第拾伍話 インハイ直前紅白戦 其の壱 鍋田 対 朱袮
テストも先週終わり、あと一週間でインターハイの静岡中部予選が始まる。
ちなみに仲野はギリギリで補講を避けたようで生き生きと練習をしている。
「それじゃーこれラストだぁ」
「…いつまで続けさせるつもりだよあのオッサン」
近野が半眼で清田を睨みながらボソッとつぶやいた。
清田は「ラスト」とさっきから4回くらい言っている。ラストとは?となるのも仕方がないだろう。
Tbyaiterで「剣道あるある」と検索すると「顧問、コーチの『ラスト』は信用できない」というのは高確率で出てくる。
後出てくるものと言えば、「普通の高校『ヤー!』 強豪校『キエアアアアアアアアア!!!』」とか、「足の皮が中途半端に皮が剥けると剥ききりたくなる」とかか。
前者も後者もよくわかる。後者は自分もやったことがある。
やった、というのも、一度練習中に中途半端に剥がれて、引っかかっていたい思いをしたことがある。何度も引っかかって面倒くさくて休憩中にハサミで切ったが痛みは治まらないどころかむしろ増した気がしたので、今では踵とつま先にサポーターをつけている。
そして前者は現在右にいる。
「ハーーー!!!」
(どこから声出してんだよ、うるせえよ耳がキンキンする黙ってくれよ)
右側にいるおそらく自分よりもはるかに強い女、仲野千冬をチラリと見た後近野は自分の練習に戻った。
今はかかり稽古という、元立ちと打つ側に分かれて一定の時間、技を途切れることなく出していく稽古となる。元立ちというのは所謂、技を受ける側をさす言葉であり、打つ側の技術の向上を促すように心がけねばならない。が、そんなことは近野にとってどうでもよいことなのであった。
なぜなら、かかり稽古というものは、剣道の練習内容の中でも最もきつい練習のひとつであり、ほとんどの人は元たち時に休んでいるだろうと近野は思う。
(なんできつい稽古ばかりやたらと種類が多いんだよ。もっと効率よく強くなる方法あるだろ)
かかり稽古にはひと息のかかり稽古、10秒のかかり稽古、30秒のかかり稽古、一番きついもので1分のかかり稽古がある。中には相がかりという元たちがなく双方が技を打ち合うという稽古もある。勘弁してほしい。
(あー、きついー、だるいー、ったくなんでこんな部活選んだんだろう)
近野が剣道を始めたのは中学からだ。里中中学というところだった。そこでの稽古は稽古というにはほど遠く、一種の遊びじみた稽古ばかりやっていた。顧問は剣道をやったことがないので生徒に任せきりで、まともな稽古があるのも2週間に1回、外部からコーチが来る日のみで、他の中学との合同練習時にはいつも足を引っ張っていた。
だがそんな中でも近野は何故か個人で県大会に行けた。“何故行けたのか”は近野は知っているのだが周りにいる連中からすれば“なぜかわからないが行けた”ように見えただろう。
だからこそ近野は分かっている。いくら一生懸命練習しようが、それが意味のない、無駄なことになることの方が多いと。
他の人間からすれば、近野は妬まれて当然かもしれないが、近野にとってはそれは知ったことではない。
例えば、MPの少ないキャラを、プレイヤーは魔法使いとして使いたいと思うだろうか?例えば、レベル上げの時、経験値の多く貰える敵モンスターと貰えないモンスターをどちらが多く倒したいと思うだろうか?要はそういうことだ。
ゲームと同じように、現実の世界にも才能というものが存在する。効率のいい練習方法がある。
近野自身、才能がないとは言わない。実際あの中学で、あの練習方法で、中部予選を突破できるほどである。だが天才ではない。
天才の見てる世界は、凡夫にはわからない。凡夫が一生懸命頑張っていたとしても、天才にとってはそれは遊びなのかもしれない。もしくは、呼吸のような日常的当たり前の動作なのかもしれない。
そう考えると馬鹿らしいしくだらない。
