第41回 巣立ち前ー①
――8月初旬、北海道某所。
「やはり理論上は問題ない。これが完成すればあの問題も……」
人里離れたその地には不釣り合いなまでの立派な機器が揃った研究施設の中で、一人の女が自身の出した結論を呟く。
「問題は期間か……」
だが目的の達成に対しては問題があるようであり、女は誰に話すでもなく一人口を開く。
「後は調整だけではあるが……やはり『人手』が足りない、か。これは、なかなか難儀だな」
溜息と共に彼女が零したその時だった。
「よお、久しぶりだな」
――女の背後から、一人の男が呼びかけた。
「……《《お前》》か。人の家に入るときは呼び鈴くらい鳴らしたらどうだ」
突如の来客にも関わらず、女は振り向くこともなく応える。人付き合いを嫌う『彼女』の元をわざわざ訪ねる人間など、限られているからだ。
「生憎その呼び鈴様はお亡くなりだったぜ?」
「……そうか。で、何の用だ?」
指摘を無視し、女は来客へ用件を尋ねる。どうせ使われない呼び鈴だ。そのままでもなんら問題はない。
「おいおい冷てぇな? 『夫』が愛する『妻』を訪ねるのに理由がいるのかい?」
「馬鹿を言え。私たちの間には『そんなもの』はないだろう」
おどけた様子の男に対し、女は取り合うことなく応える……だが彼女に言わせればそれは当然のことだった。『彼ら』が夫婦であるのは事実でも、『そこ』にあるのは所詮利害関係の一致だけだ。
「ハッキリ言うねぇ……」
「いいから早く用件を言え。まさかそんな話をしに来たわけではあるまい」
「ああ、ただの進捗確認だよ。《《アレ》》の出来栄えはどうかと思ってな」
面倒臭げに女が急かすと、男は漸く自身の用件を口にする。
「もう少し……と言いたいところだが、時間がかかりそうだ。私一人ではどうもな」
「なら人を雇えばいいじゃねぇかよ」
「馬鹿を言え。こんなヤバいものを信用のおけない他人に触らせられるものか」
男の軽口を女が一蹴する……当然のことだ。この技術はあくまで『彼ら』のためのものであり、どこぞの他人の目に触れていいものではない。
「……と言うだろうと思って、信用のおける《《身内》》を連れてきたぜ。その様子じゃ連絡見てねえんだろ?」
「なに?」
男の言葉に、漸く女が振り返る。自身から一方的に連絡を押し付けることはあっても、連絡を受けることなど基本的にないからだ。
「お久しぶりです……《《お母さん》》」
「……サトル」
振り返った先に佇む我が子の姿を目にし、その母親である女――『池場谷鳴』は漸く人並みの反応を示す。
「さあ、娘をよろしく頼むぜ。『鳴』?」
そう言ってその男――『池場谷景』は不敵に微笑むのだった。
――ことの始まりは、前日まで遡る。
「で、どうすんだよ? これから」
ルナちゃんの別荘で起きたアレコレを終えて帰宅した『おれ』達は、『カイ議室』にて、目下のおれ達の問題――表に出る人格が制御不能となった件について、今後の方針を相談していた。
一応まだ『主人格』という概念は残っているらしく、『約束の子』の誰も傍にいない場合は『戒』が表に出やすい傾向はあったが、少しサトルに話しかけられただけで現在のように『魁』が出てきたりと、やはり不安定極まりなかった。
「(……んなもんオレが知るかよ)」
「(フン、我にはそんな些事に割く暇などない。貴様らでなんとかしろ」
「(流石にこれは些事じゃ済まねぇだろ……)」
「……なんか案はないのかよ。頭脳担当?」
全く役に立ちそうにない『快』、『χ』、『戒』の3人の発言を無視して、おれは唯一期待できそうな人格へと話を振る。
「(……そんな簡単に思いつくものか。少しは自分の頭で物を考えたらどうなんだお前達は)」
「とか言ってお前さん、この間サトルになんか頼んでたじゃねぇか。あれ、この件だろ?」
面倒臭げに答える『乖』だったが、帰宅して早々にサトルに何かを尋ねていた。当たり外れはともかく何かしらの案があるのは明白だった。
「(……案という程のものじゃない。叔母さんの研究に何かないかと思っただけだ。それを今サトルに確認して貰ってる)」
「ああ、なるほどな……」
言われてみりゃ、まずはそこに相談するのが一番だ。叔母さんの研究は、例の『通信カイ線くん』を作ったりと、『おれ達』の為のものも行っている。サヤ姉が言っていたように、今の事態に陥ること自体は想定内だったわけで、何か手を打っていたとしても不思議はない。
「そうか……じゃあまずはサトル待ちだな」
