家族の晩餐
ほぼ料理です。
◇◇
「おかえりなさいませ、お父さま!」
大理石の階段を降りて広い玄関ホールに降りると丁度執事に迎えられていた父がいて、エリザベスの声に目を細めた。
「ただいま、エリザベス。……どうしたんだい、目元が少し赤いね……?」
歩み寄ったエリザベスを抱き上げたダンテスがまだ腫れが残る目に軽く眉を上げて問う。
「目にごみが入って、うっかりこすってしまったの。アンナが冷やしてくれたし、もう痛くないから、へいきよ」
優しい父に心配をかけたくなく、肩を竦めて言うと上手く信じてくれたのかどうかは解らないがそういう事にしてくれたらしく、苦笑して頬に口付けた。
「痛みが続いたり、腫れが引かないようならすぐにアンナに言って先生に診てもらうんだよ?」
母が病に倒れて以降、専属の医師を雇って屋敷内に住まわせている父の言葉に頷く。
「わかったわ。お父さま、今日は夕食を一緒に食べられるのよね? とても楽しみね」
父の腕に座り、その首に腕を回したまま運ばれながら言えば、ダンテスも微笑みを浮かべる。
「ああ。私もとても楽しみにしていたよ。……今日はエリザベスの好物を沢山作るよう言ってあるからね」
大人と子供の食事の夕食の時間は元々異なる上、ダンテスは仕事の為に遅くなったり、王宮で食事を取る事も多いから、家族三人が揃って夕食を食べられる機会はそう多くない。
まだ本格的に出仕している訳ではないフランツは王宮に行く日も学園に行く日も出来るだけエリザベスと一緒に食事をしてくれるが、彼にも色々と付き合いがあるので全ての日、とは行かなかった。
本来エリザベスの年齢であれば、貴族の妻として参加する夜会や社交の時以外は母親と食事を摂るものだがそれは出来ないし、小さな子供が一人で食べるのは寂しかろうという事で特例として他の家族が誰もいない時だけは、アンナや執事の妻と食事を摂っている。
幼い頃から知っている彼女らと食事を摂るのも楽しいが、やはり父や兄と揃っての食事は特別に嬉しい事だったから、先程の夢で少し沈んだ心がふわふわと浮き立っていくのを感じて自然と微笑んだ。
程なくして書庫に籠っていた兄も降りて来たので、一旦自室に戻って着替えや雑事を終わらせる父と別れて居間へ行く。
そこで兄と共に本を読んだりお喋りを楽しんでいると寛いだ服に着替えたダンテスが戻って来て、三人で食堂へと向かった。
客人がいる時は二十人座れる大きな食卓のある広く立派な食堂を使うし、他の貴族の家では家族の食事も同じような広い部屋と食卓で摂ると聞くが、レリック家では母が生前に希望した通り、家族だけの食事はもっと小さな部屋で摂る。
小さい、とは言っても庶民の感覚では十分に広いのだが、食卓は正方形で、エリザベスはともかくフランツ位の年頃になれば手を伸ばせば届く程の距離で座る事が出来た。
食卓は重厚な濃い茶色の木材に美しく彫刻を施してあり、それだけだと少々重いが季節ごとに違う色合いのセンタークロスを敷く決まりになっていて、それによって明るく華やいだ雰囲気を作っている。
今の季節は春薔薇の淡いピンクと若葉の緑の布に薔薇の刺繍をほどこしたものを、若葉色の布を両端に、真ん中に春薔薇の布を配置して縫い合わせてあった。
食卓の中央に置かれた花瓶は浅く、庭で咲いた季節の花……今日は白い薔薇が低く生けられているので対面にいる相手の顔も良く見えたし、切子ガラスの器に入れた小さな魔石灯がその周りに幾つか置かて暖かな光を揺らめかせている。
照明自体は天井から下がるシャンデリアや壁に据え付けた灯りで十分に足りているから食卓に置かれた物は単純な装飾に過ぎないのだが、朝はともかく夜の食事はそれがあるか無いかでがらりと雰囲気が変わるから、母が好んで置いていたのだそうだ。
四脚の椅子のうち、誰も座らない一つには愛らしい小さな花束と紅茶、焼き菓子が置かれていて、ここは母の席としていつも大切に扱われていた。
その向かいに父が、左側に兄、右側にエリザベスが座るとすぐに料理が運ばれてくる。
「美味しそう! 今日はずっとご馳走ばかりね。朝は修道院の近くでとても美味しいパイを食べたの。わたくし、手でパイを食べたのははじめてだわ」
