気がついた蒼い少年
「う、嘘でしょ!? ここのトップじゃんか!!」
ラウィは、目を細めて微笑む落ち着いた雰囲気のシェゾと、対照的にせわしなく動くネリアを見て声を荒げる。
ラウィが以前クルードストリートで会った、珍妙な蛇のようなうざい謎の生物ジャンス。
彼(?)は、とても強かった。サッチの必死の連撃を遊び感覚で全て避けきり、なおかつ余裕を残していたほどの猛者である。
そのジャンスですら、五番隊隊長。そして目の前の二人は、それをも上回る実力者だということになる。
ラウィは想像もつかなかった。自分より遥か上の、もはや異次元とも呼べる強さを持つ存在が。
特に――
「こんな小っさい子が、アルカンシエルのナンバー2なの……?」
自分よりも頭一個分以上背の低い、人形のような可憐な目の前の少女が、七百を超える隊長たちの中で二番目に強い。
その余りにも信じがたい事実に、ラウィは眉をひそめてネリアを見つめる。
「小っさい言うな!! 命の恩人に向かってその言い草はないのじゃ!!」
ネリアは足をバタバタと打ち鳴らし、それこそ子供のように癇癪を起こす。隣に佇むシェゾがそんなネリアの頭をフードごと押さえつけた。
「小さいのは事実だろう。もう夜だ。子供達はとうに眠っている。いい加減静かにするんだ」
シェゾの言葉に、むすっと口を膨らませるネリア。彼女も子供なのでは、と思ったが、シェゾが放つ言葉はラウィにそれ以上の思考をさせてはくれなかった。
「ラウィ君も、そんなに驚くことないだろう? 確かに我々は一桁の隊長だが、君だってその隊の隊員ではないか」
「……へ?」
「レーナ君の下についたのだろう? 君だって立派な一桁、七番隊の隊員だ。驚くことじゃあない」
「え、ええええええええッッッッッ!!??」
ラウィは絶叫する。その声は、中庭と室内を繋ぐ壁に反響しながら暗い夜空へと吸い込まれていった。
その音響に、シェゾが顔をしかめてラウィを咎めてくる。
「ラウィ君、静かにしろと言ったばかりなんだが……?」
「だ、だって……」
そのシェゾの迫力に、思わずたじろぐラウィ。
信じられなかった。多分、ここ数年で一番驚いた。
レーナの実力は知らない。ただ、アルカンシエルの隊の番号が隊長の強さで決まる以上、『半分よりも上』の隊の隊長であるレーナが弱くない事だけはわかっていた。
――つもりだった。
弱くない、のではない。強すぎるのだ。
レーナが七番隊隊長。隊長の半分には勝てるとか、そんな領域の話ではない。そのほとんどを、レーナは蹴ちらす事が出来るのだ。
あの、吹けば消えてしまいそうな儚さを纏うレーナが。華奢で童顔で、ともすれば戦うことすらしなさそうな大人しい少女が。
「なんだ。それも知らなかったのか。ああ、そうか。七番隊は今、『レーナ班』と名前を変えているのだったね。新入りが入った今、きっと元の名前に戻されるだろう」
シェゾが納得したようにウンウンと一人で頷く。
言われてみれば、妙ではあった。レーナ班なのに、レーナは隊長だった。
「二ヶ月前の、七番隊の壊滅事件。あれを機に、構成員が二人になった七番隊は『レーナ班』となったんだ。レーナ君が、隊長になる事を拒んでいたからね」
シェゾが、言葉を続ける。そのすぐ後、ネリアが今までの印象とは打って変わって険しい目つきで夜空を見上げる。
「あの子は責任感が強すぎるなのじゃ。もっと気楽にやればいいのになのじゃ」
「君は適当すぎるよ、ネリア」
「うるさいなのじゃ。ところで、ラウィとか言ったか? オマエは神力を一体なんだと心得ておるなのじゃ?」
