第陸話 遠征前
「じゃあ、ちょっと雑用というか、1年がやる事を教えるよ」
あの出来事で延期になっていた校内戦も終わり1週間がたっていた。
校内戦の結果は仲野が全勝で1位、2位が日野、3位が同率で丸尾、鍋田、坂本であった。
ちなみに朱祢は、堀田と、3年女子の村田にのみ勝ち、それ以外には負けた。
つまり、2勝9敗である。(波音とは再戦となり、そこで敗北した。)
仮入部も終わり、正式に男女合わせて5名が剣道部に入った。
今は道場横の水道にて、2年の武田が、1年全員に説明をしている。
「キーパーとコップを、このスポンジで洗う。底から縁までしっかりと洗って、あとは水気を少し切ったらこの乾かすためのトレイに入れてね。あと、ここは外部活の人たちだったり、弓道部も使うから、譲り合いをすること」
剣道部では男女共有のキーパーがあり、誰でも水分補給ができるようになっている。
で、そのキーパーとコップを部活終わりに洗うのが1年生の仕事らしい。
武田が説明している最中、朱祢はずっと千冬のことを見ていた。
何故気にしていたのかは、レクリエーションの試合の後、部室での出来事である。
□
「君たちさあ、本当にあだ名とかないの?」
堀田がしつこく聞いてくる。
鍋田と近野は本当にないらしく、しつこい堀田に対して、少しいら立っているように見えた。
だが、そんな中、朱祢だけが唯一平静を装っていた。そんな朱祢に気づいたのだろう。矛先を朱祢のみにしてきたのだ。
「ねえねえ、アカネくぅん、君平静を装っているけど、何か隠していない?」
堀田が、ニヤニヤした顔で朱祢に問い詰める。
「本当に何もないです!ちょっと先輩、気持ち悪いですよ!」
このまま秘密を隠し通そうと思っていた。
しかし、堀田には面白いものを見つける才能とか、そういうものがあるらしくしつこく聞いてきて、切り抜けられそうになかった。それを見ていた坂本は
「姫ですよ」
「ヒデ!?裏切ったなお前!」
坂本は見るに堪えなかったのだろう。それかこれが一番良い方法なのだと判断したか。
「んー?でも姫なら別によくね?そこまで隠してたんだから何か理由があるんでしょ?」
またも聞いてきた。朱祢は困ったような顔をしたが、この状況を切り抜けられないと思い、ため息を吐いてから話し始めた。
「俺、見た目こんなんだし、声も女みたいじゃないですか」
「そうだね、学生服着てなくてジャージだったら女子部室に誘導してたと思う」
日野の言葉に思わず苦笑いをしてしまう。父親譲りの赤髪がかった茶髪、それが肩近くまで伸びていて、さらに顔も中性的ならば、女子に間違われても仕方がない。
「で、学芸祭で俺のクラスが竹取物語やることになって、女子がノリで俺をかぐや姫に推薦したんですよ」
「断ったの?」
「断りましたよ。でも、なんていうか、圧がすごくてですね、押し負けてやることになりまして、やると決まった以上は本気でやろうと思い、渾身の演技でやったら、なんか付けられました」
「え?そんだけ?」
「そんだけです...]
堀田は、思ったより面白くなくてがっかりとしていた。
が、ここでまた裏切り者が口を開く。
「こいつ、その演劇が原因で告られたんすよ、男子に」
「おいヒデ!?」
1番隠したい部分を隠して切り抜けようとしたのに、計画は失敗に終わった。
そして今までがっくりしていた堀田が、腹を抱えて笑い出した。
「男に告られたwww いいねその話」
「もう!隠そうとしてたのにー」
「乗り越えろ、アカネ」
そう言い、坂本は朱祢に向けた親指を立ててきた。その表情に悪意はない。殴る気持ちも湧かないのである。
告られたときは本当に戸惑った。しかも本気だったのだ。断った。だが告白の言葉が今でも忘れられない。
(あなたのおかげで性癖が変わりました。付き合ってください!!!ってなんだよ...)
