なろうの機能を使った誤字報告~応援の気持ちを添えて~
みなさんは小説を読んでいるとき、誤字や脱字って目に入ってきますか? 私は、わりと見つけられる方だと思っています。
自分の文章で誤字などが見つかるのならいいのですが、人様の小説を読んでいるときの方が目に入るんですよねぇ、これが……。
作者さんに伝えていいのか、ドキドキしてしまいます。そもそも私の方が間違ってないか、みたいな疑心暗鬼も生まれてくるんです。
そんなときに便利そうなのが、誤字報告という機能。使う前にサイトのマニュアルを読みましたが、先達のみなさんがどう使っているのかも気になりました。
そこでちょっと検索してみたのですが、ぱぱっと5、6本は誤字報告もののエッセイを見つけられました。なろうのエッセイ部門というのはすごいですね。おかげさまで私も、今回のエッセイが書けます。
それらのエッセイと感想欄を読んでみると、この誤字報告機能はわりと最近できたもののようですね。以前は感想欄に誤字を報告していたんですか。
……まあ、それがらみでトラブルがあったのでしょうね。なんとなく想像できます。
そういう歴史があるからか、誤字報告に関するさまざまなエッセイでもこの機能は評判がよかったです。その中でも、私が「なるほど!」と思ったのは次の3点でした。
(ア)誤字報告のメッセージが、第三者の目に晒されることがない
(イ)一つの該当箇所に対して、二通り以上の直し方を提案できる
(ウ)本当にその指摘を直すかどうかは、作者の手にゆだねられる
(ア)については、やはり誤字報告は、誤りを指摘されるというセンシティブな側面もあるから大事なのでしょう。
どうしても凹んじゃう指摘や、普段は大丈夫でも、精神的に動揺しているときに見たら「うっ」と来る指摘があるかもしれません。(たぶんその辺りは、作者の自衛というテーマにつながっていくのでしょうけど。)
作者さんが凹んじゃうかも? と思うと、報告者としてもけっこう気を使います。ところがこの誤字報告機能は、誤字脱字などを知らされるのが嫌ならば、受け付けない設定にできるのです! しかも感想欄には誤字脱字報告はこの機能を使うように促されています。
受け付けない設定にされていれば、作者さんの誤字報告に対するスタンスに対する最低限の判別はできますね。機能実装以前の作品はデフォルトでは誤字報告をしない方になるようなので、それに気づかなかった場合は別ですが、一定の基準にはなるでしょう。誤字報告機能を閉じているなら、誤字に気がついても何もアクションを起こさないようにしようと思います。
加えて、第三者が見て「あ、あの報告直してないな」って判断されないのは、作者と報告者両方にとって、心の負担が減ると感じます。センシティブだからこそ、感想欄に書くと報告者としても文章表現に気を使ってしまうんですよね。でも誤字報告なら、ただ送ればそれで済みます。
(イ)と(ウ)は、作者として考えるとけっこう嬉しいですね。いろいろな直し方がわかるのは勉強になりますし、その指摘は合っていないと思えば適用しなければいいですし。
報告者として考えると、やはりあれこれ説明せずにただ修正案を送ればいいので楽だと思います。特に「たぶん誤字脱字だよなこれ?」というときの、報告のハードルは下がります。
しかし慣用句が間違っているときや、文中独自の用語表記に揺れがあるとき、文章作法や表現への指摘に、片足をつっこんでいるようなときは「どこまでが誤字なんだろう」と、かなり迷います。
具体例は自分で作ってみましょうか……
顔の皮の厚さは誰にも負けないと評判のクラークが、机にトールカップを静かに置いた。その後すぐ、机は一息に飲み干した。やるせなさも恨み言も、一緒に呑み込んだかのようだ。クラークの口の端がかすかに濡れていて、かすかにゆがんでいて、聖なる言葉を紡いでいるかのようだった。クラークは机に向かってささやいた。「俺の娘を助けてくれ――」
空のドールカップに消えていった、かぼそい祈り。あまりにも我慢していたので、誰にも聞き取れないので、それを聞き届けられるのは神様だけのようだ。ただひとり、ラルフを除いては。
……みたいな?
文章がつまらないなどという心の声はさておき、こういうのは何をどこまで報告するのか難しいなあと思います。先達のみなさんはどうされるんでしょうね?
