ネロ
「あの子達はこちらに出てこないのかしら……」
眠っているのかと思いもしたがそういう訳でもなく、時々動いているから起きているらしい。
「ああ、あの二匹は母猫と一緒に王都で保護された子ですわ。母親は……遊びに出ている様ですわね。黒い子の方は……まあ、その、譲渡はされずに修道院で暮らす事になるでしょうねえ」
苦笑するエレオノーラの言葉に首を傾げつつも、驚かせないよう膝立ちでそろそろと近づく。
白黒ぶちと少し大きな黒の二匹の猫はこんもりとした毛玉の様な形で蹲っていて、どうやらぶちの方は寝ている様だが黒い方は時折もぞりと動いていた。
急に近づいては驚かせてしまうので、さりげなく軽い音を立ててここに何かいる、と教えると振り向かないまま小さな耳がぴくっと動いてこちらへ向く。
「街中で生まれ育ったせいか、少し警戒心が強くて。引っかいたりはしないのですけれどね」
エレオノーラの穏やかな声には聞き覚えがあったのか、警戒の空気が薄れた所で再びごく小さな音を敢えて立てながら近づき、ついて来たアンナと共にそっと覗き込んでみる。
その気配に、黒い仔猫がのそりと首を捩じってこちらを見上げた。
その顔を見るなり、エリザベスとアンナは目を見開く。
「なっ……………………っ」
「灰色の子の方は可愛い顔なのですけど、黒い方の子は、すこうし、こう、個性的で……」
「確かに、これは何というか、変わった……」
「……っなんて可愛いの!!!!!」
「えっ」
「……えっ?」
思わず叫んだエリザベスに、残る二人が驚きの目を向けた。
そんな視線に気付かないまま、エリザベスは頬を赤く染めて黒い猫を見下ろす。
正確には黒ではなく、八割れと呼ばれる類いの猫だ。
眉間から口の周りまでの山形、胸元はベストを着たシャツの様な形に、耳の中、手足の先、尻尾の先が白い。
猫には珍しいたれ目勝ちの目は仔猫の青だが、黒が勝つ猫には黄色い目が多いから、そのうちそう変わっていくのだろうか。
猫のほとんどが上機嫌にきゅっと上がっている口角は上がってはいるものの他の猫より少し下がり気味で、そこがまた愛らしい。
顔は大きくて、体も全体にずんぐりとしている。
胸の前で組まれている足もずんぐりとしていて、なんとも愛らしかった。
「可愛いわ……っ……! あなた、とても可愛いわね……!」
感動の余り語彙力を失ったエリザベスが頬を染め、ぶるぶると身を震わせながら抑えた声で叫ぶと、エレオノーラとアンナがまじまじと八割れ猫を見てから再度エリザベスを疑わし気な目で見る。
「あの、お嬢様……この猫、その、ええと……」
「……これはこれで、まあ、わたくしも独特な愛嬌があるとは思うのですけれど……」
戸惑いを含んだ声に気付かないまま、エリザベスは警戒心が強いと言う仔猫を嫌がらせてはいけないと思い、ぺたりと床に座ったままそうっと指先を差し出した。
「ねえ、あなた。とても可愛らしい子ね。わたくし、あなたに何も怖い事はしないわ……」
優しい声で囁きかけると、じっとこちらを見詰めていた仔猫は幾度かまたたきし、少し顎を上げてエリザベスの指の匂いを嗅ぐ。
それからまた頭を引いてしばしじっと見つめた末、不意に立ち上がって前足を突っ張り、腰を高く上げて伸びをした。
「まあっ……あなた、立った姿もとても可愛いわ……!」
思わず片手で頬を抑えて身もだえる。
立ち上がった仔猫は全体的にずんぐりとした胴に太い手足を持っていた。
一見手足も胴も短く見えるが、実際は他の仔猫よりも足や胴が太いので短く見えるだけなのは良く見れば解る。
遥か昔、王宮で会ったあの黒猫を少し思い出すが、あの猫とはまた体格が違うな、と思いながらもこちらはこちらでなんて愛らしいのだろうと陶然とした。
ふくふくした体に障りたいが、急に触ると怯えさせてしまうかもしれないと危ぶんでどうにかじっとしていると、仔猫は差し出したままのエリザベスの手に不意に頬を擦り付け、そのまま数歩進んで体前身を擦り付けてからふさふさとした太い尻尾を軽くその手に絡みつかせてから、エリザベスを見上げてぷみゃぁ、と鳴く。
