紅い恩人の提案
「まず、どこから話そうか」
紅い髪の青年が、肘を机について両手を組むと、そこに顎を乗せ、ゆっくりと告げた。
ラウィとシェゾは、例の薬屋から目と鼻の先にある簡易的な食事処で向かい合って座っていた。
外と室内を仕切る壁など存在しないため、気温は普通に低かった。風だけは凌げるので、いくらかマシではあるのだが。
二人の目の前には、湯気を立てる暖かいスープが置かれていた。シェゾが注文した物である。支払いは全て持つからと、彼が頼んでくれたのだ。
一文無しのラウィにとっては、かなり嬉しい提案であった。
しかし、それとこれとは話が別。ラウィは、厳格な雰囲気を纏う筋肉質な男の紅い瞳を鋭い目つきで見据えた。
「どこから、なんて必要無いよ。まず、結果から聞きたい」
「結果?」
「うん。あの時、シュマンの男を追ってたんでしょ? 姉ちゃんは、どうなったの……?」
神妙な声で、言葉を紡いでいく。
姉を連れ去った、シュマンの男。当時のラウィでは、太刀打ち出来なかった存在。それを追いかけていたシェゾなら、姉の行方を知っているかもしれない。
そう思っての発言だった。
それに対してシェゾは斜め上に視線を向け、後頭部をぽりぽりと掻いている。
「どうやら、齟齬が生じているようだね。私が話しに来たのは、その事ではない。だがまあ、気にもなるだろう。君の質問に答えよう」
シェゾはスープを口に含む。ふうっ、と吐いた彼の息は、白さが濃くなっていた。
「大体の予想はついているだろう? 残念ながら、見失った。誠に遺憾だよ。この私が、人から遅れを取るなど」
「……そうだよね。僕は五年前のあの時、二週間くらいは家の周辺で過ごしてた。旅に出る為に色々準備があったからね。もしシュマンの男を捕まえれていれば、きっと姉ちゃんと一緒に戻ってきてくれてただろうし」
「……」
「見失ったのは、僕のせいなんでしょ?」
シェゾの紅い瞳が、確かに一瞬細まった。彼は答えを返してはくれなかったが、それがラウィの推測は真であるのだと暗に言っていた。
アルカンシエルの三番隊隊長。五年前はどうだか知らないが、それでも当時だって相当の実力者だったことだろう。
そんなシェゾが、シュマンの男を逃してしまった。見失ってしまった。
――潰されそうなラウィを、助けてしまったばかりに。
きっと彼には、何らかの任務があったはずだ。でないと、あんな辺鄙な森なんかに来るはずがない。
その任務を後回しにしてまで、自分の命を守ってくれた。
シェゾが姉を助けられなかったのは、元をたどればラウィが、自分の身を守る事すら出来ない脆弱な存在だったから。
だからそんなラウィが、シェゾを責められる訳もなかった。代わりに、一つの単語を彼に投げかける。
「ごめん」
「何故君が謝る。もしあの時君を助けたのが、私でなくネリアやレーナ君だったらこうはなっていなかっただろう。全ては、私の力不足が原因だよ」
「良いんだ。全部僕が悪い。姉ちゃんを守れなかったのも、シュマンの男を倒せなかったのも、シェゾの足を引っ張ってしまったのも、全部全部僕が弱かったからなんだ」
自虐的な言葉を、矢継ぎ早にまくしたてる。それはどうしようもなく事実なのだ。ラウィの力が足りなかったから、全てが悪い方に傾いた。
ここでラウィは顔を上げ、でも、と一つ間を置く。
「今は違う。まだまだ上には程遠いけど、それでもあの時よりは強くなった。僕は姉ちゃんとの生活を取り戻してみせる。その為に、今日まで生きてきたんだから」
ラウィはシェゾの紅い瞳をしっかりと見つめる。一点の迷いもなく、その理想を言葉にした。
「……話が逸れるが、言わせてもらうよ」
しかしその理想は、シェゾが放つたった一つの言葉によって脆くも崩れ去る。
「君は、五年間も行方を掴んでいない人を、どうして無事だと断言できるんだ?」
――頭が。
真っ白に染まる。
「あの時は確かに、ラウィ君のお姉さんを取り戻す為にもシュマンを追った。でも、それは叶わなかった。私に言う資格はないと思うが、それでも言わせてもらう。何故君は、お姉さんが無事である前提で全てを進めているんだい?」
「――っ……は――」
言葉にならない音が口から漏れる。視界が歪んでいく気すらしていた。
それは、無意識の内に避けていた考え。可能性。普通に考えて、それは異常なのだ。
子供を誘拐する様な組織だ。攫った少女をどう扱うかなど、どれだけ想像しても足りない。
召使い。奴隷。それなら、きっとまだマシなのだろう。
最悪の場合、『玩具』として扱われる事もあり得るし、既にその命を落としている可能性だってあるのだ。
ラウィの初任務。そこで起きた、凄惨な事態。
リシアという少女の母親と、村人たちの無事を祈って向かった、グールの住処。そこで一体、何があっただろうか?
