愛しの侯爵様をわたしは100万回殺す
第七皇女主催の晩餐会ともなれば、帝国の宝剣と称される我が主人が出席しないわけにはいかない。
当の本人でもあるヘルムート辺境伯も分かってはいるようだ。最後まで行きたくないとぐずってはいたけれど。
100年にも渡った先の大戦において、帝国を勝利に導いた英雄。乳飲み子から棺桶に片脚を突っ込んだ老人まで、我が主人の名を知らぬ者はいない。
そんな英雄である我が主人を社交や晩餐に招待する貴族は多い。
普段は執事でありメイドであり秘書でもあるわたしがお断りしているのだが、皇女主催ともなれば話は別だ。
選帝侯ヘルムート卿は煌びやかな会場を、まるで回遊魚のように流されていた。見ているこちらが不安になるほど浮き足立っている。
ときおり立ち止まることが許されると、ほっと息をついでは珍しい黒い蓬髪をわしゃわしゃとかきあげる。壮年の武人というよりは冴えない学徒といったほうがしっくりくる。
その姿はわたしが初めてお会いした70年前から変わることはない。
「あぁ……やっと見つけた。私はもう疲れたよフルーフ」
待機しているわたしの前につんのめりながらたどり着くと、我が主人はほっとしたように目尻を下げた。
「お疲れのようですが、まだ終わっておりません。麗しの皇女殿下がお呼びでございます」
わたしの視線を追うとげんなりとした表情を浮かべる。
第七皇女といえばまず囁かれるのがその人となりだ。
冷酷、残虐、非道。あまりいい話は聞かない。
そもそもが第九皇女であられたはずが、なぜか半年のうちに二人の姉を亡くし、あと数年もすれば第一皇女となるのではないかとまことしやかに噂されている。
その皇女が我が主人を呼んでいるようだった。顎を上げて手招きする様は優美であるいは冷徹だ。早くも帝国初めての女帝にでもなったおつもりであろうか。
「うへぇ。確かに呼んでいるね。いい予感がしないなぁ」
「しかたないのでお供いたします」
わたしが我が主人から離れることはない。離れたくても恐らく離れることはできない。そういう風にできている。
70年前に大戦が終結した時から。
「本日のお招き感謝に絶えませぬ皇女殿下」
「お目にかかりたかったわヘルムート卿。生きる伝説ですもの。そちらが噂の呪いですわね? あら、思っていたよりも可愛らしいのね」
「この子は私にとっては救いとしての死で御座います」
膝を折りながら皇女殿下の手の甲にキスをすると、我が主人はにこやかに訂正した。
呪いとはわたしのことだ。文字通りの意味である。比喩だとか暗喩などではない。
人ならず者との戦いを終結させた我が主人は呪いをかけられている。決して死なない不死者としての呪いを。その呪詛の一部がわたしというわけだ。
「うふふ。そうですの? 失礼しましたわ」
謝辞など微塵も感じさせずに皇女殿下は薄く笑った。まるで薄氷の上でダンスでも踊らされそうな雰囲気だ。
そしてそれはあながち間違いではなかった。
「皆様! 本日は誠に稀有な日でございます。あの英雄ヘルムート卿がお見えくださっております。不死者、死なずの英雄! 確かに噂通り70年の時を経てなお若さを保つお姿をご覧くださいませ!」
宮殿内がざわつき、悪意と好奇の入り混じった視線が注がれる。
「見てご覧フルーフ。これが人間というやつさ。英雄だなんだともてはやされるのは初めだけだね」
「そうは言っても、ヘルムート様も同じ醜悪な人間でございます」
「あは! 私をいまだ人間だなんて言ってくれるのはフルーフだけだよ」
皇女殿下が手を挙げると一斉に静まる。扇動する為政者のつもりか、心地好さそうに身震いするそぶりを見せると、侍女から一杯の盃を受けとった。
「これは一杯の毒酒でございます。ヘルムート卿。これをみごと飲み干すことができましたら、何なりと望みを叶えましょう」
オオッと歓声が上がる。
暇を持て余している貴族たちにとって刺激的な余興のつもりなのだろう。
「お控えくださいませ殿下。見た目は愚者なれど、我が主人は救国の英雄でございます。さすがに……」
「お黙りなさい。貴女に話しているのではなくってよ。さあさあヘルムート卿! 英雄と謳われる卿の勇気をお見せください!」
困ったように首を傾けると我が主人は照れ笑いを浮かべた。
「望みはなんでもよいのですか?」
「ええ、何なりと」
「それでは 完全なる 死を」
一瞬呆気にとられた殿下から盃を受けとると、我が主人は少し意地の悪い子供のように瞳を光らせた。
「アグッ! かはッ!」
毒の効果は即効性のようで、飲み干すや否やドス黒い血を吐き出す。