フードの隙間から流れてくる、その長すぎる金髪を夜風に揺らして、人形のように歪な美しさを持つ少女がラウィに問いかけてくる。
「無くなれば死ぬ事も知らんかったようなのじゃ。オマエは神力をどうイメージしているなのじゃ?」
「……あ、ごめん聞いてなかった。何?」
「ネ、ネリアを無視したなのじゃ!?」
ネリアが再び、頭から湯気でも出しそうな調子でプンスカプンスカ騒いでいるが、ラウィには原因がわからなかった。
ほとんど会話を聞いていなかったのだ。レーナの力が衝撃すぎて。
ラウィは、アレスから聞いた言葉を思い出す。
『レーナは、ちゃんと相応の実力と実績を評価されて、今の立場にいる』と。
その言葉が示す真の意味が、ようやく今わかった気がする。
ラウィに無視されて歯を剥き出しにして地団駄を踏むネリアを、シェゾが再びなだめる。この光景も、もはや何度目だろうか。
それでもシェゾが嫌な顔をしていないあたり、彼の温厚さがわかるとともに、ネリアの癇癪が日常茶飯事であることも伺えた。
「ラウィ君。神力というのは、その人の生命力から作られるんだ。誰もが持っている生命力を神力に変換する力を持つものが、神術師と呼ばれる」
「……そうなんだ」
「ああ、だから神力の過剰使用は、生命力を枯渇させることと同義だ。そして生命力が底をつけば、その者は体を動かせなくなる。四肢はもちろん、呼吸運動や、拍動でさえも」
ラウィは思わず手のひらを見つめる。
先ほどの金縛りのような硬直や、薄れていく意識。あれは、生命力を使い果たしてしまった事から来る現象だったのだ。
「オマエが今生きてるのは、ネリアが生命力を流し込んでやったからなのじゃ。わかったらもっと感謝してほしいなのじゃ。こんな事が出来るのは、ネリアくらいしかいないなのじゃ」
ネリアが、その薄い胸を張る。その顔は、口元が片方だけ吊りあがり、ドヤァとでも言いたげな表情をしていた。
「……うん、本当にありがとう、ネリア。助かったよ。流石二番隊隊長だ。そんな人にわざわざ助けてもらって、申し訳ないよ」
ラウィは、ネリアの色が違う瞳をしっかりと見てそんな事を言った。それに対し金髪の少女ネリアは、ふっ、と視線を下げて小さな声でぼそっと呟く。
「……オマエは、『アルカンシエル』の名前の由来を知ってるかなのじゃ……?」
「……いや」
「そうか、なのじゃ。ここで改めて言っておく。アルカンシエルとは、『虹』の事なのじゃ」
ネリアは、ばっと顔を上げる。その瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。
「虹とは、架け橋。人と人とを繋ぐ、架け橋なのじゃ!」
「……!」
「たくさんの種族で作られた、それぞれを結ぶ架け橋。人は誰しも助け合い、互いに繋がりあって生きている。だから、感謝はして欲しい。でも、申し訳ないなんて思わないで欲しいなのじゃ……」
ネリアはボロボロと大粒の涙を流す。そのまま無言のシェゾの胸に顔を埋めて彼の服をぎゅっと握った。
種族の管理。アルカンシエルの目的は、互いに排斥し合う種族間のわだかまりを取り除く事。
恐怖。暴力。支配。様々な負の関係で満ちている異種族を繋ぎ直す、その仲介役。
その重鎮であるネリアはきっと、その想いが人一倍強いのだろう。
「こんな夜中に一人で修行していたのも、そうなのじゃろ……? 自分一人で解決しようとするな。オマエには色んな架け橋がある。仲間を頼れ。莫迦者」
ぐずぐずと鼻水をすするネリア。彼女はシェゾの服を掴みながら、真っ赤に充血した瞳だけをこちらに向けて睨んできた。
