怒ると恐い銀髪の女性
「四番隊……」
「あら? 思ったより驚かないのね? お姉さんちょっと悲しいなぁ」
顎に指を当てて、おどけたように話すハグミ。ラウィはそんな彼女に、言い訳のような言葉を返した。
「いや、ジャンスとかネリアに比べたら似合ってるかなって。あの二人がトップの一員だなんて、ちょっと信じられなかったからさ……」
ラウィは、気味の悪い蛇のような生き物と、人形のような金髪の少女を思い出す。どちらも、組織のトップとしては意外とも言える姿形をしていた。
もちろん、ジャンスの実力はまざまざと見せつけられたし、ネリアにだって命を救われた。彼らの地位について、疑う余地などない。
それでもやっぱり、物珍しいというか、何とも言えない違和感は拭えなかった。
「何言ってるでやんすか! ジャンス様ほど上に立つに相応しい存在はいないのでやんす!!」
「……えっ?」
ラウィは思わず目を丸くする。いつの間にか目の前には、例の珍妙な青い生き物が現れていた。
完全に気づかなかった。見えない速度。アルカンシエルの五番隊を守る長としての力が、ラウィに認識させることなくその眼前にジャンスを出現させたのだ。
「まったく、お前の目は節穴でやんすか? ジャンス様こそ頂点に立つべき存在でやんすのに。節穴どころか穴だらけで、もはや蜂の巣でやんす。ハチミツ寄越せでやんす。お詫びするでやんすよ。さあ、早くくれでやんす!!」
次々と言葉を捲したてるイカれた生き物に、ラウィは開いた口が塞がらなかった。
ジャンスは、頭だけやたら大きい、アンバランスな出で立ちであった。申し訳程度に着いた手足。やたら大きく、人を小馬鹿にするような蔑む瞳。そして、この性格。
もはやそれは、神の悪戯とも言えるほどに突き抜けたイカれっぷりであった。
「そう! それでやんす!!」
「えっ?」
「ジャンス様は、もはやカミサマなのでやんすよ!!」
ビシィッ! とラウィに勢いよく指をさしてくるジャンス。ラウィは眉をひそめ、怪訝な表情を隠そうともしなかった。
「……何で言いたいことがわかったんだよ」
「だから言ってるでやんす。ジャンス様はカミサマなのでやんす。カミサマに不可能はないのでやんすよ。お前らの想像の範囲内には収まらないのでやんす。ジャンス様に常識は通用しないのでやんすよ。何度言わせるでやんすか、本当に頭が悪いでやんすね。良いから、早くハチミツ持ってくるでやんす。カミサマたるジャンス様に献上させてやるでやんす。ほら、早くするでやんすよ」
もう駄目だ。完璧に頭がぶっ飛んでる。そう結論付けたラウィは思考を放棄し、ジャンスから視線を逸らした。
「おいおいおいおい。無視でやんすか? 偉くなったもんでやんすね? 五番隊隊長であるジャンス様に――」
「ジャンス、良い加減にしなさい。品格が疑われるわよ」
相変わらず腹がたつ言葉を垂れ流し続けるジャンスとラウィの間に、銀髪の美女ハグミが割り込んできた。
ジャンスはそれでも口を止めようとしない。それどころか、余計にヒートアップしたようだ。今度はハグミに顔を近づけ、彼女をおちょくり始める。
「おばさんは黙ってろでやんす。歳食ったのなら、さっさと引退しちまえでやんす」
「お、おばさんって……」
ラウィは思わず声を漏らす。いくら何でも酷すぎる。ハグミは若い。せいぜい二十代だろう。確かに包容力に満ちたその雰囲気は二十代のそれとは思えないが、それにしたっておばさんは言い過ぎである。
ところが、ジャンスはそんなラウィの呟きに、衝撃の真実を突き返してきた。
「だってこいつ、四十年前にアルカンシエルが設立した時からこの格好でやんす。だから少なくとも五十は超えてるのでやんすよ。ジャンス様は天才だから知ってるでやんす。ハグミは紫の神術が操る『毒』で若作りしてるのでやんす。毒は使い方によっては薬にもなるでやんすからね。まったく恐い女でやんす。やーいおばさん。潔く隠居して茶でも啜ってろでやんす」
ジャンスのその卑劣な言葉に、ハグミは何も返さなかった。それは、ジャンスの謂う内容が真実であるという事を示していた。
ラウィは一瞬、ハグミが『人間』でない種族である可能性を疑った。しかし、ハグミが神術を使っている以上、それはあり得ない。神術を使えるのは、その固有能力を持つ『人間』だけなのだから。
遥か昔では、『エルフ』という種族も神術を使えたようだ。しかし、エルフは四百年ほど前に絶滅してしまったと本に記されていた。
