決意
遅くなりました。すみません。
「……これから先、お前の生活はとても厳しい物になる」
重い声で、父が告げる。
「エルンスト殿下は十二歳で立太子される予定だが、その婚約者である以上、いずれ王妃となる為の厳しい教育が王家から派遣される教師によって行われる。これは来週には人選を終えて教育が開始される予定だ」
「……わたくし、勉強は好きよ。だから、がんばれると思うわ」
沈む心をどうにか奮い立たせて言うと、父の目が細められ、優しくエリザベスを抱き締めた。
「更に、これも来週より王宮から侍女二人と男女の護衛十人も派遣されるが……これはエリザベスの私生活を監視する役目も持つ者達だ。アンナとユーナ、カトリーヌはこれまで通り傍に置くが、これからは常に彼らの目を意識しなくてはならない。それだけではなく、屋敷の外では全ての者がお前の一挙手一投足を見ていると、そう思いなさい」
つまりは、これまでの様に屋敷の中だからといってのびのび過ごす事は出来なくなる、と言う事だ。
実際にどれ程かは解らないが、心を休める余裕があまり無くなるのは想像出来た。
「……仲良くなれるよう、努力するわ」
「エリザベスならきっと仲良くなれるよ。侍女も護衛も、向こうが出した候補者から最終的な人選は私に任せてもらう事が決まっているからね。エリザベスと相性の良い相手を選ぶつもりだ。勿論猫が苦手な者は選ばないから安心なさい」
その言葉に、少し安堵した。
父が選んだ相手なら、冷たい人や信用できない人ではないだろうと思えたし、猫が嫌いでなければマリーと過ごしていてもそれ位は許してくれるだろう。
「職務に忠実な者達だから報告や監視に手を抜く事は無いけれど、皆、王妃となった後もお前に仕える予定の者達だから親しくなることも彼女らの任務のうちだ。時間をかけて、互いに理解し、信頼しあえるよう努力しなさい。監視については、最初の一年を過ぎて問題無いとされれば多少緩められる。勿論その後も定期的な報告に加えて何か問題とみなされる事があれば報告されるが、最初程ではないからね」
「はい。……あの、アンナは……わたくし、嫁いだ先にもついて来て欲しいと思っていたの……。でも、王宮では、むずかしいわよね……」
肩を落として言う。
姉の様に慕う侍女には嫁いだ先にもついて来て欲しいと何度か言っていて、彼女も笑って頷いてくれた。
しかし王宮となれば侍女として上がるにも条件が厳しくなるだろう。
「アンナについては、彼女の了解の上で去年から王宮侍女に足る教育を受けさせている。身分も男爵令嬢であれば問題無いからね。……エリザベスを誰よりも理解してくれる人が、王妃になった後も傍に仕えてくれるなら私も心強いと、去年のうちに話をしてあったんだ。お前について行ってくれないか、と」
快諾してくれたよ、と微笑む父に、エリザベスは思わず目頭が熱くなるのを感じながら抱き着いた。
「……あとで、アンナにお礼を言うわ……」
泣きださない様堪えながら呟くエリザベスの頭を父の手が撫でる。
「侍女のほかに、毒見役が二人派遣されてくる。……お前の食事は、今後部屋での菓子、茶を問わず全て毒見の上、しばらく時間をおいてから食べる事になる。そして、屋敷の中であっても護衛無しで歩く事は出来ない」
「……やしきの中でも、なの?」
驚いて問うと、ダンテスは嘆息した。
「今、中立派に未来の王妃になれる条件の娘はエリザベスしかいない。もしお前に何かあれば、次代の王妃を出す新興派が繰り上がる可能性がある。伯爵家の娘を侯爵以上の家の養子にする手はあるが、他の派閥にも年周りの良い、侯爵以上の家格の娘は複数いるからね」
「しんこうはに、狙われる、という事……?」
