第84回 狂い咲く感情ー②
「うそ……だよね? パパ」
「……ハナ」
――呆然と立ち尽くす娘を前に、叔父さんが苦々しい表情でその名を呼ぶ。
「だってあれは、ただ偶然が重なっただけで……そんなわけ、ないよね?」
言いながら部屋を歩くハナの足取りは傍から見てもおぼつかなく、その激しい動揺は明らかだ。
「ねえ……なんとか言ってよ?」
「……」
懇願するようなハナの呼びかけに対し―—叔父さんは無言のまま答えない。
「なんで……何も言ってくれないの? 一言『違う』って言えば、それで済む話でしょう? なのに、どうして!?」
「ハナ……」
その態度に苛立ちを募らせてか、次第にハナの語気が強まり始める……そんな彼女を前に、僕はただ横で名前を呟く事しかできずにいる。
「やっぱり、本当なの? あたしを助けるために……アゲハのお姉さんを殺したっていうの!?」
「……ああ、そうだ」
声を荒げる娘を真直ぐに見据え――叔父さんが重い口を開く。
「……!!」
「お前の言う通りだ。僕が……『あの子』を殺した」
言葉を失くすハナに返されたその言葉は――彼女の問いを肯定するものに、相違なかった。
「そう……」
『答え』を聞いたハナが、顔を伏せながら拳を握る。
そして、数秒の後――
ガシャン!!
「ふざけないで!!」
握り込んだその拳を、眼前の机へと叩きつけた。
「誰が……誰が、そんなこと頼んだっていうのよ!!」
怒号と共に、激しい剣幕でハナが叔父さんに詰め寄る。
「おい、よせ!」
「何なの、今の音は!?」
そんなハナを制そうと声を上げて間もなく、何事かとばかりに紅葉さんが部屋へと現れる。
「ハナ……?」
「なんですの、一体……って、えぇ?」
「……何かあったんですか?」
「今の音……ハナちゃんが?」
続いて残るメンツも部屋の入口へと流れ込むが……状況が掴めず、完全に困惑している様子だ。
「そんなことをして……あたしが喜ぶとでも思ったの!?」
だがもはや完全に冷静さを失ったハナには、周囲の様子など全く目に入らない。
「思わない……だから言わなかった」
「――ッ!!」
怒りのまま糾弾を続ける彼女とは対照的に、極めて冷静に叔父さんが答える――それがまた勘に障ったのか、ハナが衝動的に右手を振り上げる。
「ハナ、止めなさい! 何してるの!」
「うるさいっ!」
「きゃあっ!!」
「紅葉おばさん!」
二人を止めようと紅葉さんが割り込むが――それを乱暴に振り払ったハナの腕によりその体が後方に飛ばされ、慌ててそれを支える。
「なん、で……! そんなことしなくても、次の提供者を待てばよかったでしょう!?」
「……」
「それで間に合わないなら……『その時』じゃない!!」
そうして尚、ハナの糾弾は続く……そこまでして助けたかった叔父さんと、そこまでは望んでいなかったハナ――相反する二人の意見は、もはや完全に平行線だ。
「なんで……? どうして、そこまでするのよ?」
「なに?」
一通り想いの丈を吐露した後――ハナが諦観に満ちた顔で天を仰ぐ。
「そうでしょう? パパがそこまでする必要なんて……ないじゃない」
「おい、ハナ――!」
そんな彼女の様子に、ふと何かよくないものを感じ取り、声をかける。
「だって、あたしは……」
「なっ!」
「やめろ、それ以上は――!!」
続く言葉により、それは『確信』へと変わる……叔父さんもそれに気が付いたのか、慌てて制止に入る。
「あたしは、パパの……」
そう――ハナは『言ってはならないこと』を口にしようとしている。
「『本当の娘』じゃないんだから!!」
叔父さんが長年に渡り、秘匿し続けてきた――家族の『真実』を。
「だから、助ける必要なんてなかったのに……!」
頭が回らない――自分が何を喋っているか、よくわからない。
何か『よくないこと』を言った気がするが……ついさっきのことなのに、よく思い出せない。
「これじゃあ……本当にあの子の言う通りじゃない」
「え?」
あの子は言った。あたしのせいで――と。
「あたしが……あたしが、『彼女』を――」
「! それは、ちが――」
「違わない!!」
零れ出した独り言を誰かが否定しようとするが、反射的にそれを遮る。
そうだ、何も違わない。パパはあたしを救うため、『彼女』の心臓を奪った。それはつまり……あたしさえいなければ、『彼女』は助かっていたということだ。
「パパにそんなこと……して欲しくなかった!」
なぜ今まで真実を聞けなかったか――それは、『怖かった』からだ。
怖い……何が? 父親の犯した罪? それとも、奪った命の重み?
