第拾参話 初めての道場と久しぶりの再会
「よ、ようやくついた」
竹刀を買った翌日、朱祢は道場に行くために自転車を走らせていた。
そしてようやく道場を、いや、道着を着て、防具袋と竹刀袋を担いだ人たちが建物に入っていくところを見つけ、そこが道場なんだとわかった。
どうやら道場は「水越ビル」という小さなビルの一番上の階にあるらしく、看板もないので見つけるのが難しかった。
道場の扉はすでに開いており、朱祢は少し小さくなりながらくぐった。
「こんにちわ~...」
手入れされてはいるが長年数多の剣士達が稽古を積んできたと思われるほど使い込まれている床、そして喚起されているにもかかわらず、防具や竹刀の柄から出る汗が混じった芳醇な香りがする空間、そして今もなおそこには男女数名が防具をつけ準備体操や竹刀を振っている。
ここは紛れもなく、道場だった。
「お、来たな。場所ちゃんとわかったか?」
坂本が声をかけてきた。
その坂本の周りに数名集まっていてどれも見知った顔である。
「それが、少し迷っちゃったんだよねー。でも1時間前に出たおかげで助かったわ」
「お、アカネも遂にこの道場にか?」
坂本の周りにいた小集団の目が朱祢の方に一斉に向いた。
そしてそのうちの一人がしゃべりかけてきた。
「おー、よっこーも同情に来てたんだ」
よっこーと呼ばれた丸刈りの垂れ目で中背の少年の名は横溝 晴樹。朱祢の同級生の一人にして、鞠川中学を市内ベスト4にまであげたメンバーの一人で先鋒だ。
「久しぶりだねえアカネ。といってもまだ1か月ちょいくらいしか経ってないけど」
「そうだねぇ、でもなんかよっこー強そうだよ」
「強くなってないと困るかなあ。一応東洋大翔龍に入ったし」
「え!?よっこー翔龍にはいったの!?」
「あ、知らなかったの?県内1位をこの目で見てみたくてね」
「そっかあ、よっこー強いしレギュラーじゃないの?」
「こいつがレギュラーだったらレギュラー全員1年ぐらいにはなってるわ」
横溝の右にいた角刈りで糸目の横溝と同じくらいの身長の少年が会話に入ってきた。
「俺だって強いし!この前2年レギュラーに1回勝ったし!」
「1回ね、ここ重要」
「うるさいぞ関!」
関と呼ばれた少年の名は、関 扇。ベスト4の時のメンバーの一人であり中堅だ。そのうえ、県個人ベスト16まで上り詰めた、朱祢の同級生の中で一番強かった人物である。
「なーーーーーくーーーーー↑なーーーーー↓」
関が横溝を馬鹿にするような口調でふざけた。
「うっぜ!それにバスケに逃げたお前に言われたくないわ!」
「チッチッチ。俺は逃げたんじゃなく、有り余る才能をバスケにも向けたかっただけさ!」
「くそうぜえ!」
「うざがっていろ。俺はバスケでも、必ずレギュラー取ってやるんだからな!フハハハハハ!」
道場内に高笑いが響く。
「じゃあ、何で道場に来てるの?バスケやってたらよくね?」
少しイライラし声で横溝が言う。
「お前をいつでも倒して愉悦に浸るのがたまらねえんだ」
「お前、最低だな」
「でも関先輩、先週横溝先輩に1本取られてましたよね?」
横溝の左にいた朱祢よりも少し大きなマッシュヘアの少年が話にわりこんできた。
「そーだ!俺に1本取られてたくせにでかい面すんな!」
「1本取られてもそのあと10本も取ったし、それにアレ試合稽古だし」
「試合稽古だから1本取られても仕方がないってことか?」
「そうそう。それにそのあと10本とったし」
「さっき聞いたっつの!」
「なーーーーーくーーーーー↑なーーーーー↓」
「くそうぜえ!」
「関先輩、それくらいにしてあげてくださいよ」
「そう言いながら、シュウもさらにいじりやすくするために割り込んできただろ」
「さぁ、何のことやら♪」
「お前もそっち側かよ、シュウ!」
シュウと呼ばれた少年、北條 珠羽はそう言って右斜め上の方向を見ながら口笛を吹いた。北條はベスト4の時のメンバーの一人で次鋒である。
「ところでアオシ、蘭丸は?」
「あいつは俺と違って県外の高校だからな。しばらく帰ってこれないぞ」
「そうなんだ」
蘭丸、関 蘭丸は、関 扇の双子の兄であり、ベスト4の時の副将である。
「蘭丸は剣道続けてるの?」
