第83回 『父』の想いー①
「あ……」
「ママ……」
「おかえりなさい……どうしたの? 暗い顔をして」
突如声を掛けられ戸惑う僕とハナをよそに、眼前の女性――ハナの母親である紅葉さんが首を傾げる。
どうやら僕たちが戻るのをずっと待っていたらしい。
「あ、うん……なんでもないの。けど帰ってるなら連絡してよ。まさか玄関先で待ち構えてるなんて思わないから、ビックリしちゃったじゃない」
「あら、連絡ならしたわよ。メッセージ見てないの?」
「え?」
急な出迎えに驚いたのか不満げな顔を見せるハナだったが、返された紅葉さんの言葉に、慌てて携帯を取り出す。
「あ、ホントだ……」
「大丈夫なの? やっぱりどこか悪いんじゃ……」
どうやら事前にメッセージが送られていたが、気が付かなかったらしい。一緒に居た僕にはその理由が想像できるが、事情を知る由もない紅葉さんはそんな娘の様子に何かを感じてか、心配そうに声を掛ける。
「もう、平気だってば! それより早く中に戻りなよ。体冷えたらマズいでしょ?」
「心配性ねぇ……少しぐらいなら大丈夫よ」
「大丈夫なら病院通いになるわけないでしょ! いいからさっさと入る!」
それを察してか、ハナは話題を逸らす様に母親の体を気遣い始める――実際先ほどから明らかに天気は悪くなり始めており、気温の下がり始めたこの寒空は、体の弱い紅葉さんには毒なのだが……当の本人がこれであり、呆れたハナは若干の苛立ちと共に小言を並べ始める。
「もう、わかったわよ……ごめんね、カイちゃん。お見苦しい所を見せちゃって」
「あ、いえ。とんでもないです……こちらこそご挨拶が遅れてすみません。お久し振りです、紅葉おばさん」
「あらあら、これはご丁寧に……随分と礼儀正しいのね? 表に出てるのがあなただからかしら?」
「え……?」
ハナの小言から逃げるようにして話題を振られ、反射的に挨拶を返す――だが紅葉さんからの返答には何やら含みのようなものが感じられる……まさかこの反応、僕たちの事情を知っているのか?
「あ、ごめんなさいね。『あなた達』のことは聴かせて貰ってるから、変に隠したりしなくて大丈夫よ? 大変よねぇ……多重人格なんて。あたし達も『景』に散々振り回されたから、ほんの少しだけど気持ちがわかるわぁ……」
「は、はぁ……」
僕が感じた疑問は想像通りであり、紅葉さんはうんうんと頷きながら感慨に浸り始める……まあ相手があの親父である。かなりの苦労があったことは推して知るべしだろう。
「だ~か~らぁ、さっさと中に入れって言ってんでしょうが! このお喋りオバさん!」
「まあひどい! この子ったら、母親に向かってなんてこと言うのかしら? お母さん、悲しいわ。シクシク……」
「あぁ~もう、うっさい!!」
そうして一向に戻る様子のない母親に対してハナが罵声を浴びせるが、まったく効果はなく……それを嘆くハナの声が、夕暮れに響き渡るのだった。
「それじゃあ、ハナちゃんの誕生日を祝して……かんぱ~い!!」
「「「「かんぱ~い!!!!」」」」
数十分後――サヤ姉による乾杯の音頭と共に、ハナの誕生会が開始を告げる。
「ハナ、誕生日おめでとう!」
「おめでとうございます、ハナさん!」
「お祝い申し上げますわ」
「あはは……みんな、どうもありがとう」
それを皮切りに各々から祝福の言葉を受け、照れ臭そうな様子でハナが感謝の言葉を告げる。
「(あーあ、羨ましいねえ。豪勢な晩飯が食えて)」
「(全くだぜ。一人だけ準備手伝ってねえくせによ)」
「(うがぁぁぁ!! 返せ、我の晩餐を!!)」
「(ったく……これは『貸し』だからな。わかってんだろうな?」
「うるさいな……わかっているから黙っていろ」
