エリザベスの(猫との)運命の出会い
まだ我儘だった頃の幼少期の話です。
◇◇
レリック公爵家の御年五歳となる令嬢は、天使の様な愛らしい姿と裏腹な、この上なく我儘な娘として屋敷内で知られていた。
エリザベスという名を持つ彼女は三歳の時に病で母を亡くした。
公爵家に輝く太陽の如くだった妻を何よりも愛していた公爵、母を敬う息子は大いに悲しみ、そしてその悲しみを埋める様に、妻に、母に瓜二つのたった三つで母を亡くしたエリザベスを溺愛した。
父は公務故の多忙、兄は学園への入学で常に傍に居る事は出来なかったが、その分有り余る財力と権力で欲しがるものは何でも与え、気に入らないものは人でも物でも排除し、エリザベスが幸せに暮らせる環境を作り出した。
その結果が、我慢と言う言葉を一切知らない、他者を慮る心を持たない小さな暴君を作り出した。
暴君であっても父と兄が彼女に寄せる愛情は髪の毛一筋たりとも変わる事は無かったが、屋敷内でのエリザベスの評価は坂を転がるように落ちていった。
◇◇
「あなた、明日エリザベスお嬢様の担当なの? 災難ねぇ」
紺色のお仕着せに白いエプロンを付けた侍女が、隣を歩く侍女に気の毒気な声で言った。
「本当に災難よ。お嬢様、顔はとても可愛らしいのに中身はまるで悪魔だもの。言う事は聞かないし気に入らない事があればすぐに物を投げつけてくるし。この間ユーナが熱い紅茶を投げつけられて火傷してたの、ほんとに可哀相だったわ」
受けた侍女も溜息交じりに同意する。
「跡が残ったら嫁にも行けなくなっちゃうものね。本当に、奥様じゃなくてお嬢様が亡くなってれば良かったのに。その方が旦那様だって若様だってお幸せだったわよ。娘なんて後からいつでも作り足せるんだから」
鼻で笑う様に言う侍女に、もう一人が慌てて周囲を見回した。
「ちょっと、そんな事言ってもし誰かに聞かれたら大変よ! そりゃ奥様は本当にお優しくて朗らかで、私達にも親切だったから、お亡くなりになった時には皆泣いたけれど。……お嬢様、お顔はそっくりなのにどうしてあんな悪魔に育っちゃったのかしらねえ」
「旦那様も若様も、好き放題甘やかして躾の一つもしやしないんだもの。仕方ないわ。まあ私達に出来るのは、我儘お嬢さまにはいはい言って出来るだけご機嫌を取ってやり過ごして、早めに結婚して辞める事だけよね」
「そうねえ。あのお嬢様にずっとお仕えするのは御免だわ。そういえば最近入ったアンナはまだ子供なのに我慢強いわよね。今日もお嬢様の担当だったけど文句も言わなかったし」
「お嬢様付きになった日にはお手当が出るからじゃないの? 私はお金を貰っても御免だけど、あの子の家貧乏って言うじゃない」
「気の毒ねぇ……。私の家はそこまで困っていなくてよかったわ」
溜息交じりの言葉の最後はくすくすと笑う音に変わり、二人の侍女は廊下の向こうへと去っていった。
礼儀作法の授業を嫌がって逃げ出し、広い庭園を人のいない方へ歩いて来て、偶然見かけた侍女達に何か菓子でも用意させようと思っていたエリザベスは物陰に立ち竦んだまま唇を噛む。
最初、自分の名前が出た事で何を話しているのか聞いてみようとふと思った。
そして、隠れて話を聞くために物陰に隠れたエリザベスは語られた内容に愕然とした。
激昂のまま飛び出て行って罰を与えようと思った所で侍女たちが口にした、エリザベスより母が生きていた方が良かった、という言葉が、幼い彼女の心を深く穿つ。
今よりもっと小さな頃に亡くなった母の事は、あまり記憶にない。
ただ、いつもにこにこと微笑んでエリザベスを抱き締め、頬や額にキスしてくれた、良い匂いのする美しい人の事はおぼろげに覚えているし、エリザベスも、父も、兄も、使用人達も皆あの人が大好きだったのは解っている。
そんな母の事を引き合いに出されて死んでいれば良かったと普段身の回りの世話をする侍女に言われた事、そして、今も会うたびに抱き締めてくれる父や兄もその方が喜ぶと言われた事がじわじわと心に染み込んできて、それ以上そこに居たくなくなったエリザベスは石畳の小道を闇雲に駆けだした。
いつの間にか木立に入り込み、周りを見る事も無しに走っていると、不意に周囲が開ける。
木立がぽっかりと開け、日光が降り注ぐ石畳の先には古びた小さな噴水があって、女神の担いだ水甕からこぽこぽとそそがれる水で満たされた小さな池の周りでは美しく整えられた花々が風にそよいでいる。
初めて来る場所だが人の気配が無い事に安心し、そのまま石を組んだ池の脇に座り込んだ。
「…………………………」
体を動かすのを止めると、先程聞いた言葉が再び頭の中に甦って来る。
胸の中の感情をどんな言葉にすればいいかも分からないまま、エリザベスはただひたすら唇を噛み締めて膝を抱え、じっと黙り込んだ。
