第壱話 葵高校剣道部
暖かい陽射しに包まれ、目を奪われるほどの桜の花びらが風に乗り、吹雪いている。
真新しいブレザーや学生服を着た高校生、まだネクタイの結び方がわからないのか、変なふうにネクタイが曲がっているサラリーマンなどがバスの停留所で列を作っている。
そんな人々を横目に明らかに体に合っていないぶかぶかの学生服を着た雀間 朱祢が自転車を走らせていた。
「クッソ、めっちゃ走りずらい!」
ズボンの裾がペダルをこぐたびに引っかかる。
「だからなんで、そんなにサイズあってないやつ買ったんだよ」
後ろから、朱祢とは違い、学生服をぴっしりと着こなした幼馴染の坂本 英雄が話しかけてきた。
朱祢と坂本は、この度めでたく志望校の静岡葵高校に合格し、ただいま、絶賛登校中である。2人は防具袋を背負い、竹刀袋を器用に持ちながら自転車を漕いでいる。
「いや、だって店員がさ、高校1年生ならまだ伸びる可能性があるので一回り大きいサイズはいかがでしょう、って勧めてくれたんだもん。それに伸びるし!」
「なんの根拠があって伸びるって言えるんだよ。お前小6から今まで2cmしか伸びてないじゃん。それにお前のとこの家系、誰一人として高い人いないじゃん。」
「父さんは160以上あるし大丈夫だよ!」
「でも母親は147しかないだろ?」
「うっ...」
と痛いところを付かれて朱祢は言葉がとまる。自分の家系は小さい人が多いのでこれ以上大きくならなくても不思議ではないとは思っていたからだ。
「というかヒデさぁ...」と朱祢が無理矢理話を変えようとする。
「なんで横に並ばないんだよ!後ろだと聞こえづらいし話しづらいんだけど!」
「並列運転は捕まるだろ」
坂本は律儀に後ろを走りながら答える。
坂本の両親は共に警察関係者であり、坂本はその両親のもと、厳しく育てられた。
故に坂本はまじめに育った。特に道路交通については朱祢がうるさいと思うほどに。
「相っ変わらずクソ真面目だよなぁ、ヒデは」
「誰がクソ真面目で面白くない、だ」
「いや、そこまでは言ってねえ」
と話をしている間に学校の駐輪場に着く。
「道場ってこっちだっけ?」
「確かそのはずだ。」
と坂本が返事をし、道場の方へと向かって歩く。
剣道場は本校舎と少し離れており、近くには合宿棟がある。
今日から本格的に部活動が始まるのだが、部活動は午後から参加でき、それまで防具や竹刀を教室に置いておくのも邪魔だと判断し、道場の入口に置くことを決めた。
「流石に教室に置くのは無理があるよねぇ」
「臭いしな」
汗を吸い込んだ防具や竹刀の柄はとても臭い。特に小手は、この世のものではない匂いを放つ。こんなものを嗅ごうとするやつは罰ゲームで負けたやつか、あるいわ生粋の馬鹿のみである。
しかし「慣れ」というものは怖いもので、剣道をやっている人の中には感覚が麻痺し臭くなく思えてくる。
「でもいうほど臭いか?」
現に朱祢がそうである。防具や竹刀の点検の為に家に毎回持って帰るが、その度に玄関を開けた母親に「クッッッッッサ」と言われるがそこまでかなぁ、と疑問に思ってる。
道場につき防具と竹刀を下ろし教室に向かう。
「あ」
教室に向かう途中、朱祢が何かを思い出したという声を出した。
「やっべー、防具袋の中にスマホ忘れてきちゃったー」
「なんで入ってるんだよ」
と坂本がツッこむ。
「昨日動画見ながら点検してた時に入れたのかな。悪ぃ、ちょっと取ってくるから先行ってて」
と朱祢がいい、道場の元に走っていった。
「あったあった。今日確かスマホについての説明があるから必要なんだよね。気づいてよかった」
朱祢は独り言を言いながら防具袋からスマホを取り出し、防具袋の口を締める。すると後ろからドスン!という音が聞こえた。誰かが防具袋を置いたようだ。
朱祢は振り返ってみるとそこには、セーラー服姿の少女がいた。
脚は長くすらりとしていて、それでいて肉もしっかりとついている。胸は大きすぎず小さくもない。肌の色は白いがそれは病的なまでではなく、健康的な色であった。髪は絹糸のように艶やかな黒髪で一つに括っているがそれでも長く、背中まで届いていた。
身体や髪だけでもその美しさに見とれてしまうが、顔はそんな身体の記憶が薄れるほどに目立つ顔をしていた。
