10-10 溜まった鬱憤を
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サッチは、フィエロとユリウスが暮らす家を逃げるように出ると、広い草原を当てもなくぶらついていた。
気にくわない。
フィエロの境遇は、とても辛いものだった。自分たちには笑顔を向けてきたが、あんなものやせ我慢に決まってる。
泣いたって良かったのだ。恨みつらみを村人にぶつけてやれば良かったのだ。村に戻りたいと、わがままを吐き出してやれば良かったのだ。
なのにフィエロはユリウスを取った。確かに彼女は母親としてそれを望んだ。しかしそれはきっと、なんの迷いも無い決断では無かったことだろう。
彼女を知らぬ誰かがフィエロの境遇を知ったとして、彼女がわんわん泣いたとしてもそれを咎める者など、きっといない。
それほどの過酷な運命を背負った女性。かかるはずの無かった重荷をその細い肩に乗せられてしまった女性。
もっと自分を甘やかしても誰も文句を言わないのに、そんな奴に限って歯を食いしばって耐えている。そういうのが、サッチはどうしても許せなかった。
しかし、現実問題、自分にしてやれることなど何も無い。
それが、この上なく悔しかった。
(ラウィなら、あいつらを救えたのかな。わがままで意味不明な持論を展開して、村の連中と和解させる事も出来たのかな)
サッチは、橙色に染まりつつある大空を見上げた。ヒュウッと、一陣の冷たい風が彼女の長い黒髪を揺らしていく。
その、夕焼けと同じ色の美しい瞳は、どこともわからない空間を映していた。
(アタシは、ヒーローにはなれなかったよ)
ラウィのおかげで、取り戻した心。目標。憧れ。
しかし彼女は、理不尽な出来事に涙を飲む女性から本当の笑顔を取り戻すことが出来なかった。
誰もが笑いあえる人間関係。
それは、サッチの生きる目的だった。
それすらも届かない。何一つ、自分は望むものを得られていない。
(くだらねえな、本当に)
目の前のものすら助けられず、何がヒーローか。何が憧れか。
しょうもないルールに縛られ、そんなモノのせいで何の罪もない親子に全てを押し付けるのが、自分の理想の姿なのか?
サッチはイライラしていた。段々と体内に溜まっていくソレを解き放つように、傍らの樹をドォン! と思い切り殴りつける。
天賦の才を持つ少女の拳は、見上げる様な大木の幹をだるま落としの様に弾き飛ばし、一撃で大地へ転がせる。
それでも、サッチの苛立ちは治らなかった。鋭い目つきで虚空を睨む。
まるで、見えない何かに挑む様に。大いなる力に、反抗の意を示すかの様に。
そんな荒々しい黒髪の少女の背後から、声がかかった。
「サッチ、探しましたよ」
サッチは振り返る。そこには、大木が倒れたことで発生した強風にクリーム色の髪をはためかせる、黄色い瞳の少女が立っていた。
「そんなに抱え込まないで。サッチは何も悪くないんですから」
ゆっくりと、静かな声で励ましてくる。そんな童顔な少女に、サッチは更に憤怒の感情を募らていく。
(こいつは、また……ッ!)
血がカーッと上っていくのがわかった。サッチは、レーナを思いっ切り睨みつける。その顔は、もはや哀しいとも取れる表情だった。
そのサッチの態度に、レーナは少しだけ萎縮してしまったようだ。眉を垂らし、体をわずかに引いている。
そんなレーナに、サッチは思いの丈をぶちまけた。
「……ふざけんなよ。抱え込んでるのはお前のくせに!!」
「!」
この後に及んで、レーナ自身のことは置いておきながら、こんな自分の事を心配してくるのか。一体、どこまで自分に厳しいのだ、こいつは。
「わかってんだよ。お前がまた、一人で全部背負っちまってることくらい!!」
村長の策略にはまり、助けたいはずの親子を追放せざるを得なくなった責任。
あんなもの、レーナに落ち度など何一つない。彼女は、常に最善の道を歩いていた。
ただそれを、あの狡猾なハゲジジイが利用しやがっただけなのだ。
しかしレーナは、そうは考えないだろう。まだ知り合って日は浅いが、わかる。レーナはそういう奴なのだ。
「それだけじゃねえ。『終わったことだから、本当に大丈夫だ』って言ったさっきの言葉も嘘だってわかってんだよ!!」
「……ッ!?」
レーナは明らかに動揺する。ふざけるな。隠し通せるとでも思っていたのか。
「大丈夫なわけがねぇだろうが! あんな表情しといて、アタシが何も感じねえほど鈍感だとでも思ってんのかよ!?」
サッチは、レーナの過去などアレスから聞いた程度しか知らない。しかしそれでも、あの時のレーナの悲痛な面持ちは、サッチに嘘だと伝えるには充分すぎた。
「どうせ必要以上に自分を卑下して、でもアタシに心配かけないようにしてたんだろ? 悲しいよ。頼れって言った側から気持ちに蓋しやがってよ……」
「……なんで、そう思ったんですか……?」
レーナは、否定はしなかった。それが、自分の言ったことが検討はずれではないと如実に物語っていた。
サッチは軽く息を吐く。そして、極めて低い声で、吐き捨てるように呟いた。
「女の勘だよ」