たぶん誤字報告というよりは、感想欄の気になる点やメッセージで送るような手の方がいいのでしょう。というか何度か文例を読み直していくうちに、もうこれはこれでいいかな? という気持ちになってきましたね……。
まあなんにせよ、これも表現だよね、と思える箇所は別に報告しなくていいでしょう。誤字ではあるけど、すごく文章にハマっているみたいなのは「もうそれがいいよね」って思いそうです。
ところで私が誤字報告をするときは、作者さんが編集されるから別にいいのですけど、せっかくなら、ボタン一押しで適用して済むような、意に沿う報告にしたいんです。
たとえばですが、誤字の修正はひらがなでいいのか、漢字の方が作者さんの好みに合うのか? 文の雰囲気を考えるとカタカナは違うだろうし……、みたいな想いが生まれてきます。
ましてや何か余計な一言を入れてしまったら適用ボタンひとつで修正もできないし、なんとかさっと終わらせられるような修正案を模索します。
実は私と同じようなことに心を配っている先達の方々がいらっしゃって、勝手ながら嬉しく思いました。そうした方々の中には「こういう見方もあるのだなあ」というご意見がありました。
私なりの言葉にしますが「誤字報告は、読者による作者への応援」というものです。催促ではなく、ましてや命令でもありません。感想を送ることを、作者さんへの贈り物のように考えている私としても、納得できるご意見でした。
自分の胸に手を当てて考えてみれば、たしかに私も報告をありがたいと思っています。その一方で、どうしても間違えてしまったことに恥じる気持ちもあります。それでも私が誤字報告機能を開くのは、やはり、作品を良いものにしようとする気持ちを受け取りたいからだと思います。そこには「あなたの作品を見ているよ」という、応援や愛を感じているといえるかもしれません。
それではセンシティブな側面を持つ誤字報告を、作者さんへの応援として届きやすくするにはどうしたらよいのでしょうか?
これまでの経験を振り返ってみて、私は以下の4つの行動と誤字報告をセットにしたらよいのではないかと考えました。
1.作品の良い点についての感想を書く
2.活動報告にコメントする
3.ポイントをつける
4.ブックマークをする
そして以上のことを、誤字報告をするときにやってみました。
やってみた感触としては、けっこうやりやすいように思いましたね。というのも、私の場合は誤字報告できるほど読んでいるときは、だいたい感想も書いていたからです。ただし下二つの行動は一回こっきりなので、基本的には感想を書くのが主になっていました。
感覚としては、誤字報告で凹むかもしれない分、幸せと今後のつつがない執筆活動を祈る気持ちです。
すると逆に、私にとって嬉しいことが増えました。
作者さんからお礼の感想返しが届いたのです。いやもう、それが本当に嬉しかったんですよね。相手のためになったのかな、喜んでもらえたんだな、よかったなぁ、みたいな感じでした。
もちろんこれからずっとそうとは限りませんし、ただその作者さんたちが誤字報告が好きな方々ということなのかもしれません。それでもいいんです。誤字報告も私からの贈り物なので、送信した後は作者さんのものです。自由にしてくださってかまわないので、捨ててもいいし、そのまま適用しなくてもいいのです。
このように誤字報告をしたら、もっと嬉しいことも感じられました。それは小説を読むのが、より楽しくなったんですよ。もちろんあら捜しではなくって、一層読書を楽しんでいるような感覚というか……。誤字脱字を見つけたらどうしようか、報告しようかどうかを気にしなくなったからでしょう。素直に物語を楽しめています。
誤字報告を喜んでいただけた方の小説は、特に楽しいですね。ある意味では、世の中に公開された物語を良くしていける伴走者――少しおこがましいかもしれませんが――のような感覚でしょうか。作者さんそれぞれのスタンスが最優先な上で、これからも誤字報告と4つの行動をセットでやってみたいなと思います。
これで誤字報告に関する私のエッセイは終わりですが、ここまで書けたのも先達のエッセイと感想欄のご感想のおかげです。参考にさせていただいたいくつかのエッセイは「検索ワード:誤字報告 ジャンル選択:エッセイ」で探すことができました。このテーマについて興味を持たれた方は、探してみていただけたら幸いです。