家に割と近くて、資格がそれなりにとれる高校を選択し、部活も何となく中学でやっていた剣道を選択したが、失敗だったな、と近野は少々後悔をした。
ここにいる仲野千冬もそうだ。このきつい練習は彼女にとって呼吸のようなものなのかもしれない。いや、きっとそうだ。
だからこれを一生懸命やることが馬鹿馬鹿しくてやっていられない。同じ練習をやろうとどうせこの天才にはかなわない。
凡夫が天才にかなわないとは言わないが、それをするにはかなりの面倒が必要だ。
どんな天才も人間だ。初見殺しには大体の人間が戸惑い、その罠にはまる。ならばその罠を仕掛けてやればいい、とは思うが罠を作るのにも張るのにも陥れるのも難しい。
だから天才と戦うとき大体の凡夫は諦める。その諦めは多かれ少なかれ付きまとうものだ。
そのせいで嫌なのだ。気持ち悪いのだ。腹立たしいのだ。人よりも才能がなく、そのうえ人よりも無駄な努力をし、負けては他人のせいにせず反省し、次に活かそうとする、努力に縋っている雀間朱祢というやつが。
雀間朱祢、お前はなんでそこまで頑張るんだ?何のために?嗚呼、心底気持ち悪い。
近野はそう思いながら横で仲野の元たちをしている雀間朱祢に舌打ちをした。
「はい、切り返し(正面打ちと連続左右面打ちを組み合わせた剣道の基本的動作の総合的な稽古法)をやったら休憩だァ。水分補給してから俺の前に集まれ」
結局あのラストから5回ほど行い稽古はいったん休憩となった。
部員はへとへとになりながら部室へ向かい、体に必要なものを取り込もうと勢いよく水分を取り込んだ。
「そういえば、堀田来てないな」
稽古中堀田の姿を見なかったな、とふと思い出したように丸山がそう言った。
すると波音がそれに反応した。
「生徒会の仕事らしいですよ」
「またあいつさぼってるのか」
波音の返答に丸山が呆れともとれる苦笑いをした。
「いや、さぼっているとは限りませんよ」
朱祢がフォローしようとしたが波音がそれを否定した。
「いや、さぼってると思うぞ、その証拠にほれ」
波音が見せてきたのは堀田とのライメのトーク画面だった。その画面にはこう書いてあった。
『生徒会で遅くなる!すま〇こ!w』
そのあとにピースサインでお菓子を食べている堀田の画像が載っていた。
朱祢のフォロー虚しく、堀田聖夜は平常運転だった。
「それよりも集まるぞ」
丸山が注意をしその場にいた全員が水筒のキャップや蓋を占めて、清田のもとに向かっていった。
□
「今から紅白戦をする。どっかのバカがいないおかげで人数もぴったしだからな」
清田が堀田のことを軽くディスりながら今からやることを発表した。
「1軍+仲野VS2軍+女子2人って感じでどうだ?といってもこれじゃあ釣り合わないと思うやつがいるかもしれねえが、まぁ、釣り合うはずがねえな。ランキングの結果から1軍と2軍を決めてるからな。それに、仲野は1軍連中でも叶わないくらい強い。だからこうする」
清田はホワイトボードのぐるりと回し裏面を見せた。するとそこには上に1軍、下に2軍と書かれた試合の記録表が書かれていた。
一見すると普通の記録表の様に見えたが、そうではなく2軍のほうには1本目に丸が書かれている。
「1軍と仲野は1本取られた状態で戦え。試合ではどうしても取らなきゃいけない場面ってのがあるだろ。2本とれなきゃ負ける、ってのはざらにある。1軍は死ぬ気で勝ちに行け。そして2軍は取られ無いようにしろ。守るだけじゃねえぞ、わかったか!」
「「「はい!」」」
「順番決めて、今すぐ準備しろ!審判は大将から順番に回してけ!」
清田が話を終わらせ部員はそれぞれ準備へと向かった。
そして1軍と2軍、それぞれが話し合い順番が決まった。
一軍 先鋒 鍋田
次鋒 丸尾
中堅 仲野
三将 日野
副将 坂本
大将 丸山
二軍 先鋒 雀間
次鋒 村田
中堅 近野
三将 波音
副将 田中
大将 武田
鍋田と朱祢、丸尾と村田は面をつけ始め、丸山、武田、田中は審判を、坂本は時計係をするために各々が準備を始めた。
