夢
少し遅れました。短めです。
◇◇
まだ仕事が残っている父と別れて兄と共に公爵邸に戻ったエリザベスは、持ち帰ったお土産を近しい人には手ずから渡し、他の使用人達の分は執事に預けてから自室に戻った。
マリーのおやつを先に渡しに行った所、少々疲れを見せていたエリザベスを気遣ったトーマスが部屋に連れて戻って構わないと言ったので、今は彼女と共に寝台に横になっている。
普段より早く起きて支度をし、馬車に揺られ、初めての礼拝や修道院に興奮し、挙句王宮にまで赴いたのだから、緊張や興奮が落ち着いてくるとどんどん瞼が重くなって来るのも仕方がない。
部屋に戻ってすぐ、ソファに座ってマリーに話しかけながらも目をしばしばさせているエリザベスに気付いたアンナが寝間着に着替えさせてくれ、マリーと共に寝台に寝かせて天蓋を引いてくれた。
睡眠を阻害しない、ぼんやりとしたオレンジの光の魔石灯でほんのりと照らされた天蓋の中は暖かく、柔らかな布団を被ってマリーを抱いていると、気持ち良さげなゴロゴロと喉を鳴らす音と振動が伝わって来るし、時々みじろいだマリーの毛が頬に触れるのも心地よかった。
そのままとろとろと眠りに落ちたエリザベスは、夢を見た。
午前中に見回った修道院で、修道女の服を身に纏って暮らす夢だ。
見学したのは猫だけでは無く修道女達の生活についてもだったから、その夢はそれなりに具体的だった。
毎日神に祈りを捧げ、生活の為に必要な様々な事を自らの手で行い、礼拝で売る小物を作り、猫の世話をする。
夜には潜り込んでくる猫達と眠り、朝には共に目覚めて、辛い時も嬉しい時も猫が一緒にいてくれた。
料理や掃除の経験は無いからあやふやだったが、そこにはマリーがいて、アンナがいて、王宮にいたあの大きな黒い猫もいて、父や兄は修道院に入れないが会いに来てくれる。
そして、院長はあのエレオノーラだったが、同時に肖像画で見る母でもあった。
冷静に考えれば一人の人物が同時に二人の人物であるのはおかしいのだが、それは夢ならではの感性でそういう物だと納得していて、院長に対する憧れと母への思慕、双方を満たしてくれる。
お茶の時間には山積みのマカロンやナッツのお菓子が出て来て、それを父や母、兄と取り合いながら賑やかに食べた。
先程修道院に入れないと思っていた父と兄が一緒にいるのはこれもおかしい事だが、やはり夢なので疑問に感じる事も無く受け入れ、父の手から薄緑のマカロンを奪い取る母を見て兄とくすくす笑い、膝の上のマリーとあの黒猫を撫でて、幸せな溜息を零す。
夜、黒猫やマリーと修道院の小さな部屋にいると扉が叩かれて、扉を開ければ暖かなミルクとマカロンを持った母であり院長でもある人が微笑んでいた。
見学した時に見た小さな寝台に二人並んで座り、母の膝に座ったマリーとエリザベスの膝に座った黒猫を撫で、暖かなミルクを飲み、マカロンを味わいながらいろいろな話をする。
会話の中身は曖昧で、何の話をしているか解らないがとても楽しくてくすくす笑うと、母の優しい腕がエリザベスの肩を抱いて引き寄せ、額に優しくキスしてくれた。
愛しているわ、と柔らかな声が囁いて、胸がぎゅっと苦しくなった所で、ふと目が覚める。
「……………………ゆめ…………?」
先程までいた古びた修道院では無く、柔らかな明かりに照らされた天蓋を見上げている事に気付いたエリザベスは、ぽつりと呟く。
傍らには眠るマリーのぬくもりがあり、布団は夢の中の少しごわごわとした綿ではなくすべすべとした柔らかな絹だ。
羽根を詰めた寝具は心地よいが、夢の中で暮らした修道院の小さなベッドと猫達に囲まれ、そして母がいたあの暮らしに比べるとさしたるものでも無い様な気がしてくる。
「おかあさま…………」
呟くと同時に目頭が熱くなり、見る間に盛り上がった透明な液が頬を伝って零れた。
「……お母さま………………」
私も愛しているわ、と伝える前に目覚めてしまった事が、もうそのぬくもりが傍にはいない事が悲しく、エリザベスは体を小さく丸めたまま声を殺して泣く。
三歳でいなくなった母は傍に居ないのが当たり前になっていたが、今日は修道院でエレオノーラに母の姿を重ね、同時に父や兄からこれまで知らなかった母の話を聞き、更には夢で言葉を交わしてしまったせいか、無性に悲しく、寂しかった。
寂しさに耐えられず、鼻を啜りながらすすり泣いていると、目覚めたマリーがのそのそとやって来て頬を舐め、体を摺り寄せて来る。
「……マリー……愛しているわ……。あなたはずっと、そばに居てね……」
抱き締めたマリーに母がしてくれたように額にキスし、囁くと、目覚める直前に聞いた優しい声が甦って再び涙が溢れた。
そうして一しきり泣いていると、天蓋の外からアンナの声が掛かる。
「お嬢様。もうじき旦那様が戻られますので……あら……どうなさいました……?」
体を起こしたエリザベスの顔を見たアンナが目を丸くし、心配げに尋ねた。
「………………お母さまの夢をみたの……」
鼻を啜りながら小さく言うと、僅かに目を眇めたアンナはそっとエリザベスを抱き締めてくれる。
