未来を変える転換点
「一人一人はたいした事無いんですがね。何せ五人もいるんです。お嬢様より年嵩の口の回る生意気盛りの女の子が四人、男の子だからお嬢様より暴れっぷりが酷いわんぱく盛りの男の子が一人。うちは母も働いているので私が五人の面倒を見てたんですけどね、そりゃもう……一人が起こした騒動をどうにかしようとしていたら、反対側でもう二人が喧嘩を始めて、それを慌てて収めていたらよちよち歩きの末っ子が家の外に飛び出ていくんですよ。大急ぎで連れ戻したかと思ったら最後の一人が小麦粉の袋をひっくり返して台所を真っ白にしていたり……勿論片付けるのは私です。うちは名ばかり男爵みたいなもので、使用人もいないので」
滑らかな口調で彼女の弟妹が引き起こした騒動の一例を挙げたアンナは、言い終えるなり苦悩に満ちた溜息を零す。
「勿論全員可愛いんですけどね、それでも公爵家にご奉公に上がると決まった時にはほっとしたもんです。入った時にはお嬢様が如何に厄介で我儘で大変か、ってさんざん脅されましたけど……なんせお嬢様は一人しかいないんですよ? 物なんて投げられたって躱せばいいですし、楽なもんです。おまけに、妹たちの面倒を見たって銅貨一枚もらえませんけど、お嬢様のお世話をすればお給金の他に! 銀貨が! 貰えるんですよ! 銀貨ですよ!? 私、この仕事は他に譲りたくないですねえ」
嬉しそうに言う侍女を見上げ、エリザベスは困惑する。
お金の価値は良く解らないし、所々で悪口の様な事を言われているのに、アンナが妙に嬉しそうで理解が追い付かないのだ。
「よ、よくわからないけれど、しょくじのときはすぷーんをなげて、しょくじをつくりなおさせればいいの……?」
混乱気味に言うと、アンナはしばし考えてから首を左右に振る。
「あんまり投げない方がいいですねえ。作りなおすのも、料理人達が大変ですし。どうしても我慢出来なかった時だけ、ですね。それも人に向けて投げちゃいけませんよ。当たるととても痛いんですからね。お嬢様、もしマリーが誰かに石をぶつけられたら、どう思います?」
言われて再び膝で寝ころんだマリーを見下ろし、考える。
「……かわいそうだわ……。マリーはなにもわるいこと、しないのに……。……わたしも、ひどいこと、したのね……」
侍女達の会話に出て来たユーナという侍女の顔はあまり思い出せないが、熱い紅茶を投げつけた事は覚えている。
あの時、一体何に怒ったのかも覚えていないが、もしマリーに紅茶を投げつける者がいたらエリザベスは怒るだろうし、エリザベスも同じことをしたのだとやっと解った。
「……わたし、ユーナというじじょに、あやまりたいわ……」
「おや……ふふ、では落ち着いたらアンナがお付き合いしますよ。とりあえず、お嬢様はそろそろお茶の時間です。沢山泣きましたしね、紅茶か果汁を飲んでお菓子を召し上がりましょう」
「うん……。ねえ、アンナ。マリーをおちゃにしょうたいしてもいいかしら」
眠ってはいないが膝でのんびりとしているマリーの背を撫でながら言うと、アンナは笑って頷く。
「では、マリーにはミルクを用意しましょうね。マリーは私が抱いて行きましょう。立てますか?」
微笑んで言うアンナにこくりと頷くと、彼女は片手にマリーを抱き、他方の手でエリザベスと手を繋いだ。
侍女と手を繋ぐのは初めてだが、妙にどぎまぎとしながら石畳の道をゆっくり歩く。
「……アンナ。……その……ありがとう…………」
まだ完全には理解できていないが、それでも大切な事を色々と教えてもらったのは解った。
それゆえの感謝に、アンナがこちらを見下ろして朗らかに笑う。
「本当ならこんな事、言わずにやり過ごそうと思ってたんですけどね。お嬢様がマリーに優しくしてらしたから。感謝するならマリーになさってくださいな」
