8-7 手、にぎってよ
「なぁ、ラウィ。説明してくれへん? 何で急にビアルダへ戻ろうなんて言うたんや?」
上空には眩いばかりの満月を装飾するかのように無数の星々が散らばり、下方でも、それこそ星のようにまばらな明かりが点在する夜空を翔ける。そんな中、アレスが問いかけてきた。
「……」
ラウィはほんの一瞬逡巡する。先ほどは突然脳内に浮かんできた悲惨なイメージに思わず喚き散らしてしまったが、良く考えると根拠などどこにもなかった。
あの映像の真偽はわからない。もしかしたら、レトが面白半分で見せてきたものという可能性だって無い話ではない。
しかし、そんなのは村に戻らない理由にはならなかった。疑わしいから確認する。そもそもビアルダ集落へ任務に向かったのも、定期連絡が途絶えたからなのだ。
杞憂に終わるなら、それでいい。アレスが昼間言っていたように、『何事もなければ、それが何より』なのだ。
「……良くない予感がしたからだよ。なんかこう、上手く言えないけどさ」
ラウィは、大事なところはぼやかしてアレスの問いに答える。頭に響いた声に煽られたとか、何となく嫌な映像が湧き出てきたとか、そんな曖昧な理由で突き動かされたなど、言いたくもないし認めたくもなかった。
「……勘ってやつか。まあ、バカにならへん時もあるしなぁ」
アレスは目まぐるしく変化する前方を見つめたまま呟く。その表情は後ろからでは確認できないが、ラウィはこんなふわっとした説明で納得してくれたアレスに心の中で感謝する。
「さて、この辺りのはずやが……って、なんや?」
アレスの声に、ラウィは眉間にしわを寄せる。アレスの後ろにくっついているソファのような椅子から体を乗り出して、風が吹き荒ぶ遥か下の地面に目をやる。
眩しかった。月と星の僅かな明かりしか無い暗闇の世界で、ソレは異質すぎる輝きを放っていた。
あれは、火だ。間違いない。膨大な熱を発する、ゆらゆら揺れる光の塊だ。
それが、とある一点に密集している。どうやら、たくさんの炎が所狭しと舞い上がっているようだ。
「アレス!! 集落が!!」
「わかっとる!! 降りるで!!」
全く良い状況とは考えられないその事態に、ラウィは身を襲う焦燥に任せて声を大にする。アレスもそれに呼応し、急速に高度を下げていく。
内臓が浮き上がる浮遊感を感じながら、二人は地面に降り立った。
「な、なんやこれ……」
アレスの呟きが鼓膜を叩く。ラウィの目の前に広がっているのは、ほんのちょっと前とは、あまりにかけ離れた光景だった。
藁で出来た住宅の数々は、崩れ、引き裂かれ、煙を上げている。炎が放つ熱を帯びた光は、この集落周辺を昼間のように照らしている。
人の気配は無い。物が燃える、パチパチと言う音しか漂っていない。どう考えても異常であった。そして――
「リシアッ!! イリアッ!!」
ラウィは、先ほど自分たちが夕食をご馳走になった家へと飛び込んだ。そこも例に漏れずボロボロで、藁はビリビリに破かれ、もはや壁としての役割を果たしていない。
そして、酷い既視感がラウィを包む。
室内からでもわかる、満天の星空。隙間だらけの壁。そして、砂利の床に横たわる血に濡れた子供。
「あ、あっ……」
先ほどの幻覚のような映像と全く同じ格好で、目を閉じてピクリとも動かないリシアがいた。
「リシアァァァッッッッ!!!!!」
ラウィは頭から流血するその子供を抱きかかえる。ラウィの腕や胸に赤黒い液体が染み込んでくるも、そんな事は気にしていられなかった。
ラウィは、先日アルカンシエルの書庫で何となく読んだ医学書の内容を思い出す。リシアの胸に耳を当て、心音を確認した。
そして。
「心臓が……動いて、ない……」
拍動が、聞こえない。
脈を、打っていない。
命の音を、発していなかった。
「う、うああああああああああああああああああああああああああああ――――――ッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!」