まつ毛はくるん、としていて長く、眉毛は細く、濃い。鼻は高くはないが、整った形をしている。唇は鮮やかな赤色で、ぷっくりとしている。そして瞳はとても大きく、色は水晶のように深い黒色だった。その全てのパーツが顔という上質なキャンパスを彩っていた。
容姿端麗という言葉がピッタリと合う和風美人の少女に、朱祢は目を奪われた。もちろん美しいという感情はあるのだがそれよりも彼女の吸い込まれそうな瞳に、闇のようなものを感じたのである。
とここで少女と目が合う。朱祢はドキっとしたが、少女は朱祢に向かって軽く会釈をし、教室棟へスタスタと歩いていった。
歩く姿が見えなくなるまで立ち止まっていたが、自分も教室棟に向かうことを思い出し歩き出す。
歩きながら考える。あの少女の瞳から感じたの闇。アレは一体なんだったのだろう。
そしてもうひとつ。実は朱祢は彼女の顔に見覚えがある。もちろん大会や練習試合で見かけた可能性はある。だがそんな気はしなかった。どこで見たのだろうか。
そんなことを考えながら教室へと歩いていった。
放課後、仲良くなってつるんでる男子生徒、一緒に帰る人を待っている女子生徒、部活勧誘をしている先輩達などが廊下を占領していた。
帰りのSHRが終わり、朱袮はそんな人々を掻き分けながら、道場に向かっていた。
(担任の先生の話長かったなぁ)
正直ダッシュで道場に向かいたかったが、他のクラスよりも終わるのが遅く、自分が最後のなのが確定していたから歩いて向かった。
なにより体育教師らしき人物が歩いているときに見えたのでその目の前で走る勇気はなかった。
道場に着くと、もうすでに新入生が並んでいるのが見えた。
(やっぱり自分が最後だったな)
急いで靴を脱ぎ、揃えてから道場へと入る。
「お、来たな。とりあえず並んで」
長身で褐色肌の男が朱祢に気づき並ぶように促す。
朱祢はとりあえず坂本の隣に並ぶ。新入生は男子が朱祢と坂本含めて4人、女子は朝会った美少女1人だけだった。
「これで、全員かな。でもごめんね。もうすぐ先生が来るはずだから待っててね」
褐色肌で高身長の男が申し訳なさそうにしていると入口の方から声が聞こえた。
「よぉ。全員集まってるか?」
そこに現れたのはさっきの体育教師らしき先生だった。
「先生!遅いですよ。」
「すまん。会議が長引いてな。」
体育教師らしき先生が自己紹介を始める。
「俺は清田 一義。この剣道部の顧問だ。一応言っておくが、担当教科は日本史だ」
体育教師ではなく日本史だった。着ている物がジャージで、髪の毛もボサボサで無精ひげだったので体育教師だと朱祢は勝手に思っていた。
「あー...並んでもらって悪いんだけど...とりあえず5月の遠征でのチーム決めをするから道着着て防具つけろ。丸山ァ!ホワイトボードにリーグ書いとけ」
「はい!」
「その他はさっさと準備だ」
「「「はい!」」」
褐色肌の男子は、丸山と言うらしい。着替えるのを急がなくてもいいということは多分、部長なのだろうと朱祢は思った。
とりあえず部室で着替えながら部員をざっと見た。新入部員は朱祢と坂本を含めて4人。それ以外は、5人。つまり、外の丸山含めると男子は10人ということになる。
2.、3年生の中には身長が高い人もいた。朱祢はいつも気になってことを思っていた。坂本はそれを察した。
「アカネ。お前また身長高い人のこと2メートルだと思ってるだろ」
「え!なんでわかったの!?ヒデってエスパーかよ!」
朱祢は大袈裟に驚く。それを見て坂本はため息を吐く。
「なんでって...そりゃあ俺が成長期で一気に身長が伸びた時お前俺の事2メートルって言ったしな。自分が小さいからって相手を大きくしすぎるなよ・・・」
「う、うるせえ!俺からだとみんな巨人に見えるんだよ!」
「おい、話してるのはいいけど、さっさと着替えろよ」
少し老け顔の部員が注意をする。
朱祢は急いで手を動かし道着に着替えた。
道着を着て防具をつけた朱祢はホワイトボードの前にいった。
防具をつけた人から名前が書かれているらしくもう何名かの名前がホワイトボードに記載されている。
「えっと、雀間君だね。部長の丸山です。よろしくね。君は4試合目だね。」
丸山は垂れネームを見て、挨拶を軽くしながらホワイトボードに名前を書いていく。
こうして道場を見ると神棚もあれば太鼓もある。
(中学には太鼓しかなかったから、高校の方はしっかりと道場という感じがするな)
上座の隅に畳が一畳あり、そこに清田が座っている。