「新興派は勿論だが、正統派にも狙われるだろう。普通に考えればエリザベスを邪魔に思うのは新興派だ。だがエリザベスに何かあれば、新興派を犯人として攻撃し、勢いを削ぐ事が出来る。今は派閥間の大きな争いは無いが、伝統的に仲が悪いからね。何が切っ掛けで行動を起こすか解らないんだ。……だから、今後お前は常に命を狙われていると考えて行動しなくてはならない。……これが嫌で、どうにか回避したかったのだけれどね……」
恐ろしい現実に呆然としていたエリザベスは、それでも悄然とする父を抱き締める。
「わたくし、気を付けるわ。ごえいといつも一緒にすごすし、あぶないところには、行かないわ。食事がつめたくなるのは、あまりうれしくないけれど……」
「いずれこうなる事を見越して料理長に冷めても美味しく食べられる料理を色々と開発してもらっているし、保温の魔法が得意な侍女も確保しているからね。王宮や外の屋敷で食べるものについては致し方ないが、屋敷では出来るだけ温かく食べられるように工夫するから……堪えて欲しい」
父は申し訳なさげに言うが、それだけ早いうちからエリザベスが少しでも快適に過ごせるよう準備してくれていた父に、これ以上を求められる筈が無い。
心から感謝して、エリザベスは父の頬にキスを送った。
「だいじょうぶよ、お父さま。お父さまとお兄さまが付いていてくれるなら、わたくし、がんばれるわ。……アマルナ修道院には、もう行ってはだめかしら……」
ふと思った事を呟くと、父は少し思案する。
「公開礼拝の日は、止めた方が良いだろうね。間近に他の人間が多すぎる。だが、それ以外の人が少ない日に見学に行く分には護衛をしっかりと付ければ構わないだろう。幸い今の院長は国王陛下の乳母をしていた方だからね。その辺りの機微についても、お前に息抜きが必要だという事も理解してくれる筈だ」
「ほんとう? それなら、嬉しいわ……。エレオノーラさまは国王陛下の乳母をなさっていたの? お母さまと同じくらいのお年かしら、と思ったのだけれど」
確かに今の国王は父や母より年下だが、それでも今年二十六歳と聞いた記憶がある。その乳母だと言う年齢ではなかった様に思えた。
「……あの方は修道院に入ってからむしろ若返られた風でね……あれでももう、四十の半ばにはなっている筈だよ。エリザベスもお会いしたのかい?」
「………………そうなの……? ええと、礼拝でおはなしを聞いて、修道院の中でも少しお話ししたわ。とてもすてきな方だったの。…………わたくし、ね。もともと出来ないのは、解っているけれど……アマルナ修道院の修道女になりたい、って、そう思ったのよ。むりだって、知っていたけれど……もう、どうやってもかなわくなったのね……」
「エリザベス……」
苦笑して呟くと、父がぎゅっとエリザベスを抱き締め、いつの間にか近くに来ていた兄が背を撫でてくれた。
「だいじょうぶよ。……あのね、わたくし、今日、いろんな人に会って、お話をしたの。わたくしはレリックの領地にはほとんど帰った事がないけれど、でも、今日会った小物のお店のおばあさんやパイのお店のおじさんや、村の人達、きっとあんな人たちが、レリックの領地にも、他の領地にも住んでいるのよね」
「そうだね……僕は何度も戻っているけれど、似た雰囲気があるよ。領都は大きな街だからあそこまで純朴ではないけれど、それ以外の町や村は似た雰囲気だ」
エリザベスの言葉に兄が頷いた。
「……わたくし、しょうらいはレリック領と、お嫁に行った先の領の人達がしあわせに暮らせるようにするのが貴族のぎむだって、そう聞いたの。王さまと王妃さまは、もっと大きな、国ぜんたいを守るのがお仕事だって」
エリザベスの気持ちが沈んだのを察してか、父の膝に足を掛けてエリザベスの手に顔を擦り付けるマリーの頭を撫でつつ、考えながら言葉を続ける。
「そうだね……。うん。一番大切な役目が、それだね」
