第36回 Yの食卓ー②
「……」
「……」
「……」
「どう……ですか?」
無言で食事を進める俺たちを不安に思ったのか、天橋が恐る恐る口を開く。
出された料理は決して食べられないものではなかった……というのも、ほぼ『素材のまま』だからだ。確かに見た目を気にするようになったというだけあり、とても綺麗に切り揃えられてはいる。だがやけに輝いて見える野菜炒めは油で洗われただけで全く火が通っておらず、むしろどうやってこんな『料理した感』を出したのか、理解に苦しむ。
……そして肉に至っては完全に生焼けだ。その癖表面だけは見事な焼き跡が残っており、本当に見た目だけなら一級品だった。どうやったらこんな器用な焼き方ができるのか、こっちが聞きたかった。
「……う、うん。悪くないよ天橋! 前より凄く良くなってる!」
だが、以前の惨状を思えば進歩したのは間違いない。せめてその努力は認めてあげなければと思い、必死に褒め称える。
「う、うん。この盛り付けとかとても綺麗よね。ユキちゃん、器用なのね?」
任せた手前酷評はできないのか、サヤ姉も言葉を選びながら褒め称える……うん、嘘は言ってないぞ。嘘は。
「ホント? よかった……って、あれ? もしかして今『出ている』のって……」
俺の言葉に喜びながら、天橋が何かに気が付く……『快』が引っ込み『戒』が出てきたことに気が付いたようだ。
「あ、ああ。松島さんも休むみたいだし、折角の天橋の手料理は『俺』が食べたいかな~って……」
「池場谷くん……」
感激した様子で天橋が頬を染める……ああ、この顔が見れたなら例え明日腹を壊したとしても後悔はないか……などと俺が洗脳されかけていた時だった。
「ダメよ『戒』、サヤ姉、甘やかしちゃ……」
「ハナ?」
横から割り込んできたハナの言葉に、天橋が首を傾げる。
「あのねぇ、ユキ……食材にちゃんと火を通せってこの間も言ったでしょうが! なんで全部生焼けなのよ!」
「え、だって……」
「だって何よ!?」
何がおかしいのかわからない様子の天橋に、珍しくハナが怒りを露にする。折角の食材がこのような有様になり、見るに堪えなかったのだろう。
「だって、焼いたら黒焦げになっちゃうじゃない?」
「……」
「……」
「……」
天橋の言葉に、俺たちは絶句する……ああ、彼女の中では火を通す=黒焦げなのね……
「ならないわよ! それはあんたが加減しないからでしょ!」
「え~、でも余り火を通さない方が見た目が綺麗じゃない?」
「知るかそんなの! 見た目がどうでもいいとは言わないけど、食べものなんだから、口に入った時どうかを気にしなさい! ていうかちゃんと味見したの!?」
「え? うん。美味しかったよ?」
「……」
「……」
「……」
再び絶句する俺たち……どうも彼女はこの生焼けが気にならないらしい。
「ああ、あんた、単純に味覚がバカなのね……」
「?」
何かを諦めたように、ハナが溜息を吐く――なんということはない。天橋は単純に凄まじいまでの味音痴だったのだ。
「……ちょっと待ってて、少し火通すだけで全然変わると思うから」
それだけ口にすると、突如ハナが立ち上がり、みんなの皿を持ってキッチンの方へと向かう。どうやら料理の手直しをするつもりらしい。
――数分後。
「うん、おいし~! 少し手を加えるだけでこんなに変わるのね!」
「……普通に美味いな、これ」
流石に食べるのが大好きで、松島さんとは別のベクトルで食にうるさいだけはある。ハナが少し火を入れ直すだけで、先ほどの料理は瞬く間に絶品ものへと生まれ変わっていた。
「おいしい……わたしと何がそんなに違うっていうの?」
これだけ味に差があれば流石にわかるのか、天橋もショックを受けている。うん、一体何が違うんでしょうねぇ……
「火加減にきまってんでしょーが! 一体何見てたのよ!?」
「だって、普通は焼くと黒焦げに……ハナ、あなた一体どんな魔法を……!」
「あんたの焼き方の方がよっぽど魔法よ!」
「そんな……料理とはそんなにも奥が深いものだと言うの……?」
「……」
二人のやり取り、というか主に天橋の発言は突っ込みどころだらけでもはやどう反応すべきかわからず、最終的にハナまで言葉を失くす。
「……ま、まあ折角美味しい料理が出来上がったんだし指導はまたの機会にしましょう?」