リシアが涙ながらに願った、母親の生。信じてやまなかった、愛する存在との変わらぬ生活。
そんなもの、どこにだって無かった。戻らなかった。そんな可能性、微塵も存在し得なかった。
そしてそれが、自分達の身に降りかからないと、どうして言い切ることが出来る?
五年前の変わらぬ姿、心で自分を待っていてくれていると、何故盲信していた?
「は、は――」
乾いた笑いがこみ上げる。瞳が熱い。何だか、呼吸も大人しくない。
――嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――――――ッッッッッッッッッッッッッ!!!!
「そんな事知るかッ!!!! 僕は姉ちゃんを助けるんだッ!!!!」
バンッ!! と机を叩いて立ち上がる。スープが揺れて少し溢れた。周りの客からかは奇異の目で見られているが、開いた瞳孔で目の前の紅い男性を射抜くラウィにはそんな事気づく余裕など無かった。
荒い呼吸のせいで肩が上下する。その蒼い瞳は、恐れの色に染まっている。
怖かった。だから、考えないようにしていた。
そんな事になったらラウィは、きっと正気を保てない。大好きな姉が、もうこの世のどこにも存在しないかもしれないなんて――
「あの……お客さん、困ります」
「ああ、すみません。失礼した。すぐに座らせるよ」
迷惑そうな顔を隠そうともしない店員から注意を受けて、席を立ち上がったシェゾがラウィの肩を掴み、椅子に腰掛けさせてくる。
口を歪ませ俯向くラウィの頭にシェゾが、ポン、と掌を乗せてくる。
「すまないラウィ君。厳しい言い方をしたな。その可能性を頭の片隅にも置いておいて欲しかった。君を、応援してるからこそだ。許してくれ」
「……いや、こっちこそ。取り乱してごめん」
シェゾが再び席に着く。ずずっ、とスープを嚥下し飲み干すと、容器を静かに机に置く。
「覚悟はあるようだね。たとえ最悪の結末だろうと、その可能性があろうと、とにかく突き進むしかないという、その覚悟が」
「……うん。だって、僕は姉ちゃんがいなきゃ嫌なんだ。死んでるかもとか、そんな事考えたことも無かった。とにかく最善を尽くすべきだ、って」
「良い答えだ。安否がわからない以上、無事である可能性だって大いにある。ラウィ君は正しいよ」
「それに、姉ちゃんも神術師だったんだ」
ラウィの発言に、シェゾが眉をひそめる。肘を机に置き、少し体を乗り出してくる。
「なに? それは確かなのかい?」
「間違いないよ。ずっと過ごしてたんだもん。その力を使ったのは見たことないけど、姉ちゃんの瞳は、確かに神術師でないとあり得ない色をしてた。その時は、綺麗だなくらいにしか思ってなかったけど」
「……ふっ」
シェゾの口角が、少しだけ上がる。チラ、と八重歯のようなものが顔を覗かせた。
「喜べ、ラウィ君。お姉さんが無事である可能性が高まったぞ」
「え?」
「力を自覚していなかろうと、神術師は神術師だ。貴重な戦力だ。それを、シュマンが雑に扱うはずがない。お姉さんはきっと無事だ。少なくとも、まともな扱いはされてるはずだよ」
呼吸が、一瞬止まる。それは、恐怖でも驚愕でも絶望でも戦慄でもない。
思いがけない、幸運。いや、これすら正確ではない。きっとそれは、言葉で表せるような代物ではないのだろう。
五年間、騙し騙し努力してきた、その意味。それが間違ってなかったのだと、突きつけてくる。
突きつけて、きてくれる。
報われる、とでも言うのだろうか。まだ助けられると決まったわけでもないのに湧いてくるこの感情に、しかしラウィは瞳を滲ませる。
「勿論、最悪の可能性が無いわけではないがね。さて、ここで本題に繋げたい。私が君に話をしに来たのは、ラウィ君の力になってやりたいからだ。その最悪の未来を念頭に置いて、私の提案を考えてみて欲しい」
「……」
ラウィは黙ってシェゾの続きを待つ。シェゾはそれを了承したかのように、初めて会った時と同じ、柔和な笑みを向けてきた。
「私の下で、研鑽を積まないか?」




