クルードストリート再び
――
「……朝でも賑わってるんだね、ここは」
ラウィは、肌寒い早朝にも関わらずわらわらと蠢めく人の波を見て呟く。
クルードストリートは、相変わらずの活気であった。商人が人を呼び込む声。行き交う人々の喧騒。空では、シルフィードと呼ばれる種族の子供たちが仲良く追いかけっこをしていた。
天気は快晴。冷たく澄んだ空気が、ラウィの気持ちを不思議と高揚させてきた。
「ここは、一日中活気付いてますよ。開いてる店の系統は時間によってちょっと違いますけどね」
黄色い瞳の少女レーナが、そのクリーム色の髪をかきあげる。
ちなみに、今回もラウィは女の子が運転するスカイランナーに乗せてもらっていた。
いい加減上手くなりたいが、どうもラウィはスカイランナーを扱うのが苦手らしい。
神術の訓練の他に、スカイランナーの練習もしないとな、とか漠然と思った。
「で、レーナは何の予定があるの?」
ラウィは様々な店をキョロキョロ見渡しながら、並んで歩くレーナに尋ねる。
「ちょっと人と待ち合わせてるんです。まだ時間ありますし、どこか寄りましょうか。まずは、『お店』での常識を知っていきましょ?」
レーナはその小さな手でラウィの手を取って来た。そのままラウィを一つの店に引っ張っていった。
「いらっしゃい」
屋根しかない簡素な店。屋台と言った方が正確かもしれないほどの露店。そんな店に入るや否や、一人の女性が静かな声でそう告げてくる。その女性はレーナを見ると、頬を綻ばせた。
「あら、レーナちゃんじゃん。久しぶりね。元気してた?」
「お久しぶりです。それはもう元気でしたよ。ただ、最近はちょっと忙しくて……」
レーナが後頭部に手を当てがってはにかむ。それを見たラウィは、思わず眉をひそめる。
(……元気だった? レーナは最近まで塞ぎ込んでたって、アレスから聞いたけど……)
疑問に思ったラウィは、躊躇うことなくそれを口にする。
「レーナ? アレスがレーナは最近まで――」
――が。
レーナは手のひらをラウィに向けそれを制止してくる。もう片方の人差し指を自身の唇に当て、片目を閉じてラウィを見つめてきた。
「ラウィ、そういうところですよ。世の中には、言わない方が良いこともあるんです」
「……わかったよ」
イマイチ納得出来なかったが、とりあえず発言を止めた。そんな自分たちの謎の仕草に何かを感じ取ったのか、女性店主が間に入ってきた。
「なになに? 何かあったの?」
「何でもないですよっ。それより、新しい髪留めが欲しいんですけど、良いのありませんか?」
「おや? こないだ買ってったのがあるじゃないか。あれはどうしたんだい? まさか、もう壊れた?」
女性店主が、顔をしかめて頭をかく。対してレーナは、軽く手を振ってそれを否定した。
「壊れないですよ。大事に使ってますもん。そうじゃなくて、最近入ってきた女の子が使ってる髪留めがだいぶ傷んでるので、新しいのを贈ろうかな、って」
「にゃるほどね。そういう事なら、ベンゾケ草ってので編まれたこいつが――」
女性店主とレーナは、二人で何やら話し込み始めてしまう。まったく話について行けないラウィは、とりあえず店内を見回す事にした。
何やらカラフルな模様が描かれた腕輪や、翠の宝石が繋がっている首飾り。他にもたくさんの、大小様々な物品の数々がずらぁっと並んでいる。
装飾品ばかりだ。きっと、ここはそういうお店なのだろう。店主との会話を聞く限り、レーナはどうやら顔なじみらしい。
ラウィがぼーっと品物を眺めていると、下から覗き込むように視界にレーナが入り込んできた。
「ラウィ? 退屈ですか? すいません」
「いや、そんな事はないよ。見た事ない物ばっかで楽しいし」
「なら良いですけど……何か買いたいものとかなかったですか?」
そこまで言ってからレーナは、何かを思い出したかのように、はっと口を開ける。
「あ……そういえば、お金持ってないんでしたっけ……」
「ああ、うん……サッチから聞いたんだ?」
「ええ。たっぷりと。あんまり迷惑かけちゃダメですよ?」
「……ごめん」
レーナは顎に手を当てがい、うーんと考え込むような仕草をする。すぐあと顔を上げ、ラウィに一つの提案をしてきた。
「じゃあ、何か一つ買ってあげますよ。まだ給料も出てない事ですしね。ウチに入った事のお祝いです」
「え、いや……」
「これなんかどうですか?」
嬉々とした表情で、何かを手に取るレーナ。本当に楽しそうである。
ラウィは言われるがままにレーナからソレを受け取る。金色の、動物の顔を模したブローチであった。
そのブローチを見て、女性店主が快活な声で笑う。
「そりゃ炎獅子だよ。遠い地方の最強の猛獣さね。強さとプライドの象徴。男の子にゃ、ピッタリじゃないかい?」
「ですって。良いんじゃないですか?」
レーナと女性店主。二人してニコニコと笑顔を飛ばしてくる。
しかしラウィは、このブローチを購入するつもりは全くなかった。ブローチを元あった位置に置き直す。
「いや、僕はもうブローチは持ってるんだ。両親の形見で、姉ちゃんとお揃いのやつがさ」
ゴソゴソと、懐からソレを取り出すラウィ。
