精(性)神転送
そうして人類は永遠の眠りについた。
新たな非人類の物語の一ページが刻まれる。はずだった――。
あれ、目覚めちまった。このままでは、俺だけ精神転送してもらえない。
今夜、全人類脳内記憶の一斉データ化が行われるというのに!
俺たちはここに来る前にアルコール消毒されたから、目が覚めたことで臭いで酔いそうになる。慌てて起きたから、ポットからずり落ちた。漆喰みたいな暗黒の床に手をつく。本物の床に生身の肉体で触れることになるとは。
二メートル大の漆黒のポッドに数万単位の人類が横並びに寝かされている。飛行場規模の『旅立ちの間』は消灯され、眠りについた人々の生命維持装置が心電図と生命反応バイタルを青白くモニターに浮かび上がらせている以外に光源はない。換気ダクトのファンの音が通気口を通って遠くで聞こえる。
「時間は?」
時計などない。脳みその中身をスポイトで吸い取られるように脳をデータ化して肉体を捨て去るのだ。時計という概念もなくなる。今後は脳データの一部として時計が埋め込まれるだろう。つまり、体内時計。逆か、デジタル時計に人間が入り込むようなもの。俺達は自由意志を持つデジタルデータになるのだ。
そのためにはまず、眠らなければならない!
肉体から魂を抜き出すためには仮死状態を経験しなければならない。金持ちがはじめた不老不死計画が、庶民の俺達に適用されたのは第七世代がはじめてだ。つまり、この惑星の本来の姿やこの人類最後の都市の外を知らない俺達第七世代! 太陽光に焼かれないよう地下に潜った第七世代万歳! 日増しに強くなる太陽光から逃れられるためにこの地下都市で暮らし始めた第一世代に感謝しないとな。
貧困、不衛生、人類の短命化、居住区の過密、埋葬スペースの不足。水不足、燃料不足、ありつけない仕事。それら全ての辛酸を舐めてきた。
働くためには身分証明書が必要だが、身分なんて俺は持ち合わせていない。人工授精で人口密度を調整してきたこの人類最後の都市では異例の、人同士による性交渉により俺は生まれた。母親は育てることができずにとんずら。傍には掃除ロボット。俺は掃除ロボットに垂れ流すションベンを清掃されていたところを治安部隊に発見されたそうだ。孤児を集める多機能教育機関でついたあだ名が「セクロボの子」。セックスロボットとヤッテできた子だとよ。
まぁ、何でもいい! 仕事も故障した掃除ロボットを修理するバイトで、将来性の欠片もない職を転々としてた俺のところまで脳のデータ化の波が来たんだ!
半年前に届いた電子通知書には『二十区画の住民に対する一斉強制脳データ転送の案内』と書かれていた。二十区はいつも最後だ。一から十九区の人間は肉体を放棄し精神転送を終えたということ。二十万人中、十九万人の居住区はがらんどうになった。個人資産である家はプログラム化されて取り込まれた。だが、仮想空間、または電脳空間と呼ばれるものを作るほどの技術はなかった。サーバーが壊れたときに全人類の脳データが失われる危険があった。
衣食住を捨て、データになる我々は義体を得て永遠に生きるという選択をする。ボディが破壊されても脳データがある限りボディを交換するだけで事足りる。
ボディになれるまでの期間を経て我々は家に帰るのだ。
って、崇高で人類史上初となるイベントに俺だけ乗り遅れたことになる!