朱祢にとっても黒歴史だが、相手側にとっても黒歴史になっただろう。
「まあこれからも頑張ろうぜ、姫ちゃん!」
汚い笑顔で親指を立てている堀田を正直、殴りたかった。先輩に対して殴りたいと思うのを初めてかもしれない。
「まあ、俺のことはゲロ田先輩って呼んでいいからさ!そしたらWin-Winじゃん」
「呼んでいいって自分で言ってる時点でWin-Winじゃないです!」
朱祢は、ゲラゲラと笑う堀田とは逆に、困った悲鳴を上げた。
(なんだかとても疲れた...あ、ひとつ気になることがある)
「鍋田君、仲野さんってあだ名とかあるの?」
「なんで俺があいつのあだ名知ってなきゃならねえんだよ」
鍋田は、チンピラのような見た目をしており少し怖かった。なんというか、ダンスパフォーマンスをしているグループにいそうだった。
「そ、その、仲野さんとしゃべってたから...」
「・・・ああ、中学の同級生だからな。知ってるよそんくらい。ただな、本人の前では絶対に言うんじゃねえぞ」
「?わかったけど...なんて言われてたの?」
鍋田は一瞬ためらってから口を開いた。
「ゴリラ」
「へ?」
あまりにも不相応なあだ名に、思わず気の抜けた声を出してしまった。
今まで腹を抱えて笑っていた堀田も気になったのか、話に入ってきた。
「なんであんな美人にそんな名が?」
「それがだな…」
「あ!実はビッ〇でバナナ大好きとか!」
場の空気が凍り、全員引きっった顔を堀田に向けた。
「・・・すいませんでした。」
その謝罪を聞いたあと、鍋田は話を続けた。
「あいつめちゃくちゃ力があるんですよ。そこから筋肉ムキムキなんじゃないかって推測されてですね、それでいつの間にかゴリラになりました」
確かにすごい力だった。いくら朱祢が小さくて軽くても男である。しかもそれなりには足の力はつけてきたつもりではある(もちろん脚に自信があるわけではない)。その朱祢をいとも簡単に崩した仲野は、馬鹿力と思われても仕方がない。
「ゴリラ・・・」
「おい、絶対にあいつの前では言うなよ。言ったらお前も俺も殴られるからな、わかったか...んーっと姫ちゃん?」
「朱祢だよ!あ・か・ね!名前わからなくても垂れネームあるから苗字はわかるじゃん」
「さくま、だっけか?かなり珍しいよな」
「そうだね、中々いないと思う」
「初めて見たよその苗字、もしかしたらゴリラは読めなかったかもなあいつゴリラ並の脳だからな」
なかなかひどい言われようである。仲野が地獄耳でないことを願うばかりである。
(ゴリラ、か・・・・・・)
「仲野がゴリラなら、俺のバナナも食べてみないとか言っちゃおうかな~」
「「「いい加減にしろ!!!」」」
堀田は2、3年全員から怒られ、肩をすぼめた。
□
(ゴリラ・・・・・・)
そして今に至る。朱祢はこの前の話が忘れられず、仲野を見ると「ゴリラ」という文字が頭に勝手に浮かびあがる。仲野はゴリラのようには見えない。だが、あだ名はゴリラ。このことで頭がいっぱいになり思考がめちゃくちゃになっていく。
「雀間君。おーい、雀間君、聞いてる?」
武田の声で、朱祢は我に返った。
何を考えていたのだろう。今は、武田先輩が話しているのだ。聞かなければ。
「すいません。もう一回お願いします」
「んじゃもう1回。部活終わりに、1年は、コップとキーパーを、ここの水道で洗って、水を切った後部室前のトレーで乾かす。ここまではいい?」
「はい」
「で、ここから。これは、当番制で行って欲しい。とりあえず3年生が部活引退までの間は、2年生が1年生に付くけど、引退後は、2人1組で行うように。その方が仕事早いしね。で、グループ分けなんだけど、ちょっと1年同士、仲良くなって欲しいかなぁって個人的には思ってるの」
何だか、嫌な予感がする。
「最初は坂本君と近野君、仲野さんと雀間君、鍋田君と坂本君、近野君と雀間君って感じで一人ずつずれていくローテを組んで欲しいんだけどいいかな?」
「はい」
嫌な予感が的中した。朱祢は仲野と組むことになった。
「よろしく、サクマ君」
「よ、よろしく」
軽く会釈をしあう。