「……院長様、これ、本当に仔猫ですか? 随分とこう……ふてぶてしいと言うか……」
「仔猫ではありますのよ。多分三ヶ月程で……少し個性的な顔立ちですけれど、稀にああした見た目の猫が生まれるんですの。ただ、あまり好まれないので引き取り手は見つかりにくいのですが…………」
仔猫に夢中になっているエリザベスの背後で大人二人がひそひそと言葉を交わしているが、当然その耳には届いていない。
エリザベスの目には素晴らしく可愛らしい猫と見えている様だが、一般的な目線で見ると小さいにも関わらずずんぐりとした、ふてぶてしい顔の猫に見える。
その体格と仔猫らしい溌溂さが無いまなざし、まだ高いが仔猫としては太めの声はいわゆる美猫の基準からはかけ離れていた。
しかしエリザベスはどうやら本気で可愛いと思っているらしく、時折零れる声が弾みに弾んでいる。
二人の目線など気にも留めず、エリザベスは膝元まで寄って来た子猫の背中をそうっと撫でた。
長毛種と言う程ではないが普通の短毛種よりやや長めの毛を持つ体は触れてみると毛並みはすべすべとしながらもやはりむっちりとしていて、思わず揉みたくなるのをぐっと我慢した。
仔猫の方はぼてぼてと寄ってくるとエリザベスの膝に前足を掛け、少し重めの仕草で乗るとそこでぽてりと横になる。
「まあまあ、わたくしのお膝を気に入ってくれたのかしら? とっても嬉しいわ……」
微笑みながら猫の喜ぶ場所を選んで撫でまわすと、仔猫はゴロゴロと喉を鳴らしながら気持ち良さげに目を細め、エリザベスの手に何度も頬を擦り付けた。
「あらあら……その子、警戒心が強くて、攻撃はしないけどなかなか触らせてくれなかったのだけど……エリザベス様の事は随分と気に入ったようですわねぇ……」
若干の戸惑いが残る口調でエレオノーラが言う。
「そうなのですか? ……あの、わたくし……この子を連れて帰りたいのですけれど、構わないでしょうか。兄弟と引き離してしまうのは可哀相かしら……」
仲良さげに寄り添っていた兄弟らしき白黒斑はまだすやすやと眠っていた。
「どのみち、引き取られる時は別々になりますし、こちらの子は社交的なので他の猫や修道女とも仲が良いのです。その子がそれだけ気に入る相手は今まで修道女の中にすらいませんでしたし……ねえ、あなた。エリザベス様の所に行くのは嫌かしら?」
エレオノーラが優しい声で問いかけると、仔猫はじっとそちらを見上げてから、再びぷにゃあ、と鳴いてエリザベスの手にぎゅっとしがみ付く。
「……お嬢様の所に来たい様ですねぇ……。なんと言うか、想像とは違いましたけれど、お嬢様もお気に召した様ですし、よろしいのでは……?」
「そ、そうかしら……! ねえ、あなた、わたくしのおうちで一緒に暮らしたいと思います……?」
不安げに尋ねると、仔猫はまたもやぷにゃあ、と鳴いて膝の上を移動し、エリザベスの腕に自ら抱かれるように乗った。
「……お顔はこう、あれですけれど、かなり賢い子の様ですわね。これならお嬢様の肌をひっかく事もあまり無いでしょうし、よろしいのではないでしょうか」
修道院に来るたびに大なり小なり猫の爪痕が手や体に付くので必ずポーションを持参し、帰り際に使用している事を思えば日常的にエリザベスの身の回りにいる猫はマリーの様に大人しい猫の方が望ましかった。
見た目はふてぶてしくとも仔猫だからマリーよりは活発だろうが、他の仔猫の様に無造作に爪を立ててよじのぼるのは、エリザベス本人は幸せそうだが侍女としてははらはらしてしまう。
「そう……そうね。では、あなた、わたくしのお友達になって下さる……?」
腕の中に自ら入って来た子猫を胸元まで抱き上げたエリザベスが笑みを含んだ声で囁きかけると、仔猫はぷみゃあ、と鳴いて体を伸ばし、エリザベスの頬にまるっこい肉球でてしてしと触れてから顔を擦り付け、再び腕の中に丸くなるとごろごろと喉を鳴らした。
「決まり……ですわね。お名前も考えてあげなくては。まだこの子達、名無しですのよ。もしよければ弟の方もエリザベス様がおきめ下さいな」
エレオノーラの言葉に、エリザベスはすぐ様頷く。
