黒虎猫?との出会い
「まあ……! なんて大きな猫ちゃん!」
藪の端にいたのはがっしりとした足の太い猫で、修道院に居た成猫と比べてもかなり大きな部類に入る様に思える。
こちらに向いた背中は黒っぽいが、よく見るとその中に金色の虎柄が入っていて、錆柄ともまた違う、修道院でも公爵家の庭でも見た事の無い模様をしていた。
しかし猫好きにとってどんな色柄でも猫は猫、可愛い事に違いは無い。
まだこちらに気付いていないらしい猫を驚かせないよう、離れた場所にそうっとしゃがみ込むとごく小さな音で舌を鳴らした。
その音にはっと振り向いた猫と顔を合わせ、エリザベスは目を見開く。
「なんて大きな琥珀色の目なの……! とってもかわいいわ……! ああ、ごめんなさい。わたくし、あなたにひどい事をするつもりはないのよ。逃げないでくれると、うれしいわ」
僅かに身を低くし、警戒を見せる猫に愛情を示す仕草として教わったとおり目を細くし、落ち着いた声で話しかけてみる。
猫に人間の言葉が通じているのかは解らないが、無言でいるよりは何か伝わってくれるような気がするのでエリザベスはいつも猫達に話しかけていた。
マリーなどはエリザベスが話している間神妙にこちらを見詰め、話し終えるとにゃあと鳴いてくれるので、通じているのではないかとエリザベスは思っている。
新入りの侍女などには奇異の目で見られるが、こればかりは譲れないのだ。
「わたくし、お兄さまのご用事がおわるまで、おにわで待っていなくてはいけないの。あなたさえよければ、遊んでくれるとうれしいわ」
心の底から湧き上がる愛しさを惜しむことなく表して微笑むと、しばし硬直していた黒い猫は警戒を解いた様で、そろそろとこちらに歩み寄って来る。
微動だにせずに待っていると草原に座るエリザベスの膝元まで猫がやってきて、じっとこちらを見上げた。
金色の大きな目に微笑みかけ、そっと指先を向けるとやはり大きな鼻がふんふんと匂いを嗅いでから、頬を擦り付けて来る。
「ふふ、いい子ね。撫でてもいいかしら……? あら、あなたお耳がすこし丸っこいのね。お顔のまわりの毛もふさふさできもちいいわ……」
心地よい感触に微笑んでからそろりと手を動かすと、抵抗や警戒が無いか確かめながらも擦り付けられた頬を撫でた。
「とてもかわいいわね、あなた。わたくしはエリザベスと言うの。レリックこうしゃく家のものよ。あなたのお名前も解るといいのだけど……くびわは無いけれど、けなみもきれいだし、王宮で飼われているのかしらね……?」
語り掛けながら少しずつ撫でる範囲を広げていくと、猫は気持ち良さげに目を細めてぐるぐると唸る。
喉は鳴らないが、あまり喉を鳴らさない猫もいると聞いているから多分この猫もそうなのだろう。
エリザベスの腕ほどに太い足だけでは無く首も太いからか聞きなれた猫の声よりも少し低く、そこがまた可愛かった。
見る者が見れば大きな猫ではなく虎の子だと解っただろうが、この国には虎は生息しておらず、エリザベスはその名しか知らないので完全に大柄な猫と思い込んでいたし、離れて見守る侍女と衛兵には距離と草原の草が邪魔をして、やはり大きな猫と勘違いされている。
「そうだわ、わたくし、今日とてもよいところに行ったの。アマルナ修道院といってね、猫の天国のようなところなのよ。そこで、いいものを買ってきたの。あなたも気にいってくれるとうれしいのだけど」
言いながら、提げて来た袋から猫の玩具を出して棒を手に持ち、黒い猫の前で紐に吊るされた鳥を揺らして見せる。
すると、大きな目をぱちくりと瞬いていた猫はふんふんと鳥の匂いを嗅いでから前足で軽くそれを叩いた。
「反応したわね……! えいっ!」
驚かせない様ゆっくり立ち上がり、気合の声を放って素早く動かすと猫がそれについてぴょんと飛び上がり、小鳥を追う。
大きく開いた口から立派な牙が覗き、大きな猫は牙も大きい物なのね、と感心しながら修道院で教わった通り、猫が喜ぶ緩急をつけて玩具を動かした。
思わず高い声をあげて笑いながらしばし遊ぶとエリザベスも猫もすっかり草臥れ、肩で息をしながら再び草原に座り込む。
「はぁ……はぁ……ごめんなさい、もうくたくたになってしまったわ……」
他に人の姿が無いのを良い事に猫釣りを心行くまで楽しんでから疲れ果てて座り込むと、猫が小鳥を抱えたままエリザベスの膝に縋り、くすりと笑って手を伸ばし、その首の後ろのふかふかとした毛を撫でた。
「ふふふ、この小鳥、ずいぶん気に入ったのね? あなたがもって帰られるならさしあげるのだけど……」
マリーは気に入った物を咥えて自分の気に入りの場所に集めているから、この子も出来るのではないかと思いながら呟くと、じっとエリザベスを見上げた猫は前足で小鳥を引き寄せ、抱え込んだ。
「ほしい……みたいね? いいわ、あなたとわたくしの、出会いの記念よ。大切にしてちょうだいね?」
微笑んで言えば、猫は、ぐるる、と風変りな鳴き声をあげて嬉し気に小鳥に顔を擦り付ける。