試合のために各々が体を動かす。
「全員集合!」
清田の呼びかけで全員が清田の前に集まる。
「試合は三分三本勝負。主審は丸山固定で、副審2人は2、3年がローテしろ。女子は元から1本持っているていでやれ。以上だ。」
全員が「はい!」と返事をする中、一人だけ「え?」というものがいた。
新入生の一人だ。
「どうした?鍋田」
「仲野もですか?こいつ全中3位ですよ?」
そう言ってあの美少女を指さした。
なるほど、全中3位か。どうりで見覚えがあるわけだ。
「そうかぁ...仲野。お前はどうしたい」
「私はどちらでも構いません」
「じゃあ、こいつだけ男子と同じでいいぞ。じゃあ解散。」
朱祢はホワイトボードをもう一度確認した。
そういえば、対戦相手を見てなかったのである。
(えーっと...あ、仲野さんか。どんな剣道するんだろ)
試合が始まる。最初は、武田という先輩と日野という先輩が対戦をする。
武田は体型からのんびりとした印象を受ける人で日野は丸山と同じくらい背が高い。
老け顔の先輩がストップウォッチを片手に持つ。
「時計準備大丈夫でーす」
「はじめ!」
蹲踞の姿勢から立ち上がる。
「イェア!」
「シャア!」
武田が少しこもったような気迫、日野が相手を刺すような気迫を出す。
武田がジリジリと間合いを詰め、日野はそれに動じず、自分の間合いを確かめているようであった。
「コテェアア!」
最初に仕掛けたのは武田だ。日野の小手を狙う。
それを日野が竹刀を少し動かし捌く。しかし武田は打った勢いのまま日野にぶつかる。
(うわぁ、今思いっきりぶつかったけど日野先輩全然びくともしてない。武田先輩が力弱そうに見えないし、すごいなあ)
武田と日野が鍔迫り合いになる。激しく鍔がぶつかり合う。
すっ、と武田が足を引き、引き技を打とうとする。日野の竹刀を払う。
「メェン!」
引き面を打った、が日野は首を振り避け、左の面布団に当たる。
武田が身を引き、それを日野が追いかける。
そして武田が中段に構えている途中、日野が小手をねらって打った。
普通だったら届かない距離。しかし、日野の剣先はしっかりと武田の小手に当たる。
「コテェイ!」
「小手あり!」
日野の小手が一本になった。どうやら日野は手足のリーチを生かして戦うタイプらしい。
2人が開始戦に戻る。
「2本目!」
今度は日野が前へ出る。間合いをはかりながら武田の竹刀を払ったり、剣先を下げたりする。
武田は釣られそうになるも耐える。
日野は手ごたえを感じ半歩前に出る。瞬間武田が我慢できずに面を打つ。
「メン!」
そこを日野が上から制し、面をとった。
「勝負あり!」
次の試合は、中肉中背の堀田という先輩と、さっきの鍋田という1年が勝負をし、堀田が最初面で一本取るも、その後鍋田が面と胴をとり、鍋田の二本勝ちとなった。
その次の試合は、女子にしては背が高い田中という先輩と、小柄で少しぽっちゃりしている村田という先輩の、女子同士の対決となり、田中が面をとり、制限時間までやり一本勝ちとなった。
そして、朱祢の番が回ってきた。礼をしてコートに入り、開始戦で蹲踞をする。
「はじめ!」
「ハーッ!」
「ヤアアアアアア!」
仲野の声は甲高い。そして声をだしてすぐに朱祢に向かって打ってきた。
「メン!」
ギリギリで捌くが、すかさず仲野は打ち続ける。
「くっ!」
打つ隙が無い。まともに構えさせてももらえない。朱祢得意の返し技も打つ隙が無ければ意味がない。
(打つ機会をなんとか作らないと)
思考を巡らす。打つ機会を作る。まずこれをしないと何も始まらない。
(とり合えず避けながら打って、体当たりをするか)
朱祢は決断し、紙一重で避けながら打ちながら体当たりをし、鍔迫り合いに持ち込む。
ふと、面金の間から仲野の顔が見えた。白目に近い三白眼。とても朝の美少女と思えなかった。
(うわ、こわっ!)
次の瞬間、朱祢はものすごい力で押された。
(え?)
朱祢は体が崩れ、仲野の前に面をさらけ出す。
「メエエエエン!」
とてもきれいな引き面。気剣体の一致。朱祢は見事に一本取られた。
(とても女の人の力だとは思えなかった...これが全中3位。すごい!)
自分はすごい人と戦っている。そう思うたびに身体の血が騒ぐのが感じられる。
(この人と...もっとやりたい!)
朱祢はワクワクしながら開始戦に戻った。