「人の生命を奪ってまで……助かりたくなんてなかった!!」
どちらも違う――あたしが怖かったのは、それを聞けば認めざるを得ないからだ。
「『人殺し』になるくらいなら……」
あの子があたしに告げた言葉が、『真実』であるなら――
「あたしなんか、死んじゃえばよかったんだ!!」
そんな自分に生きている価値など……ありはしないのだと。
パァァン!!
そう叫んだ直後――甲高い音と共に、頬に痛みが走る。
「ハァ、ハァ……」
戸惑いながら顔を戻すと――そこには息を切らしながら怒りの形相であたしを睨みつける、母の姿があった。
「マ、マ……?」
「ふざけ、ないで……」
「え?」
呆然として頬を押さえる中……母が零した言葉に、思わず聞き返す。
「死んじゃえばよかった? 今度そんなことを、言ってみなさい……次は平手じゃ、すまないわよ」
「――!」
目に涙を溜めながら告げる母を前に――漸く先ほど自分の言葉の意味を理解する……あれは親を前にした子供が、決して言ってはならない台詞だ。
「けど……けど、あたし……」
だが、そう思ってしまったことは紛れもない事実だ。ぶつける先を失い迷子のようになった感情が、涙となってあたしの頬を伝い始めた、その時だった。
――ギュッ。
「あ……」
「大丈夫、よ……」
ふと体が暖かな感触に包まれ――母に抱き締められていることを悟る。
「その、『罪』は……あなたが背負うものじゃ、ないわ……」
先ほどの苛烈さとは打って変わった優しい声で、母が告げる――罪を背負うべきは『子』ではなく、『親』である自分たちだと。
「あたし達には……あなたが、こうして生きていることが……全てなの」
「ママ……」
「そのためなら……なんだって背負える。『親』というのは、そういうものよ……そこに、『血の繋がり』なんて……関係ないわ」
その言葉により、あれほど乱れていた心が急速に落ち着いていくのが分かる。それと同時に……自分が何を言ってしまったのかも。
「ママ、あたし……」
決して母には言わない……父と誓った『約束』を反故にしてしまった。
「だから、お願い……もう二度と、『そんなこと』を言わな……」
そこに対して漸く意識が向き始めた――次の瞬間。
――バタッ!
「え……?」
「ゴホッ、ゴホッ!!」
突如として母があたしの前に倒れ込み――『胸』を押さえて咳き込み始める。
「――ママ?」
「ハァ、ハァ……ゴホッ!!」
「紅葉!!」
即座に父が立ち上がり、母の元に駆け寄る……そんな様子を、あたしはただ茫然としながら見つめている。
「う、そ……」
「紅葉! 返事をしろ! 紅葉!!」
なぜ、父とあんな『約束』をしたのか――それは、心臓の弱い母へこの『真実』を伝えることは、余計なストレスにしかならないと判断したからだった。
なのに……あたしは言ってしまった。
「あたしの……せいで?」
「おい、ハナ! 大丈夫か!?」
落ち着きかけていた心が、再び乱れ始める――横から声を掛けられるが、何一つとして内容が入ってこない。
「や、だ――」
「病院に運ぶ! 今すぐにだ!!」
「あ……ああ、あ……!!」
「ハナ……おい、ハナ!」
眼前に拡がる光景が、自身へと告げる――これは、お前が引き起こしたことだと。
「ああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
そんな『現実』を前に――あたしはただ泣き叫ぶことしかできなかった。