「気に入ってくれたようで良かったよ。折角の楽しい日だからね。出来るだけ楽しく過ごして貰いたかったんだ。朝はどんなパイを食べたんだい?」
運ばれてきた料理を喜びながら初めて経験した出店での食事の事を話すと、父は目を細めて耳を傾ける。
そのまなざしに僅かな違和感を覚えながらも、エリザベスは問われるまま初めての経験を父に語り聞かせた。
王宮ではあまり落ち着いて話せなかったので、修道院の事やレストランでの事をエリザベスが話し、フランツが時折補足しながら和やかに会話と食事を楽しむ。
前菜の白身魚のカルパッチョは、さっぱりとした酸味のあるソースと皿に塗ったにんにくの香り、淡白な白身魚と添えられた野菜が良く絡み合い、食欲を刺激してくれる。
続くスープはオレンジが目に鮮やかな人参のポタージュで、鶏肉の出汁とミルクやクリームで濃厚に仕立てられたそれは人参の甘みと旨味だけが良く引きたてられていた。
魚料理は海老のフランベで、王都の一角に面した港で水揚げされる分厚い殻を持つ海老が、父と兄には大きなものを一尾ずつ、エリザベスには小ぶりな海老が半分で盛り付けられていた。
殻ごと真っぷたつに切られた海老の白い身を一口切り取って口に運ぶと、特有の淡白な甘みが独特な弾力を持つ歯触りと共に口一杯に広がる。
ほう、と溜息を零してそれを味わい、口直しにライチのソルベを食べると今度は肉料理が運ばれて来た。
肉料理は郊外で獲れた鹿肉のローストで、外側はこんがりとした茶色、内側は赤い肉にはフランボワーズのソースが掛けられている。
脂の乗った鹿肉は酸味のあるソースでさっぱりと仕上げられていて、下処理を入念に施し、臭みを全く残さない柔らかな肉はきめ細かく、噛めば噛むほど旨味が出てきた。
エリザベスが食べられる量を完璧に把握している料理人が程よく盛り付けてくれた料理を食べ終えるとデセールとしてオペラと呼ばれるショコラのケーキが運ばれて来る。
本来少し大人びた味のケーキだが、エリザベスの分は珈琲を少なめに、染み込ませる酒は酒気を飛ばしてから作ってあるので美味しく食べられる。
兄とエリザベスは紅茶で、父は琥珀色の蒸留酒でそれを楽しみ終えると食堂から居間へ移動した。
家族やごく親しい相手だけを通す居間は暖かな色調の壁紙や調度で揃えられていて居心地が良い。
一人掛けと三人掛けのソファや低いテーブルが置かれ、フランツは一人掛けのソファに、ダンテスは三人掛けのソファに座る。
エリザベスは少し考えてから父の膝元の床にぺたりと座ると、食事の終わりを見計らってアンナが連れてきてくれたマリーを膝に乗せて父の膝に頭を凭れさせた。
食事の最後に運ばれてくる小さな焼き菓子やショコラは大きな皿にたっぷりと盛られてテーブルに置かれ、ダンテスには蒸留酒、フランツには珈琲、エリザベスには紅茶を供されると、穏やかに言葉を交わしながら時折菓子を摘まみ、それぞれの飲み物を味わう。
春とは言え夜は少し冷えるので暖炉には火が入れられていて、パチパチと小さな音を立てて辺りを温めた。
父が新聞を、兄が本のページをめくる音と暖炉の音、膝に乗ったマリーの喉の鳴る音が心地よく、ほ、と溜息を零す。
不意に父の手が頭を撫でてくれ、見上げれば優しい目がこちらを見下ろしていて、微笑みが浮かんだ。
それと同時に、その緑の目に僅かに悲し気な色が浮かんだのを見とがめたエリザベスは、幾度か瞬いてから口を開いた。
「ねえ、お父さま。わたくしに……何か言いたいことがおありなのではないの?」
お読み頂きありがとうございます。
家族の描写を書くのが楽しくて長くなりましたが書けば書く程王子はほんと月の無い夜道にご注意を……となるばかりです。
昔の洋画で良くある、小さい女の子がパパやおじい様の座る椅子の膝辺りに座って寄り添ってる構図が好きすぎたので入れてみました。
面白かった、続きが読みたい、などありましたらブクマ・評価などよろしくお願い致します。
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明日も13時くらいに更新予定です。よろしくお願いします。