とりあえず、当番の日はゴリラと呼ばないようにすることだけは心掛けないといけない。
「当番も決まったことだし、部室に戻ろうか」
武田の呼びかけで部室に戻ろうとした。
「おい」
鍋田が声をかけてきた。
「あいつのことずっと見てただろ」
何故バレているのだろう。
「ご、ごめん」
朱祢は、あの話を聞いてからこの一週間仲野を見ていたからバレたのだろうと思い、とりあえず謝った。
見るから、ゴリラだと思うのだ。もう見るのをやめよう。できるだけ。
「絶対にあだ名で呼ぶなよ。絶対にだ」
鍋田から、くぎを刺された。過去、ゴリラと呼んで相当嫌なことでもあったのだろう。
道場に戻ると、部員全員が、顧問の周りに集まっていた。
「よーし、戻ってきたな。じゃあ、ゴールデンウィークにある遠征について話すぞ」
「すいません」
堀田が手をあげる。
「なんだ?堀田」
「お菓子は何円までOKですか?」
「合併前に行った合同遠征でもそんなこと言ってたな...ネタの使い回しはよくないぞ。あえて丁寧に答えていくなら遠足じゃないんだし、菓子や飲み物を買うための金は何円でも持ってて構わない。が、ほどほどにな」
堀田のお決まりの言葉らしい。そして息を継がずにこういった。
「もし、その日、体調崩した場合、休んでもいいですか?」
休む気満々の発言だった。
「まあ、崩したならそれは休むしかないな」
堀田が「よしっ!」っと小さくガッツポーズをとる。
「だが、その質問をしたお前は、絶対に参加な。休む気満々の発言だぞ」
「うわああああああああああああああああああしまったあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
堀田が発狂をしている姿を見て笑いが起こる。朱祢は笑うのを我慢したが
「言わなきゃよかった...」
堀田がボソッと小さくつぶやいたのが我慢できずに、笑ってしまった。
「遠征場所は滋賀県。2泊3日、と言いたいところだが、ゴールデンウィークが始まる前の日の夕方...つまり、学校が終わり次第バスに乗って滋賀に向かい、初日は民宿に泊まるだけになるから実質3泊4日だな。遠征内容は、練習試合。民宿は、その練習する場所から少し離れている為、民宿からバスで移動。遠征の間の起床時刻は5時だ」
「5時ぃ!?」
シュンとしていた堀田が思わず声をあげた。
「朝練もやる予定だから、当たり前だろう。遠征後は2日休みにしているし、3日だけは我慢しろ。それで、色々と伝えるのはあっちに着いてからでいい。これだけは伝える。男子はAチームとBチームに分かれてもらう予定だ。ここで発表しよう」
初めてのチーム分け。朱祢は緊張と少しの期待を持ち、その言葉を待った。
「Aチーム。先鋒、鍋田剣斗」
「はい!」
「次鋒、丸尾凛太郎」
「はい!」
「中堅、日野幸村」
「はい!」
「副将、坂本英雄」
「はい!」
「大将、丸山維新」
「はい!」
呼ばれた名前の中に、朱祢の名前はなかった。仕方がない。これから強くなればいいだけの話だ。
「Bチームは先鋒、堀田聖夜」
「うぃーす」
「次鋒、雀間朱祢」
「はい!」
「中堅、武田狩真」
「はい!」
「副将、近野秋声」
「はい」
「大将、波音龍哉」
「はい!」
「まあ、以上だ。最初の試合はこれでいってもらい、2試合目からは各々のチームで順番を変えてもらって構わない。女子は...」
そういい、清田は女子の方を少しだけ見て、考え、そして話した。
「俺が命令しなくてもいいや。面倒くさいし。3人で相談して、ぐるぐるやってくれ」
「「「はい!」」」
「今日はここまでだ。解散」
「ありがとうございました!」
「「「ありがとうございました!」」」
部長の丸山が先に挨拶し、続いて部員全員が挨拶をし、今日の部活は終わった。
□
夜道を照らすためのライトは、同時に散りゆく桜も照らしている。
4月でも1週間も経てば桜の花も半分くらいは散っており、道には散った桜の花びらがまるで絨毯のようになっている。
そんな桜並木の道を、二人が自転車を漕ぎながら自宅へ向かい帰っていく。
「もうすぐ遠征か...」
口から思わず漏れてしまったような声で、朱祢はつぶやいた。
