第29回 『風神』と『雷神』(前編)ー②
――1時間後。
「うぎゃぁぁぁぁ!」
「こら! 逃げてばかりいないで、ちゃんと反撃する! 私の術をよく見て、『それ』を打ち消すイメージを思い描き、一点に集中して異能をぶつけてみなさい! きちんとコントロールすればできる筈よ!」
「そんな簡単にいくかぁぁぁ!」
「泣き言言ってる暇があったら、手ぇ動かす!」
「どおぁぁぁぁ!」
――逃げ惑う我に、容赦なく風神の攻撃が降り注ぐ。
やばい。風神の奴、完全に我を殺しにかかっている。本気で命の危険を感じた我は、必死にその攻撃から逃げ続けた。
――さらに数十分後。
「ハァ、ハァ……」
「全く、情けない……こんな一方的にやられて悔しいと思わないの?」
動けなくなり倒れこんだ我に、風神が溜息を吐く。
「うう、もうムリ……」
「いいから起きなさい! この程度で音を上げてどうするの!?」
「この鬼め……」
「何か言った!?」
「いえ、何も……」
そうして尚も地獄の修業が続こうという頃だった。
「やってますね。どうですか? 兄さんの調子は」
――突如、天からの救いが差し伸べられた。
「あらサトルちゃん。来てくれたの」
「ええ、お昼ご飯を作ってきました。そろそろいい時間ですし、休憩にしませんか?」
……昼休憩の時間のようだ。どうやら死なずに済んだようである。
「もうそんな時間? そうね……なら一休みしましょうか。ほら『χ』ちゃん! サトルちゃんがお昼ごはん持ってきてくれたわよ!」
「ゼェ、ゼェ……」
言われるがまま我は、どうにか呼吸を整えて立ち上がるのだった。
「ん~、美味しい! やっぱりサトルちゃんの料理は絶品ね!」
「本当ですか? よかったです。最近よくルナさんにダメ出し喰らってたので、若干自信なくしてたんですよ」
「あの子は少し度が過ぎるのよ。食事管理に厳格過ぎると言うか……あそこまでストイックにする必要ないと思うんだけどね。第一あの子も料理の出来自体は褒めていたでしょ? 気にすることないわ」
「はい、ありがとうございます」
サトルの作った昼食を、風神は次々と口に入れていく……あんなに動いた後によくこんな食べられるな?
「でも懐かしいですね。ここにいると、『昔』を思い出します」
「そうね……」
「ボクたちが小さい頃、凄く頻繁に遊んでくれた時がありましたよね? 一時期兄さんが毎日サヤ姉さんのところに行ってボクを放ったらかしだったので、凄く不満に思っていた記憶があります」
「え、そうだったの?」
「そうですよ。ボク、兄さんを取られたみたいで凄く悲しかったんですから」
「あら……それは悪いことをしたわね」
「全くです。でも兄さんも兄さんですよ。可愛い弟を放って年上のお姉さんの所に入り浸るとか……とんだマセガキですよね!?」
「ふふっ、そうね」
「でもある日を境にめっきりサヤ姉さんのところに行かなくなって。確かあれは……あっ」
そこまで口にして、サトルが何かに気がつく。
「そうか……『あの事件』があってからなんですね。サヤ姉さんがボク達と少し距離をおくようになったのは」
「……そうね」
「ごめんなさい。辛い記憶を掘り返してしまったみたいで」
「いいのよ。あれは私が悪かったの。アナタ達が気に病む必要なんてないわ」
「……はい」
それを最後に、二人は黙り込んでしまうのだった。
「……おい、さっきから何の話をしている?」
――我の存在を忘れたかのように話を進めていた癖に、突如会話が途切れたのでなんとなく口を挟む。
「ああ、ごめんなさい。でもまだ食事が残ってるわよ?」
「そうですよ兄さん。折角作ったんですから、きちんと残さず食べて下さい!」
「……あんなにしごかれた後で、そんなに食えてたまるか!」
だが二人の鬼どもは既に吐きそうな我に対してさらなる難題を押し付けてくる。サトルの昼飯は確かに美味だが、疲弊しきったこの体に詰め込むには量が多すぎた。
「無理してでも食べる! でないとこの後保たないわよ!」
「この鬼どもめ……うぇっぷ!」
そうして我は、死にそうになりながら目の前の食料を胃にぶち込むのだった。
――さらに1時間後。
「ほら、しゃんとしなさい! そんな隙だらけじゃ、敵は見逃してくれないわよ!」
「うう、もう駄目だ……ぐへっ!」
足がもつれ、その場に倒れこむ……もはや体力の限界だった。
「全く、どうしてこんな根性のない子に育っちゃったんだか……いい? アナタの異能は決して万能ではないの。凄い力も結局は使い手次第で、活かすも殺すもアナタ次第なのよ?」
「ゼェ、ゼェ……」
もう我慢がならん。なぜ我がこんな目に遭わなければならんのだ。
――大体異能の制御というなら、技術的な話だろう。何が悲しくてこんな暑い中、こんな拷問まがいの鍛錬をしなければならないのだ。実戦形式より、まずは技術を教えるのが先だろう?
