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アマルナ修道院へと至る道

参道を書くのが楽しくて修道院はまだ少しだけしか出て来ません。

◇◇


「お兄さま、早く早く!」


 興奮を隠しきれない歓声と共にエリザベスに、彼女を愛してやまない兄であり、今年十四歳になったフランツ・レリックは微笑みを浮かべながら歩み寄った。


「走ると危ないよ、エリザ。ほら、お兄様がエスコートしてあげよう。礼拝のお客様もいるのだから、淑女らしさを見せなければね」


 おっとりとした優しい声に、エリザベスは口を閉ざし、首を竦めてくすくすと笑う。


 朝、いつもより一刻も早い時間に起き出して支度をしたエリザベスは馬車に揺られて王都の外れにある修道院の近くまでやってきていた。

 有名なだけあって馬車の数が多く、村の半ばの広場からは徒歩で進むことを求められたので、そこで馬車を降り、小奇麗に掃き清められた石畳を護衛と共に歩いているのだが、その道の両脇には村の者達や他所からやってくる商人達が出した出店は勿論、道沿いの店や民家が表にテーブルを出して様々な品を並べていて、大勢の参拝客の楽し気なざわめきや呼び込みの声が重なり、まるで話に聞く祭りの様な賑わいだ。


 扱われる品は、朝食を食べずにやって来て空腹を抱えた参拝客達の胃袋を騒がせる美味しそうな食べ物であったり、参拝者の九割が目当てとしている猫をモチーフにした様々な小物、猫を飼うのに便利な品々、果ては本や古着や骨董品に農具、様々な農作物、舶来の珍品まで売っている。


「すごいわ、お兄さま。わたくし、本で市場やおまつりの絵を見たけれどこんな風なのね! あ、アンナ、見てちょうだい。あの猫のぬいぐるみはマリーと同じもようをしているわ!」


 滅多に出歩けない屋敷の外、それも時折行く他の貴族の屋敷ではなく庶民や貴族が入り混じって歩く往来となればエリザベスの気分が高揚しない筈が無く、目をきらきらとさせながら兄やアンナに問いかける姿の愛らしさに、参道を歩く参拝客や店番をする村人、商人達の目が釘付けになっているのだが、本人は猫の小物や見た事の無い食べ物に夢中で全く気付いていない。


「父上からは、エリザが欲しがる物はなんでも買ってあげなさいと言われているからね。あのぬいぐるみも買っておこう」


 にこにこと微笑む顔と言葉は穏やかだが、内容は二年前と変わらぬ溺愛ぶりを示している。


「お兄さま、あまりわたくしを甘やかしてはいけないのよ。お買いものは、良くえらんでしんちょうにしないと、お金がもったいないわ」


 アンナの話を聞いてから様々な階層の生活について学び始めたエリザベスが言うと、フランツはくすくす笑って金色の頭を撫でた。


「エリザは偉いね。僕も父上も、ついエリザを甘やかしたくなってしまうんだ。でも、ここの品物はどれも安価だし、売れれば売れるだけ皆喜んでくれる筈だよ?」


 面白そうに言う兄に、最近少しだけ経済についても学び始めているエリザはしばし考える。

 お金を使うのも貴族の義務であり、身の丈に合う範囲であればむしろ使った方が良い、という話は教師から聞いていた。


 無駄遣いは良く無い、あまり甘やかして欲しくない、と言う気持ちと、それもまた義務であると言う言葉、どちらも間違いでは無いのは解るのだが、正解が何かが解らなくて思わず難しい顔になった。


 アンナに聞けば節約すべき、となるのだろうが、アンナ自身にも、裕福では無い男爵家と富豪の公爵家では視点が違うので鵜呑みにしない様に、と言われているし、兄に提案された事を侍女であるアンナの意見で否定するのは角が立つ。


 つまりは、エリザベスが自分で結論を出さなくてはいけないのだが非常に難しかった。


 幼いながらに学んだ事を合わせて考えれば、兄の言う通り沢山のものを買えば参道で店を出している村人や商人たちは喜ぶだろう。

 しかし、それも良く無い、となんとなく思うのだ。


「……お兄さま。わたくし、まだ子供なのでむずしい事はあまりわからないわ。でも、すきほうだい買うのはなんだかちがう気がするの。よくえらんで、本当にほしい、とおもったものだけ、買ってもらってもいい?」