ラウィは絶叫する。嘘だ。信じられない。こんなの何かの間違いだ。さっきまで自分と遊んでいた無邪気な子供が、リシアが、今は物言わぬ人形になってしまった事など、ラウィは認められなかった。
その華奢な体躯を思いっきり抱きしめる。リシアの頭は、その短い髪を揺らしながら、かくん、と力なくうなだれた。
その身体は、まだ暖かい。それが、当たり前のように享受してきた生を感じさせてくると同時に、どうしようも無い死をも連想させてくる。
これから、この小さな五体は徐々に熱を失っていくのだろう。まだ、その顔は赤みが差しており、ともすれば眠っているだけとも思えそうなほど、安らかにその瞳を閉じているというのに。
「おいラウィ! どうしたんや!?」
ラウィの悲鳴にも似た大声に、アレスが何処からか駆けつけてきた。どうやら彼は、変わり果てた惨状の調査を行っていたようだ。
「あ、あれす……リシアが、リシアの心臓が、止まってるんだ……」
アレスは、震えるラウィの腕の中で眠るその子供を見て目を見開く。そして、ダンッ! と家を支える支柱を無言で殴りつけた。
ラウィは改めてリシアを涙で滲んだ視界で捉える。本当に安らかな死に顔である。
その胸は本当に呼吸しているかのように規則的に上下しており、スースーという寝息のような音まで聞こえる気がした。
「……あれ?」
「……なんやラウィ」
ラウィはリシアの小さな口元に手をやる。暖かく、湿った吐息がラウィの手のひらをくすぐってきた。
「生き……て、る……?」
ラウィの頭に疑問符が溢れる。しかし、そんな感情はどうでも良かった。そもそも、にわか仕込みの知識などあてにならない。今大事なのは、リシアがしっかりと空気を吸って、そして吐き出している事である。
「生きてる……っ!!」
ラウィの蒼い双眸から、塩っ気のある水が流れ出る。思わず、後ろに倒れていたリシアの紺色の頭部を抱き寄せた。
そして、勝手に叫び勝手に自己完結したラウィに、アレスからツッコミが入る。
「はぁ? 自分が心臓止まってる言うたんやろ? 早とちりもええ加減にせえや」
口では辛辣な言葉を吐き捨てながらも、アレスの口元は綻んでいた。明らかに何者かの襲撃を受けた凄惨な現場で、それでも確かに残った一つの命に、安堵にも似た表情を浮かべている。
「ん……んぅ……?」
そして、ラウィの腕の中から小さな声が聞こえてくる。どうやら、リシアが目を覚ましたようだ。抱き寄せたリシアの顔を見つめる。
「リシア! 大丈夫!? 痛むところとかは!?」
「え、あれ、ラウィ? どうしたの、そんなこわいかおして……」
リシアは目をパチクリさせて問い返してくる。そしてグチャグチャに荒らされた辺りの景色を見回すと、驚きが多分に含まれた声で叫ぶ。
「え、なにこれ!? なにがおこったの!?」
「……リシア。自分、何があったのか憶えとらへんのか?」
「な、なにもわからないよ……」
アレスがリシアに問いかける。リシアは不安そうにふるふると首を振った。
リシアは流血していたものの、それはどうやら額を切っただけのようである。もう、その傷は血で固まっていた。とりあえず、身体に異常は無いようだ。
怪訝に思ったラウィはとりあえず、リシアの小さな胸に手を触れてみる。
「きゃぁっ!?」
バシッ! と、ラウィは赤面したリシアに頬を引っぱたかれた。意味がわからない。ジンジンと鈍い痛みを発する頬を抑え、リシアを睨んだ。
「痛っ!? 何すんだよ!?」
「なにってなに! だっておかしいじゃん!」
リシアは、頬を赤らめて口をぎゅっと結ぶ。胸を両手で覆い、可愛らしい瞳で眼下から見上げてくる。
「ボクは、女の子なんだよ!?」
「だから何だよ! 心臓の鼓動を確認しようとしただけじゃんか!」
先ほどは聞こえなかったリシアの心音。