言って片手で抱いたマリーをすこし持ち上げて顔を見せると、大人しく腕に抱かれた茶虎の猫はきょとんとした金色の目でエリザベスを見下ろし、にゃあと鳴いた。
「……なんなら、マリーを貰ってお部屋で飼います? 旦那様なら、お嬢様が可愛くおねだりすれば聞いてくれると思いますけど」
アンナの提案に、目をしばたたく。
猫と触れ合うのは初めての経験だったが、こんな優しくて可愛い生き物が自分の部屋にいてくれるのは素敵な事だろうと思えた。
「……それは、とてもすてきね。……でも、マリーは、ええと、トーマスのねこなんでしょう? ……こんなにかわいいこがいなくなったら、きっとトーマスがさびしいわ……」
今までなら思いつきもしなかった様な事が自然と思い浮かび、エリザベスは肩を落とす。
「おやおや。すっかりいい子になったじゃないですか、お嬢様。では、トーマス爺さんにお願いしてお嬢様の普段使う庭でマリーを遊ばせて貰いましょう。お嬢様のお庭は小動物が入りにくく作ってありますからね。そこを少し変えて毎日連れて来てもらえば良いですよ」
「いいの?」
明日も会えるのだと思えば思わず心が弾んだ。
「まあ、猫だから気が向かない日は好きな所に行くでしょうけど、マリーは元々大人しくて、トーマス爺さんが朝に連れて行った辺りからあまり動かないんですよ。確か今日は木立の剪定の日だから、この辺に連れてこられてたんでしょうねえ」
「そうなのね。……トーマス、しんぱいしてないかしら?」
以前エリザベスが広い邸内で迷子になった時に、父が半狂乱になったのを思い出す。
「夕方までは好きに遊ばせてますからね、大丈夫でしょう。後で誰かに、お嬢様のお茶会にお呼ばれしていると伝えて貰っておけば平気ですよ」
「そう……。それならいいわ。ねえ、アンナ。これからも、わたしと、おはなししてくれる……?」
これまでもアンナはエリザベスの世話をしていたが、こんな風に長く言葉を交わすのは初めてだった。
もっと正確に言えば、父や兄、後は執事と教師以外の相手とまともに話した記憶が無い。
だが、今日アンナと交わした言葉はこれまでのどの会話よりもエリザベスの心に響いた。
今までなら居丈高に命令する所だが、その結果で得られるものはきっと自分が望んだ物では無いのは、まだ幼いエリザベスにもなんとなく理解出来る。
「いいですよ。ああ、でもお嬢様にこんな口きいてるのが知られると叱られますからね、他に人がいない時なら」
「わかったわ。…………あのね、これからはあんまり、ものをなげないようにするわ。……でも、ほかのこと、どうすればいいかわからないの。アンナがおしえてくれたら、うれしいわ……」
今まで誰も、エリザベスに物を投げ付けてはいけないだとか、我儘を言ってはいけないだとか教えてくれる人は居なかった。
それに、あの悪口を聞く前、何よりもマリーと出会う前なら、アンナが同じ事を言ってもエリザベスは気にも留めなかっただろう。
それぞれの出来事が丁度良いタイミングで起こったのは、ほんの僅かな偶然に他ならない。
しかしこの時、将来悪役令嬢と呼ばれ、断罪される筈だったエリザベスの運命は大きく変化した。
それと共に様々な人間達の運命が変わっていくことを、まだ誰も知る由も無い。
いずれ大きな流れとなるその変化の切っ掛けとなった茶虎の猫もまたそんな事は夢にも思わぬまま、アンナの腕の中で気持ち良さげな欠伸をこぼすばかりだった。
お読み頂きありがとうございます。
アンナはまだ13歳ですが作中にある経験により子育て熟練者で、ちょっと所帯じみた雰囲気なのは育児疲れを経験したからです。なおこの世界観では年上の子が下の子の世話をするのは普通の事です。
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ガチャ爆死でちょっと気力尽きたので更新頑張れるか分かりませんが一応続きは明日13時投稿予定です。
宜しくお願いします。