10-12 二人が生きる理由
「サ、サッチ……! そんな勝手な事……!」
レーナは橙色に染まっていく草原の中でサッチを追いかけた。
サッチはその黒い髪を風で揺らし、そして止まる事なく一つの目標へとスタスタと歩いって行ってしまう。
やりたいようにやる。聞こえは良いが、とんだ絵空事だ。
実際問題、障壁が多すぎる。
まず、あの大きなユリウスをスカイランナーで連れて帰る事は出来ない。
それに、明らかに過干渉だ。フィエロがそれを望むのなら、レーナはその権限を持ってアルカンシエルへと招待した。
しかし、彼女らはそれを否定した。希望していない以上、無理やりに引き込む事などできはしない。
アルカンシエルは、団体だ。当然、入隊すれば仕事も割り振られるし、自由時間も減る。だから、入隊は強制では無い。あくまで、勧誘するだけだ。
規則。
レーナとサッチがアルカンシエルに所属している以上、それには絶対的に縛られるのだ。
「サッチ!」
だから、レーナはサッチに声をかける。彼女と並んで早足で歩きながら。
「何かをするなら、まず隊長の私を通してからにしてください」
「……」
サッチは、レーナにチラッと目線を寄越してくる。何かを話す事は無かったが、足だけは止めなかった。
「良いですか? 私が請け負った任務は、『ユリウスが独りになった時にアルカンシエルが迎えに行く事を手配する』事です。サッチの行動は、その任務に逆らう事なんですよ?」
「……わかってる。でもするんだよ」
「……私は、アルカンシエルの部隊長です。組織に逆らうサッチを見過ごすわけにはいきません」
レーナの放った言葉に、サッチの目が徐々に鋭くなっていく。
「だったらなんだよ。力づくで止めてみるか? 隊長さんよ」
「そんな事しないです」
レーナは軽く息を吐く。そしてサッチの瞳をしっかりと見据え、告げた。
「だから、フィエロさんからしっかりと『依頼』されてきてください。任務を上書きしてください。そして、誰にも文句を言われずに彼女らを連れて行きましょ?」
レーナは、ニッ、と笑ってみせる。
そのいたずらっぽい笑みは、レーナが久しくしていない表情であった。
レーナは、アルカンシエルの一部隊を率いる隊長である。しかしそれ以前に、まだ十四歳の女の子なのだ。
いくら気丈に振る舞っていても、レーナだって納得などいっていなかった。だから、サッチの行動に反対はしない。
しかし、しっかりと然るべき手順は取る。サッチと違って、そこだけは真面目なレーナだった。
サッチは一瞬、キョトンと目を丸くしてレーナを見つめてきたが、すぐにその口角を吊り上げていく。
「……はっ。やっぱりレーナといると安心するよ」
「私もですよ、サッチ」
二人の少女は笑い合う。
橙の瞳の大人びた少女と、黄の瞳の童顔な少女。
活発で男勝りなサッチと、物静かで気品に満ちたレーナ。
対照的で、しかし気が合う二人は、夕陽差す草原を仲良く歩いて行った。
二人に唯一共通する、『繊細な優しさ』に背中を押されるままに――
――――
「……というわけで、アンタらをアルカンシエルへと連れて行く」
フィエロ達が住む円錐形の巨大な家に戻ると、開口一番サッチがそう告げた。
フィエロは、ポカーンと口を半開きにしていた。当然である。状況を何一つ理解していないだろう。
「あ、あの……それは一度終わった話なのでは……?」
「そうだな。だからもう一度言った」
サッチの発言に、フィエロは余計に頭を混乱させたようだ。助けを乞うように、レーナの方を見つめてくる。
レーナはニッコリと微笑むと、彼女に言葉を投げかける。
「私も同じ意見ですよ。すいません、こんなにすぐ意見を変えちゃって。でも、私もそれが一番だと思うんです」
「で、ですが、これは私とユリウス二人の問題なのです。誰かに迷惑をかけるわけには……」
「いえ、もうあなた方二人だけの問題じゃ無いんですよ」
フィエロの発言をバッサリと切り捨てるレーナ。
