我らは逃亡中
魔都ミザナは魔女アルビーナによって壊滅した。
だが、アルビーナに与していた王バルタザールや貴族一党は、市民を守ろうとする兵士のクーデターによって倒されたのである。
そして、そのクーデターの旗印となった英雄は、そこで終わりでは無かった。
善良である領主達に号令をかけて寄付を募り、全てを失った民が生活を取り戻せるように新たな町を作り上げようとなさっているのだ。
新たな町の名は、ミザンナビーム。
さあ、魔女アルビーナによって不幸に貶められた市民たちよ、集え。
我欲ばかりの残虐アルビーナは消えたが、まだまだルビータには人を人と思わない魔人と称する悪人が多くひしめいている。
素晴らしき英雄、ヤンのもとに集い、これらの悪の化身達を撃ち滅ぼして、新たな世界を作り上げるのだ!
ぐしゃ。
私の手の中で新聞はぐしゃぐしゃになった。
私はルビータの近況を知らせる新聞、いや、新聞とは言えない単なる稚拙な文字羅列の檄文でしかないものを、怒りを込めてさらに丸めた。
あの糞野郎が、何が英雄だ。
新たな国、ヤンが集めた正義の貴族達と一般人で国を作ろうとしているから公国で、それの中心で持ち上げられたからこそ公爵とお呼ばれになってる、だと?
それでヤン・公爵様だと?
全部私のせいにしやがってと、小説通りにアルビーナの敵でしかないヤン・ヘルツォークを心の中だけで罵った。
大声で罵りたいが、私は自分の命が惜しいし、実際に大怪我で大声なんか出せないぐらいに辛い。
「そんなに苛立ったら体に障りますよ。アルビーナ様。」
ご飯を食べさせれば私が元気になると信じているらしいオスカーが、当たり前のように私にクッキーを差し出した。
そこで私はクッキーを受け取りながらも、笑顔のまま、違うでしょう、という視線をオスカーに向けた。
彼は頬骨を赤く染めた後、二度三度咽た様にして、申し訳ありませんと私に謝った。
敬語で謝るな。
逃亡中だから他人にはルビータとは関係ない一般庶民の夫婦に見えるようにって、オスカー、君が提案したんだろうよ。
様を付けたり、常にへりくだるって、どうかな?
ついでに言うと、私は兄妹でもいいんじゃないかって提案したのだが、オスカーは頑固に強硬に夫婦の選択しかないと言い張った。
温和な彼にしては珍しいぐらい、に。
アルビーナだと発覚すれば、私はその場で殺害されて終わりだものね。
確かにそれなりの家では、兄妹でもホテルの同室はあり得ないという時代であれば、兄妹だと言い張れば私は一人部屋を余儀なくされ、オスカーが私を守り切れない事態が想定されるだろう。
また、時々敬語過ぎるオスカーの振る舞いに対し、周囲は新婚だからと勝手に誤解もしてくれる。
結果として、私はあの夜から四日も生き延びている。
後四日で、私はセミよりも長生きできたことになるぞ!
頑張れ自分。
冗談はさておき、実際に私が一度もアルビーナだと発覚せずに生き延びられているのだから、警護官として何年も働いてきたオスカーの考えは深いものだったと思うしか無いのである。
私は左手に煌く金の指輪を見つめ、オスカーって拘るよなあ、と思った。
指輪は何の変哲もない輪っかでしかない純金だが、永遠に、なんて裏には掘ってあるんだぜ?
いや、金貨から指輪を成形したのも刻印を入れたのも私だけどね。
指輪に刻印を入れようと言い張ったのは、オスカー君こそなのだ。
「刻印が入っている指輪をしていれば、誰も私達が夫婦ではないと思わない。」
確かに。
その時は彼の意見に同意したが、今はその後に湧いた疑問に首を傾げてもいる。
だって、結婚指輪を敵に取られて刻印を見られたりする状況って、実際には死んで死体になった時じゃないか?
そんな疑問だ。
「どうしました?」
心配を声ににじませて、私を伺う様に見つめる男性を、私は見返した。
まあ、なんてこと!
飼い主とアイキャッチを必死に取ろうとする仔犬みたいな必死な顔をして、どうしてオスカーが私を見ているのよ!