泣くのは悔しいし、本当は今すぐ父に言いつけてあの侍女達を首にしてもらいたい。
だが、もし本当に、父や兄がエリザベスが死んだ方が良かったと思っていたら、と考えるとそれを行動に移せず、ただじっとしているすぐ脇で、不意に繁みががさりと音を立てた。
「っ! ……な、なに!」
風とは違う動きにびくりと身を震わせて誰何すると、再び繁みが揺れて、何か茶色っぽいものが現れた。
「…………ねこ……だったかしら……」
木の葉の影から現れたのは茶虎柄のずんぐりとした生き物で、触ったことは無いが遠目に見た事のある猫という動物に見える。
「…………なによ、わたくしに、なにかようなの? あなただって、どうせわたくしのことなんて、きらいなんでしょう?」
初めて間近に見る動物を警戒しながらじとりと睨んで言うが、猫は全く気にする様子も無く歩み寄って来るとエリザベスの横にどさりと体を横たえ、ふーっ、と長い息をつく。
「な、なによっ」
初めて間近に見た動物の行動が理解出来ず、困惑するが、猫は動じる事無く大きな欠伸をするともごもごと口を動かし、それから自身の腕の上に顎を乗せて目を閉じた。
「…………ねちゃったの……?」
困惑して聞くと褐色の目が片方だけ薄く開き、エリザベスを見てから再び閉ざされる。
どうすれば良いのか解らないまま見下ろしていると、エリザベスの腰に触れたふわふわの体からじんわりとぬくもりが伝わって来た。
その温かさに何故か胸が締め付けられて、我慢していた涙が不意に溢れ始める。
「ぅっ…………ひっく……っ……うっ…………うぇっ………………」
堰き止められていた感情が解放されるともう我慢できず、エリザベスは手で何度も目元を拭いながら咽び泣いた。
そうしてしばらく泣いていると、不意に膝に何かが乗る。
「っ、な、なによっ」
突然の感触に驚いて目を向けると、茶虎の猫がエリザベスの膝に前足を乗せていた。
目を真ん丸に見開いて猫を見ていると、その顔が近づいてきてフンフンと鼻をひくつかせ、そして涙に濡れたエリザベスの頬をぺろりと舐めた。
「ひゃっ……ちょっと、なにするのよっ……っ!」
生暖かいざらりとした感触に驚くも猫は引かず、幾度かエリザベスの頬を舐めては頭をぐりぐりと押し付けてくる。
何が何だか分からないが、攻撃されているのではないのは解ったし、ふわふわの毛並みが擦りついてくる感触は気持ち良い。
鼻を啜り、時折しゃくりあげながら恐る恐る体に触れてみると、その毛はふわふわとしていながらつるりとしていて、冬に着る毛皮のコートと似ているけれど、それよりもずっと暖かな体は触り心地が良かった。
少し撫でていると猫はその手に頭を擦り付け、幾度か掌を舐めてから、エリザベスの膝の上でころりと体を丸める。
「…………えっ、そこでねるの…………?」
丸くなるなり目を閉じた猫に狼狽する。
いつものエリザベスであればこんな意味不明な行動をする動物など放り出してしまうのだろうが、無性に寂しく、人恋しい気持ちになっていた為か、そんな気持ちになれないまま恐る恐る丸まった背を撫でた。
「へんなこね……。ねこって、みんなこうなのかしら……」
呟きながら撫でると、何やらごろごろと不思議な音がする。
体を曲げて耳を近づけてみれば、その音は猫の喉から出てきている様だった。
「びょうき……ではないのかしら……?」
亡くなった母の事を思い出して心配になったが、見ている限り猫は幸せそうにしているのでそのまま撫で続ける。
「……わたくし……おかあさまのかわりに、しんだほうがよかったのかしら……。おかあさまも……そうおもっていたのかしら…………おとうさまと、おにいさまも……」
病気から連想された母の事を考えながら、ぽつりと呟く。
一度止まった涙が再びぽろぽろと零れ始めた所で、不意に足音が響いた。
お読み頂きありがとうございました。
おおまかにストーリーは決めてありますが、勢いで書き始めたふわっと設定+初めて未完結で投稿し始めたので、途中で齟齬が出て来て微細に変更する場合があります。
大きい変更の場合はあとがきにて報告させていただきます。
また、短編の感想にて猫たちの去勢手術についてご心配いただきましたが、世界観が現代日本ではなくふわっとナーロッパ、馬車で移動している世界観なので、猫に去勢手術、という概念は存在しません。
猫も人も寿命が短い時代の話(魔法はある予定ですが)ですので、その辺りはふわっと読んでいただけると嬉しいです。
説明は作品中で、とも思いましたが、世界観的にその概念が無く、説明しようがない為あとがきにて説明させていただきました。
明日の13時に続きを投稿予定です。
また、本日13時に別の新作の一話を投稿しましたので、よろしければ作品一覧よりお読みいただけますと嬉しいです。
見切り発車ですが、よろしくお願い致します。