天国の様な場所
天国に到着しました。
厳かな祈りが終わると礼拝堂の扉が開かれ、後ろの席の参拝者から外に出る。
最前列の子供達を迎えに来た親達が、木札を渡して修道女達に確認を受けた上で自分の子の手を引いて去ってから、貴賓席の男女が外に向かう列の最後について行く。
出口で寄進を入れる箱に兄が予め用意していたずっしりと重い袋を受け取って、修道女が傾けてくれた箱にそっと入れると修道女が微笑みと共に礼を言い、焼き菓子を入れた小さな袋を渡してくれた。
菓子の袋はアンナが預かってくれ、そのまま兄に連れられて礼拝堂の横にある建物に入ると落ち着いた雰囲気の若い修道女に迎えられる。
「良くいらっしゃいました、レリック様。わたくしは当院の修道女、ミランダと申します。見学はこちらのお嬢様とお付きの方、護衛騎士様でよろしいでしょうか?」
「ええ。ミランダ殿、どうぞ妹をお願い致します。私はこちらで待たせて頂きますので。行ってらっしゃい、エリザ。楽しんでおいで。アンナ、カトリーヌ、宜しく頼むよ」
フランツが微笑みと共に言い、エリザベスの背を軽く掌で押して促す。
「いってまいりますわ、お兄さま!」
「承りました、若様。さ、お嬢様、私の手をお取りくださいませ」
何よりも楽しみにしていた修道院の内部見学に目を輝かせたエリザベスにアンナが差し出した手を握ると、いつも外出時に護衛してくれている女騎士に付き添われ、修道女の後に続いて重い扉を潜った。
「まあ……まあっ……………………アンナ、カトリーヌ、ここは天国だわ……」
二重に作られた厳重な扉を通り抜け、修道女たちが日々を過ごす空間に踏み入れたエリザベスは言葉を失い、そして呆然と呟いた。
礼拝堂の周囲とは違って人の姿が無い修道院内は、そこかしこで猫がのんびりと寛いでいる。
「この区域にいる猫は、礼拝堂の猫程人懐っこくはありませんが友好的な子達です。こうして呼べば寄ってきますよ」
ミランダに言われた通り、チッチッ、と舌を鳴らして注意を引くときょとんとした目でこちらを見た猫が寄って来て、差し出した手をふんふんと嗅ぎ、少し頭を擦り付けてから再び去っていった。
「か、かわいいわ………………っ。あの、友好的ではない子もいるのですか?」
ミランダを見上げて問いかけると、彼女は僅かに眉を下げて頷く。
「この修道院では、王都などで傷付いて保護された猫も受け入れております。中には人に傷つけられてしまった子もおりまして、わたくしどもに慣れてくれた後も新たな人間にはなかなか慣れないものなのです。ですが、そういった猫は最も奥の関係者のみが入る区域でのんびりと心と体を癒しておりますのよ」
ミランダの話を聞いて目を潤ませたエリザベスの頭を、優しい手が微笑みと共に撫でた。
「そうですのね。……つらい目にあった猫たちが、一日も早く心安らげるよう、わたくし、これから毎日のおいのりの時にかならず神さまにお願いいたしますわ」
決意を胸に言えば、ミランダの瞳が優しく和む。
「お嬢様はとてもお優しくて、猫を愛してらっしゃるのね」
「わたくし……猫に救われたのです。マリーという、とても優しい猫がやしきにいるのですけれど……マリーに出会えなければ、わたくし、とてもわがままでおろかな子供のままでした。わたくし、心からマリーと、そしてアンナに感謝しておりますし、それ以来猫が大好きになったのです。全ての猫に、幸せになって欲しいくらいに。もちろん、アンナにも」
ちらり、とアンナを見上げて言えば彼女は軽く目を見開いて微笑んだ。
「恐れ多い事です。全てはマリーと、お嬢様の努力の結果でございますわ。アンナはそれを少々お手伝いしたばかりですもの」
ふふ、と微笑んで、いつもより少し余所行きの言葉で言ったアンナはミランダと同じ様にエリザベスの頭を撫でてくれた。
「良い出会いをなさったのですね。きっとイールドとイフ、アブソルートのお導きでしょう」
それぞれに猫を連れた、天体を司る三人の神の名をあげて微笑むミランダにエリザベスは頷く。
