第拾玖話 インハイ直前紅白戦 其の参 仲野 対 近野
「......なら、アタシがすごいってとこもっと見せるために勝ってくるよ」
そう村田に言い放った。
「うん!頑張ってね!」
そんな姿を見てやはり、田中はかっこいいと改めて思った。
こんな自分に付き合ってくれるいい友達。
かっこよくて、美しくて、頼れる、憧れの存在。
(頑張ってね、理恵那ちゃん!)
そんな応援を背に受けながら田中は、アップを始めた。
そんな2人の姿を少し遠くから、刺さるぐらいのナイフの様な鋭い視線で睨みつけている者がいた。
仲野千冬だ。
遠くから見ているので声は全然聞こえないが、田中が村田の頭をポンポンと叩いて撫でていた。
褒めているのだろうか。今の戦い方を?
ただでさえポンポンと優しく叩いてから撫でるという仕草に腹が立つというのに、先の試合を褒めるというのであろうか。
蔑みの目で田中と村田を見ながら憎悪と憤怒を募らせる。
変形の構え。最近の剣道家も使っている防御の構え。
それ自体仲野は気に入らないのだが、それでもうまく使い勝っている者もいる。
しかしだ。
村田の変形の構えは、守りを固めるどころか、弱点をさらけ出している。
守れない突きと逆胴だけじゃない。
体当たりをすれば簡単に崩せるレベルの体勢。籠手がしっかりと守れておらず、ちゃんと狙えば切り落とせるぐらいの構えの甘さ。
(どうせ守るならしっかり守れよ)
胸中で毒づくたびに憎悪が募る。
大会前の試合だ。
それもインターハイという高校生で最も大切な大会の一つのはずだ。
そこに向けて全力を尽くさないのはなぜだろうか。
所詮その程度なのだろうか。
考えるだけでも怒りがわいて止まらない。
(私は私の試合だけ考えようか...といっても)
自分の対戦相手はあの田中と村田と同じ系列の近野だ。
試合をやる前から嫌で嫌で仕方がない。
そんなことを思いながら試合場に向かった。
□
試合が始まった。
一番やりたくなかった試合が。
試合場に入る前から嫌だった。
もっと弱い相手ならよかったのに、と近野は心の中で切に思った。
仲野千冬。
間違いなく葵高校剣道部で一番強いヤツ。
そしてもっとも馬が合わない女。
「はぁ~~~~~~~~~.........」
試合が始まっているのに長い溜息が出てしまう。
仲野がいきなり面を打ちに出てきた。至っていつも通りだ。
だがそのいつも通りでも十分に強いのが理不尽に感じる。
並程度の強さならば、いつも通りのことをしているのならば、それに対して策を練れば絶対に一本とれる。
それくらいできる技量は近野にはある。
だが、それは並程度の強さの者が相手ならば、の話。
そんな対策が通用する相手じゃない。
とりあえず竹刀で受けた。
(なにこれおっっっも!)