相槌を打ちながら、父がエリザベスの髪を撫でた。
「……わたくし、本当は王妃さまにはなりたくないわ……。とても、たいへんな事だとおもうの。だって、今日会った人たちだけでも、わたくしに、あの方たちのために何が出来るのか、わからないのに……」
貴族である以上、エリザベスもまた領民の生活や命、幸福へ対する責任を負っている、という言葉は、今まで教師達の言葉をなぞって知識として知っていただけのものだった。
しかし今日、貴族や屋敷の使用人ではない人々の生活を垣間見て言葉を交わし、彼らと同じ様な人々を自分が背負っているのだと、僅かながらではあるが実感した。
レリック領と、いずれ嫁ぐ家の領、双方だけでも大変な責任であると漠然としながらも理解し、それ故に、無意識にその責から逃れる修道女の道を強く望んだエリザベスは、いずれ自分が背負う物が二つの領のみならず、この国全ての民であると言う事実に怖気づく。
あの優しい老婆やその家族、礼拝に真剣に聞き入る子供達、その子供達を優しい目で見守り、手を引く親、穏やかな修道女達、そういった人々が自分の行動一つで苦しむことになるかもしれないのだと思うと、恐ろしかった。
しかも、自分が何の欠点もない立派な人間であるならともかくほんの二年前までは使用人にすら嫌われる様な我儘な子供だったことを、エリザベスは良く覚えている。
そんな自分が、もし昔の様に過ちを犯してしまったら、と思うと不安で仕方が無かった。
ただ、父から聞いた事情を考えれば自分以外には出来ないのも解る。
体の弱い令嬢に重い責任を押し付けて自分がのんびりと猫と遊んでいる事は出来ないし、怪しげな団体の横槍で国に何かが起これば、その時エリザベスは自分を許せないだろう。
それならば、自分が背負うしかないのだと幼いなりに理解はしていた。
「でも……どうしても、わたくしがならなくてはいけないのなら、今日会った人たちや、それから色んな猫や犬や、ほかの動物も、みんなしあわせになれるように、努力しようとおもうの。だから、お父さまも、お兄さまも、しんぱいしないで。……それに、そうね、きっと他所のおやしきにお嫁にいくより、王宮に住んでいる方が、お父さまにもお兄さまにもたくさん会えるわ。二人とも、毎日お城にくるのだもの」
ね、と微笑んで言えば、二人も微笑み、頬に口付けてくれた。
そんな軽い事では無いのは三人とも、特に父と兄の方がよりはっきりと解っているのだろうが、それでも二人を元気づけようとするエリザベスの気持ちを汲んでくれたのだろう。
「……わたくし、お父さまとお兄さまが安心してくれるように努力するわ。でも……三人だけの時には、いままでみたいに、甘えてもいい……?」
断られる事など無いのを解った上で問うと、二人は言葉もなく目を潤ませながらもエリザベスをぎゅうぎゅうと抱き締めた。
お読み頂きありがとうございました。
3時間ばかり投稿が遅くなってすみません。
感想にて話の順番についてご意見を頂きました。最初が勢いで書いた短編から展開して作っている話なので、その短編を最初に入れたのですが、配慮が足りず申し訳ありません。今後どうするか検討したいと思います。
執筆の為に睡眠をゴリゴリに削っているせいもあってか若干重めの展開ですみません。
初期になぜここまでエリザベスが嫌がっているのかあまり考えていなかった+書いているうちに責任感が強い子になったので、ほのぼのだけで進めるとあそこで逃げずに踏ん張りそうだったのでちょっと重めにしました。あと一話だけこの続きがありますのでお許しください。
ブクマが減る瞬間を見てちょっとへこみましたが書きたいように書く予定です。
明日分はもう出来上がっているので13時に投稿予定です。
宜しくお願いします。