 うんうんと唸った末に手を繋いだ兄を見上げて言えば、エリザベスと同じ明るい緑の瞳が笑みの形に眇められた。


「ああ、勿論だよ。エリザは偉いねえ。僕が七歳の頃には初めて上がったお城に飾ってある格好いい甲冑と剣が欲しくて父上を相手に駄々をこねていたというのに」


 くすくす笑いながら言う兄に、エリザベスは目を真ん丸にする。

 いつも穏やかに微笑んでいて、今も武道より勉学を得手とする物静かな兄が武具を欲しがると言うのが意外だった。


「男の子はね、ある一定の年齢までは、こう……大きい物やゴツゴツした物が好きでたまらない時期があるんだよ。今なら王宮図書館の秘蔵本が欲しいけれどね、あの頃はとにかくあの甲冑が欲しくて、でも王宮の所蔵品は流石に父上も持ち帰れないからよく似たものを作って貰ったんだ。ほら、図書室の隅に飾ってあるだろう?」


「ああ、あのまっくろでゴツゴツした……あれ、お兄様がえらばれたの???」


 亡き母の好みで明るい色合いが多い公爵邸の中で異彩を放つ黒い甲冑を、どちらかと言えば白と金の豪奢な甲冑の方が似合いそうな兄が選んだという言葉に目を真ん丸にした。


「絵本の黒騎士に憧れていたんだよ。あの全く実用的ではない甲冑を作るのに金貨百枚は掛かったそうだから、反省として僕がいつも使う図書室においているんだ……。滅多にない僕のおねだりに父上が張り切って、最高級の素材を駆使して作ったそうでね……」


 ふう、と溜息を零すが、金貨五枚あれば庶民が一年は楽に暮らせると聞いた事がある。

 つまり庶民の二十年分の金額を使った、と言う事で、確かにそれだけの金額をつぎ込めばこの辺りの品物を全て買ってしまえるだろう。


「……お兄さま。わたくし、いろいろわかるようになるまで、自制することにしたわ……。やっぱり、あまりわたくしをあまやかすのは、よくないとおもうの」


 兄と同じ轍は踏みたくない、と思って言えば、沈痛な頷きが返された。


「うん……僕もちょっと思い出して、父上の様になんでも、と言うのはやめようと思ったよ。……今朝はエリザが早起き出来て、まだ礼拝まで時間があるからね。ゆっくりお店を見ながら修道院まで歩こうか」


 気を取り直した様に微笑む兄に頷き、早速近くにあった出店を覗き込む。


 愛らしい猫の刺繍をした巾着やハンカチ、扇子といった小物を売っている店の卓の端にはクッションを入れた籠が置かれていて、その中で革紐の首輪を付けた大きな黒猫がくるりと丸まって眠っていた。


「まあ、お店にも猫がいるのね!」


 ぱっと目を輝かせて小さな声で言えば、店番の老婆が笑う。


「ここいらは、猫のお陰でにぎわっているんでございまして、みんな、猫さまさま、と思って大事にしておるんですよ、お嬢様。この子はあたしの家の猫でして、クイニーと言うんで。もうじいさんなので眠ってばかりですが」


 見るからに身分の高い御令嬢であるエリザベスに、少々あやふやながら出来る限り丁寧な言葉で老婆が説明してくれ、撫でても大丈夫だと言うのでそっと柔らかな背を撫でる。

 年老いた猫の少しぼさぼさとした毛並みはそれでも心地よく、自然と目を細めた。


 エリザベスの手が撫でてもクイニーは目を覚まさず、ゴロゴロと喉を鳴らしながら眠り続けた。


「ありがとう、おばあさん。このししゅうの黒猫たちは、クイニーがモデルなのかしら?」


 他の柄もあるが黒猫が多い品物を眺めて言うと、老婆の家の女性達が刺繍した、クイニーとその妻や子供達だと言われる。

 一つ一つ見てみれば、クイニーらしき黒猫と三毛の猫を取り囲む三匹の仔猫の刺繍を施したポーチがあり、すっかりそれを気に入ったエリザベスは銅貨三枚のそれを買い取り、もう一度クイニーを撫でてから出店を後にした。


 本当は他のものも欲しかったが、フランツの教訓を肝に銘じてぐっと我慢する。

 今日来られなかった父とユーナ、マリーにトーマスは勿論の事、執事や侍女頭に教師達、他の使用人達へのお土産に、アンナにもこっそり何か買って帰るつもりだが、自分の為に買う物はしっかりと選んで日々使える物を買いたいと思った。


 見渡してみれば村人が営む出店の殆どに猫の姿があって、大勢の客に慣れているらしい猫達は、無類の猫好きばかりの客を相手にある猫は愛想よく、ある猫は逃げないまでもそっけなく、ある猫は物陰からじっと見つめるだけ、など様々な接し方であしらっている。

 どの猫も飼い猫である印としてリボンや首輪を付けているが繋がれた猫はおらず、途中で飽きてどこかに去っていく猫もいるし、人懐っこく参拝客達にじゃれかかる猫もいて、どの猫も楽しそうにしているのが印象的だった。