一撃で仕留める気満々なのではないかと思うくらいの強い打ちだった。
体勢が崩れそうになるのをなんとかこらえながら体当たりを受けた。
これもまた崩そうとしているのがわかる強烈な体当たり。
そしてそこからの引き技まで全てが力強く、気を抜けば一瞬でやられてしまう、そんな感じだった。
(ホントに女子かよ...だからゴリラってあだ名付けられるんだよ)
竹刀と手首、腕、肩、そして足からくる数々の技、体当たり、鍔迫り合いからの崩し...全てが重く、とてもじゃないが同い年の...それも女子と対戦してるとは思えなかった。
やる気がどんどん削がれながら、相手のことを、戦いを嫌いながらも、近野は戦いを放棄しない。
というよりもできなかった。
(あーあ、俺の想定だと、村田先輩は頑張らないですぐに2本とられると思ったんだけどなあ...なんであそこまで頑張ったんだろうなー)
先の試合、村田若葉が意外にも粘っていた。
普段の部活動の様子からだと、あまり勝利が欲しいようにも思えなかったのだが。
三所隠しを多用し、防戦一方で、攻める気が一切なかったとしても勝利への執念が見れた。そのうえ、この試合の「1本とられてもう後がない状況でどうしていくか」という意図を相手側ではあるが、再現できているというおまけつき。印象が悪いわけがない。
その後に、さらっと簡単に2本とられて負けてしまったらどうだろうか。
(絶対に顧問からぐちぐちと言われるんだろうなー)
この試合の意図は、「1本とられて、もう後がない状況。どうやって2本とり、勝ちに繋げるか」ということである。それなのに簡単に負けてしまっては練習もくそもない。
怒られるのは面倒くさいし、その上ストレスにもなる。できるだけ怒られないほうがいいに決まっている。
だからできるだけ時間を長引かせて一本を死守しているような、そんな感じを見せれるのが最良の選択だろう。
正直、勝てるビジョンが見えない。
全ての一撃が強烈で、一本とられることはほぼ確定しているといっていいだろう。3分間耐えることは難しい。
だから、よくて引き分けくらいがちょうどいい。
近野はそう判断を下した。
攻撃は数度しか受けていない。しかしそれでもある意味ネガティブなくらいに冷静で、客観的な判断を下した。
近野は相手の打ちの強さや速さ、攻撃の種類や仕方、力などを見極め、自分の実力もしっかりと客観的に見ながら、試合を展開する。
そんな彼はいつもこう思いながら剣道をしている。
剣道もそうだが、多くのスポーツは、ゲームと同じようなものだ。
相手が使う技の強さを知れば、守るべきか躱すべきか判断できるし、攻撃パターンを知ればもしかしたらはめれるかもしれない。
つまり、相手のレベルが高くても、うまく対処できれば倒すこともできる。
まあ、今回はパターンを理解しても倒すことは無理だろう。
さて、どうすればうまく理想的な展開に持っていけるか。
そう考えている間に、仲野は面を狙ってうちに来る。
それを変形の構えでなんとか防ぐ。
(攻撃の仕方はワンパターンではあるが、シンプルに力が強く、そのうえ速いなこのゴリラ女...)
仲野の攻撃は「崩し」に重きを置いているように見える。
攻撃を連続で放ち続けることで、相手を疲弊させ半ば強引に隙を作り、そこを突く。
引き技を打つ際の体当たりが強烈なのも崩しであると思われる。
崩せるまで攻撃を放ち続けるのは体力的にきつく、近野であれば...いや、ほとんどの選手はやらない戦法だ。
だが、仲野のスタミナはそれを可能にする。
また、応じ技を狙ったとしても応じることが難しいくらいの速さとタイミングの良さ。
しかもうまく応じれたと思っても、無理矢理その一本をなかったことにできるくらいの身体能力もある。
(現に、4月の入部当初の試合であの野郎と戦った時に、瞬間的によけたしなあ)
鬼の形相で鍔迫り合いをしている仲野を見ながら、近野はそんなことを頭に思い浮かべていた。
(何をそんなに怒ってんだか。さっきより怖い顔になってるぞおい)
崩れないように気を張りながら鍔迫り合いをしつつ、防御できるように準備をする。
仲野が右から竹刀を思いっきり面に当て、崩しを行おうとする。
(めちゃくちゃ痛え!殺す気かよ!) ※殺す気です。
仲野の暴力的な攻撃を受け、近野は思わず泣き言を言いたくなった。
だがそれでもその後の引き技を、変形の構えで何とか乗り切る。
「チッ」
舌打ちが聞こえた。
(...なんだ?)
今仲野は、自分の打ちが入らなかったことに舌打ちをしたのか?
確かにありえそうだがまだ1分もたっていない。
防いでるのもぎりぎりだし、当たるのは時間の問題だ。
(そういえば、引き面の前の面を防いだ時も舌打ちしていなかったかこいつ?)