朱祢にとって県外遠征は初めてである。県外の強い選手がきっと集まるのだろう。強くなれるチャンスだ。頑張らなくては。
「もうすぐって言っても、2週間後だけどな」
朱祢の言葉に坂本が返す。
「2週間なんてすぐに経つよ。あっという間だよ。そしたら、強い人たちと、戦える」
「強い人たちだらけとは限らないが、実りのあるものになるはずだ。いや、実りあるものにしてみせる!」
「そうだね!彼も来るかもしれないし」
坂本は「彼」という言葉に引っかかる。
「彼って、お前の言う、第一のヒーローのことか?」
小学校の時に助けた坂本は、その時も第二のヒーローという言葉に引っかかり、そのあと第一のヒーローについてきいた。そいつは剣道をしているらしく、そいつと戦ってみたいと思い、坂本は中学校で剣道を選んだのだ。
「剣道やってるかしらないけどね!」
「そこはやってると思っとけ。お前の剣道をやるきっかけを作った人物だろ」
朱祢も坂本とは目的は違うものの、彼が剣道をやるきっかけとなった。
「うん、そうする」
「会えるといいな」
「そうだね」
会話が止まり沈黙が続く。
長年一緒にいると話す内容もなくなってくる。
だが、この沈黙も別に悪いものではない。なぜだか安心する。
「あ、ここでおわかれだね」
「また、明日な」
「うん、また明日」
ありきたりな挨拶を交わした、朱祢は坂本とわかれた。
□
「ただいまー」
「おかえり、アカネー。ご飯にする?お風呂にする?それとも、ベ・ン・キョ・ウ?」
「そんな、ワ・タ・シ?みたいなノリで出迎えないでくれよ、母さん。もちろんご飯でよろしく!」
変なテンションで迎えた母に対して、朱祢は苦笑いをした。
そのまま、洗面所に向かおうとする。
「ちょっとー、ちゃんとお父さんにもあいさつしないと!」
「あ、そうだった!ちょっとおなか減っててさー」
そう言いながら、洗面所に向かう足を変える。
そして仏壇へと向かった。
「父さん、ただいま」
ろうそくを使い線香に火をつけ、線香差にさす。そして、リンをリン棒でたたく。
チ――――ン...と甲高い音が響いている間、朱祢は手を合わせながら頭を下げる。
朱祢の家は、母子家庭だ。
父親は朱祢が生まれてくる前に亡くなり、朱祢は写真の中でしか父親を知らない。
赤髪かかった茶髪に、スーツを着た、とてもかっこいい人。
朱祢の家庭で唯一、160以上あった(らしい)ひと。
母親から聞いている。父親がどんなにいい男だったのか。
困っている人には手をかし、間違ったことをしている人にはその間違いをただす。
話を聞く限り、聖人君子みたいな人だった。
そんな人に、一度はあってみたかった。少し残念な気持ちだ。
だが、そんな言葉は漏らさない。ここまで育ててきたのは母親だ。その言葉は母親を苦しめることは容易に想像がつく。だから言わない。
父親を尊敬し、母親をに感謝をしながら生きていく。
できるだけ、母親に迷惑をかけないように。それが、今できる最大の恩返しだ。
挨拶が終わり、手洗いうがいをした後、食卓へ向かった。
テーブルの上には二人分にしては、多めの料理が載っている。
すべて母親が、育ち盛りの息子を思っての行為だ。
「いつも、ありがとね」
「いいのいいの。ほら、座りなさい」
「はいよ」
母親に促され、席に座る。
「いたただきます」
ご飯を食べながら、朱祢は遠征の話をした。
「楽しんできなさい。せっかく滋賀に行くんだから」
「観光じゃないよ母さん」
「わかってるわよ、それでも遠いところに行ってまで試合しに行くんだから、楽しんできなさいってことよ、お金のことは気にしなくていいから」
母親の大きさ、やさしさにいつも敬服する。
思わず、甘えて甘えて、そのやさしさにおぼれたくなる。
だが、それはいけない。母親は、一家の大黒柱と、養育者の二役を今担っている。
いずれは、自分が一家の大黒柱にならなくてはいけない。朱祢はそう思いながら生姜焼きを食べた。
「部活はどう?」
「んー、ちょっと変わった人はいるけど大丈夫だよ、気にしないで」
「そう、それならよかったわ」
普通の家庭の会話。一人欠けていても関係ない。
朱祢は幸せだ。