「きっと、奥様がお嬢様に会いに来てくださったんですね」
「……そうなの?」
アンナの言葉に首を傾げて問うと、アンナは微笑んで頷いた。
「亡くなった人が、目覚めた時に泣いてしまうほどはっきり夢に現れた時は会いに来てくれたのだと言う話を聞いた事がありますよ。私の上には亡くなった兄がいるのは前にお話しましたっけ。私の両親も時々泣いた目で起きて来ました。兄が会いに来てくれた、と言って、目は真っ赤なのに嬉しそうでしたね。……きっと、奥様がお嬢様に会いたくて、それで会いにきてくださったんですよ」
「そう……そうなのね……。会いに来てくれたのね……」
言いながら優しく背を撫でてくれるアンナに頷き、ぎゅ、としがみ付く。
そのまましばらくじっとしているうちに気持ちも落ち着いてきて、それを見計らったアンナが厨房から氷を運ばせ、目を冷やしてくれた。
寝間着から平服に着替え、泣いて喉が渇いただろうから、とアンナが用意してくれた冷たい林檎の果汁を飲みながら、先程見た夢のことを考える。
エリザベスは、自分が高位の貴族に生まれた事、そうである以上生まれながらに義務を背負っている事は、まだ完全にではないが理解していた。
その義務がいずれどこかに嫁いで、レリック家と嫁いだ先の領民の為に生きる事、それゆえに今こうして人が羨むような生活が出来ている事も、やはり漠然とではあるが解っている。
それでも、夢の中で見た修道院の生活はとても幸せで、魅力的だった。
修道院に母はいないし、あの黒猫もいないし、アンナも多分一緒には来ない。マリーはトーマスの猫だから、つれては行けない。
変わらないのは父と兄が会いに来てくれる事位だろうし、人に仕えられる事に慣れているエリザベスが自分の手で料理をし、掃除や洗濯、猫の世話や汚れ仕事も全て賄うのは、きっと想像の何倍も、いや何十倍も大変な事だろう。
だが、学べば学ぶほど見えてくる貴族として負う義務の重さや、今日少しだけ目にした宮廷での付き合いの難しさ……これは王子達との関りだけではなく、歩いている最中に耳に挟んだ貴族や官僚たちの会話から察した物もおおいにあるが、いずれその中で自分も泳がねばならぬのだと思うと気持ちが落ち込んだ。
「……アマルナ修道院の修道女に、なれればいいのに……」
ぽつり、と呟けば、あやふやだったその想いはすとんと胸の中に落ちてきて、確かな形を成した。
「……お嬢様、それは旦那様が泣かれますよ……?」
呟きを耳にしたアンナが困った顔で言い、エリザベスは苦笑する。
「わかっているわ。でも、夢を見るのは自由でしょう? お父様には内緒にしてちょうだい」
エリザベスの言葉にアンナはほっと胸を撫で下ろし、頷いた。
「わたくしはいずれ、家格の合うかたのところへおよめにいかなくてはならないの。わかっているわ。……わたくしが修道女になれるのは、それこそ世界がひっくり返りでもしなければ、無理でしょうね」
その天地がひっくり返る様なチャンスが将来訪れる事などつゆしらず、確かな、しかし叶わぬ夢を抱いてしまったエリザベスは溜息を零す。
せめて嫁ぐ先があまり厳しくない家で、猫を飼うことを許してくれる家で、尊敬出来る相手であればいいな、と、まだ夢見がちでも許される年齢でありながら達観した事を考えていると、父の帰宅が伝えられ、エリザベスは大好きな父を迎えるべく部屋を後にした。
お読み頂きありがとうございました。
13時を少し回ってしまいました。すみません。
書き始めて3時間くらいあったのに頭痛が激しくてあまり筆が進まず予定していた所まで書けませんでした……。悔しいです。
昨日エリザベスの両親の話を考えていたら一本位の話が出来上がったのでそのうち別作品として書こうと思います。
ブクマ、評価、誤字報告いつもありがとうございます。
続きが読みたい、面白かった、などありましたら評価・ブクマをしていただけますととてもうれしいです。
メッセージで「人名が英国で料理が仏語なのはいかがなものか」と頂いたのですが、その、英国の料理ですとこう、ぶっちゃけて言えない位アレなのと、昔の英国の貴族は古い時代からフランス人の料理人を雇っていた歴史もあるので出て来る料理はフランス料理を基本にしました。
あんまりガチガチにやるとフォークも無いしパーティはナイフ持参か複数人でナイフ共用だしお皿は固い薄切りパンだし下手したらテーブルに彫ったくぼみにスープ直接注いじゃうし軍艦の支給品ビスケットには虫が湧いてスープにはウジ虫が泳ぐ事になるのでその辺はふわっと……でやる予定です。私も忘れがちですが乙女ゲーム世界ですし。そういうのも別の話でそのうち書きたいですが。
そのうちドイツ、イタリア等の料理や北欧料理、あと……もしかしたらうなぎの煮凝りみたいなやつも出てくるかもしれません。フィッシュアンドチップスはそのうち出します。中東系もなんか機会を見付けて出したいです。
明日も13時くらいに更新できるよう頑張ります。ストック作ります。




