9-8 この歪んだ世界で
――
(……くそっ)
ラウィは、自室の寝具の上で仰向けに転がっていた。スレプトという植物の種子から作られた軽い布団すら、今は煩わしい。
両眼に腕を乗せて、一人きりの部屋で奥歯を噛み締める。
部屋を締め切り、薄暗い空間でラウィは身体を無造作に放り捨てていた。
初任務は、何とも苦い経験となってしまった。
ラウィはアルカンシエルに帰還するまで、結局一度も口を開かなかった。
一度でも何かを話してしまえばきっと、全てが決壊してしまうから。きっと、溢れる感情をアレスにぶつけてしまうから。
(くそっ! くそっ! くそぉぉぉぉッッッッ!!!!)
守れなかったのだ。理不尽な暴力に全てを奪われた少女を。ラウィが味方すべき、辛い出来事に涙を飲んだ少女を。
ラウィにとって、これは二度目の経験である。守りたい者を守れなかったのは。
わがままで、自分勝手なラウィ。蒼い少年は、自分の望んだ通りに物事が動かないと嫌なのだ。
『――ばいばい』
リシアの最後の声が、頭から離れない。
強く、優しく、そして、もう何処を探しても会うことの出来ない少女を想う。
「うっ……ううっ……」
気がつけば嗚咽を漏らしていた。
『手、にぎってよ』
怯えながらも、前へ進もうと踏ん張った少女。あの小さい温もりを感じる事も、もう叶わない。
『とめないで、ラウィ』
健気で臆病な少女に、何故そんな覚悟をさせてしまったのか。
命を捨てさせた。生を諦めさせた。
まだ生きていたかった。もっと遊びたかったと呟いた少女を。
――殺した。
「ああああああああああああああああああああッッッッッッッッッ!!!!!」
ラウィは光の足りない部屋で絶叫した。
この、とめどなく溢れる感情はどうしたらいい?
どうしようも無い事実を、どう受け止めたらいい?
これから、自分はどう歩いていけばいい?
何かが間違った世界。リシアはこの世界の事をそう評した。
それは、きっと、どうしようもなく真実だ。
なんの罪も無い集落の人々は死に、生きるために仕方なく人間を食していたグールは駆逐対象。その肉体をもつ少女は自ら命を絶った。
何故そんな悲しい生き物が存在してしまうのだ。何故世界はそれを生み出すのだ。
そしてこの一連の事件も、氷山の一角に過ぎないのだろう。
ラウィは見てきた。旅をしていた五年間で。
盗賊に襲われ壊滅した街を。戦争で親を亡くしてしまった子供たちを。奴隷として苦汁をなめる人々を。
二年間苦しみ続けたサッチを。兄妹としての時間を奪われていたサナとドーマを。大切な人たちを大勢失ったレーナとアレスを。
この世界は、おかしい。自分は、姉をさらわれるまでは本当に平和で幸せな日々を送っていた。
それを、全ての生き物が享受してはいけないのか。味わってはいけないのか。奪われなくてはいけないのか。
『こんなゆがんだセカイなんてしらないッッ !!!! ボクが、ぜんぶブッこわしてやるッッッッ!!!!』
絶望にまみれた、リシアの発言。思い。
ラウィは、その気持ちが本当によくわかった。
こんな世界、壊してしまいたい。誰かを不幸にするのなら、最初から全てなかった事にしてやりたい。
しかし。
『ここで、しっかり生きたよね? なにかがまちがってるこのせかいで、のろわれたこのカラダで、それでも、ここで生きたよねっ……!?』
この世界には、確かに自分達が生きた時間が刻まれている。そして、悪意だけで構成されているわけでもなかった。
サッチは村人に認められた今がある。サナとドーマは現在同じ道を歩んでいる。レーナとアレスにも、それ以前には同じような時間があっただろう。
そしてラウィには、姉と過ごした九年間が確かに存在する。
リシアにも、イリアという女性と共に生きた幸せな時間が、確実にあったのだ。
その事実だけは、覆らない。壊すわけにはいかない。
変えなければ。世界はこのままじゃ駄目だ。自分がそれを正す。すぐには出来ないかもしれないけれど、長い時間をかけて一つ一つ直していく。
アルカンシエルは、それができる。
ラウィの当初の目的。そして、達成するまで変わらない目標。望み。願い。最愛の姉を探し出し、再び同じ時を一緒に過ごすこと。
それも同じ事なのだ。自分自身の、『ラウィの世界』の歪みを正す。
わがままなラウィは、そこを譲るつもりはない。最優先。行動全ての中心である事には変わりない。
しかし。その範囲は、もはやこの世の生きとし生けるもの全てにまで広がった。
守る。どんな酷い奴でも、性根の腐った人物でも、救う。
――もう誰も、殺さない。殺させない。
それは、傲慢で、不相応な誓い。しかしラウィは、元々自分勝手なのだ。やりたいようにやって、何が悪い。
ラウィは、すっと立ち上がった。その蒼い眼は、涙ですっかり腫れ上がってしまっていた。
自室を出る。辺りはすっかり夜の帳が下りている。月明かりだけが、変わらぬ光でラウィを見下ろしていた。
力をつける。休んでいる暇などない。
馬鹿みたいな目標だと、自分でも思う。だったら、それが場違いな望みにならないよう、強くなる。
強く、なってやる。
ラウィは今朝アレスと修行していた噴水のある中庭に立つ。紺色の空に包まれた空間に立つと少年は、その蒼い瞳から光を噴出した。




