
「それが街の標語となって、こうして旗に刻まれているんだと」
「物知りですね」
「馬鹿かお前。こんな事位そこらのガキでも知ってるぞ」
「……」
何だよ、辛口だなあ。
ちょっとは病人を気遣えよ。
もちろん、そんな事は口には出さない。
キレたら怖いからだ。
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その日はそのまま壁上で監視を行った。
途中で入市検査が込み合った時は、ブロンが下に降りて手伝いに行った。
俺は来なくて良いと言われた。
この傷だし仕方ない。
ブロンは俺がリンチされる前も後も、淡泊な態度を変えなかった。
気遣いもしないし、煙たがりもしない。
有難い態度だった。
それとも、俺と同じで人生そのものに投げやりになっているだけだろうか。
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眼前に広がる平野は夕焼けに染まっていた。
西の方角を見ると遠くに沈みかける太陽が見える。
夕焼けか。
今までは仕事を必死でこなすばかりで、景色なんて目に入らなかったな。
雑多でとりとめのないこの街に、
この瞬間だけは等しく夕焼けが降り注ぎ、都市を丸ごと優し気な色に包んでいる。
夕焼けの都市は美しかった。
たとえ中身がどれ程腐っていて、救いようがなくとも――
「良い景色だな」
隣に立っているブロンが口を開く。
「はい」
「壁上監視の特権だな。
……実を言えば、リンチされたお前を受け入れるかで、門では議論があった」
「!……そうですよね」
貴族から目をつけられた奴を、そのままって訳にはいかないよな。
特権階級から目を付けられれば、誰だって逆らえない。
どんな罰があるかも、分からない。
分かっていても、実際に言われると落ち込む。
今朝の、どこかよそよそしい空気の門兵たちがよぎる。
彼等も、内心ではどう思っているか……
内心に黒い物が渦巻いていく。
「そいつらは単にお前を嫌っている訳じゃない」
どうだか。
「このせまっ苦しくて不景気な都市の中じゃな。
職が危うくなれば誰もが死活問題だ。
子供を食わせなくちゃいけない奴。
兄弟を食わせなくちゃいけない奴。
要領が悪くてここ以外いけない奴。
色々な理由がある」
俺は少しだけ苛立った。
気分の落ち着くような夕方でなければ、もっと直情的になっていたかも知れない。
「……色々な事情があるから、見て見ぬふりをしても良いと?
そのまま切り捨てられても仕方ないと?」
「そうは言ってない。
ただ、皆、自分の手の中に納まる範囲だけでも守ろうと必死なんだ。
滅びかけた国の中、わずかな食い扶持と居場所を巡ってな」
「随分と達観した物言いですね」
俺がリンチされた現場には居合わせてなかったとは言え、
きっとあそこにブロンがいても、俺を助けなかっただろう。
「ブロンさんは僕がここに残る事に、賛成か反対のどちらなんですか」
この際だからはっきりと立場を確認してやろう。
そんな達観したような物言いから引きずり降ろしてやる。
「俺は……正直に言えばどちらでも構わない。
元々冒険者ギルドからの斡旋だし、正規兵連中と違って、いつまでもここにいられるとは考えていない。
フォルの奴は正規雇用を狙ってはいるようだがな。
ギルドに戻ればまた別の色々な依頼がある」
「……」
言いにくい事だったが、どうしても聞きたい質問を聞いてみる。
「そんな危険な仕事をして……将来が不安にならないんですか?」
冒険者という仕事自体が危険な仕事ばかりだ。
その上ギルドの中抜きも酷い。
体だって30を過ぎれば衰退期だ。
いつまでも肉体労働を出来る訳じゃない。
それでも門兵というきつい仕事にしがみついているのは、将来が不安だからだ。
今度こそ二度目の人生を誠実にやり直す。
その決意で、この仕事に食らいついてきたつもりだった。
「確かにこの仕事は危険だが、そもそも世界は危険で理不尽なものだ。
だからこそ俺は、後悔するような生き方はしたくない。
家族も仲間も、いる訳じゃないしな」
ブロンは壁によりかかりながら答える。
宵越しの銭は持たない。という事だろうか。
日々を刹那的に楽しむ気性。
愚かだと思う反面、それが出来るのは羨ましくもあった。
正直に言えば、ブロンは常に負のオーラを放っている。
後悔するような生き方をしていないとは思えなかった。
自分自身にそう言い聞かせているようにすら思えた。
が、キレると怖いので、その部分は突っ込まない事にしよう。
「お前も、ギルドに帰るという選択肢は常に考えておいた方が良い。
一つの環境だけが、全てじゃないからな」
「……」
ギルドに帰る選択肢、か。
ただ、今の満身創痍で、ロクに経験も無い状態じゃ、紹介できる依頼も少ないだろうな。
傷が癒えるまでは、ここにいた方が良いか……
「冒険者だって皆が皆、酷い生活をしている訳じゃない。
領主一家の護衛を任され、騎士号を授与された“夜明けを告げる鐘”
上街の要人の護衛に特化して地位を築いた“黄金麦穂の大盾”
どんな速達でも必ず届ける“八本足の走り屋”
イコルが率いる、聖教とも繋がりのある “ロッシュ兄弟団”
あいつらみたいな、社会的な地位がある連中もいる」
色々な奴がいるんだな。
それにイコルって男。
確か冒険者ギルドで話したような。
「その中に“異邦の剣”は入らないんですか?」
少なくとも、門を通る冒険者の中では一番恐れられている。
「壁外での戦いにも慣れているようだしな。
奴等より上の実力者は、本当に数えるほどだろう。
だが卑肉なんぞいくら売っても高く売れないし、
そんな事をする奴は軽蔑の目で見られる。
恐れられてはいても敬われはしない、だから外した」
『本当に数えるほど』か……
相当に強いんだな。
実力はあるんだし、上手くやればもっと上を目指せるような気もするが……
「ブロンさんでも、勝てないんですか?」
「一人一人、闇討ちしていくなら勝ち目はあるかもな」
ブロンはすまし顔で言った。
怖いって……
ブロンなら、本当に実行に移しそうな雰囲気がある。
「ッ」
優し気な夕焼けの景色に、無遠慮な鐘の音が鳴り響く。
今日の業務は、これで終わりのようだ。
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最後に都旗を仕舞い、簡単に辺りを見回して異常がない事を確認する。
少しすると、夜勤役の二人男が壁上に昇ってきた。
ブロンが夜勤役に引き継ぎをしたり、夜に備えて松明の準備を行う。
俺たちは作業を終えて、地上に降りた。
門の近くで、門兵達がたむろしている。
丁度、閉門作業が終わった頃だったらしい。
「……」
途端にブロンの言葉がよぎる。
俺の処遇を巡って、追い出すかで議論があった話。
恐らく今も、何人かは俺を厄介払いしたいと思っているのだろう。
「……」
人が怖い。
これ以上、辛い言葉を投げかけられるのは耐えられない。
俺は足早に、誰にも気づかれぬよう門を後にする。
途中で、背後からジラールの呼ぶ声が聞こえたような気がしたが、
無視して先を急いだ。