「あなた、とてもかしこい子なのね。修道院の仔猫たちはあっというまにおもちゃを壊してしまったけれど、まったく壊れていないわ」
ふと気づいて猫が抱え込んだ小鳥を拾い上げて眺めると、かなり激しく遊んだはずなのにほつれの一つも見当たらない。
感心しながらも伸びあがって小鳥に鼻を寄せる猫に玩具を返してやった。
「まだお茶の時間にはよゆうがあるから、あなたさえよければここでいっしょにあそんでくれるかしら?」
大事そうに小鳥を抱え込む猫を撫でながら言えば、ガウ、と鳴き声が返る。
それを承諾と取り、よいしょ、と掛け声を掛けてずっしりとした猫を抱き上げた。
少し驚いたようにもがく猫を膝に抱え、落ち着くまで撫でて宥めてから、母がかつてそうしてくれたように額や頬にキスを落とす。
「あなたがお城の猫じゃなければ連れて帰りたいくらい可愛いわ……! しっぽがとても長いのね。マリーの尻尾は少しみじかめで、でもそこがかわいいのよ。あなた、しっぽまで太いのね。触ってもいいかしら……?」
何故か硬直して動かなくなった猫を訝しみつつも、抱き締めてふかふかの毛並みとお日様の様な良い香りを堪能し、その間にも何度か頬に口付けた。
長くて太い縞々の尻尾が魅力的に過ぎ、そうっと触れてみる。
疲れてしまったのか、前足の間に顔を埋めてしまった黒猫の様子を伺いながら触れてみても抵抗は無かったのでマリーや他の猫よりずっと太い尻尾の感触を心行くまで楽しむ。
尻尾だけでは無く太い手足やぽっこりしたお腹を撫でまわし、体に見合った大きな肉球をぷにぷにと押し、顔の周りは長毛種のようにふさふさと、胴の辺りは短毛と長毛の中間程の長さの毛並みを堪能してから顔を埋めてお日様のような香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「はぁ……かわいい……」
もはや賛美の言葉すら思い浮かばず、ひたすら可愛い、可愛いと繰り返しながら撫でまわす。
どうやら骨格全体がエリザベスの知る猫よりもがっしりとしていて力強そうなのに、こんなに大人しいなんて素晴らしい、と思いながら、ふっくらとした顎を指先でくすぐると、琥珀色の目が気持ちよさそうに細められた。
自分の部屋なら一緒にベッドや長椅子に転がってしまえるのに、と思いつつも、離れた場所からこちらを見ている侍女と護衛の目を意識し、辛うじて抱きすくめるだけで済ませながらも嫌がられないのを良い事に撫でまわし、頬や額に口付けると、猫の方からも頬や瞼に擦りついてきて、くすぐったさに笑みが零れる。
そうしてひとしきり遊んでいるうち、すんなりとした長い尻尾が落ち着かなさげにぴしぴしと辺りを叩き始めたので、そっと解放してやった。
「ごめんなさい、ちょっと長すぎたわね。いやだったかしら……?」
猫はあまり構われるのを嫌う物だから、調子に乗り過ぎた、と申し訳ない気持ちで眉を下げて尋ねると、何やらうにゃうにゃと唸っていた猫は少し沈黙してから再びエリザベスの膝に前足を掛け、頬に頬を摺り寄せてくれた。
「よかった。怒ってないのね」
まるで人間が親愛のキスをするように唇で、ちゅ、と頬に触れた感触にほっと安堵しながら言うと、膝に乗っていた前足が伸ばされて頬に触れる。
体が大きいと肉球も大きいのか、今まで見た事無い程ぷっくりとした肉球の感触に頬を緩めていると、不意に草原を誰かが走る気配がしてそちらへ目をやった。
「こらっ!!!!!! その子から離れろ!!!!」
怒鳴りながら走って来たのはエリザベスと同じくらいの年頃の金髪の少年で、その後ろからは大きな犬が数頭、こちらは少年に合わせた速度で走って来ている。
突然の事に驚いていると、同じ様に驚いたらしい猫が低く身をかがめ、ちらりとエリザベスの顔を見てから小鳥の玩具を咥えたままぱっと身を翻した。
「あっ…………!」
お茶の時間まで一緒に過ごすつもりだった猫の方を見やるも、ごく優しくエリザベスの頬を尻尾の先で撫でた猫はすぐさま藪の中に飛び込んでしまい、がさがさと暫く揺れてからその気配を消す。
「あぁ………………」
酷く残念な気持ちと、急に猫を驚かせた少年への憤りを感じつつも何故あんな事をしようとしたのか問い詰めるべく、少年の方へ顔を戻した。
お読みいただきありがとうございました。
昔サファリパークでホワイトタイガーの子を抱っこした事がありますが、大きさは成猫なのに足の太さ、鼻と目と牙の大きさ、骨の太さが猫とは全く違うもののぽんぽこしたお腹も暴れ方も仔猫と似ていたので、それを思い出しつつ書きました。でっかい猫は本当に可愛いです……。
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ストックほぼ無しギリギリ投稿なので胃に良く無いです。
昨日から某江戸城と邪馬台国を同時進行しているので余計に大変ですが明日も13時投稿出来る様頑張ります。