「最初の全員揃っての礼は省いていいぞ。つけ終わったらすぐに始めろ」
清田にそう言われ、朱袮と鍋田は互いに礼をして3歩で開始戦まで進み蹲踞。
「はじめ!」
主審の合図で双方が一斉に立ち上がった。
□
「メン!」
立ち上がった瞬間、鍋田はすぐに仕掛けてきた。一番得意とする出鼻面。特攻を仕掛け、調子が良ければそのまま一本。そうでなくてもギアを上げることができる。試合の流れを最初から自分のものにしてしまうのだ。
ただ、今回に限ってはそういう意図に付け加え、もうすでに一本取られているというていで試合をしなくてはいけない。相手は防御をしているだけで勝ってしまうのだ。相手をどう崩すか。この稽古はそこがポイントである。
鍋田が考えたのは、まずはいつもと同じようにギアを上げる為の(勿論一本とるつもりはあるが)出鼻面を打ち、そのあと隙を与えずに打ち続けることだった。
その方法は奇しくも、倒すべき宿敵のやり方とおなじものだった。
(あのゴリラと同じ方法ってのがかなりムカつくが、これが正直一番手っ取り早い。こいつはまだ弱ぇが、相手を分析する力には長けている、と思っていい。ならそんな分析させずに終わらせる!)
そう思いながら、打ち続けた。
鍋田は自分の脚にそれなりに自信があり、打ちの速さにも自信はあった。
だからこの考えは絶対に当たると思っていた。
思っていたのだが。
鍋田の予想に反して朱袮は鍋田の乱打に応じてきたのだ。
出鼻面から引き面。朱袮はそれを防ぎ鍋田を追いかける。鍋田は素早く打つ体制を作りそこからさらに面を打つ。これに対して朱袮は小手を打った。双方とも打ちどころが悪く一本にならず。一本にならないと見ると鍋田は、体当たりをしながら振り返り面を打つ。しかしそれにも朱袮はしっかりと対応してきた。
(まさかここまで追ってこれるとは思わなかった。クソが判断ミスか!)
鍋田は朱袮が遠征後に少し強くなっているのを知らなかった。いや、知ってはいたのだが過小評価していた。
遠征時の対戦結果表から見てわかったことだが、こいつはあの最速の剣士と対戦をしていた。自分も対戦をし、相手と自分の強さが雲泥の差であることがわかった。その日からまた鍋田は、もっと速く、もっと強くなるために努力した。そして確実にその時よりも強くなっていた。だからこの方法であれば絶対に勝てると自分を過大評価し相手は避けられないと相手を過小評価していた。
朱袮も強くなっている筈だ。その成長はほんの少しだが、それでも一歩一歩強くなっているのである。その上、達磨と戦ったとなれば、自分の動きを追えていることにも納得がいく。
しかし、それでも、負けるつもりはない。
これは自己の過大評価や相手の過小評価による慢心ではなく、自分の努力や経験による自信だった。
例え、自分の打ちを終えたとしてもそれで負けであるということは決してない。冷静に案を練り直す。
(さぁ、どうするべきか。攻めていくしかない、というのはルール上の問題だ。それであのゴリラの真似をしたが、意味はなかった。
そういえばこいつ、前にあいつと戦ってたな。そもそもから間違ってたか)
一度振り返り考察し、そして答えを出した。
(いつも通りが、1番いい)
どれだけ強い人の真似をしようと結局は自分のやりやすい形、やり方がある。
鍋田は正直、この方が効率がよいと思いながら仲野千冬の方法で朱袮を倒そうとした。しかし結局無理だった。
鍋田には鍋田のやり方がある。鍋田は、脚の速さを活かし連続打ちで崩し一本を入れる、のではない。脚を生かすのは同じ、しかし連続打ちではなく、ただ一撃に全ての速さを持って、一本を取りにいく。
思えば最初の出鼻面も同じだ。最初から最速で。だからこそギアがおまけで上がるというものだ。
ただ、その最速の一打も闇雲に撃てばいいというものではない。針の穴に糸を通すように一瞬をつく必要がある。
(落ち着いて、冷静に、慎重に...)
