10-2 早々の危機
――二日前――
「……ったくよぉ」
「サッチ、どうしたんです?」
ふと不満気な声を漏らしたサッチに、レーナは声をかける。
「何でアタシばっか任務なんだよ! ラウィは!?」
レーナとサッチは、スカイランナーで空を翔けていた。二人に依頼された任務。その目的地へと向かっているのだ。
アレスと修行をしたという、サッチとラウィ。ラウィはまだまだ力不足であったが、サッチの場合は即戦力になるというのが、アレスの判断であった。
そのため、基礎修行は早々に切り上げ、ラウィの面倒をアレスに任せ、レーナはサッチだけを連れて既に任務に出ており、これで三回目だ。そして彼女は、それに納得がいかないようだった。
「ラウィは戦闘面では不安が残るそうなので……とりあえずサッチだけでも経験を積ませたいというのが、お父さんの判断みたいですね」
「……まあ、組織にいる以上従うけどよ……ラウィもあれで強いんだぜ?」
「それ結構言ってますけど、絶対にサッチの方が強いですよ? アレスよりも速いらしいじゃないですか」
レーナは、サッチの妄言染みた発言に言い返す。
アレスだって強いのだ。八年前にアルカンシエルに拾われてから、彼はずっと腕を磨いてきた。
そんなアレスよりも、サッチの動きは洗練されているのだという。もはや常識外れだ。サッチは、その凄さがわかっているのだろうか?
「まあ、昔から走り回ってはいたからな。でもよ、別にそれでアレスよりアタシの方が強いってわけじゃねえだろ? それと同じだ。動きが鈍かろうと、アタシよりもラウィの方が強い、はずだ」
「はず、ですか……」
「まあ、やり合った事はねえからな。いや、一回だけあったか。まああれは、アタシが一方的に殴り飛ばしただけだけどな」
「じゃあ、やっぱりサッチの方が強いんじゃ……?」
レーナは、サッチが何を言っているのかイマイチ把握しきれていなかった。ところが、どうやらサッチも同じ気持ちのようで、頬をぽりぽりと掻きながら、苦笑いをこぼす。
「う、うーん……そう、なのかもな」
「え、どっちなんですか?」
「わかんねえよ。ただ、アタシじゃ勝てなかった野郎に、ラウィは勝った。それだけは事実だよ」
「そうなんですね……」
レーナは純粋に驚いていた。
レーナのラウィに対するイメージは、『子どもで、信じられない量の食べ物を貪る変な子』であった。
とてもじゃないが、激しい戦いをするような人物には見えなかった。自己中で、かつ能天気な少年だと思っていた。
「ちょっと意外です。それでサッチは、ラウィのことを尊敬してるんですね」
「まあな。こんなアタシなんかを救ってくれたんだ。感謝の一つや二つじゃ足りねえよ」
「でも、総司令官の判断ならしょうがないです。何故か凄い嫌がってたみたいですけど、ラウィにも任務に出て欲しいなら、サッチも修行を手伝ってあげてくださいね?」
「……しょうがねえな」
口を尖らせるサッチに、ニコッと微笑みを向けるレーナ。
クリーム色の髪と、真っ黒な髪。レーナとサッチは、それぞれの長い髪を風に靡かせながら、宙を走り続ける。
ここで、サッチが再び口を開く。その顔は、神妙な面持ちであった。
「ところで、この任務……討伐任務っていったか? 討伐って事は、何かを殺すのか……?」
「……そう、ですね。依頼書には、村で暴れまわる巨大な生き物だという事ですが……詳細は分かりません」
レーナも、無意識に声のトーンを落としてしまう。
凶暴な生物だろうと、命は命だ。他人の手で摘み取られるいわれはない。しかし、その生き物のせいで更に多くの命が脅かされるなら、それは駆逐しなければならない。
アルカンシエルがそう判断する以上、レーナに任務がくだった以上、私情を挟まずにそれを達成せねばならない。
「あのエロオヤジもひでぇな。立場上、娘だからって甘やかすのはいけない事だってわかってるよ。でもよ、それにしたって、隊員を失った隊長に、討伐任務与えるか普通?」