なお、スペースの節約という致し方ない事情のため、僕たちは『本体』に戻って一人だけの参加である。他人格が何やら文句を垂れているが、そんなことは知ったことではない。
「みんな、今日は遠い所からありがとうね? ユキちゃんとルナちゃんのことはハナからよく聞いていたから、是非一度ゆっくり話してみたかったのよ」
「は、はい……」
「は、はあ……」
そうして一人で脳内喧嘩をする僕をよそに、紅葉さんがグイグイと初対面に近い二名に迫っていく――しかしまあハナの母親だけあり、その人懐っこさは彼女の更に上を行っている。
天橋雪はともかくあの松島月が若干押されている様子からも、いかにその距離感の詰め方が凄まじいかが伺えるというものだろう。
「あ、もちろんサトルちゃんとサヤちゃんもよ? 特にサヤちゃんは引率お疲れだったわね」
「いえ、お気になさらず」
「そうですよ、紅葉おばさま。私たちのことはいいですから、同級生視点でのハナちゃんのことをたっぷりと聞いてあげて下さい」
「もうサヤ姉、変なこと言わないでよ……」
続けざまに残る二人にも話題が振られ、ここぞとばかりに繰り出されるサヤ姉の言葉を、ハナが恥ずかし気に制する。
「いいんですの? ハナさんの恥ずかしい話なら山ほど出てきますが……ねえ、ユキさん?」
「フフッ、そうだね」
「あら、ホント? 是非聞かせて欲しいわ! 報酬は小学生の時に泣きべそかいて帰ってきた時の話でどう?」
そこへすかさず松島月が合いの手を入れ、天橋雪もそれに続く――そしてそれを聞いた紅葉さんは、目を輝かせながら娘に関する話題に食いつき始める。
「え、なんですかそれ?」
「面白そうな話ですわね……」
「ちょっ、やめてってば! マ……お母さん!!」
二人もまた紅葉さんの言葉に対して反応を示し、居た堪れなくなったハナは慌てて母親の制止を試みる。
「あれ? いつもみたいに『ママ』って呼んでくれないの? あ~あ。ママ、寂しいなぁ……」
「んもぉ~!!」
だが焦り故か咄嗟に『普段』の呼び方が出てしまい――それすらもネタにされたハナは、もはや恥ずかしさの余り悲鳴を上げるしかないのだった。
「(おい……我等の存在が忘れられているように思うのは気のせいか?)」
「(仕方ねえだろう。『乖』がずっと黙りこくってんだからよ)」
「(ちきしょう。楽しそうじゃねえか……おれならここぞとばかりに突っ込むってのによぉ……)」
「(つーかなんかあったのかよ、『乖』?」
「……なんでもない、気にするな」
そんな姦しく騒ぎ立てる女性陣と、愚痴を零す他人格達を尻目に――僕は一人思案を重ねていた。
「(ハナ……)」
思い浮かべるのは、この会の主役である想い人のことだ。ああしてハナが楽しそうにしている姿を見るのは大変喜ばしいことである。だがほんの数時間前のことを思えば、無理して明るく振舞っているのは一目瞭然だった。
無論この場を楽しむその感情自体に嘘はないだろう……しかし、今という瞬間に限らず、ハナはずっと『あんな苦しみ』を抱えてきたのだ。
長年側で見ていながら……僕はそんなことにも気が付けなかった。
「くそ……」
こんな時、つくづくと思い知らされる。
例えどんなに僕がハナのことを知りたいと思ったとしても――それには『限界』があるのだということを。
「……」
そんなことを考えながら、物思いに耽っている最中のことだった。
「隣、いいかい?」
「え……?」
ふと横から声をかけられ、戸惑いと共にそちらに振り向く。
「久し振りだな……元気にしていたかい? 『カイ』君」
振り返った先に立っていたのは――ハナの父親にして親父の弟でもある、『影』叔父さんだった。