オスカーが仔犬みたいだと思った瞬間、私は完全に反射的に、だった。
オスカーを大丈夫だと安心させるようにして、私は笑顔を作ったのである。
オスカーは笑顔を返して来た。
それも、私の微笑みがとても嬉しい、そんな健気な笑顔だ。
くっ。
胸が痛い。
どんな時だって弱った人を助けようとする立派な人だったばかりに、こんなにも落ちぶれた私を守ろうと必死になってくれるなんて。
私はオスカーに甘えているが、私は悪役側なのだから、オスカーさえも道連れに死なせてしまうはずなのだ。
ジャンを死なせてしまったように。
ああ、ジャン。
私は自分の胸を押さえた。
そして大きく息を吸い込んで、吐いた。
こんな所で意味も無く泣いて注目を浴びたら、私がアルビーナだって気が付く人が出てしまうじゃないの。
そんな事になったら、オスカーを死なせてしまうじゃないの。
ジャンを死なせてしまったように!
「アルビーナ様!傷が痛みますか!」
オスカーが周りの目も気にせずに、割と響く声をあげた。
私は両手で顔を覆った。
このやろう。
私を守るはずの君が私がアルビーナだと名指ししてどうするよ!
「アルビーナ。もう一度宿の部屋に戻りますか?」
チクショウ!
オスカーは私が両手で顔を覆ったのを、自分が大声で私をアルビーナだと呼んでしまったからとは思わなかったようだ。
まあ、確かに、アルビーナはルビータではよくある名前だ。
ただし、アルビナは白を意味する名前であるからして、髪や瞳や指先までも赤ワインに浸かったような輝きをもつ私に付ける名前ではない。
いや、赤ワイン風の赤ん坊を見て、父か母は白ワインが飲みたい、なんて馬鹿な連想をしたのであろうか。
いけない。
思考がくだらない方向に行ってしまった。
それは、ええ、安宿の食堂にいる誰もが、私が世界の悪役カンターレ女侯爵であるアルビーナ・バックハウスだって気が付かなかった事への安堵によるものね。
「アルビーナ?」
再びチクショウ。
せっかく見過ごしてもらえたのに、再び声を大きめにして呼びかけやがって。
実は逃亡劇をここでお終いにしたい、そんな希望でもオスカーは抱いているのだろうか?
私は顔を覆った指先を広げ、指の間からオスカーを見つめた。
って、何をしているの!
向かいに座っていた彼は私の直ぐ真横にやって来ていて、身を屈めて私に覆いかぶさる勢いだ。
そしてオスカーはそのまま私の腹に向かって、自分の手で私の腹を包もうとするようにして右手を突き出して来たのである。
私はオスカーの右手を両手で押し戻した。
「こら!」
お読みいただきありがとうございます。
ガードドッグなウッツ君は気合が入りまくりです。
アルビーナは、復讐もあるけど、今は取りあえず逃げ切らなきゃ、と思っています。
ここからお読みくださって気に入ってくださったけれど、プロローグから読むのは面倒だと思われた方に簡単なあらすじです。
↓
柴犬と散歩中に事故死した主人公が転生したのは、お気に入りの小説の中の悪役、アルビーナだった。彼女は小説の主人公のヤン・ヘルツォークの剣のサビとなる予定だが、アルビーナとなった彼女は小説の筋を変えることは不幸な人が報われないからと運命を受け入れる。
そんなアルビーナは小説通りに悪役となるような出来事に見舞われるが、柴犬のような少年ジャンが彼女の支えとなり彼と相思相愛という幸せも手に入れる。
けれどもうすぐ結婚という所で、エドガー・バールという軍人にアルビーナは王城の地下に連れ込まれて魔法陣の生贄のようにして銃弾を受ける。
アルビーナを救いに王城に辿り着いたジャンは、元凶の王を殺すが王の側近の凶刃に倒れる。
血塗れのジャンを遠視したアルビーナは、魂ならばジャンに再会できると望みながら、瓦礫と化した王城の地下で意識を失う。
だが、アルビーナを救おうと必死だったのはジャン一人ではなく、オスカー・ウッツという青年もいたのである。