「続けてるぞ。あいつは俺と違ってそれ以外に才能ないしな」
「さらっとひどいことを」
「剣道は才能あるって言ってるから別にいいだろ。まあ、それでも俺よりは才能ないな」
「アオシは強すぎるんだよ」
「それもっと言って」
「・・・調子乗るからやだ」
「なんだよケチ」
扇は、口をとがらせて朱祢にブーイングし始めた。それを見て朱祢は苦笑いした。
「あ、そういえばよっこー」
朱祢は突然何かを思い出し、横溝に話しかけた。
「なに?」
「翔龍に入ったっていったよね?」
「うん」
「岡本君ってどんな人」
岡本 宗心。東洋大付属翔龍高校中等部に入学後、3年間大将を務めた。その3年間、県内では翔龍を倒せた学校はいない。
翔龍中学を2年時は東海6位、3年時は東海3位までにした静岡では知らない者はいない選手だ。
個人でも全国大会に出ているという強さである。
「すっげえ真面目」
「ヒデくらい?」
「坂本ぐらい」
「俺を真面目の基準にしてんじゃねえ、アカネ」
いきなり会話に自分の名前がでて、坂本は突っ込んだ。
「それより、アカネはそのままでいいのかよ」
「ん?なにが?」
「お前、ここに剣道しに来たんじゃねえのか?」
「あ」
現在朱祢は白いパーカーの上に、抹茶色の薄手のジャケットを着て、黒のジーンズをはいている。
つまり道着を着ておらず、剣道をできる準備は整っていない。
「すぐ着替えてくる!更衣室はどこ?」
「あっちだ」
坂本が指をさし、更衣室へ行くように促す。
「ありがと!すぐに着替えてくるから!」
そう言って朱祢は足早に更衣室へとかけていった。
着替えて道場へと出てきた朱祢は、上座に一人座っていることに気が付いた。
頭にタオルでバンダナを作ったものをかぶっており、覆えなかった白髪が少し出ている。
目を開いているのかどうかもわからないくらいに細い目で目尻からは何本もしわがありそれが目立ってる。
それだけ年老いている、かと思えば腰は曲がっておらず見た目とは裏腹に体が健康だというのがわかる。
その老人と目が合った。
「おー、お前が英雄がいってた奴かあ」
ヒャッヒャッヒャ、と笑いながら朱祢に話してきた。
「道場の先生ですか?こんにちわ!」
「なんか呼びづらそうだねえ、水越でいいよ」
「はい、よろしくお願いします水越先生!」
「おー、元気がいいねえ」
乾燥してひび割れたような声でしゃべっているが声の高さから女性だということがわかる。
ずっとしわがさらにくしゃくしゃになるような笑顔でいることからあと113年は生きていけそうな印象をうける。
「ウチではそんな厳しい稽古なんてしないから試合感覚でやってもらえれば助かるよ」
「ありがとうございます!失礼します!」
挨拶をし、防具をつけるために朱祢は坂本の横に向かった。
(元気はいいがね...さて、あのチビちゃんはどんだけやれるかねえ)
そう思いながら水越 浩美は朱祢を眺めていた。
(久しぶりだね。よっこーやシュウ君、アオシとやるのは、中体連終わってからだから、10ヵ月くらいかな)
基本稽古が終わり、試合稽古に入った。最初は横溝からだ。
(よっこーは、返し技もフェイントも柔軟に使うタイプだけど、いざとなったら飛び込んでくるんだよね...ただ、翔龍に入ってどこまで伸びてるのかな)
一足一刀の間合いに入り、水越の声を待つ。
少しの静寂。道場の空気が一瞬止まり
「よぉい、はい!」
水越の声で再び動き出した。
竹刀の先から気迫が伝わってくる。練習でも関係はない。
(とりあえず脚を動かそう)
遠征で学んだ足の動かし方を思い出しやってみる。その動きは、まだ、ぎこちなかった。
そんな朱祢の動きに横溝は余裕でついてきた。
(達磨君の様にうまくいかないのはわかってるけど、それでも普通についてくるかあ)
流石だ、と朱祢は思う。
3年間戦ってきた仲だ。朱祢に追いつくことは容易に想像できる。
公式試合、非公式試合、試合稽古。その全てで朱祢は横溝に勝ったことはない。
1本とっても2本、2本とっても3本、3本とっても5本、追いつこうと思うほどに差をつけてくる。
この程度で、やれるとは思っていない。
そしてある程度動気がわかったところで...