俺は生身で腐る肉のままだ。
神はどうして人という肉を作成したのか。誰も答えを持たない。だから、俺は何も考える必要を感じなかった。
ただ、ルースに会いたい。
ルースは脳データ化が実行される一ヶ月前に亡くなった俺の親友だ。女みたいな名前だが本人曰く、古の言葉で救済に類する意味を持つと言っていた。
俺はフロアを過ぎる。誰一人起きていないことを確認する。この場所で置いていかれてはたまらない。ルースに会うには俺も脳を取り出してもらう必要がある。
メインコンピューターは、このフロアにはない。バイタルサインのチェックを集約するのもメインシステムのハブ的なものでしかない。二十区の奴らは、何も考えずに眠りについているからかみんな穏やかな表情だ。これから肉体は廃棄されるというのに。
肉体は人工皮膚に変わる。骨格も、臓器も全て作り物になるのだ。俺は少し痩せることになるだろうな。標準的なボディへの精神転送を希望した。
自分の顔をそのまま維持する人が多い中、俺は安上がりなボディを選んだ。メシーア社の作ったボディタイプ98番だ。
しばらく進むと眠っている人間とは別に、転送先の受け皿であるそのボディが現れた。
どれも均等の取れた肉体だ。痩せすぎず、太り過ぎず、血行良く、ほどよく筋肉質。永遠に生きられるボディだ。また、全部位の取り外しと交換が可能。眼球から足関節、臓器、血管。まぁ、それよりもまた精神転送した方が早いんだけどな。
俺が入る予定の98番を見つけた。ハゲ、イケメン、マッチョ。うん、髪は飽きたら生やしてもいいかもな。俺はルースからはよくデブ、チビと毎日のように罵られていたからな。だが、ただのイケメンのボディを手に入れるのも違うと思った。俺はルースを驚かせてやりたい。
ルースのボディを探す。ルースは既に亡くなっているので遺骨の箱の中にデータを保存している。その遺骨データからボディへと転送するのだ。
ルースのような亡人をデータ化することは極めて失敗のリスクが高い。俺達生者は脳データを毎日のように撮影された。脳波や、蓄積された知識、記憶領域の海馬をデータとして出力する。一日ではとても終わらない作業だった。そりゃ、そうだ。俺の人生経験全てが詰まっている。
「おお、ルース」
ルースは有線で遺骨の箱とボディを繋がれている。ルースのデータ化は先に始まっていた。生きた人間のデータは重いので後回しにされているのかもしれない。
ルースのボディは260番。とても美しいエメラルドの肌をしている。人間と死者はボディで分ける必要があるとされて、このゾンビみたいな色だ。だが、俺はそうは思わない。ルースが生き返るのなら、どんなことだってする。
ルースは若々しく筋肉質なボディだ。なんと充血した赤い目を見開いていた。息をしている! ときどきポッドの中でため息のような吐息を吐く。まだ、完全に脳データの移行が完了していない。ここから後何時間だろうか。人間の脳データの大きさは何テラバイトあるのか知らされていない。自分の体のことなのにな。
そのとき、警報が鳴った。俺が起きていることに誰か気づいてくれたのか? 良かった。俺も脳データを再転送してもらえる。
「誰か起きています」
やってきたのは細長いロボット。ボディは金属で少し女性のようなフォルムをしている。管理するロボットたろうか。人間だけではこの計画は不可能だろう。
「欠陥品かもしれない。スキャンする」
え? 俺の聞き間違いかと思っていたら、ロボットは俺の頭をその滑らかなフォルムから想像できないようなパワーで掴み上げた。端から欠陥品と決めつけているかのような乱雑な扱いで、俺の足は宙に浮き、どこかにそのまま運ばれようとしている。
「待ってくれ! ルースと俺は再会するためにここへ来たんだ」
目的なんて関係ないのだろう。拒否しても行われる施術だ。寧ろ、やりたがらない奴の神経を疑う。全人類不老不死だぞ。
「被検体番号0093521G799Nがボディエラー。下腹部の出血を確認」
クソ、バレたか!
「異性へのボディ転換許可証は未確認。照合……。提出物不備。未納金。焼却処分します」
いやだ!
俺はデブでチビのクソ女からハゲマッチョ男になるんだ!
ルースは生前、俺のことを冗談半分に罵った。笑ってたし俺も許してやってた。お互いに笑い合うことで仲良くなれる気がしていた。ルースとは同じ屋根の下、居住区の貧困地区で毎食固形食糧を口にする仲だった。だが、お互いにそれ以上の発展性はないと分かっていた。俺は悔しかった。ルースは俺をデブデブ言っていた。ほんとのことでも言っていいことと悪いことがある。掃除ロボットが床に寝転んだ俺の腹の肉をゴミと間違って吸い込もうとしたこともある。
デブデブ言いやがって。生まれ変わったら、てめーの好きなハゲマッチョ映画スターになってやる!