シェゾが、そんなネリアの小さな頭をフードの上からポンポン、と優しく叩く。
「ラウィ君。それに関してはネリアと同じ意見だ。君には七番隊のメンバーがいるだろう。それだけではない。アルカンシエルの者は皆、君の仲間だ。好きなだけ頼り、頼られるんだ。わかったね」
シェゾは、肩を震わせるネリアを連れて月明かりが差す中庭から去っていった。
「……」
残されたラウィは、呆然と突っ立っていた。
冷たい夜風が頬を撫で、それに揺らめく芝生がサァーッと綺麗な音を奏でる。
噴水からは相変わらず水が噴き出し、飛沫が舞って霧が月明かりに煌めいて光り輝いていた。
(……仲間、か)
視界が広がった気がした。そうだ、自分は独りよがりだったんだ。全て自分の力だけで解決するつもりでいた。
姉のレウィがいなければ、ロクに生活する事も出来なかったのに。
シェゾがいなければ、五年前、崩壊する家に押し潰されて死んでいたのに。
カルキがいなければ、もはや顔も覚えていないような奴隷商人に殺されていたのに。
サナやドーマがいなければ、過酷な運命に喘ぐサッチを助けられなかったのに。
サッチがいなければ、アルカンシエルを見つける事すら出来なかったのに。
アレスがいなければ、神術膜を上手く扱えないままグールと戦う事になっていたのに。
リシアがいなければ、大量に押し寄せるグールに対抗出来ず食べられていたのに。
そして今日も、ネリアがいなければ、わけもわからぬまま命を落としていたのに。
(……帰ろう)
ラウィも、芝生が敷かれた空間をあとにする。
自分は今まで、誰かに助けられてここまで生きてきたのだ。そんな事にも気付かなかった自分に嫌気が刺す。
もうすっかり人気が無くなったロビーを歩く。煌びやかな装飾も、灯りのない時間帯ではその輝きも失われている。
ラウィは七階まで階段をあがり、レーナ班、いや、七番隊専用の部屋の扉に手をかける。
そしてそのまま、押し開いた。
中は明るかった。そして、暖かい。おそらく、暖炉に火が灯っているのだろう。
奥まで進む。談話室として使われている部屋の中心にあるソファには、一人の少女が口を開けて気持ちよさそうに眠っていた。
黒髪の少女、サッチである。
彼女の髪は、濡れていた。おそらく風呂にでも入ってきたのだろう。任務から帰ってきて浴場で疲れを癒し、そのまま眠ってしまったようだ。
そっけない灰色のズボンに、シンプルな横縞の上着。およそ寝間着とは思えない服装でサッチは眠りについていた。
「まったく……風邪ひいちゃうよ」
ラウィは軽く溜息をついて、彼女に歩み寄る。その手を伸ばして、サッチを起こそうとする。
その一瞬前。サッチの口が動いた。
「ん……ラウィ……」
「?」
ラウィは思わず手を引っ込める。寝言だった。安らかで、安心しきったようなだらけきった笑みで、サッチは言葉を紡いできた。
「ラウィ、アタシが……きっと……」
「!」
暖炉で燃える炎によってゆらゆら照らされるサッチ。彼女は確かに眠っている。にも関わらず、ラウィの事を考えていた。
『姉ちゃんを探すんだろ? それを、アタシにも手伝わせくれ』
タイナ村での宴。アルカンシエルに向かう自分に着いて行くと言ってくれたサッチのあの時の言葉を、ラウィは思い出した。
あの時、自分は一度断った。サッチから繋げようとしてくれた架け橋を、断ち切るような真似をしてしまった。
もう、そんな失礼な事はしない。
だから、ラウィは眠ったままの彼女に呟いた。
「……うん。頼りにしてるよ、サッチ」
ラウィは、少女の綺麗な黒髪を優しく撫でる。
少女は、笑っていた。