(来る!)
動いて...
(...アレ?)
来なかった。
おかしい。今のとこは中学時代の横溝ならいとも簡単に飛び込み面を打って1本とってくるはずだ。
何故か来なかった。いや、来る様子はあったものの打とうとしてやめたように見えた。
その後、飛び込み面を打ってきたがどれも絶好のチャンスを逃して一瞬待ってから打つものばっかりだった。
待って、というよりは迷っているといった方が正しいか。
そのおかげが、朱祢も打てるようになってきた。
稽古前に関が言ってたことを思い出す。
(1本取られてもそのあと5本も取ったし)
中学の時から関は強かった。
だがそれにしても横溝が10本も取られるとは思えない。
どこまで関が調子よくても3本以上取ったことは見たことがない。試合稽古でも5本くらいだ。
しかもここの試合稽古の時間は2分らしくその時間で10本とられるのはおかしい。
そのうえ、横溝は翔龍高校に入学して、練習を積んでいる。逆に関はバスケ部に入り、稽古はここだけのはずだ。
普通だったら横溝が強くなり、関が弱くなっているはずだ。
そう考えると
(よっこー、もしかしてなんか問題抱えている?)
スランプ。
心身の調子が一時的に不振になっている状態。
最大の力を出している状態を知っているがため、「ここまで到達しなければならない」という壁を自分で作ってしまい、その壁が高くなると「自分にはできない」と思い込んでしまうからこそ実力を発揮できなくなるのだ。
そしてそれは、真剣に取り組んでいる人間がなりやすいのだ。
スランプに陥るということは、何かを破ろうとしているあかしなのだ。
だが、これが怖いのは抜け出しにくいということである。
そも簡単に抜け出せるなら、悩む必要もないだろう。
なにか原因がありそうだ。
「やめい!」
水越がいい、横溝との練習稽古が終わった。
(後で話を聞いておこう、相手になれるかわからんけど)
朱祢はそう思い、次の相手に向かった。
「ふー...」
練習が終わり、朱祢は一息ついた。
この後道場を一往復雑巾がけをしたものから帰っていいらしい。
朱祢は横溝と話せるように早目に雑巾がけをしようとした。
新しいぞうきんをとり、水道にいき、雑巾を濡らし、水気で床が湿りすぎないように絞る。
そして、床を拭いていく。
「これでよしっと」
雑巾がけが終わり、雑巾を軽く洗った後、物干しに干した。
ただすでに横溝は雑巾がけを終え、もう帰ろうとしてる。
「あ、よっこーちょっと待って」
「ん?なに?」
寸前のところで呼び止めた。
「ちょっと聞きたいことがあって」
「どうしたの?」
朱祢は少しためらい、だがそれでも口を開いた。
「翔龍高校の練習ってきつい?」
「・・・どうしてそう思ったの?」
「いや、その」
横溝が質問を返し、その言葉にこたえようとするが迷った。
自分が力になれるかわからない。でも助けにはなりたい。
そう思い、迷いを払い、朱祢は答えた。
「俺と戦っているとき、打つ前に少し迷ってから打ってきたように見えた」
「見えただけじゃない?」
「そうかもしれない。けど、稽古前のアオシの言葉、1本取られても10本取り返したっての、いくらアオシが強くたって10本は取られるのはおかしいと思った」
「アオシ強いし、試合稽古だからね、あり得るかもしれない」
「本当に?」
「・・・」
朱祢は真剣な眼差しで横溝を見つめた。
それに耐えかねたのか、横溝はハアと息を漏らしてからしゃべり始めた。
「なんでそんなことに気が付くんだろうね、アカネは。すごいよ」
「やっぱりきついんだね」
「うん。なんか力出しにくいし、監督は怖くて相談しにくいし、大変なんだよね」
「そっか」
他校の練習なんて想像はあまりできない。それに強豪校ともなればそこなりの練習方法も存在するだろう。
「隠してたつもりなんだけどなあ。まあ、ありがとう。ちょっとだけ気が楽になった」
「ああ。きつかったら、俺に言ってよ。力になれるかわからないけど」
「うん。でも今んところは大丈夫。岡本がいるから」
「へえ、岡本君が助けになってるんだ」
「うん、彼はすごいよ。岡本がいなければ俺はやめてたかもしれない」
「そこまできついんだ...」
「うん、でも大丈夫。ありがと。じゃあね!」
「うん、じゃあね!」
横溝が笑顔で手を振り、出入口から出ていった。
その笑顔はまだ無理をして作ったような笑顔だった。