彼女の知らない場所でー王子とその幼馴染達2
引き続き幼馴染と殿下の話です。
三人の方針が定まった頃、ぐったりしたエルンストがこちらへやって来るのが見えて手を振る。
「おつかれさまです、殿下」
「ああ……。シリル、たのむ」
疲労しきった顔のエルンストが頼むと、拳一つ背の低い少年がちらりと控える侍女や護衛を見やってからなにやら小声で唱えた。
「……防音魔法使ったからもうだいじょうぶだよー」
「ありがとう……」
魔法に関しては天才であるシリルが大人達に内緒で習得した防音魔法は指定した範囲の音を上手く風や自然音にまぎれさせ、範囲外の人間の耳に違和感なく聞き取りづらくする魔法だった。
これを使えば離れた場所で護衛兼監視をしている傍付きの者達の耳を誤魔化す事が出来るので、四人でくだけた話をしたい時にはいつもこれを使う様にしている。
「……すまなかった……」
それが発動するのを待ち、飼い主の来訪を喜んで纏わりつくエメルダ、ディーン、ハイドの三頭を撫でながらエルンストが謝罪した。
「お前、陛下になんていったんだ?」
遠慮のないアルフレッドの問いに、エルンストが肩を落とす。
「……昼間にエリザベス嬢にあったことはほうこくされていたから、夕刻にどんな令嬢だったか聞かれて…………とても可愛らしくて、やさしそうな子だったと答えて……色々聞かれている間に、その……少し思い出してぼんやりしていたから、そんな可愛い子が嫁になってくれたら嬉しいだろうと言われてうっかり頷いてしまって……。もちろんすぐに取り消した。でも、晩餐の時に、エリザベス嬢が婚約者になった、と父上が……」
「……やっぱりかぁ。エルンストさ、前から陛下にことばじりとらえられてつごうよく色々させられてるのに……」
呆れ顔のシリルに、エルンストが項垂れる。
最近は父王の対応にも慣れて上手く回避していたのに、あの時は初恋に心を奪われていて失敗してしまった。
こと婚約に関しては、自分だけの問題ではなく相手の令嬢に危険や苦労を強いる事だから油断してはいけないと解っていたのに、父が望む様に、それもあくまでもエルンストが希望した事、という事で父王にレリック公爵の怒りが向かない形で進んでいる。
公爵も大人ゆえに、七歳の子供の発言がきっかけとなればその子供に怒りをぶつける事はないが、万が一国王主導となれば虫も殺さぬ穏やかな微笑みのまま何を言われるか解らないので嫌なのだろう。
味方としてはこれ以上ない程頼りになるが、恐ろしすぎて敵に回したくはない、特に愛娘に関わる事はまずいが次期王妃として最高の条件が揃ったエリザベス嬢は欲しいし、彼女がエルンストと結婚すれば昔から兄の様に慕っていた公爵の娘の義父になれる、義父と実父ならもはや兄弟同然、だからエリザベス嬢と結婚しろ、などと以前酔った時に言っていたのをエルンストは覚えている。
「父上が犬を連れて庭であそんでこいと言ったのも、たぶんぜんぶ謀られてたんだ……。先生のきゅうびょうだって怪しい……」
言いながら小さく唸った。
婚約者候補でありながら一度も王宮に上がった事の無かったエリザベスが登城した事はすぐさま父に報告されただろうし、エルンストが犬達と遊ぶのはだいたいこの近辺だから、エリザベスがこの場所に来た事を報告されて……いや、むしろ彼女がここに来るよう誘導し、そこにエルンストを遊びに行かせたと考えた方が自然な事。
エルンストの想像は正鵠を射ていたし、実を言えばフランツの書類に急ぎ父に知らせるべき書類が混ざっていたのも、折角の外出に付き合えぬ急な仕事が公爵に回って来たのも、国王の計略だった。
万が一公爵に知られれば締められる、程度では済まないので、娘の外出に付き合う為に休みを取ると公爵が言い出した時から何重にも細工を仕掛けて気付かれない様手を回している。
丁度ジグムントから使者が来て、その使者の身分が王子二人と高い相手だった事で宮廷がにわかに慌ただしくなったおかげもあり、上手く誤魔化せていた。
フランツがエリザベスを連れて来るかは半ば賭けだったが、娘の外出に付き合えなくて腐っている公爵の為に、父親思いの長男が妹を連れて来ると予測した上で、予めエルンストに試験と称して予定を過密に詰め込ませ、朝議が終わって公爵が仕事に取り掛かってから教師に軽い下剤を仕込んで予定を開けてあった。
エリザベスが王宮に来ればすぐに報告が上がる様手配し、付き添う侍女に誘導する場所も指示した上で、急に暇が出来たエルンストに彼が大切にしている犬たちを庭で遊ばせに行っても構わないと告げれば、それで完了だ。
エリザベスが他の令嬢達の様に王子の地位や外見に惹かれても、エルンストがエリザベスに惹かれても、双方が相手を嫌いになりさえしなければどちらに転んでも国王に損はない。