「(ああ)」
――ひとまずの希望が見えたと思ったその時だった。
「兄さん、少しいいですか?」
タイミングよく、サトルがおれ達を呼ぶ声が聞こえた。
「おっ、サトル。噂をすればなんとやらだな。どうだった?」
「ダメです。お母さんたら、まったく電話に出ません。メールも何回か送ってるんですが、全く返事がなくって……」
――残念ながら結果はそれ以前の問題だった。
「ったく、あのオバさん研究に没頭すると他のこと何もしねぇからなぁ……」
「ええ。そうですね……」
「さて、どうしたもんか……」
早速出鼻を挫かれ途方に暮れていたその時だった。
「それで兄さん。ボクに一つ考えがあるんです」
「え?」
ふとサトルが口を開き、おれ達に『考え』とやらを話し始めるのだった。
「叔母さんのところに行くだぁ?」
「はい。連絡が取れない以上それが一番確実ですし、お母さんの研究は常に人手不足ですから、ついでに手伝いをしてこようかと」
その『考え』とやらは、至極単純明快なものだった。
「……まあ、年一の帰省が少し早まるだけか」
言いながら自分を納得させる。
叔母さんは現在、自身の地元である北海道内のとある場所に研究所を構え、そこで一人研究に没頭している。
また、母方の祖父母の地元もそこであり、彼らの墓もその地に建てられている。従ってサトルの正確な『地元』は《《そちら》》ということになる。
その為毎年お盆の時期には帰省を兼ねて母親を尋ね、合わせて祖父母の墓参りをするのが我が家の恒例行事だった。
「ええ。例年より長引くだけと思えば、大したことはないですよ」
「じゃあ夏休み一杯は叔母さんの所になると思った方がいいな」
今回は出発が早まるだけでなく、研究とやらの終了まで滞在が必要だ。夏休み一杯かかっても不思議はない。まあたまには家族水入らずで過ごすのも悪くないか……と、考えていたその矢先だった。
「何言ってるんですか? 兄さんは留守番ですよ?」
「へ?」
――サトルの口から、想定外の言葉が飛び出した。
「まさか忘れてませんよね? 兄さんは補習があるでしょう」
「そうだった……」
サトルに言われ《《その事実》》を思い出す――先日の期末テストで『戒』の奴が赤点を取った為、夏季補習へと参加する羽目になったのである。
『戒』の名誉のために言っておくと、決して赤点は奴のせいではない。常に平均点前後は取っているし、普段通りなら今回も赤点など取る筈はなかった。
だが補習の担当がサヤ姉だと発覚したことで『χ』が妨害を働きまくり――その結果、奴の思惑通りサヤ姉の担当科目《《のみ》》補習を受けることとなったのである。
「くそ……『χ』、てめぇ何してくれてんだよ」
「(ガハハハ! まあ過ぎたことを気にして仕方あるまい! ここはサトルに任せて、我らは座して時を待つのみだな。うむ!)」
ピン!
――静寂の中、デコピンの音が響く。
「(ふげぇぇぇ!!)」
「(今回ばかりは流石にイラッと来たぜ……)」
「(まったくだ……)」
まるで反省のないアホに苛立つおれ達の怒りを代弁した『快』の一撃により、『悪』は裁かれたのだった。
「……というわけで、兄さんは留守番をお願いします。どちらにせよ今回は多分缶詰ですし、人格が代われない以上研究面では役に立ちません」
「うう、ハッキリ言ってくれるぜ……」
気を取り直してサトルから告げられた言葉に、おれは肩を落とす――なんてことはない、補習以前に今回おれ達はお呼びでなかった。
「その代わりお願いがあるんです」
「お願い?」
「ええ。伯母さんのお墓参りとお掃除をお願いします」
「あっ、そっか……」
――言われて気がつく。墓参りなら、今年からはそちらもあるのだ。
「ええ。今まではボクがこっそりしていたんですが、もう兄さんに任せても大丈夫でしょう? おじいちゃん達の方はボクがやっておきますから、どうかお願いします」
「そうだな……わかった」
折角の機会だ――遅ればせながらの初盆ということで、母親へ手を合わせることにしよう。
「それで、いつ出るんだ?」
「そうですね。時間も惜しいし明日の朝には出ようと思います」
方針も決まったことで今後の予定を尋ねると、随分と忙しないものだった。
「そうか……」
となればサトルと過ごす夏休みは今日で終わりだ。それなら……
「なら今日はサトルの送別会だな! 盛大にするから楽しみにしてろよ!」
「……へっ?」
『最後の一日』は、思いっきり楽しんでやることに決めた。