頭で考えながら脚を動かす。いつでも行ける準備は完了。あとは隙を見つけて一気に決めるのみ。
(まだだ...)
相手の隙を見つつ且つ、自分の隙は作らない。目を使い相手を観ながらその情報を頭にすぐさま伝える。
(まだ...)
手には力を入れるが、入れすぎず、しなやかに鋭いうちが実現できるように肩の力は抜いておく。
(まだだ...)
その一本をまだかまだかと待ちわび狙う鍋田の姿はまるで獲物を狙う肉食獣のようで、冷たく鋭い眼光が相手の心に畏れを与える。
刹那。
(ここだ!)
鍋田は朱袮が息を吸う瞬間を見逃さなかった。生き物というものは大体、息を吸っている間は身体が固まって動きづらくなる。それはかなりの隙であり、そこを付けば、決定的な一打になることは明確である。
待ってました!と言わんばかりに鍋田の脚が、腰が、腕が、竹刀が、気が、朱袮に向かって襲いかかる!
己の最速をもって、相手を一撃で仕留める。
脚を起点に身体が加速していき、竹刀がしなやかに滑らかに、しかして鋭く相手の面を捉え逃さずその一本を確実なものとする。
「メン!」
気持ちの良いほどに弾けた声と打突音が試合場を支配する。その美しいとも取れる完璧な一撃は主審副審は旗を上げざるを得なくする。
「メンあり!」
主審副審全員が赤を上げ、鍋田が一本取ったとみなされる。
鍋田と朱袮は息を整えながら開始戦に戻り試合再開の準備をした。
(さて、ここからも本番だ)
まだ試合は再開していないが肉食獣のような鋭い眼光を、鍋田は絶やしたりしなかった。
一方その頃生徒会室では
「ハ...ハ...ディクショナリィ!」
堀田が盛大で且つ突っ込みたくなるようなクシャミをした。
「なんですの?その変なクシャミは」
そのクシャミに突っ込みを入れたのは、艶やかな黒髪をツインテールにして、その2つの纏められた髪が見事なまでにロールしている、ややお嬢様の様な女子生徒だった。
「副生徒会長、誰かが俺を呼んでるんですよ〜。ったはー!モテる男はこれだから辛いぜ!」
そのツッコミに堀田は平常運転で答えていく。
「あぁ、その手のクシャミなら多分剣道部の人たちが貴方を呼んでるのではなくて?さっさと行ってあげなさい。貴方仕事はもう終わったでしょう?」
副生徒会長と呼ばれたその女生徒は淡々と堀田に喋る。
「いや〜、絶対女の子でしょ!それに部活にはまだ行けないわー。副生徒会長の話し相手にならないとだしね!」
「その事についてはお構いなく。わたくし、貴方のような話し相手は必要ないので」
堀田の必死のアプローチにも淡々と冷たく副生徒会長は答えた。
「あらら〜?もしかして俺がモテてるからって副生徒会長妬いてぶへぁ!」
調子にのった堀田に副生徒会長がチョップをかまし、あえなく堀田はダウンする。
「あら、ごめんなさい剣道部の皆様。この阿呆が勝手に寝てしまいましたわ。ごめんあそばせ」
副生徒会長は顔色ひとつ変えずに、独り言を口にしながら仕事を続けた。
どうやら脈はなさそうだ。