「あ、聞いたんですね……?」
「まあな。下手に気を使うのも苦手なんだ、悪いな。娘だと意識しないように、逆に厳しく当たってるのか?」
「……もしくは、私に試練を与えているのか、ですね。十中八九こちらでしょう」
レーナの予想を聞いて、黒髪の少女サッチは、その橙色の瞳で空を仰いだ。
「はっ。厳しいエロオヤジだな? でも、良い親父だ」
「ふふっ。あ、そういえば、しっかりと叱っておきましたよ。私からも謝っておきます。ごめんなさい」
「あ? なにが?」
サッチが、キョトンとした瞳でこちらを見つめてくる。レーナはその意図がわからず、思わず彼女に聞き返した。
「何って……何かされたんじゃないんですか? だからお父さんの事……」
「ああ、そういう事か。そうだな。そういうことにしとく。おもしろそうだし」
「……? あ、そろそろ着きそうですね。あの村です。降りますよ?」
レーナは、遥か前方の大地に、目的の村を発見した。徐々に速度を落とし、同時に高度も下げていく。
ヒュオオオオッと、空色のイールドで操る風を進行方向と逆向きに噴出させ、ゆっくりと地面に降り立った。
レーナは村を一瞥する。一見何の変哲もない村である。依頼書に書かれていた、巨大な生物とやらも見受けられない。
ふぅ、と。少しだけ息を吐いた。数時間の飛行。流石に疲労を隠しきれなかった。
「やっと着きましたね……サッチ、大丈夫ですか?」
「まあ、なんとかな。とりあえずどっか座りてえな」
「そうですね。まずは村長の所へ話を聞きに行きましょうか」
レーナとサッチは、スカイランナーをその辺の茂みに立てかけると、ジャンマドという名の村へ足を踏み入れた。
――その瞬間。
ドォォォォンッ!! と、大地が揺れた。そのあまりの振動に、二人は思わず振り返る。
そこには一人の大きな生物が、陥没した地面に立っていた。その迫力にサッチが、冗談じゃないとでも言いたげな嫌な笑みを浮かべる。
「で、でけえな、おい。まさか、こいつが?」
「ええ……『標的』、だと思います。トロール……いえ、巨人でしょうか」
レーナは足でしっかり地面を掴み、ソレを見据える。
ブクブクと太ったふくよかな体型。ボサボサの髪は、その生物の目を覆い、不気味さを増長させていた。
基本的な造形は、人間と似通っていた。違うのは、その大きさだ。異常に大きい。縦にレーナが五人は積めるだろう。
前髪の隙間から微かに覗く目は、貯まった脂肪に押されて細くなっている。しかし、こちらを睨んでいる事だけははっきりとわかった。
(どこからか跳んできたの……? 一体何故?)
レーナの思案はそこで中断させられた。
その巨大な生物は、おぞましい雄叫びをあげながら、あまりにも対照的にか細い二人の少女に襲いかかってきた。
「ぐおおおおおおおおおッッッッ!!!」
速い。
その鈍重な身体に似合わず、俊敏な動きで飛びかかってくる。その速度は、見た目以上に生物を大きく見せてきた。
しかしこの程度の速さで、神術師を捕らえられるわけがない。
レーナとサッチは、同時に左右へ飛び出した。固まっていては危ない。二手に分かれて注意を逸らす目的であった。
ところが。
サッチは空中に飛び出した瞬間、唸りを上げる大木のような太い腕に叩き落とされてしまった。
「ごっ、ふッ……!?」
ドゴォッ!! と、背中から激しく地面に叩きつけられるサッチ。神術膜の効果で身体的なダメージは少ないだろうが、数秒はまともに呼吸が出来なくなってしまうだろう。
間に合うはずの無い神術師の動きに、着いてきた。サッチの行動を、そのルートを、予測していたのだ。この巨人の様な生き物は。
「サッチ!!」
レーナは思わず叫ぶ。
巨大な生物はその手を、仰向けに地面に転がるサッチへ伸ばしていく。その、線の細い華奢な体へ。
その、胸へ――
レーナの瞳から、黄色の光が溢れ出した。