不死者とはいえど吐血もすれば痛覚もある。ただ死なないというだけなのだ。
我が主人はもがき苦しみながら殿下にすがりつき血を吐き出す。純白のドレスが血染めとなり一輪の薔薇のようだ。まさに死に際の断末魔といった空気感。周囲の貴族は言葉を失い悲鳴すらあげられない様子だ。
当の殿下すらタタラを踏みながら後ずさりしていた。
絶対にわざとだ。血の気を失った殿下の顔色を楽しんでいるに違いない。
「さあ殿下! どうか、どうかっ、私めに完全なる死をお与えください!」
「あっ! あっ! や、やめて……」
殿下から悲痛な悲鳴が漏れた。自分で手を下したのははじめてなのだろう。どうせ飲むことを拒否するか、もしくは読んだとしてもケロッとしていると思っていたに違いない。
そろそろ潮時か。
「オイタはそろそろおやめください馬鹿ご主人様」
「あれ? もう?」
燕尾の裾を軽く踏んづけると、我が主人は悪戯が見つかった子供のように目を丸くした。
「あぁ。やっぱり死ななかったね」
「あのような毒で死なれたらわたしの立場がありません」
「あは! それはそうだったね」
軽口を叩き合うわたしたち二人の周囲に空間ができていた。それはそうだろう。あたりには吐血が飛び散り凄惨極まりない。
「そろそろおいとまいたしましょう。じき騒ぎを聞きつけて警備兵が駆けつけるでしょうし」
「それは困ったね」
「それは死体のない殺害現場を検証する哀れな者の台詞です」
全く困った顔をしていない我が主人の手を引き、わたしたちは宮殿から文字通り逃げるように退散したのだった。
「先ほどはお戯れが過ぎます」
「そうかな?」
王都に所有する館に戻るとわたしは説教のために我が主人の部屋を訪れた。
ヘルムート様はバルコニーに出られて夕涼みされているようだ。そろそろ冬が近づいているのか、主人の吐く息が白くキラキラと夜空に輝く。
「はい。あの程度の挑発は軽く流して頂かないとこれから先が困ります」
「これから先……か。あと何年私は生きるのだっけ?」
「最大で2669年でざいます」
馬鹿げた数字に主人は思わず吹き出す。いつものことだ。
「いやね、今日はあの人の命日なんだ。もしかしたら死ねるかと思ったんだけどね」
「イシュトリア様でございますね」
わたしの言葉にヘルムート様は瞼を閉じてうなずいた。
大戦終結の直後にご主人様が婚約された伯爵令嬢の名前。
婚礼の儀の当日に投身した、愚かな娘としかわたしは思えない。
ヘルムート様の愛情を受けてなお、死によって他の男のものとなった痴れ者は、死後70年近く経ってもヘルムート様の心に巣食う。
わたしよりよほど呪いだ。
「わたしがいるではないですか」
「うん?」
思いがけず漏れた言葉に、ヘルムート様は怪訝な表情を浮かべた。
「あっ、ちがっ。そろそろお時間でございます。殺すのは……わたしの務め。そういう意味のわたしがいるではないですかという……」
「あぁ。そんな時間か」
午前零時の鐘の音とともに、わたしは毎夜ヘルムート様を殺す。
死なないご主人様を殺し続ける。
その為だけに生み出された呪い。それがわたし。
「汝を100万回殺してやる……か。確かに即死よりはるかに恐ろしいよ。私は今日死ねるかな?」
かつての婚約者と同じ日に死にたいのだろうか。
優しげに、憂げに、人は笑うとき何を思っているのだろう。
しかし、殺しても絶対に今日は死なせたりしない。死なせてあげない。ヘルムート様が完全に消滅する日、わたしも役目を終えて存在を失う。あの女と同じ日なんて御免こうむりたい。
「今日は……死ねるかな?」
もう一度尋ねられる。
「運がよろしければ。100万回通りある方法で、正解はただひとつ。ルーレットのようなものでございます。今日かもしれませんし、明日かもしれない。もしかしたなら2669年後かもしれません」
「そうだったね」
ごめんなさい嘘です。
わたしは100万回通りの中で、たったひとつの正解を知っている。
そう。はじめから。
無限とも思える時間の中で、いつかわたしに振り向いてほしい。
それが叶わぬ夢だとしても。呪いだとしても。欺瞞に満ちた2669年を、わたしはヘルムート様とともに過ごそうとしている。そして最期の日に打ち明けるのだ。
いつものように笑って許してくれるだろうか。
「さあ、はじめましょう。運が良かったらいいですね」
「そうだね」
寒くなってきたのか、手を擦りながらわたしのご主人様は無邪気に笑った。
「まあ、ひとりじゃないしね。2669年だとしても、あながち、ね」
never end
良かったら前日譚もどうぞお召し上がりください。
「やさしく殺して…〜ある令嬢の恋語り〜」