「私達がそうしたいんです。フィエロさんとユリウスだけが我慢するのが許せない。だから、これは私達の気持ちの問題でもあるんです」
「む、無茶苦茶ですよ……」
「ふふっ。ええ、無茶苦茶です。ですが、ねっ、サッチ」
レーナはサッチに目配せをする。その黒髪の少女も悪そうな笑みでそれに応えた。
「ああ、アタシ達はユリウスと同じく、やりたい事をやらせてもらう事に決めたんだよ」
サッチはそのまま、部屋の奥の方で何やら座って遊んでいるユリウスに近づいていく。
積み木だろうか。背丈がサッチの五倍ほどもあるユリウスの持つそれは、玩具と呼ぶには大きすぎたが、ユリウスはそれを軽々扱っていた。
そんな半巨人の子どもを見上げ、サッチは彼に声をかける。
「なあ、ユリウス。お前、もっと遊びたいよな?」
「うぅ?」
「もっと体を使って、走り回って、たくさんの友達とはしゃぎたいよな?」
「あう!」
満面の笑みで、大きく頷くユリウス。その無邪気な表情は、嘘偽り無い答えを表していた。
「……ってことだ、フィエロさんよ。ユリウスは友達と遊んでみたいらしい。アンタ一人だけじゃ、ユリウスは退屈しちまうんじゃねえか?」
「……」
口をつぐむフィエロ。そんな金髪の女性に、サッチは言葉を続けていく。
「アンタが死ぬまで友達がいねえのもかわいそうだろ? その後急に知らない奴らから迎えに来られてもユリウスが困るだろ。今、一緒に行くべきだ」
「……ですが」
「ですがもクソもあるかよ。言っとくが、こちとら全然迷惑じゃねえ。種族の保全とやらが、アルカンシエルの目的らしいんでな。何かあっても、そこのレーナは結構お偉いさんだ。何とかしてくれるよ」
誇らしげにそんな事を言うサッチに、レーナは軽く突っ込みたくなった。そのまま、思った事を彼女に告げる。
「丸投げしないでください。サッチにも手伝ってもらいますからね?」
「わかってるよ」
レーナは、棒立ちのフィエロに歩み寄っていく。そして、俯いて表情の見えない彼女の手を取り、優しく語りかけた。
「一人で抱え込まないでください。私も、そうしてしまう気持ちはとてもよくわかります。ですが、それはきっと、何も解決しないんです。もっと私達を頼ってください。何でも力になりますよ?」
震えるフィエロの手を、ギュッと強く握るレーナ。フィエロの頬には、水滴が伝っていた。
レーナは静かに、諭すように、その透き通るような清廉な声で簡潔に告げる。
「私達は、あなたの味方です」
そして。
その長い金髪の女性は、声をあげて崩れ落ちた。何かが決壊したかの様に、その瞳からは大きな粒が次々と溢れてくる。
「わ、私は、こんなにも優しくしていただいて、よろしいのですか……っ? こんなっ、穢れた私を、助けてくれるのですかっ?」
「当たり前じゃ無いですか」
レーナは、嗚咽を漏らす彼女の小さく、しかし大きな母親の肩をそっと抱きしめる。
暖かかった。その温もりはきっと、彼女の心を表しているのだろう。
「ありがとうございます……!! ありがとう、ありがとう……ッ!」
フィエロは、ずっとずっと泣いていた。巨人に襲われてからというもの、彼女には頼る者など一人もいなかったのだろう。
どこまでも息子を想い、そのために自分自身の人生さえ投げうつ覚悟を決めたフィエロ。
たとえ誰に認められなくても、自分の内から湧くモノに従って村を守り続けたユリウス。
そんな強い二人を、レーナとサッチはアルカンシエルへと連れ出した。
結局、村人達にフィエロ達を見直させる事は出来なかった。きっと彼らは、これからも半巨人とその母親への偏見を止めることは無いだろう。かつて村にはそんな輩もいたと、語り継いでいくのだろう。
何の解決にもなっていないかもしれない。現実から目を逸らしているだけかもしれない。
しかし、それでも、冷たい運命から救われた親子が、確かにいるのだ。
これは、二人の親子。彼らを守った、たったそれだけのお話。




