9-9 アレスの苦悩
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アレスは、明らかに様子がおかしいラウィを先に自室へ帰すと、一人総司令官室へ向かっていた。
螺旋階段を登る。同じ角度で同じ高さをあがり続ける事を強要するその連鎖は、それだけで今のアレスを苛立たせてくる。
(……あかんな。これじゃガキと一緒や。世の中理不尽な事なんか腐るほど溢れとる。いちいち癇癪起こしとったら、それだけで人生終わってまうで)
この世界がイカれてる事など、とっくにわかっていたことではないか。
だから、そんな気違い染みた世界に生きている以上、不幸など常に付いて回る。
その中で、救えるものは出来るだけ救う。少しでも世界に反抗してやる。
そう思って、今まで任務をこなしてきたじゃないか。
リシアは救えなかった。それだけだ。そういう運命だったのだ。
(なのに……何でこんなに腹がたつんや……ッ!)
アレスは困惑する。
考えと感情が一致しない。そんなこと、別に珍しくもない。今までだってたくさんあった。
堅苦しい理屈とかそんなものを放り捨て、自身の内から湧いて出てくるモノに従って飛び出した事もあった。
逆に、溢れ出る想いを抑えつけ、歯を食いしばって耐えたことだってあるのだ。
だから、おかしな事ではない。ないはずなのだ。
救えなかった命。そんな物を一つ一つ数えていては、きっと夜が明けてしまう。
たった十六歳の少年ですら、それだけの量を経験してしまっている。それほどまでに、この世界というものは終わっている。
戦争はもちろん、盗賊団による蹂躙、奴隷制度、他にも様々な『暗い』部分が世界には溢れている。
アレスは、そうした闇の部分を少しでも減らすために努力してきた。それでも、どうしても救えないものは確かに存在する。
わかっていた。理解していたはずだった。
でも――
グルグルと、それこそ螺旋階段のように同じ思考を繰り返す。
正解のない解答。アレスはその泥沼にどっぷりとはまっていた。
そこからアレスを助け出すのは、やはりあの人でしかありえない。
「失礼するで」
アレスは螺旋階段を登り切ると、すぐに扉を押し開く。いつもより気持ち小さくなってしまった声で、入室の挨拶をした。
茶色を基調とした落ち着いた空間が顔をのぞかせる。その中心で、壮年の男性が何やら書類の山に追われていた。
「お、アレス、おかえり……ってお前。何があったんだ?」
「……相変わらず鋭いっすね。今こっち見る前に気づきましたよね。もー気持ち悪いで、もはや」
開口一番、自分の気持ちを察し、尋ねてきたナダスに、アレスは呆れながらも少し安堵する。
「お前の事なんか何でもわかるよ。ラウィはどうした?」
「あいつは、先に部屋に帰らせたで。悪いっすけど、ちょっと今は無理そうっすわ。初任務なんはわかっとるけど、あいつは今度にして、そっとしといたってや」
「……わかった。聞こう」
ナダスの表情が真剣なものに変わる。鋭い眼光でアレスを射抜いてくる。
とりあえず、アレスは初めに謝っておいた。
「ナダスさん、すません。命令破りました。ちょっと一戦交えちまいました」
「馬鹿かお前。そんな事その血まみれの服見たらわかる。理由を聞きたいんだ。あれほど言っておいただろうが。ラウィに怪我は無いんだろうな?」
ナダスはいつも通りの調子で言葉を紡いでいるつもりだろうが、節々に感じる怒気、少しだけ強い口調に、アレスは思わず肩をすくめる。
「はい、怪我は無いっす……精神の方は、ちょっとわからへんけど……」
「それはお前が責任取るんだぞ。しっかりケアしてやれ。お前のは?」
「……バレとりましたか。流石っすね」
アレスは、さり気なく隠していた両腕をさらけ出す。グールの爪に二度切り裂かれたその肉は、赤黒いモノによって傷口を固められていた。
それを見て、ナダスが眉をひそめる。
「お前の事なんか何でもわかると言っただろう。良くない怪我なのか?」
「いや、そんな事はないっすわ。いつも通り、三日もあれば治ると思うで。痕は残るかもしれへんけど。右拳も、内出血しただけ。何も問題はあらへん」
「そうか。ならいいが、帰りに一応医務室へ寄っていけ」
「ういっす」
