第80回 風の辿り着く場所ー①
「『χ』ちゃん!」
――母とルナちゃんを見送った後、『その名』を呼びながら隣の広間へと駆け出す。
「ハァ、ハァ……」
そうして私が部屋に入った瞬間目にしたのは……今にも倒れそうな彼の姿だった。
「そうまでしてあの女が他人のものになるのが嫌だったか?」
「ただ我は――もうこれ以上、自分の心を偽りたくなかっただけだ」
問いかける『無慚』に対し、『χ』ちゃんが応える。
「我は……あいつの『偽りなき心』を知りたいのだ」
「!!」
そして、次に発されたその言葉に――心を鷲掴みにされたような錯覚を覚える。
「偽りなき、心……」
それと同時に――あの『約束』を交わした時のことが思い返されるのだった。
「サヤねえ!」
カイちゃんが落雷事故から生還して数週間後――電車の搭乗口へと向けて歩き出した私を、甲高い子供の声が呼び止める。
「え……カイちゃん?」
振り返り目に入ったその姿に、思わず声を上げる――前日にあの子の退院を見届けた私は、この町から去るべく近隣駅へと足を運んでいたが、そこへ突如としてカイちゃんが現れたのだった。
「どうして……」
尋ねる前に、彼の後方に『景』さん――いや、『おじさま』の姿を発見し、事情を悟る……ちなみに呼び方が変わったのは、あの後色々話を聞く中で彼が私の実父であることが判明したものの、経緯を聞くとどうしても『父』と呼ぶには抵抗があったためである。
「サヤねえ……いっちゃうのか?」
「ええ……そうよ」
寂しそうに話しかけてくるカイちゃんに、視線を合わせるようにしゃがみ込む。
「なんでだよ?」
「私は……アナタの側にいない方がいいの」
責める様なその声に対し、自嘲するように呟く。
ことの直後は事実を受け止めきれなかった私だったが、その後はせめて彼が退院するまではと無理を言って世話を続けさせて貰った。
その結果、未だ私との記憶は戻らないものの、『よくお見舞いに来るサヤ姉ちゃん』として、新たな関係が生まれ始めていた。
「イミわかんねぇ!」
「ゴメンね、でももう決めちゃったの……だから、サヨナラしよ」
その新たな繋がりも、こうして私との別れを惜しむ程度にはなっていたが……それもここまでだ。
『母』を奪い、彼自身の命をも危機に晒した私は、例え当人がどう思っていようともはや疫病神でしかない……それ位は自分でも理解していたため、期限が来たら二度と彼の前には姿を現さないと決めていたのだ。
「サヤねえは……サヨナラしたいのか?」
「……ええ、そうよ」
故に――問いかける幼い瞳にこんな言葉を返すのも、極めて容易だった。
「……ウソだ」
だが――そんな私の『心にもない』言葉は、いとも簡単に見破られてしまう。
「ウソをつくなってあんなにいってたくせに……ジブンはウソをつくのか!」
「え……?」
今にも泣き出しそうなカイちゃんが発した『その言葉』に、違和感を覚える。
だって、その言葉は……『あの一か月』の間に話したものの筈だ。
「……思い出したの?」
「ちがう! ずっといえなかったのだ! サヤねえが……フウジンがずっとツラそうなのがみえてたのに……カラダがベツジンみたいにうごかず、くちもカッテにしゃべっていたのだ!」
まさか記憶が戻ったのかと思い尋ねるも、カイちゃんの話す内容は正直滅茶苦茶だった……しかしその必死さは真に迫るものがあり、とても嘘をついているようには見えない。
「でもさっきサヨナラしたいっていわれたシュンカンに、いきなりうごけるようになって……」
「それって……?」
一連の発言を聞いて、もしやということに思い当たる。
詳しいことは聞かされていないが、以前『零』さんとおじさまが、カイちゃんには『人格解離』……所謂『多重人格』の兆候が見られるようなことを言っていた。
つまりそれが本当なら、今さっきまで話していたのは、私が共に過ごした『カイちゃん』とは『別人』ってこと……?