思い返してみるとそこからさらに力が強くなっていた気がする。
(...これは、もしかして、もしかするかもな)
勝てはしないと思っていた状況に、わずかだが希望が見えてきた。
楽しければ別にいい。そしてこいつとの試合は全く持って楽しくない。だから早く終わりたい。
だが勝ったほうが見栄えはいいしぐちぐちと言われる時間も少なくて済む。自分としては、後のことも考えて健闘するのが身のためだ。
仲野千冬はおそらく、変形の構えがとても嫌いだ。
近野はそう感じた。
変形の構えを2回やったがどちらにも舌打ちをし、2回目には聞こえるくらいの舌打ちした。
攻めて攻めて崩すタイプの仲野千冬には、変形の構えのような一本取る気のない姿勢というのは我慢ならないのだろう。
そのうえ、前の試合でその嫌な構えを存分に見せられたはずだ。続けて見せられたらたまったものじゃないだろう。
ならば変形の構えを続けてどんどん怒らせる。
怒りによってより攻撃力を増すかもしれないが、視野が狭くなりやすくもなる。
そこに漬け込む隙がある。
あとは頭で考えた通りに進めればいい。
(まずは頭から湯気が出るくらいに怒らせないとな、といっても...)
もうすでにかなり怒ってると見える。
それにこちらも変形の構えをあまり維持できそうにない。
ならばどうするか。
仲野が間合いを詰めるために前に出る。
近野は仲野が前に出るのと合わせるように後ろに下がる。
また前に出るのを見たら後ろに下がる。
(まだだな)
まだ感覚的には下がらなきゃいけないはずだ。
仲野が前にどんどん出てくるが構わずに下がり続ける。
(そろそろ止まるか)
後ろを意識しながらある程度のところで止まった。
(さて、馬鹿みたいに突っ込んで来いゴリラ女)
近野は面への道筋を少し開け、挑発するように構えた。
予想通り仲野はまっすぐに突っ込んできた。
(これだけじゃないぞ)
さらにダメ押しとばかりに、その打ちを変形の構えで防ぐ。
すると仲野は怒った様子で体当たりをする。
それを近野は右足を軸にして回りながら体当たりを受け流した。
仲野と近野の位置がすり替わった。
その時
「やめ!」
主審が試合を止めた。
理由は簡単だ。
仲野の左足が場外にでたことで仲野に場外反則が取られたのだ。
(ふぅ...まあまあ、といったところか)
何とかうまくいったと近野は首をコキリと左右に曲げた。
近野の考察は見事に当たり、怒りで視野が狭まった仲野は面白いぐらいにうまく場外に出た。
(まあまあ、だが...まさかこんなにあっさりはまってくれるとは傑作だなあ)
主審がやめに入って、仲野が自分の左足を見たあの瞬間を思い出して近野は心の中で笑った。
あの呆気にとられたようなあの瞬間が、自分の作戦がうまくはまったことを実感できてとてつもない快感が味わえて最高に気分になる。
(さて、おそらくもう通じねえだろうが後はもう頑張っている感じ出せば大丈夫だろ)
近野は安堵の胸をなでおろした。
ここまで頑張ればそんなにがみがみ言われないだろう。それに、もしかしたら守り逃げ切って勝てるかもしれない。
近野の中ではあの仲野を場外に出せただけでも面白かったのでもうそれでいいのだが、簡単にとられても印象が悪いのでとりあえず頑張ることにした。
(というか、もう一度あのパターンにハマったら正真正銘のバカだろ。そうなったら剣道雑誌でもてはやされて結果そうでもなかったやつってネット掲示板で書かれているのにも納得いくぞおい)
去年の青春剣道の中学生ピックアップ記事に、注目選手の3人。
しかし、その注目選手3人のどの選手も決勝には行けなかった。3人のうちの最高順位は仲野 千冬の3位、次いで達磨 日向の16位。そして残りの一人は決勝どころか全国にも行けなかったのである。
そんな結果から、ネットでは「実はそんな強くないんじゃね?」や「雑誌にのってもてはやされただけの奴ww」などとたびたび言われている。
(ひどい言われようだったなあ)
そんなことを思いながら近野は開始線に戻った。
もうすでに開始線に戻っていた仲野がこちらをにらみつけてきている。
(おーこっわ。そんなに怒ってるのならもう一度だしてやろうか)
心の中で仲野をバカにしながら、とりあえず次も変形の構えで防ぎながらなんとかしようと考えた。
「はじめ!」
だが、この作戦はよろしくなかった。
いや、意味がなかったといったほうが正しいだろう。