「はい。きっと、この修道院との出会いも、おみちびきですわ。わたくし、しょうらいはエレオノーラさまのような素敵な方になりたいです」
「ふふ、院長様はとても素敵な方ですものね。猫や女子供に無体を敷く方には、それはもう……二度と忘れられない程にすさまじく恐ろしい方になるのですけれど、それ以外ではとてもお優しくて。わたくしもいずれはあの様になりたいものでございますわ。お嬢様とわたくしは、志を同じくする同士ですね」
優しい言葉と共に頭を撫でられ、丁度亡くなった母と同じ年頃の女性に、あまり記憶にない母の面影を重ねてほんのり頬を染めた。
その後もアンナと護衛に付き添われながら修道院の中を見せて貰うと、知れば知る程猫の事を考えて作られた建物だと理解出来る。
最初は遠目に見せて貰っただけだった猫のトイレとして使われている小屋も、屋敷でマリーの世話として自ら希望し、手伝った事が数度あったので見学させてもらい、やはりよく工夫された清潔な環境に感嘆した。
ちょうど他の修道女たちが掃除を終えた所だったので仕組みについて熱心に聞くと、最初はただの猫の愛らしさを好む御令嬢、と言う目でしか見られていなかったのが心の底から猫を愛し、汚れ仕事も厭わない同志へと修道女達の扱いが変化していく。
ミランダばかりではなく他の修道女達とも猫に関して言葉を交わし、これまで知らなかった、熟練の飼い主達なればこその豆知識を教わり、育児室にいる生まれたばかりの仔猫を見せてもらう。
まだ目が開いたばかりの耳が頭の横寄りについている仔猫達は母猫の傍らでもぞもぞと動いていて、仔猫に夢中な母猫を刺激しない様、カーテンの影からこっそりと見ているだけでも感動する程愛らしい。
続いて生まれたばかりの仔猫とは隔離された、ちょうど遊び盛りの仔猫達……先程礼拝堂で遊んでいた仔猫も含む彼らが入る柵の中に入れてもらうと、大人しいマリーの軽く数十倍は元気一杯の好奇心溢れる仔猫達がエリザベスの周りに集まって来た。
「ち、小さいわ……! なんてかわいいの……っ! わたくし、仔猫をさわるのははじめてなのですけれど……だ、大丈夫かしら……?」
生命力に溢れながらも仔猫はあまりに小さく、手足も細くて触れるのが少し恐ろしい。
膝に乗り上げて来る仔猫に狼狽えているエリザベスにくすくすと笑ったミランダが仔猫を抱き上げ、エリザベスの手に抱かせてくれた。
「心配ありませんわ。他のお子様でしたら注意する事もありますが、エリザベス様はとてもお優しい方ですもの。心配要りません。さ、こうして撫でてあげてくださいな」
促されるまま背や頭を撫でると、エリザベスが知る猫の半分もない小さな仔猫は気持ち良さげに目を細め、そのままエリザベスの体を登り始める。
「きゃっ……あっ、爪がっ……いたっ……でもっ……しあわせ……っ」
仔猫の細い爪は切ってあっても痛いが、その痛みすらも既に幸せにほかならず、エリザベスはうっとりとしながら鯖柄の仔猫に頬ずりをした。
ミランダが貸してくれた、棒の先に紐を結び、その先に魚のぬいぐるみが括りつけられた玩具を教えられながら揺らすと仔猫達の瞳孔がぱっと丸くなり、顎をぺたりと床に付け、高く上げた腰とフリフリと揺らしては飛びついてくる。
大人しいマリーはこうした遊びにあまり興味を示さないし、たまに示しても軽く手を出してちょいちょいといじる程度で、勿論そののんびり姿は何より愛しいのだが、仔猫達の元気一杯の反応は堪らなく楽しかった。
しばらくの間、仔猫達と力いっぱい遊んだり、更には複数の仔猫に細い爪でエリザベス登りをされて歓喜と痛みの悲鳴を上げたりと、猫好きにとって天国としか言いようのない一時を過ごし、更には猫達の様子を見に来たエレオノーラとも少し言葉を交わしたりもしながら楽しむうちに時間はあっという間に過ぎていった。
「はあ……もうかえらなくてはいけないなんて……」
修道院の中と外を隔てる扉が、天国と下界を隔てる扉に見えると思いながらため息を零す。
マリーがいる家に帰るのは嬉しいが、この修道院はあまりにも素晴らしく、外に出るのが辛いとすら思ってしまう。