「あの、サヤ姉さん。それ位に……」
「サトルちゃんは黙っていなさい。これがこの子の為なのよ」
「あ、はい……」
見兼ねたサトルが横から口を挟むが、風神は一向に聞く耳を持たない。
……何が『この子の為』だ。
そして次に出てきた言葉は、この何の生産性もない行為にうんざりしていた我には聞き捨てならなかった。
「じゃ、じゃあボクはそろそろ帰りますね。頑張ってください……」
「ええ、気を付けてね」
そうしてこの鬼はサトルを追い返し――
「さあ、立ちなさい『χ』ちゃん。修行はまだ終わってないわよ」
さらなる拷問を我へと強いてくるのだった。
「……られるか」
「えっ?」
「やってられるか! こんなこと!」
――気がつくと我は、そんな言葉を口にしていた。
「『χ』ちゃん……?」
「大体なんだ、この修行は!? 我をいたぶるばかりで、何の成果もないではないか!」
「いたぶるって人聞きの悪い……アナタが的確に反撃すれば相殺できる程度の出力しか出してないわよ? それに何の成果もないって……そりゃそうよ。すぐには身につかないからこうして修行しているわけで……」
「うるさい! 自分の指導力不足を教え子のせいにするな! それでよく教師を名乗れるな!」
――堰を切ったように不満が溢れ出す。こんな一方的に虐げられるだけの修行など、もう我慢ならなかった。
「なんですって……?」
「図星だろうが! 大体敵とやらが襲ってきたとして、それが何だと言うんだ!? 別に今のままでも我に掛かればあんな奴ら屁でもないし、そもそもお前が戦えば勝てるヤツなどいる筈がないだろう!」
「……」
――そんな我の言葉を一身に受けると、それきり風神は黙り込んでしまった。
「……つまり、アナタは今のままでいいと?」
「フン、それで何の問題がある?」
言い過ぎた、とは思った――だがこの修行に意義を感じられないのも事実であり、それをぶつけずにはいられなかった。
「そう……よかれと思ったんだけど余計なお世話だったみたいね……ごめんなさい。私の一方的な意見を押し付けて」
「フ……フン! 今更しおらしくなっても遅い。少しは反省……」
――落ち込んだ様子の風神に、一言かけようとする。
「……少し頭冷やしてくるわ。休憩してていいわよ」
「あっ……」
だが彼女は我の言葉をそれ以上聞くことなく、一方的に言い残して去ってしまった。
「(おい、少し言い過ぎなんじゃねぇのか『χ』? サヤ姉はお前の為を想って……)」
頭の中に他人格の声が響く。
「うるさい!!」
――わかっている、そんなことは。だがもはや引っ込みのつかない我は、その言葉を乱暴に切り捨てるしかなかった。
くそ、どうしてこうなってしまうのだ――ムシャクシャしながらその場に座り込み、少しの時間が過ぎた頃だった。
「きゃぁぁぁっ!」
「今の声は……サトル!?」
――その静寂を切り裂くように、大きな悲鳴が高原に響き渡った。