アレスは、捲った袖を元に戻す。実は少し染みているのだが、それはナダスには黙っておいた。
これ以上余計な心配をさせたくない。もしかしたら、お見通しなのかもしれないが。
「それで? 何があったか詳しく聞こうか」
アレスはあった事を全て報告した。
定期連絡が途絶えたのは単なるミスであり、異常はなかった事。
一度集落から離れたが、ラウィの直感に任せて戻ったところ、何者かの襲撃を受けて壊滅していた事。
少女が一人だけ残されており、犯人がグールであった事。
まだ生きているかもしれない人々を救うために、時間を惜しんでそのままグールの住処へ向かった事。
集落の人々は既に全滅しており、駆逐対象であるグールを殲滅してきた事。
最後に、グールの少女をこの手で殺めてきた事。
「……そうか。ご苦労だった。仕方ないな、今回の命令違反は厳重注意に留めておいてやる。お前はもう、充分に罰を受けただろう?」
「あざす。あとナダスさん、欠陥があったんですわ」
アレスは、ビアルダ集落がグールに襲われながらもアルカンシエルに助けを求めなかった理由をナダスに告げた。イリアが帰らぬ人になってしまった今、それを伝えられるのはアレスしかいないのだ。
金銭面の問題。小さな集落であるほど経済的に余裕がなくなっていくのに、一律同じ料金を徴収するという明らかな欠陥。
「なるほどな。何故今まで気づかなかったのかわからないほどの愚策だな。早急に改善案を考えるよ」
「それを差し引いてもウチと契約する利点がでかいらしいっす。やから、それを裏切りたくない。それじゃ、頼んます」
「ああ、下がっていい。お前もしっかり休んでおけ。思うところがあるんだろう?」
「あはは、ホンマに何でもお見通しっすね」
アレスは、ナダスに困ったような笑みを返す。
「なら、明日の夜、ええっすか……?」
「ああ、茶菓子を用意しておく」
ナダスの返答に軽く会釈すると、アレスは踵を返して出口へ向かう。
ポケットに手を入れると、何か硬いものが入っている事に気がついた。
(あ、そういえばラウィに蒼のイールド使わせるの忘れとったわ)
自ら水を生成する事が出来ないラウィ。だからこそ肉弾戦を想定して、あくまで保険として、水を出すこのイールドを持たせておく予定だったのだが――
(まあ、ええか。慣れないものを使わせるほうが危険やったし、結果的にはこれで良かったんや)
アレスは、その小さな蒼いイールドを片手でクルクルと弄ぶ。
そのまま出口の扉に手をかけようとしたが。
その扉がふと開いた。
「失礼します」
「おおっと!?」
アレスは咄嗟に身を引くも、総司令官室に入ってきたその人物に追突されてしまった。
思わず蒼のイールドをぎゅっと握ってしまう。力を込めてしまう。
そこから、水が溢れ出した。
その水は、自分にぶつかり密着するその少女に、バッシャァ! と、全て降りかかってしまった。
そう。
レーナ班隊長、黄色い瞳の儚い少女、レーナに。
(あ、やばいわ)
アレスは一瞬で状況を理解し、そして判断した。
恐る恐る眼下の少女に視線を向ける。レーナは、なんかゴゴゴッ……とでも鳴りそうな感じで佇んでいた。
「……アレス。どういうつもりですか?」
そのクリーム色の綺麗な髪からポタポタと水滴を垂らしながら、アレスを睨むレーナ。
「ちょ、ちょっと待てや。今のは俺は悪くないやろ。ロクに確認もせず飛び込んできたレーナが悪いんや……」
「いやいや、男なら自分に非がなくても謝れよ。なあ? エロオヤジ?」
レーナのあとに続いて部屋に入ってきた黒髪の少女、サッチが悪い笑みでナダスに問いかけた。
アレスは思わず、努めて小さな声でサッチを咎める。
「や、やめろやサッチ。ナダスさんは親バカなんやぞ。怒る前に俺をここから出」
「もう遅いアレス」
ガシッ! と。ナダスに首根っこをやたら強い力で掴まれるアレス。その握力は、グールなど比ではなかった。
そのまま、総司令官室の奥まで引きずられていく。
「いだだだだだだだだ!!!!!! ちょ、マジでもげますって!! 勘弁してくださいや!! いや!! いやぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!!!」
――本当に、この世界は理不尽だ。
そう思ったアレスであった。




