1-5 慈愛と誓い
カルキは、ラウィが入っていった穴を暫く見つめていた。
ラウィの姿はとうに消えている。
それでもカルキは、ぼうぼうに伸びきった植物に隠された出口を眺めずにはいられなかった。
名残惜しかった。
これでまた暫くの間は、独りでこの草原を守る事になる。
それでも、ラウィをここに引き止めておくわけにはいかなかった。
「ラウィ、頑張ってお姉ちゃんを……レウィを救い出すんじゃぞ」
ぽつりと呟く。
カルキは、ラウィの目的を知っていた。
さらわれた姉のレウィを見つけ出すために、アルカンシエルを探している事を。
「ワシが力になれるのは、ここまでじゃ。あとは、お前さん次第じゃよ。ラウィ」
カルキはラウィに、一つだけ嘘をついていた。
ラウィのような若者が元気に生きることが、願いだと。
あれは正確では無かった。
正しくは、ラウィとレウィが、元気に生きること。
そのためなら、たとえこの身を犠牲にしたとしても構わないとカルキは思っている。
それほどカルキは、ラウィとレウィに深い愛情を持っていた。
それに反比例して、その他のものに対しては何の感情も抱いていない。知らない。どうでもいい。
カルキにも、かつて愛した女性はいたが、もうこの世にはいない。
今現在、カルキの頭の中を占めているは、ラウィとレウィの事だけであった。
神術膜を一度でマスターしたのがラウィが初めてなのは当たり前であった。カルキは、ラウィにしか教えたことがないのだから。そして、これからも教える事は無いだろう。
(……レウィの時は間に合わなかったが、ラウィは、二度も救うことが出来た。話をすることもできた。こんなに嬉しいことはない)
カルキはこの日を楽しみにしていた。
いつか、ラウィがここにやってくる事を。
「じゃが……五年はちと待たせすぎじゃありゃせんかのう? ダモン」
カルキは、出口の穴から目を離さずに、近くにいるであろう誰かに話しかける。
ダモンと呼ばれたその人物は、いつの間にかカルキの後ろに立っていた。
「計画に狂いが生じては全てが水泡に帰してしまうからな。慎重である必要があった。あいつは要だ」
「五年の間、ラウィの安全はしっかり守ったんじゃろうな?」
「あいつから話は聞いたろう。神術師と遭遇することはなかったと。我々が誘導したのだ。もちろん、悟られぬようにな。ついでに、アルカンシエルの周辺にも近づかせなかった」
カルキは、ダモンの発言を一応信用する。古い付き合いだ。彼の性格はよく知っている。ダモンは嘘をつかない。
カルキは、ぶっきらぼうに言葉を投げた。
「ふん、まあええわい。ワシはお前さんの計画とやらは、よくわからん。まあお前さんなら上手くやっておるのじゃろう、深くは訊かんよ」
じゃが、とカルキは前置きして、
「ラウィをぞんざいに扱ってみろ。ワシはお前さんを絶対に許さない。その時はあらゆる手段を用いてでもお前さんを消してやる」
カルキは顔だけ振り返ると、橙色に輝く双眼で、男を睨みつける。その眼は、明確な敵意に満ちていた。
その様子を見て、ダモンは心底楽しそうに嗤う。
「くはは。これではどちらが親なのかわからないな。いつから俺にそんな眼を向けるようになったんだ?」
「……お前さんは少し変わった。じゃが、あの誓いだけは変わっとらんと、信じるぞ」
「やはり、お前に任せて正解だったな、ワズラット。なに、悪いようにはしない」
ダモンと呼ばれた男は、それだけ言うと姿を眩ませる。
歩いたり、飛んだりしたわけでは無い。
ただ単純に、その場から存在を移動させたのだ。
それを見て、カルキは軽くため息をつくと、
「もはやワシの手に負えるシロモノじゃ無くなっとるの、ダモン。さて、ワシにはまだ役割が残っておる。戻るかの」
カルキは、最後に一度だけ、ラウィの消えた穴を一瞥すると、来た道を引き返していった。