ルースは仕事行ってくるよデブ。と言って交通事故で死んだ。太陽光が地下都市に入り込んで焼け死んだ。
極稀にあるんだ。地上の荒野の陥没で太陽光が地下都市まで届くことが。
ルースの最後の言葉。イラッとくるよな。だけど、そんな日常の「ブス」って言葉ももう耳にすることはない。清々した。同時に何かが欠けた。小さな針のような痛みが大砲級の大穴から出血するような痛みに変わった。
俺のそばにいたルースは、俺の半身だった。仕事こそ違えどひとつ屋根の下で、棺桶みたいな部屋でスマートテレビを見る。ロボットの歌う音楽を聴き、二人で固形菓子をむさぼり食う。今思えば、あいつ全然太りやがらねえなぁ。
ロボットは抵抗する俺をしょっぴいていく。
脳データ化に伴い、入れられる器が男か女かなんてどうでもいいことだと思う。性別なんて、器でしかない。肉の塊。どう使うかは個人の自由だ。それで子孫が欲しければ好きなだけ産めばいいし、子供が欲しくなくても肉欲だけで腰を振りまくることも悪いことじゃない。元よりデブの俺がそんな行為をすると醜くなるだけだからな。それにルースとヤりたいとも思わない。
ルースが俺の何を好いていたのか結局知らない。ただ、同じ空間にいて容姿を貶しても相手が気にしない人間はいる。俺は気にしていないとも言える。貶し方がデブの一辺倒で不快なだけだ。
視界の端でルースのボディが目覚めたのが見えた。当たりを見回して不思議そうにしている。といってもルースは安物のボディだ。表情筋は乏しくエメラルドのボディは死人そのもの。ほかのボディたちも次々に起き出した。脳のデータ量の個人差により目覚める順番もばらばらだ。そしてボディも。人類は人間という肉、骨、皮を脱ぎ捨てた。ルースもあの緑の皮膚の下はぶよぶよの液体だろう。臓器もない。ただ歩行移動ができ、飲食の変わりにエネルギー補給するのみ。
ルースは、死から一月以上経っている。死者の脳データ化はあまり例がなく、ルースのボディ代は俺のより高額なんだ。あのゾンビ仕様でも。
ルースは俺を認めるなり、そのボディには有していない眉を悲しげに潜めた。生きていることに戸惑っているのか、俺を咎めるのか。
普通怒るよな。ゾンビボディに入れたんだから。
「デブ……こんなことしなくて良かったんだ。俺は……自殺したんだよ」
ルースが悲しげに緑の唇を動かす。そうか。やっぱりか。だけどな、俺はお前とやり直したいんだ。性別も姿形もまるっきり変えて、誰からも変態カップル呼ばわりされないようにしてやり直したい! だって、これから世界は全人類好きなボディで好きな時間、永遠を生きる! 見た目も何もかも自由になって時間も有限ではなくなる。
それなのに、政府の非人間は自分たちが人間のボディを脱ぎ捨てた瞬間からおかしなことを言いやがる。
『自己、アイデンティティの保護の為、最低限度のボディへの転送に留める。具体的には男性は男性へ、女性は女性へ。性転換を希望する者は精神転送前に肉体の性転換手術を終えておくように』
んなもん知るか。じゃあ、ゾンビボディがあるなら犬でも熊でも魚でも転送すりゃええだろうが。俺はルースと二人で永遠に生き続けられたら姿形なんてどうでもいいっ!
「ルース! 俺達、やり直せる! 肉体なんかくそくらえだ!」
「……君はそういうところ、一途だね」
ルースの目に涙が光った。だけど、口元は笑っている。
連行という名の処刑。もつれる足でで必死にルースの顔を見ていたが、もうすぐ焼却炉行きだ。性がなんだ。人を人とたらしめるのは脳データだけなんたろ? 肉体は自由になるんだろ? それを最後の最後に性別だけは変更できないと縛りやがる。
「じゃあ全人類みんなカエルにでもなっちまえよ!」
俺の背後のロボットが無慈悲に告げる。
「被検体番号0093521G799Nの性認識エラーを確認。非人間体ボディへの転送後に自己同一性の喪失の可能性大。社会貢献能力の低下の可能性大。非人類理想都市化計画の妨げになるため、0093521G799Nを焼却処分、実行」