後は自分の息子の言質を取るかエリザベスから父にねだらせるかすれば婚約が成立だ。
首尾よく子供達を出会わせ、報告からもエルンストがエリザベスに恋をした事を把握した上で、出来るだけ意識がそぞろな時に話しかけた。
残念ながらエリザベスの方はあまりエルンストに関心は持たなかった様だと報告があったが、何度かうまく転がしたせいで最近用心深くなっていたエルンストが初恋で浮き足立っている隙にどうでも良い様な質問や話題を挟みながら彼女の事を思い出すようそれとなく導き、最もぼんやりしている時を狙って首尾よく言質を取り、その足で公爵の元に王命を下しにいった、というのが真相だった。
国王がレリック公爵を兄の様に慕っていた事も確かに理由としてはあったが、レーダー侯爵が、というよりも彼が溺愛する妻が心酔する一神教を布教する者達が貪欲に伸ばして来る魔手から次期国王となるエルンストを遠ざけ、未だ尻尾が掴めないものの悪しき影響を国に及ぼすと思われる彼らの勢いを削いで国を守る事が一番の目的である。
彼らはいずこかの国を裏から手に入れていて本拠地とし、そこから自分達が崇める神を広めて他の神々を奉じる神殿を駆逐しようと目論んでいるらしく、各国が警戒を強めているものの、この国で法を犯す行為を行っていない、もしくは発覚していない為に法治国家では強硬な手段に出づらい部分があった。
王権の強い獣人やエルフなどの亜人国家、一部の人間国家では既に駆逐されているのだが、それ故に亜人を悪魔の化身として滅ぼすべき、と掲げている事でまともな人間からは忌避されている。
しかし逆に亜人を嫌う人間、或いは彼らを奴隷として有用に使いたい人間の支持を水面下で高く得ていた。
レーダー侯爵の妻はもともと獣人を嫌っている為にその教義に心酔して支援し、レーダー侯爵自身はまだ理性的なものの妻に強く求められれば断れぬせいで、その信徒たちと他の貴族、そしてエルンストへの仲介を頻繁に行っている。
幸い娘であるキャロライン嬢とその兄は、仲の良かった獣人の血を引く友人家族との仲を裂かれた事で両親の現状を厭っているが、七歳と十歳の子供に何が出来る訳でもないし、親の影響がより大きいのが貴族世界の常識であるため、どうあってもエルンストの婚約者には出来なかった。
ミリオラ嬢については成人まで生きられるかも怪しく、生き延びたとしても王妃教育を強いるにはあまりにも虚弱で、子供が生める可能性も低いとなれば婚約者に出来る筈も無かった。
今も彼女が候補にいるのは、娘の生きる気力を奪わないで欲しい、というメネット侯爵の嘆願ゆえだったが、現状でエルンストの婚約者の座が埋まっていないのは危険なので、ミリオラ嬢にはまだしばらく伏せておき、今までより頻度を上げてエルンストを見舞いに行かせる、との条件で納得させている。
そうした事情が解っている故にレリック公爵も今回の事が計略であったと薄々察していながら強固に跳ねのける事も、王をこらしめる事も出来ず、断腸の思いでエリザベスに負担を強いる事になっていた。
そんな王室の事情についてはまだ薄々しか察していない子供達は、まとわりつく犬を撫でながら悄然とする幼馴染を侍女から見えないよう軽く小突く。
「ぬけがけしやがって」
「してない!」
「結果的にはしてるじゃないか。……まあ、かくじつにエリザベス嬢には好かれていないだろうから同情はするが」
「あの子、エルンストにもぼくらにも全くきょうみなかったもんねえ。僕、生まれて初めて犬になりたいって思ったよ。いっそ獣人の血がもっと濃く出てればよかったのかもなー」
先祖の血ゆえに魔力は人間の中では特級、獣人の中でも高位に食い込める程高いが、外見的には完全に人間で獣化などまるで出来ないシリルが溜息を零す。
「王子の婚約者となれば危険もせいやくも多い。きゅうくつな思いをするだろうから、エルンストを好きか王妃になりたい令嬢でなければ、まあ嫌がるだろうしな」
「……まず親しくなって、好きになってもらってから申しこみたかったのに……」
賢い令嬢だったから、他の令嬢達とは違って王子の婚約者になる事の不利益を理解するだろうし、その上で強引に婚約を結ばせた形になる自分は多分嫌われただろう、と肩を落としたエルンストの背を、三人が軽く叩いて慰めた。
「まあおまえがそんな風に落ち込むのはわかっていたからな、ぼくらでちょっと計画を立てたんだ」
「計画?」
目を瞬かせるエルンストに計画について聞かせると、成程、と頷き、自分も加わると表明しながらも目をそらす。
「……婚約はもうしわけないけど婚約解消はしたくない?」
にやにやと笑いながらシリルが言うと、エルンストが言葉に詰まりつつも頷き、三人が笑い転げる。
「な、なぜそこまで笑う!」
「だって絶対そう言うって、さっき三人で言ってたんだもん!」
「そうそう。まあ気持ちはわかるけどよ」