「この子の名前はネロにしますわ! 異国の言葉で黒と言う意味ですの。弟は……ぶち模様だから同じ国の言葉でペッツァートがいいかしら。ふふ、良く寝ているわ……あっ……ごめんなさい」
眠っている斑の仔猫をそっと撫でると、その感触で目覚めたらしい仔猫があくびをした。
「おはよう。あのね、あなたのお兄様を、わたくしの所に連れて帰ってもいいかしら。とてもとても、大切にするわ。……寂しくなってしまうかしら……」
心配に思いながら問いかけると、白黒ぶちの仔猫はじっとエリザベスを見上げ、続いてその腕の中の兄弟の方を見るとエリザベスの膝に飛び乗り、ネロに顔を寄せる。
ネロもまた顔を寄せ、鼻先を近づけてしばらく互いにふんふんと匂いを嗅ぎ、白黒ぶちのほうがにゃあと鳴くとネロもぷにゃあと返した
それで納得したのか、ぶち猫はもう一度にゃあ、と鳴くと、二人の対話の為に腕を下ろしていたエリザベスの手に顔を擦り付け、エリザベスを見上げてにゃあ、と鳴いてから膝を降りる。
「……納得してくれたのかしら……?」
まるで人間が会話する様な二匹の様子に目を丸くしながらも、ぶち猫がくつろいだ様子で後ろ脚で耳の後ろを掻いているのを見下ろした。
「あのね、この子はネロと言う名前になったの。あなたにはペッツァートと言う名をつけたいのだけど、どうかしら? 異国の言葉で、あなたの毛皮の模様を意味しているのよ」
小さな頭を撫でながら問いかけると、仔猫は気に入ったのか気に入らないのかは解らないが再びにゃあと鳴いたので、そのままペッツァートと呼ばれる事になった。
「今年は仔猫が多いですから、いつもより数匹多く残ると思います。この子も残しておきますから、修道院においでの際はネロもお連れ下さいな。母猫は足に怪我があるのでもともとここで世話をするつもりでしたし」
「そうですのね。それなら、寂しくは無いかしら……。エレオノーラ様、お気遣いありがとう存じます。後でお母様にも、ネロをいただくご挨拶をしたいですわ」
ペッツァートともう少し一緒にいさせようとしてもエリザベスの腕から降りないネロを苦笑して撫でながら、仔猫の引き取りにあたって必要な手続きをエレオノーラから聞いた。
引き取って一年間は月に一度、礼拝時か手紙での状況報告が義務付けられていて、連絡がない、或いは手紙での報告に不審点があると修道院に依頼された猫好きの門徒が訪問して様子を見る事、仔猫の月齢ごとの食事内容、ケアの方法など、ここで月に一度共に過ごすだけでは解らない事も多く、エリザベスは渋るネロを腕から下ろして全て書き取る。
連れ帰る為の籠は修道院で借りて後ほど誰かに届けさせる事にし、修道院で礼拝の時に販売している数日分の餌や仔猫に必要な品物を一揃い買取った。
その後はネロと一緒に修道院をいつもの様に楽しみ、ネロの母とも無事挨拶を終えてから帰途につく。
アンナと、待合室で待っていたメラニーと共に乗り込んだ馬車の中、万が一の脱走、そこからの迷子を防ぐ為の籠の中で大人しく寛ぐ黒い猫を微笑みと共に見下ろしながら、エリザベスは久々に幸福に満ち溢れた気持ちで目を細めた。
いつもお読み頂きありがとうございます。
ブクマ、評価、感想、誤字報告も本当にありがとうございます。
26話以降でいくつか優しい感想を頂き、心から感謝しております。
へこみはしましたがガチャの爆死に比べたらなんてこたぁないと解ったので大丈夫です。
お気遣い本当にありがとうございました。
短編に出て来たネロ君初登場です。
ネロとペッツァートは賢いだけの普通の猫です。今の所。獣人ではありません。
外見的にはハリ○タのクルックシャン○スとおじさ○と猫のふく○君を足して二で割った感じか、波津彬○先生の「うるわしの英国○リーズ」に出て来るヴィルヘルム君(ぐぐると出てきますがふてぶてしくて最高の猫です。可愛いお嬢様が沢山出て来るので作品もお勧めです)の毛を短く……と思っていましたがツイ○テのルチ○ス君の毛を少し短めに、の方が今は解りやすい気がしました。
明日も13時に更新できるよう頑張ります。よろしくお願いします。