「そ、そうそう! さっきも言ったけど、前よりは全然良くなってるよ! みんなを満足させる日も遠くないって!」
「池場谷くん……うん、わたし頑張る! もっと練習して、おいしい料理を作ってみせるね!」
それを必死にフォローすると、天橋は一人何かを決意したように張り切り始める……まあ先は長そうだが、一応上達はしているし、気長に見守ることにしよう。
こうして今宵の夕飯は、最後の晩餐となることを回避したのだった。
――1時間後。
「はぁ~生き返る……やっぱお風呂はいいわよね~」
湯舟に使ったハナが、リラックスした様子で呟く――食事を終えたわたし達は、宿泊所の大浴場で今日一日の疲れを流していた。
「でも驚いたわ。まさかユキちゃんが料理ダメだったとはね……」
「うぅ、もう勘弁してください……」
「だからこの間も言ったでしょ? まだ一人で作るのは早いって……」
「だってぇ……」
「だってじゃないわよ……」
「まあまあ、お小言はそれぐらいにしときましょう? ……それにしても二人とも、いい体してるのね? 若いっていいわぁ」
「サヤ姉に言われると嫌味にしか聞こえないんだけど……」
「……(コクコク)」
助け舟を出すかのような先生の言葉にハナが答えると、わたしもそれに無言で頷く……わたしやハナは普段から部活でよく運動しているのでそれなりに引き締まった体をしている自負はあるが、松原先生の『大人の身体』と比べるとどうしても見劣りしてしまう部分があった。
「あら、そう? もっと褒めてくれてもいいわよ?」
「……」
「まあ冗談はそれくらいにして……ハナちゃん、少し聞いてもいいかしら?」
「え、うん?」
自慢にしか聞こえないその言葉を聞き流していると、ふと先生がハナに問いかける。
「その傷跡って……やっぱり、『あの時の』?」
先生の目線は、ハナの胸元へと向いている――丁度胸の谷間に隠れているので一見分かり難いが、そこには彼女が幼少時に受けたという手術の痕がうっすらと残っていた。
「……うん。だいぶ薄くなったんだけどね」
「まあ、仕方ないわよ。凄く難しい大手術だったんでしょう? それを成功させるんだから、やっぱり影おじさまって、凄いのね」
「そうだね……」
「あの、影おじさまって……」
どこか複雑そうなハナに続いて、会話に割って入る。流れからして、その名が示す人物というのは――
「ええ、ハナちゃんのお父さんよ。お医者さんなの」
予想通りの回答だった。つまり、件の手術は彼女の父親が執刀したということらしい。
「そうなんだ、すごいね……」
それを聞いて、素直に感嘆の言葉が沸きあがる――いくら腕に自信があろうが、大切な家族の命がかかった手術など、普通平常心では行えない。だがそれでも自らメスを執ったというのは……きっと、それだけハナのことが大事だったんだろう。
「羨ましいな……」
小さく呟く――『うち』とは違う、『娘想いな父親』というのが、とても羨ましかった。
「……ユキ?」
「あ、ごめん。なんでもないの」
呟きが漏れていたのか、ハナが不思議そうにこちらを見たので、慌てて否定する。
「ユキちゃん、アナタ……」
「……先生?」
「……いいえ、なんでもないわ。私、もう上がるわね」
今度は松原先生が何か言いたげな様子だったので聞き返してみたが、先生はそれ以上話すことをやめて、会話を切りあげる。
「明日もあるんだから、二人とも、早く寝るのよ?」
「? はい……」
戸惑うわたしをよそに、先生は風呂から上がり、その場を後にするのだった。
一方その頃――
「すぅ、すぅ……」
「まあこんなもんか……」
安らかに寝息を立てるサトルを看ながら呟く。余り体調が芳しくないのか時々苦しそうにしていたが、今はある程度落ち着いたようである。
「じゃあオレも寝るとするか……」
と、背伸びをした時だった。
「……その前に一言声かけとくか」
ふと、今日一日中不機嫌そうだったヤツの顔が思い浮かぶ。
「ルナ、起きてるか?」
『そいつ』の部屋の前に立ち、ドアを叩く。
「……」
だが返事はない。どうやらもう寝ているらしかった。
「仕方ねぇ……明日にすっか」
一人呟きながら、オレはルナの部屋を後にする。
「『快』様の、ばか……」
故にアイツの小さな呟きなど聞こえる筈もなく――それぞれの想いを抱えたまま、合宿初日は幕を下ろしたのだった。




