9-4 その名は暴力
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「リ、リシアッ!?」
アレスは思わず叫ぶ。
幼い少女の、変わり果てた姿。あの髪、爪、身のこなし、瞳。
間違いない。『狂獣化』と呼ばれる固有能力だ。アレスは、先ほども似たような存在と闘った。
アレは、グールだ。第一級危険生物に指定される、種族を喰らう種族だ。
(リシアは、グールだったんか!?)
アレスは信じられなかった。
ならば、さっきのリシアの涙は偽物だったのか?
イリアを助けてほしいと泣きながら、心の中では自分たちをせせら笑っていたとでも言うのか?
(……んなわけあるかッ! 何を考えとるんや俺は!!)
アレスは、自分で自分を戒める。
あの悲しい粒は、紛れもなく本物だ。リシアの本気の感情が流させた、願いの塊だ。
あれが、嘘なはずがない。
そんな、獣のように変貌した少女は、空間が揺れるほどの凄まじい大音量で、思いの丈をぶちまけた。
「こんなゆがんだセカイなんてしらないッッ !!!! ボクが、ぜんぶブッこわしてやるッッッッ!!!!」
リシアが、天井から飛び立つ。
地面、壁、天井を跳ね回り、そのあまりの速さに端からは線が動いている様にしか認識できない。
そして、その線に轢かれたグールは、例外なく頭と体を分断させられていった。
みるみるうちに、空間が赤く染まっていく。至る所から飛び出す血飛沫に、洞窟はあっという間に地獄絵図と化した。
しかし。
「暴れすぎだ、小娘」
ボスグールが呟きながら手を伸ばす。次の瞬間、その手のひらにはリシアの足が握られていた。超高速で動き回っていたリシアを、いとも簡単に捕らえたのだ。
「ッ!? はなせッ!!」
「そのつもりだ」
ドゴッ! と、嫌な音がアレスの耳を突く。異彩を放つボスグールが、リシアの華奢な腹部を殴りつけていた。
地面に放り出されるリシア。そんな彼女に、いつの間にやら『狂獣化』していた二体のグールが襲いかかる。突然の命の危機に、本能が覚醒したのだろう。
そして。グチャッ、と。
水気のある不快な音が、悪臭の充満する洞窟内に響いた。
アレスの両腕が、リシアへ飛びかかった二体のグールの喉元を貫いた音だった。
アレスの背後では、ラウィがリシアを抱えてこの場から離脱していた。
リシアの危機に、思わずグールを倒したアレス。
リシアの危機に、思わずリシアを守ったラウィ。
二人の微妙な性格の違いが、これ以上無いコンビネーションを生み出していた。
「か、こほっ。けほっ」
「リシア、大丈夫?」
ラウィが、お腹を押さえて苦しそうに咳き込むリシアを心配する。『狂獣化』の姿のまま、リシアは涙目でえずいていた。どうやら、大きな傷は負っていないようだ。
アレスは、首を貫通させたグール達から、腕を引き抜く。どさっと力無く倒れるグール二体。しかし、その二体のグールは、様子が異なっていた。
右手で貫いたグールは、微動だにしていない。完全に死んでいた。おそらく、首にあるという『核』を破壊したのだろう。
それに引き換え、左側のグールは、呻き声を上げながらピクピクと痙攣している。どうやら、殺し損ねたようだ。
二体の違いは、首に開いた穴の位置だった。ピクリとも動かないグールの喉元を見やる。
(……『核』の位置は、両鎖骨の真ん中。甲状腺のあたりか。悪いな、痛かったやろ。すぐに楽にしたる)
アレスは、神術で強化した指先で、未だ苦しみもがいているグールの『核』を潰した。声を上げることなく、そのグールは静かに絶命した。
これで確定だ。『核』は、首の特定の位置に存在する。
アレスは、ボスグールを睨む。そして、彼に問いかけた。
「自分、あんま驚いてへんな。リシアがグールだって事、知っとったんちゃうか?」
「ああ、知っていたさ。匂いでわかる。他の種族は香ばしいが、グールだけは食欲が失せる妙な匂いがする。共食いを防ぐための進化だ」
「……そうか」
アレスは、全てを把握した。
リシアが、ワーフラ原生林で「変な匂いがする」と言ったのは、近くに同じグールであるあの髪の長い男がいたから。
この洞窟が臭くないと言ったのは、匂いの正体が人間の死体だったから。
それだけじゃない。
食べ物の好き嫌いが多いのは、リシアが『種族』しか食べる事の出来ないグールなのにも関わらず、人間と同じ食生活をしていたから。
倒れていたリシアを見つけた際に心臓の鼓動が聞こえないとラウィが勘違いしたのは、彼女が心臓を持たず、代わりに『核』という臓器を持つ種族だったから。
