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第86回 僅かな『希望』ー②

「そん、な……」

 サヤ姉から状況の説明を聞き終え、成す術もなく項垂れる。

 先程の話が意味すること――それはもはや紅葉さんを救う手立てはなく、生存は絶望的ということだった。


「と……ここまでが、あくまで『現状』の話ね」

「え?」

 だがそこへ、落胆した僕を制するようにサヤ姉が話を続ける。


「確かに状況は芳しくない。このまま何もしなければ、最悪の結末は避けられないけれど……まだ『希望』はあるわ」

「……まさか」

 その言葉を聞いたところで、僕の脳裏に一つの可能性が思い浮かぶ。


「ええ……アナタの推測通りだと思うわ」

 確かに先ほどサヤ姉は、港と病院を結ぶ経路は断絶したと言った……だがそれは、あくまで『車が通れる』範囲の話だ。


「そう広くはない、この島の中なら……人が直接運んでも間に合うかもしれない」

 港からこの病院までは――距離にして僅か5キロほど。


「私たちで直接『心臓』を届ければ……おばさまを救える『可能性』がある」

 その程度の距離なら、人が直に運んだとしても時間内に『心臓』を届けることは決して不可能ではない。

 サヤ姉の口から出た『可能性』とは――そういうことを言っていた。


「……」

「これが、私が『影』おじさまから言付けられた『伝言』よ」

「え……?」

 一通りの話を聞き終えて考え込む中――サヤ姉が口にした『名前』と内容に、思わず反応する。


「叔父さん、が?」

「ええ。正確には状況説明してくれたスタッフさんを通してだけどね……少なくとも『(アナタ)』へは正確に伝えて欲しい、とのことだったわ」

「僕に……だって?」

 戸惑いながら、言葉を返す。

 先ほどの結論を『影』さんが導き出したことについては、まあ想定内だ。

 だが、『伝言』――しかも『僕』にだって?


「そうよ。それからね……もう一つだけ、説明を終えたら最後に伝えて欲しいと言われた言葉があるわ」

「……内容は?」

 続くサヤ姉の言葉に、再び問いかける。叔父さんがなぜ僕を名指ししたのか? その意図が掴めぬまま、困惑していた矢先のことだった。



「どうか願わくば……(ハナ)の『心』を救って欲しい、と」

「!!」

 次に告げられた『伝言』を聞いた瞬間、頭の中がクリアになり――『何か』が自分の中で吹っ切れるのを感じた。



「ハハ、ハハハ……」

 ――頭を抱えながら、天を仰ぐ。


「あれだけ人のことを突き放しておいて、『これ』か……まったく、どんだけ親バカなんだか」

 数時間前……叔父さんはハナの事情に踏み込もうとする僕に対して、『他人には関係ない』と、一方的に突き放した。


 しかしいざ自らの妻が死に瀕し、娘がその責任を一心に感じている状況となれば、それを翻して突き放した『他人』に向けて助力を乞う。

 その変わり身の早さは、見方によっては身内可愛さに自身の言動を捻じ曲げるという、呆れる程のダブルスタンダードにも受け取れるだろう。


「けど、僕に足りなかったのは……『それ』か」

 あの時僕は、叔父さんの圧を前に何も言い返すことができなかった。


 伝えられた真実の重さや、実際に自身が他人であるという引け目……それらが拍車をかけていたことも、間違いなく事実ではある。

 だが……


「そんなのは、『些細なこと』だったんだ」

 本当に彼女を救いたいと願うなら――それでも踏み込むべきだった。恥も外聞も捨てて、ハナの助けになりたいと頭を下げること。

 それこそが……真にあの時僕が取るべき行動だったのだ。


 そう。自ら気に入らないと突き放した甥っ子に対して、何の躊躇いなく救いを求める――我が叔父(身勝手な父親)のように。




「『乖』ちゃん……?」

「サヤ姉、車を出して貰えるか? 行ける所まででいい」

 戸惑い気味に声を掛けるサヤ姉に、翻って問い返す。


「え?」

「『心臓』を届ける……惚れた女の父親に頭を下げられたんだ。これで動かなきゃ、男がすたるというものだ」

「え、ええ……わかったわ」

 僕の態度の豹変ぶりに若干面食らいながらも、早速サヤ姉が動き始める……なんだかんだと適応力が高いので、非常に助かる。


「けど、ハナちゃんはどうするの? このまま放っておくわけにも……」

「一旦僕がここに残ろう。『他人格(アイツら)』も含めて指示を出させてもらうが、ハナに事情を話し終えたらすぐに僕も向かう」

 サヤ姉の問いに答えながら、『準備』を始める……まずは状況を正確に判断し、『誰か』が各員へと適切な指示を出す必要があった。


 正直、この溢れる衝動に任せるまま飛び出したい気持ちもある。だが……それを行うのは自己満足であり、そちらは他に『適任』がいる。

 ならばその役目を担うべきは……この『僕』だ。『他人格(アイツら)』を使いこなし――必ず『心臓』を届けてみせる。


「……わかったわ。車を回してくるから、あとの4人に入口にすぐ来るよう伝えて! ユキちゃん達への連絡も頼んだわよ!」

「ああ……任せておけ!!」

 そう言って走り去るサヤ姉に応えた後――僕は『心臓』を回収すべく、動き始めたのだった。









 ――時は戻り現在。

「じゃあ……みんなが?」

「ああ。今この瞬間も、みんながおばさんを助けようと、全力を尽くしている」

 悲嘆に暮れるハナを宥めるようにここまでの経緯を伝えた後、まだ望みがあることを強調する。



「伝えるべきことは以上だ……何か質問はあるか?」

「……ううん」

「ならいい。それじゃあ、僕は行くぞ」

 まだ色々整理し切れていないハナにそれだけ告げると、徐に『準備』を始める。



「行くって……どこに?」

「『現地』だ。お前にことの次第を伝えた以上、もはやここ留まる意味はない……待っていろ。きっと『心臓』を持ち帰ってくる」

 サヤ姉が出立してからハナが目覚めるまでの、30分強――その間に状況把握と指示出しは完了しており、後は実際に動くしかない状況だ。


「……」

「『約束』……は嫌いだったな、確か」

 無言で佇むハナを前に、ふと過去に交わした会話が脳裏を過る。

 『どっかの誰かさん』のせいで『約束』は嫌いだと、彼女は言っていた……まあ実際問題、この状況で信じろなどというのも酷な話ではある。

 ならば、今僕が彼女に言えるのは――


「ならどうか……『諦めない』でいてくれ」

 せめて『希望』を捨てないで欲しいと……そう願うことだけだった。



「あ……」

「じゃあな……行って来る!」

 迷えるハナにそれだけ言い残すと――僕は皆が闘っている『現地』へと向けて、全速力で走り出した。


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