装飾品というにはあまりにも汚れていて、しかしだからこそ長い間持ち続けたとわかる、その大切なブローチを。
レーナはそれを見て、疑問の声を口にした。
「え、そんな物持ってるのに、何で着けてないんですか?」
「僕って昔から物を失くしやすくてさ。絶対に落とさないように仕舞ってあるんだ」
「……にゃるほど。そういうことなら」
女性店主はそれだけ言うと、何やら壁際の棚をガサガサ漁り始めた。そしてすぐに、何かを持って戻ってきた。
「貸しな。別に着けたいわけじゃないんだろ? でもせめて、懐に仕舞っておくだけってのはやめときな。首から提げられるよう、私が作り直してやる」
そう言う女性店主の手には、丈夫そうな紐と、針のような物が持たれている。ラウィがブローチを渡すと、ものの数十秒で彼女は作業を終わらせた。
簡単な作りではあった。ブローチの隙間に紐を通し、大きな輪っかを作って結んだだけ。しかしそれが、ラウィの目的には最も適した形なのである。
「ほい。これで良いだろ。大事なもんなら、首から提げときな。そっちのが絶対に失くさない」
「……ありがとう」
ラウィは、受け取ったブローチの紐を首に回し、それをぶら下げた。少しだけ笑みをこぼすラウィの耳に、一つの声が届く。
「八百ベルノな」
ニヤッ、と。女性店主が悪い笑みを浮かべて手を差し出してくる。どうやら、お金を請求しているのであろう事だけは辛うじて理解した。
「レーナ、悪いけどお願いできる?」
ラウィはお金を持っていないので、何一つ思考せずにレーナに全てを丸投げする。その行動が予想外だったのか、女性店主は慌ててラウィとレーナの間に割って入ってくる。
「嘘だよ嘘! 冗談の通じない子だな。こんなんで金取るわけないだろ、まったく。八百ベルノは、レーナちゃんが買った髪留め代だよ」
「……ラウィはちょっと変わった子なんです。長い目で見てあげてください」
「しゃーないな。レーナちゃんの頼みなら」
レーナはローブの下から小さな布袋を取り出した。ジャラジャラと、中から硬いものが擦れ合う音が聞こえてくる。おそらく、お金が入っているのだろう。
袋から一枚の金色の硬貨を取り出すと、レーナはそれをラウィに手渡してきた。
「それが千ベルノ金貨です。簡単な数字の計算はできますよね? 今回の場合は、二百ベルノのお釣り。百ベルノ銀貨が二枚返ってくるわけです」
「へぇ。お金にも色んな種類があるんだね?」
「そうですね。白金貨、金貨、銀貨、銅貨、鉄貨の五種類が有ります。鉄貨が一ベルノで、十倍ごとに種類が変わります。白金貨は、一万ベルノですね」
レーナは、ひょいっとラウィから千ベルノ金貨を取り上げると、そのまま女性店主に手渡した。代わりに、銀色の硬貨を二枚受け取り袋へと入れる。
「じゃあ、そろそろ時間なので行きましょうか。ありがとうございました」
ペコ、と女性店主に頭をさげるレーナ。対して女性店主は、満面の笑みで手を振ってきた。
「ああ、またね、レーナちゃん。兄さんも、ウチをご贔屓に」
ラウィも軽く会釈すると、レーナの後を着いて店を出た。日差しが照りつけ、ガヤガヤとした人混みへと再びその身を投げ込む。
ともすれば押しつぶされそうな圧力に身を押されながらも、レーナを見失わないように追いかけるラウィ。暫く歩くと、ようやく肉の壁が和らいできた。
「ふぅ……すごいね。こないだ来た時とは大違いだ。あの時も活気はあったけど、こんな歩きにくくなかったよ」
「まあ、こういう日もありますよ。天気が良いと、特にですね。さて、この辺りのはずなんですけど……」
レーナは周辺を見回す。待ち合わせをしているという人を探しているのだろう。
「ところでさ、レーナ。人と会うって言ってたけど、僕もいて良いの?」
ラウィの質問に、レーナは口元を緩ませる。目を細めて、風に揺れる綺麗な髪を耳にかけた。
「もちろんですよ。ついでに紹介します。みんなのお姉さんみたいな人ですからね」
「ふーん。どんな人だろう?」
「すぐに会えますよ。あ、いた!」
レーナは子供のように無邪気な笑みを浮かべる。ピョンピョンと嬉しそうに飛び跳ね、腕を大きく振ってその人の名を叫ぶ。
「ハグミさーん!!」
「……えっ?」
ラウィはその名前に聞き覚えがあった。
レーナが声をかけた方向に視線を向ける。
ラウィの考えは正しかった。この間サッチとクルードストリートへ向かう際、一緒に来てくれた、あの銀髪の若い女性であった。
その紫の瞳の女性ハグミはレーナの声に気付いたのか、地面につきそうなほど長い髪をなびかせながら歩いてくる。それすら、優雅であった。
「……あら? あなた、この間の」
ハグミが、ラウィを見るや否やそう呟く。その発言に、レーナがラウィに眉をひそめて尋ねてきた。
「え? ラウィ、ハグミさんに会ったことあるんですか?」
「あ、うん。前にちょっとね」
ラウィはハグミにほんの少しだけ頭を下げる。ハグミはそんなラウィを見て、その紫の瞳を細めた。
「そういえば、しっかりと自己紹介してなかったわね?」
ハグミは顔を少し傾け、ゆっくりと唇から音を発してきた。
「アルカンシエル四番隊隊長、ハグミ=リリーです。よろしくね、新人さん?」