しかし普通に生きているリシアを見て、さっきは聞こえなかったのにとか、勘違いだったのかなとか思って確認してみただけなのである。
なのに、何故ビンタされなければならないのだ。そんな事を思っていたラウィの頭に、背後から、パコン、というコミカルな音と共にまたも衝撃が加わった。アレスである。
「やっぱ自分ははよ常識を勉強せーや! さてはまた医学書とか変な本読んだな!? 専門的なことばっか頭に入れるんやない!」
アレスに叱られるラウィ。こう言われると弱かった。また自分は知らない間に、常識はずれの事をしてしまったらしい。
リシアは暫くラウィを赤い顔で睨んでいたが、ふと何かに気がついたのか、ぼそっと言葉を呟いた。
「……イリアは?」
「え?」
みるみるうちにリシアの顔が青ざめていく。錯乱した様子で、ラウィの肩を掴んで揺らしながら、一気に言葉をまくし立ててくる。
「イリアは? ねえ、イリアはどこ!? ねえ! イリアは無事なの!? ねえ!! ねえ!!」
「お、落ち着いて! 僕らも今来たばかりなんだ!」
「〜〜ッッ!!」
リシアは唇を噛んだ。その八重歯は彼女の肉に突き刺さり、血が流れ出してくる。瞳からは、ボロボロと涙が零れていた。
ラウィの腕の中で声を押し殺すリシアの顔と同じ高さまで、アレスが体を曲げる。そして、極めて平静を保った声で彼女に問いかけた。
「なぁ、リシア。今簡単にやが、集落全体を見渡してきた。でも、人っ子一人おらんかった。ちょっとこれは異常や……いざという時の避難所みたいな場所とか、心当たりあらへんか?」
ラウィがリシアを見つけて発狂するまでのわずかな間に、アレスは集落の様子を調べていたようだ。アレスの冷静さに感服すると共に、やはり自分は自己中心的なのだと再認識した。
ラウィは、この集落ではリシアとイリアしか知らない。無意識のうちに彼女らを優先的に考えてしまっていたようである。周りが見えなくなる。悪い癖だ。
リシアはアレスの問いかけに、目を伏せて少し思案している様子だったが、すぐに顔を上げた。
「そういえば……なにかあれば『きょうかい』ににげるってきいたことがあるよ。つよいたてものなんだってさ」
「教会……多分あれのことやな」
アレスは、リシアから目線を離す。すっくと立ち上がり、もはやどれが入り口かもわからない隙間だらけの壁から遠くを見つめた。
「先に行っとる。リシアが平気なら、ラウィもあとで教会に来てくれや」
そのまま、アレスは何処かへ駆けて行った。炎が照らす宵闇の道を、彼の走る影だけが遠ざかっていく。
「ラウィ……ボクはだいじょうぶだから、いこう」
ラウィは腕の中で震えた声で言葉を紡ぐリシアを見下ろす。その双眸に光る涙は、恐れを、そして強さを垂れ流していた。
「わかった。でも、無理はしちゃダメだよ? どこか痛いところとかあったら、すぐに言うんだ」
「うん」
リシアはラウィの肩を掴んで立ち上がる。見上げる格好となったリシアの向こう側からは、崩壊した天井の隙間から満月が顔を覗かせている。青白く瞬く天体を背景に、彼女は目を細めて微笑みかけてくる。
「ラウィ、わすれてないよね? 『びっくりゴブリン』のやくそく」
スッ、と。妖艶な輝きを放つ月明かりに紺色の髪を淡く光らせ、リシアは手を差し出してきた。
「手、にぎってよ」
その手は、微細な震えを宿していた。華奢で繊細な少女は、この異質すぎる状況に戦々恐々とし、しかしそれでも現実から目を背けようとしないのだ。
ラウィは幼い少女の小さく、そして大きい手を取る。そのまま蒼い少年は、風が吹き抜けるボロボロの家屋を出ると、炎に包まれる集落を歩いていく。
辺りから膨大な熱と光を浴びせてくる炎。上空から見下ろしてくる満月や無数の星々。そのどれよりも、リシアという少女が放つ視覚では捉えられない何かが、ラウィの中では一番眩しく感じた。
(イリアも、他の人たちも、絶対に助けてやる。リシアの『当たり前』を、これ以上奪われてたまるか)