「お父君の許しがあれば、いつでもまたおいでくださいませ。お嬢様はわたくしどもと志を同じくする方ですもの、いつでも歓迎いたしますわ」
「はい! かならず、お父さまをせっとくして、また見学させていただきますわ! ほんじつは、わたくしのためにお時間をさいていただきありがとうぞんじました、ミランダさま。ほかのかたがたにも、エリザベスがお礼をもうしあげていたと、おつたえくださいませ」
見学の間にすっかり仲良くなったミランダに感謝を告げると、エリザベスは天国の扉を通り抜けて外へ出る。
先程兄と別れた部屋へ行けば、兄は待っている間に書類を片付けていたようで、エリザベスの顔を見て微笑んだ。
「おかえりなさい、僕のお姫様。とても楽しかったようだね」
「ええ! まるで天国にいるようだったわ……! お兄さま、今日はここにつれてきてくださって、ほんとうにありがとう!」
微笑む兄に抱き着き、興奮のままに言えば優しい緑の瞳が更に優しい色を浮かべてエリザベスを抱き上げてくれる。
「楽しんでくれた様でなによりだよ。父上もきっとお喜びになる。ところで……この書類の中で、今日中に王宮の父上にお見せしたい物があってね。この後、食事をしたら屋敷に戻る予定だったのだけれど、一緒に王宮まで来てもらってもいいかな?」
「……王宮に……!? こ、このドレスで大丈夫かしら」
礼拝に来るのだから勿論上等な余所行きの落ち着いた色柄のドレスを着ているし、この部屋に来る前にアンナがドレスに着いた猫の毛を全て取ってくれて髪も整えてくれたが、王宮に上がるとなると不安に思う。
「大丈夫だよ。謁見するわけでもないし、僕が父上の所に行っている間は王宮の庭園で遊んでいると良い。庭園にも猫がいるしね。それに、エリザベスはとても綺麗で可愛いから、謁見があったって問題無いよ」
最後の方は兄馬鹿な言葉だったが、特に王族などに遭う事が無いのならば確かにこの服装でも問題無いだろうし、城の庭にいる猫が気になったのでエリザベスは頷いた。
「それなら、いっしょに行くわ。わたくし、おにわで大人しくしていればいいのね」
「うん。アンナとカトリーヌは途中から入れなくなるから控室に居て貰うけど、代わりに王宮の侍女と護衛が付いてくれるからね。七歳なら少々粗相があっても問題にはならないし、エリザベスは同じ年齢の令嬢よりもずっと落ち着いているから、心配はいらないよ」
「そうかしら……そうだといいのだけど。わたくし、いい子にしているよう気をひきしめるわね」
意を決して言うとフランツが微笑んで頭を撫で、書類を護衛に渡すとエリザベスの手を引いて歩き出す。
見学している間にも参拝者はあまり減っておらず、その間を歩きながら修道女達が作った猫用や人間用のおやつ、マリーはともかく他の猫が遊んでくれるかもしれないと思って先程仔猫達に使った物と同じ玩具を中心に十個程、猫の毛を梳くブラシなどもいくつか、更に村の参道の道で行きがけに気になっていた物を追加で幾つか購入して、満足して馬車に乗った。
お読み頂きありがとうございます。
この作品については見切り発車過ぎておおまかにしか考えていないので好き放題書きたいように書いている+ストック1,2話分しか無くて推敲や要らない部分のそぎ落としをあまりできていない為、私は書いていてとても楽しいのですが、お楽しみいただけているか正直少し心配です。
あともう少ししたら未来の旦那様……じゃないかな?というキャラが出てきますし王子や幼馴染も出てきますのでご辛抱下さい。明日の更新分は趣味に走り切っています。
フランツの一人称が一回だけ「私」になっているのは身内用と余所行きの差なので誤字ではありません。
続きを読みたい、気に入った、猫可愛い、などありましたら評価・ブクマなど入れて頂けますと嬉しいです。
また、ブクマが気付いたら1000件を超えておりました!本当にありがとうございます。
これからも趣味に走って楽しく書かせて頂きます。
明日の更新も13時に間に合うよう頑張ります。