「ともかくイマはそんなことはどうでもいい! これをうけとれ!」
「?」
そんな風に困惑する中、それを遮るようにカイちゃんが乱暴に私の手を取り、『何か』を握らせる。
「これ、は……」
そうして手渡された『何か』を見て、私は言葉を失くす。
「う、そ……!」
なぜなら『それ』は――あの日彼が投げ捨てたはずの、『耳飾り』の片割れだったのだから。
「ずっと、あやまらないといけないとおもっていた。でも、でも……」
自身の行いを強く悔いるように、カイちゃんが涙声になりながら言葉を紡ぐ。
「カイちゃん……」
そんな彼を見つめる中で、不意に言いようもない愛おしさを感じ――
――ギュッ。
「え……?」
戸惑う彼をよそに、その体を優しく抱き締めた。
「ありがとう、カイちゃん……私の大切な物を見つけてくれて」
「ち、ちがう。もとはといえばわれが……」
「ううん、もういいの。そんなことは……」
そう言いながら、抱きしめる腕に力を籠める。こんな小さな体でどれほど一生懸命に探してくれたのか……それを考えただけで、当時の怒りはどこかに消えていた。
「ねえ……カイちゃん?」
そのまましばしの時間が経ち、ふとその名前を呼ぶ。
「うん?」
「私……アナタに再会しにきてもいいのかな?」
首を傾げるカイちゃんに、恐る恐る尋ねる……虫のいい話なのはわかっている。例えどんなに慕ってくれようとも、私が彼にとっての疫病神であることに変わりはない。
「サイカイ?」
「また会うってこと!」
けど、それでも――彼を見守りたい。
すぐ側ではなく、距離を置いてでもいい。例えそれが身勝手な自己満足だとしても……その気持ちに嘘はつけなかった。
「うむ、もちろんだ!」
「うん、ありがと……ならこれを、アナタにあげるわ」
そんな私の『願い』に満面の笑みで応えるカイちゃんに……礼を告げると共に、『あるもの』を手渡す。
「え、これ……?」
「そう、私が小さい頃からずっと身に着けている……とても大事な『耳飾り』よ」
敢えてカイちゃんが見つけてくれた方とは逆の、『風神』の画が描かれたものをその小さな手に握らせる。
「きっとこれが……アナタを守ってくれるわ」
その名を自称しながら彼を守れなかった私が言っても説得力がないことはわかっている。
「……わかった」
けれど……どうか、願わくば。
「このカミカザリにちかおう……われはいまよりつよくなって、おまえをマモれるようになってみせると」
「うん……楽しみにしてるわ」
風の神よ――どうか私の代わりに、彼をお守り下さい。
ズガァァァァン!!!
「な……!?」
「……フッ」
「ごめんなさいね、『χ』ちゃん……やっと目が醒めたわ」
気が付けば体が動き、無慚の『異能』を撃ち落としていた……そう、『心のままに』。
「見せてあげるわ。『風神』と『雷神』が織りなし産み出す……『私たち』の真の力を!!」
そうだ、『彼と共に在る』ということ。
「さあ……行くわよ、カイちゃん!」
「ああ……任せておけ!」
それこそが今の私の――『偽りなき心』なのだから。
「サヤ、貴様!!」
「悪いわね、『無慚』。やっぱりアンタの妻になるなんてお断りだわ。『天に偽りなきものを』……降魔衆が作った暴論よりも、元から伝わるこっちの方が、よっぽど従いたいと思うんだもの」
吹っ切れた勢いそのままに戦闘態勢に入りながら、『夫』となる予定だった存在へと皮肉を吐く。
「くっ……ほざけ! お前が僕に勝てたことが一度でもあるか!!」
「ええ、そうよ。『一人』ではね」
「な……」
まあ当然言い返されるわけだが、今やそんなことで怯みはしない。
――確かに、この男に私が勝てたことは一度もない。『力こそ全て』……いくら嫌がろうともその理念は私の中に『呪い』のように染み付いており、本能的に体が彼に逆らうということを拒否していた。
だが……それはあくまでこれまでの話だ。
「でも……今の私には『彼』がいるわ」
けれど二人なら――カイちゃんと一緒なら、もはや恐れることなどありはしない。
「クソ……この裏切り者が!」
「なんとでも言いなさい。それにしても随分と狼狽えているようね?」
糾弾の声を上げる『無慚』に、嫌味たっぷりに返す。その様子にはかなりの焦りが見え、これまでのような余裕は感じられない。
「……でもまあ当然か。二人揃って掛かられたら勝てないとわかっているから、ずっと『彼』を狙っていたんだものね?」
「チッ! 調子に乗りやがって……!」
まあその理由は簡単だ。これまでの私同様、彼もまたこの里の理念に縛られている。故にその本能が告げているのだ……『私たち』には勝てないと。
「御託はいい……貴様は言ったな? 『力こそが全て』だと。ならお望み通り見せてやる。我ら二人の――『絆』の力を!!」
「貴様、らぁぁぁ!!!」
無駄話は終わりだとばかりにカイちゃんが会話を打ち切ると、騒ぎ立てる無慚をよそに、術の行使を開始する。
「一撃で決めるわよ。カイちゃん!!」
「言われなくとも!!」
私の『風神の力』と、カイちゃんの『雷神の力』……耳飾りが二つで一つだったように、この力も元を正せば一つのものだった。
「風よ!!」
「雷よ!!」
「「今、我らを導く光となり――その行き先を照らしたまえ!!」」
そして、離れていた二つの『力』は、今再び一つとなり――
「「『愛の風雷波』!!」」
「がぁぁぁぁぁぁ!!」
大きな波となってうねりを上げ……私たちの前に立ち塞がる『壁』を打ち砕いた。
本日は2回/日の更新です。
2話目は20:00更新になります。