(はは、なんやそれ。それじゃあ……俺は、リシアを……)
これから先は、考えられなかった。考えてはいけなかった。
考えたくなかった。
そんなアレスを無視して、ボスグールがふと話し始める。
「ある時、群れからはぐれた幼児がいた。その赤ん坊とも言えるほど幼いグールは、とある一人の人間の女に拾われた。そして、それから五十年近く、人間として育てられた」
ボスグールの言葉に、アレスはその意図を理解する。
きっと、その幼児こそが――
「お前の事だよ、小娘。その時俺らは、同族であるお前をさらわれても、あの集落の人間を襲わなかった。我慢したんだ。怒りに任せて食料にしてやることだってできたが、向こうも命がある。無闇な殺生は避けるべきだ、とな」
人間以外の種族は、成長が遅い。同じくらいまで成長するのに、五倍ほどの時間を要する。
十歳前後に見えたリシアは、既に五十年もの時を生きていたのだ。グールである、彼女は。
「お前を集落に置き去りにしたのも、それが理由だ。五十年も人間として過ごしたお前は、もはや仲間ではない。しかし、どうしてもお前を食う事は、我々には出来ない。だから、放置したのだ」
「殺しまではせーへんから、勝手に生きろって事か?」
「そうだ。まさか、餌を連れて今更のこのこ戻ってくるとは思わなかったよ」
アレスの背後から、すすり泣く声が聞こえてくる。見るまでもない。リシアの物だ。
「じゃ、じゃあなに……? ボクは、にんげんじゃなかったの……?」
「そうじゃないよ、リシア。君は、人間だ。あんなイカれた種族じゃない。しっかりと、人間の心を持ってる。だってリシアは、人間であるイリアって人を救いたいって思ったじゃないか。その意思は紛れもなく、人間の物だよ」
ラウィが、リシアを慰める。そしてそれは、本当の事だ。
確かに、体の構造は違うかもしれない。人間と同じ速度で時を刻んではいないかもしれない。
しかし、それでも。
彼女の、人を想う心は、同じ『人間』でないと持ち得ない物だ。
ラウィの言葉に少し頬を緩ませたリシアが、おずおずとアレスに問いかけてくる。
「ありがと……ラウィ。ねえ、アレス。ボクのあたらしい『いらい』……きいてくれないかな?」
「ああ、何でも言うてくれ。リシアの『心』に免じて、タダでやったる」
「じゃあ……グールを、たおしてほしい。イリアをボクからうばったやつらを、みんなやっつけて!」
「承知した。グールの討伐任務、しかと受け取った」
アレスは、足に力を入れる。全身に神術膜を展開し、腰を落として臨戦態勢に入った。
それに相対するボスグールや、未だ生きている大量のグールも、仲間の血だまりの上で拳を構えた。
「ふん、神術師とはいえ、人間の分際で? 身の程をわきまえろ。そもそも、こっちには何人のグールがいると思ってる?」
「雑魚が何体いようと同じ事や」
アレスは、ボスグールの後ろに立ち並ぶ大量のグールを見回す。大体五十体というところか。
全員が『狂獣化』しているようだ。獣のような唸り声まで聞こえてくる。
(まあ、だから何、って感じやけどな)
「餌の時間だ。小娘を除く二人を喰え。こいうらばかりは、好きに食いちぎって構わないぞ」
「やってみろや。どうやら俺たちと自分らは、どう足掻いても相容れない存在みたいやな」
アレスは先ほど、髪の長いグールの命を奪った自分の行いが、本当に正しいのかどうか葛藤していた。
しかし、ようやく結論が出た。
この極限の状況で、アレスは真理に達したのだ。
(意見が食い違うなら、相手を黙らせればええ。正義が勝つんやない。勝った方が、正義を振り翳せるんや)
それは、酷い暴論。しかし、どうしようもないほど正論だった。力が無ければ、何を言っても駄々にしかならない。生き残らなければ、誰かに伝える事も出来ない。
死んだら、全てが終わりなのだ。
もう戻らない日々。失わなくて良かった日常。
何故それらが崩れ去ってしまったのか。それはもう、集落の人間に、グールと対抗する手段が無かったからに他ならない。残酷だが、それが全てなのだ。
だから、迷うな。
目の前の仕事を、確実に遂行しろ。
全てを天秤にかけ、広い視野で何をすべきか判断しろ。
「ラウィ! 自分は絶対、リシアに指一本触れさせるんやないぞ!!」
「わかってる! アレスも気をつけて!」
アレスは、そのクソッタレな集団へ、姿勢を低くして突っ込んで行った。
今まで一度も放つことの無かった、純粋な殺意を向けて。