 目を輝かせながら様々な店を見て回り、途中で様々なパイを扱うお店の店先に並べられたテーブルで護衛の一人が毒見したオレンジジャムのパイと、爽やかな香りの香草茶を味わった。


 すぐ横の宿の調理場で焼いたばかりだというパイはナイフもフォークも使わず手で持ってかぶりつくのだと言われ、恐る恐る齧ってみればまだあたたかなパイ皮がさくりと歯の間で小気味よい音を立てて、それと同時に溢れ出てくる甘酸っぱくもほろ苦いオレンジのジャムがバターの香りと絡まって顔が綻ぶ。

 香草茶にはこの辺りに咲く花を多く入れてあるとかで、ほんのり甘い香りが酸味の強いパイの味わいとよく合った。

 勿論出店の食べ物を食べるなど初めての経験で、公爵邸で供される料理に比べるとずっと素朴な味わいが興味深い。


 その後も様々な店をのぞいて回り、父には骨董品の出店……これもやたら猫のモチーフの物が多い出店にあった猫の銀細工を飾ったインク壺を、トーマスにはマリーによく似た猫の模様を焼き付けた丈夫そうな革の鞄を買う。

 ユーナとアンナには愛らしい猫の置物を、マリーにはエリザベスとお揃いの、真鍮の猫のチャームをぶら下げた赤いリボンに猫の玩具やお菓子、使用人達にはたっぷりと数の入った猫の形クッキーなど、色々と買い込んだ。

 その間に時間も過ぎたので他の物はまた礼拝の後で、と考えて、いよいよ修道院へ到着すると、古びた石壁に鉄柵の扉を付けた修道院の周りは多くの参拝客でにぎわっていた。


 門を潜れば外よりは控えめだがちょっとした品物を置いた台があり、修道女たちが愛想よく微笑みながら記念品を売っている。

 特に賑わっているのは猫の健康を祈る護符と、いなくなってしまった猫が戻って来る様祈願する護符を売る卓で、エリザベスもマリーの健康を祈る為の護符をしっかりと購入した。


 見回した周囲には確かに猫の姿が多く、しかもどの猫も人懐っこくて、猫好きの老若男女が目を細めてそこかしこの猫を愛でている。


 エリザベスの足元にも灰色の縞猫が歩み寄って来て、頭を靴に擦り付け始めた。


「か、かわいいわ……みんな人なつっこいのね……」


 屋敷に遊びに来る猫の中には人嫌いの猫も多く、触れられる猫はマリーを除くと辛抱強く顔を覚えて貰い、おやつをわいろに差し出した二匹だけ、残りは遠目にうっとりと見つめるしか出来ないエリザベスは、足元に擦りつく縞猫を優しく撫でた。


「礼拝堂の辺りにいる猫は、人が好きな大人しい猫ばかりなのですよ。ここの猫達は人は優しくしてくれる物だと信じているので、こんなにも人懐っこいんです」


 すぐ横の卓で猫の形のクッキーを売っていた修道女が微笑みながら言う。


「そうなのですね。わたくしのいえのお庭にくる猫は、人を見るとにげてしまう子がおおいのです。……ここは、おはなしに聞いていたとおり、猫の天国なのですね……」


 警戒心の強い猫は、外で怖い目にあった経験のある猫だから無理に近づいてはいけない、と教えられていたエリザベスは幸せを象徴するような穏やかな猫達に陶然とした溜息を零す。


「ええ。ここでは猫を傷つける人間は全て摘まみ出されますからね。ああ、そろそろ礼拝が始まりますわ。どうぞ中へお進みくださいな」


 微笑んで言う修道女に礼を言い、兄と手を繋いで礼拝堂へと向かった。




お読みいただきありがとうございました。

誤字報告、いつもありがとうございます。


村人は元々は猫に対してごく普通の感情しか持っていませんでしたが、猫目当ての参拝客で村が賑わいはじめ、参拝客への土産物を作れば良く売れるので客寄せに、と修道院から猫を貰って飼い始めたところ、次第に猫の魅力に目覚めて猫派が多い村になりました。

牧羊犬や番犬として犬も普通にいるので犬派が迫害される事はありません。


アマルナ修道院の名前は短編執筆中にふと浮かんだエジプトのテルエルアマルナから取りましたが、考えてみれば太陽神アテン・ラーの都市、アケトアテンを前身とする町なので月の女神には不適だったかもしれません。

なので太陽神の修道院の名前をエジプトの月神コンスに纏わる都市遺跡、テーベにしてバランスを取りましたが多分名前くらいしか出て来ません。こちらも猫派です。


まだ短編時間軸に戻りませんが、王子や幼馴染達との出会いも書かなくては整合性が取れなくなるので今しばらくお付き合いください。

気に入ってくださったり続きが見たい、などありましたら、ブクマ・評価など入れていただけますと大変ありがたいです。

明日も13時に更新予定です。


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