だから、ハグミが神術師である以上、人間なのである。ジャンスが話すハグミの歳は、ラウィの知る通りの意味なのだ。
ハグミは、ジャンスの言葉に反論を返さなかった。しかし、極めて平坦で、それが逆に恐ろしい綺麗な声でそっと呟いた。
「……命を大切にしない子は、お姉さん嫌いよ」
「ついにボケてきたでやんすか? お姉さんじゃなくておばさんでやんす。言葉は正しく使うでやんすよ。では、ジャンス様はそろそろ逃げるでやんす。さらばでやんす!」
そしてその蛇のような生き物は、ヒュンッという風を切る音と共に視認不可の速度でこの場から逃げ出すとーー
「ふんっ!!」
ーー次の瞬間には、地面に叩き伏せられていた。
「え、あ……えっ?」
ラウィは思わず二度見する。今の今まで自分の目の前にいた二人が、今は疎らになった人ごみの向こうに瞬間移動していたのだ。
その格好から察するに、ハグミが裏拳でジャンスを地面に叩きつけたようだ。ひび割れ陥没した地面には、哀れな姿のジャンスがうつ伏せでめり込んでいた。
ハグミがその銀色の長すぎる髪を揺らし、ジャンスの首根っこをガッと掴んだ。地に伏せるジャンスを瞳孔の開ききった紫の瞳で見下ろしている。
端的に言おう。めちゃくちゃ恐い。
「甘いわねぇ、ジャンス。このまま刻んで酢漬けにして、蛇好きな獣人の子たちに振舞ってやるわ」
「嫌でやんす! ババア離せでやんす!!」
バタバタともがくジャンスと、それを押さえつけるハグミ。割れた地面や騒々しい声に、人々がチラチラ見ながら通り過ぎていく。
二人に取り残されたラウィは、同じく置いて行かれた傍のレーナに話しかける。
「……ホントに最上位の隊長達って強いんだね。で、レーナも七番隊隊長だったらしいね。ついこないだ知ったよ」
「え、今更ですか? あ、そうか。最近まで『レーナ班』だったので、ラウィは知らないんですね」
レーナも銀髪の女性と珍妙な蛇の揉み合いを見つめる。目を少しだけ細め、クリーム色の髪を耳にかけると、自虐的な笑みを浮かべた。
「私はそんなに強くないですよ。聞いたかもしれないですが、私は副隊長から繰り上げで隊長になったんです。元々が七番隊だっただけで、隊の番号入れ替え戦が行われれば、すぐに落ちちゃいますよ、きっと」
「そんなことないよ。当時から副隊長だったんなら、相応の評価がされてたってことでしょ。すぐ自分を卑下するのは良くないよ」
「……ありがとうございます、ラウィ。気をつけます」
口ではそう言ったが、レーナの顔はどうも晴れ晴れとしていない。何か、彼女なりに思うところがあるのだろう。
ラウィは、深くは詮索しなかった。大勢の仲間の死が関係しているデリケートな問題だからこそ、不用意に色々と突っ込むことはできなかったのだ。
自分は常識というモノが、イマイチわかっていないのだから。
彼女との間に壁を感じてしまったが、こればかりはラウィにとやかく言える事ではない。図々しく、それを越える橋など架けられなかった。
そして。
「……ああ、もうっ。ほんとに私はダメなんだからっ!」
突然レーナが声を荒げた。その直後。くる、と体をラウィの方へと向けてくる。その頬は紅く染まり、口はへの字に曲がっていた。
「ラウィ、ごめんなさい! そうですよね。隊員の前で隊長がどうせ負けるとか言っちゃダメですよね」
レーナは顔を少し傾けて、ニコッと純粋な笑みを浮かべる。その表情は、心の底から生み出されたものなのだと、ラウィは何となく感じた。
「貴方とも腹を割って話したいです。入れ替え戦があれば、その時は安心して見ててください。絶対に勝つとは言えませんけど、全力を尽くします。だから、応援してしててくださいねっ」
よくわからないが、レーナの中で何かが吹っ切れたようだった。その急な変化に戸惑いを隠せなかったが、ラウィは純粋な気持ちを彼女へ伝えた。
「う、うん。頑張って。レーナならきっと出来るよ。なんたって、そんなに真面目なんだもん。応援なら任せて。サッチとアレスと、絶対に行くからさ」
「えへへっ。ありがとうございます」
子供っぽい無垢な笑み。その、同年代とは思えないほどあでやかな笑顔に、ラウィも思わず頬を緩ませる。
騒々しい喧騒に満ちたクルードストリートで、黄色い少女と蒼い少年は、人知れず微笑み合っていた。
――その少し離れた場所では、ピクピクと痙攣する蛇のような変な生き物と、その頭をグリグリと踏みにじる銀髪の女性が注目を集めていた。