「あいかわらず読みやすいな、エルンストは」
三人の笑い声に焦るエルンストに、更に笑いが高まる。
「だって……しかたないだろう……あんなかわいい子が、それも好きになった子が自分の婚約者なんだぞ! おまえたちがわたしの立場なら、解消するのか!?」
「ぜーったいしない」
「するわけない」
「何があってもしねぇ」
「じゃあわたしを笑うな!」
眦を吊り上げて怒るエルンストの言葉を受けて笑い声はますます高まり、何やら楽しげな気配を感じた犬たちも尻尾を振りながら四人にまとわりついた。
その後、厳しい王妃教育を受け始めて三か月が経過したエリザベスと再会した彼らは、初めて出会った当初の笑顔を幼い姿に見合わぬ完璧な淑女の物に変えた姿に衝撃を受けた。
常に穏やかな微笑を浮かべ、敵対派閥や王子の婚約者の座を妬む令嬢、貴族達のどんなに酷い言葉にすら笑みを崩す事無く、礼儀正しくも一切内心を窺わせることのない姿は確かに美しいが、あの時に見た光り輝く様な笑顔とかけ離れている。
言葉を交わせば交わす程、彼女が年齢から考えればいっそ不思議なほどに真面目で、強い責任感を以て未来の王妃としての責務を果たそうとしているゆえの姿だと理解出来た。
しかしこれまで人前に殆ど出ていなかったエリザベスの本来の姿を知らない者達は彼女を年齢に見合わぬ完璧な令嬢と呼び、悪意ある者は人形の様な感情を持たない令嬢だと囁く。
エルンストに対しても常に笑みを浮かべ、礼儀正しくも親身に接し、婚約者として非の打ちどころの無い対応が向けられたが、彼女の本心がそこに無い事は、あの日犬達に向けられた本当の笑顔を知っているエルンスト達には良く解る。
しかも、彼らが何かしら落ち込んでいたり苦しい時には親身になって手を差し伸べ、心配してくれるのだ。
それでいて、彼女が苦しい事や辛い事は一切見せてくれない。
一度、欠席の出来ない催しの折に酷く泣きはらした目で王宮に来た事があり、当然心配して声を掛けるが、エリザベスは赤い目以外はいつもとまるで変わらぬ微笑みで当たり障りのない理由を告げただけで、エルンスト達の気を煩わせたと謝罪までさせてしまった。
本意ではない婚約ゆえ、仕方ないとは思えども、他者からは親しく、むしろエリザベスがエルンストを慕って見える様に振舞いながら常に一線を引かれ、決してその内側を見せようとしない姿はなまじ冷たくされたり媚びを売られるよりも心に刺さる。
まるで人が変わったような姿が強固な自制心によって維持されているだけで、その心があの頃と変わっていない事は、彼女の本当の姿を知っている彼らには察せられたし、他に誰もいないと思っている時に家族や犬達に向ける微笑みの優しさで証明もされた。
そんな時間を何年もすごすうちに、互いが向ける感情のすれ違いはより大きく広がっていく。
エリザベスは真摯に向き合おうとしたがその生真面目さと厳しい教育が悪い方に成果を発揮して本心をさらけ出す事が出来なくなり、エルンスト達はそんな彼女の本来の姿を再び見たいと切望する余り、誤った方向へ歩み出す。
双方がもう少し齢を重ねてからの事であれば良かったのだろうが、折悪しく双方ともに思春期に差し掛かり、精神的に不安定になりがちの時期を挟んでしまったがゆえに、徐々にこじれた感情はやがて修復しようがない程にねじ曲がってしまった。
それでも、エリザベスに恋をした彼らの密約は投げ出される事無く続けられ、十年近くの時を経て実を結んで、本来この国を襲う筈だった謀略を防ぎ、若くして果てる筈だった令嬢の命を救って、それにまつわる人々の運命を、そして彼ら自身の未来をも変えていくことを知るものは、誰もいなかった。
お読み頂きありがとうございました。
ブクマ、評価、感想、誤字報告、いつもありがとうございます。続きを書く燃料として有難くいただいております。
エリザベスはエリザベスなりに真摯に向き合って仲良くなるつもりだったのですが真面目過ぎた+王妃教育が国王の思惑以上にガチガチすぎたので心を開く事が出来ず、結果こじれてしまいました。
教育を施した教師も、子供だから最初は厳しすぎる位に言い聞かせて6,7割守られればいいと思っていた所真面目かつ過去の自分を猛省しているエリザベスに10割完璧に守られてしまった、と言う悪循環でした。
書くかどうか解りませんが王子も幼馴染sもエリザベスとは結ばれませんがそれぞれに幸せをつかみます。
明日も13時更新予定です。よろしくお願いします。
やらかしました。明日分を本日一緒にアップしてしまったうえに本部だけコピーして削除したつもりが後書きをコピーしておりました……。
WORDからの訂正箇所がかなりあったのでほぼ書き直しますが30分も経っているので読んだ人も多いかと思いますし、ストック減るの辛いですが後でまた投稿します……。




