8-6 悪夢の胎動
「そうやラウィ。ついでに神術について話すわ」
小さな小さな料理を完食し、水を飲んで一息ついたアレスがそう呟く。
「ラウィ、神術の属性は知っとるか?」
「うん、それは一応。虹の七色だよね?」
虹の七色。すなわち、紅、橙、黄、翠、蒼、藍、紫である。
瞳の色がこれらに染まっている人間は、神術という力を扱え、神術師と呼ばれるのだ。また、その色によって扱う属性が変わってくる。
ラウィは今まで、たくさんの神術師に出会ってきた。
紅の神術師のアレスは、炎を操るのだという。五年前ラウィを崩壊する家から救ってくれた男も、炎を纏っていた。
橙の神術師だったカルキは、その莫大な『音』でラウィを襲ってきた。サッチも同じく橙色の瞳を持っているのだが、彼女はちょっとよくわからない。
黄の神術師には、レーナがいる。カルキに教わった話からすると、雷を使役するようだ。
そして、翠の神術師。ラウィも直に戦った、ベクターがそれだ。植物を自在に操作していた。
蒼の神術師。これは言わずもがな、自分である。水や液体を自由に動かすことができる。
藍の神術師はまだ会ったことが無いが、氷を扱う力を持っているようだ。
最後に、紫の神術師。銀髪の美女ハグミがこれに当てはまるだろう。カルキと出会う前にラウィに襲ってきた奴隷商人も、紫の瞳を持っていた。操る属性は、毒。
これが、ラウィの知る限りの神術についての知識である。
「まあ、間違ってはないで」
しかしアレスは、楊枝を動かして口内の食べかすを取りながら呟く。
「それらは、『原種』や。神術の属性には、原種とはまた別の『亜種』ってのも存在するんや」
「『亜種』……?」
「そうや。瞳の色は同じやが、操るモンが変わってくる。だから亜種。亜種の神術師はレアやでー? アルカンシエルでも今んとこ二人しかおらへんはずや」
アレスは爪楊枝をカラン、と容器の中に放り捨てる。
「神術師がそもそも珍しいのに、『亜種』の神術師は更に稀少や。なのにサッチと来たら。あいつは『亜種』の神術師やで」
「あ、やっぱり」
「なんや知っとったんか?」
「まあ、なんとなくね。『音』だけじゃ説明がつかない事やってたし」
例えば、ラウィとサッチが手を組んで、サッチがベクターを探した時。彼女は『気配を感じる』とか訳のわからない事を言っていた。
また、ベクターと相対した時に、サッチは地面に拳をぶつけて水脈を掘り当ててみせた。
どう考えても、『音』でできる範囲を大きく逸脱している。だからラウィは、サッチの真実にあまり驚かなかった。
「修行でサッチと軽く手合わせした時にわかったで。あいつは橙の神術師やない。橙の亜種、刃橙の神術師や、ってな」
「橙の亜種ってことは、他の色にもそれぞれ亜種の神術があるの?」
ラウィの発言に、アレスは面食らったように瞳を丸くする。
「ああ、そうやで。なんや、頭の回転早いなぁ。例えば、翠の亜種は翡翠、蒼の亜種は蒼天や。こんな感じの亜種が、全部の色に一つずつあるんや」
つまり、原種七種類、亜種七種類の、合計で十四の神術が存在するという事である。
「翡翠に、蒼天かぁ……それって、どうやってわかるの?」
「そうやなぁ。ぱっと見じゃわからへん。まあ、そんなに警戒せんでええよ。亜種ってのは、ホンマに珍しいから」
「僕は? 亜種じゃないの?」
「その可能性も、ちょっと考えたんやけどな……」
ラウィは、自分の発言に対するアレスの返答に一瞬戸惑う。冗談で言ったのだが、どうやらアレスはほんの少しだけ疑ってきていたようである。
「行く前にも言うたけど、神術師は自分の属性のイールドを暴走させやすいんや。やから、ラウィがスカイランナーに乗れへんかった時、蒼の亜種、蒼天の神術師かもしれへんってちょっとだけ思った」
「そう、それだよ。気になってた。蒼いのイールドなら、僕が暴走させたってしょうがないじゃんか」
「その前にラウィ。自分、イールドについてどれだけ知っとる?」
アレスがガラス製の水差しから自分の容器に水を注ぐ。そしてそのまま一気に飲み干した。
「うーん。はっきりと誰かに教わった事は無いんだけど、イールドの色と神術の色が大体同じだって事くらいはわかるよ」
例えば、紅いイールドは炎を出すし、タイナ村に設置されていた橙のイールドは音を出していた。
だから、わからないのはスカイランナーに使われている蒼いイールドと、光を放つ黄色いイールドだけである。
「うんそうやな。あってるで。ただし、イールドにも神術と同じように、亜種があるんや。んで、亜種のイールドも、神術と同じモノを吐き出す」
アレスは懐を何やらゴソゴソと漁り始める。そして、先ほどレーナ班専用の部屋から持ち出してきた蒼いイールドを取り出した。
「こいつは蒼のイールド。さっきも言うた通り、水を出す。でも、スカイランナーに使われてる奴は蒼天のイールドなんや。蒼天の神術師と同じく、風を吹き出す力を持っとる」
アレスはそのまま蒼のイールドを仕舞い込む。暴走させかねない蒼の神術師であるラウィに、飲食店という場所で触らせる気は無いようだ。
「で、さっきの話に戻るで。ラウィ、お前は水を動かしとるし、蒼の神術師で間違い無いやろ。だから、暴走させやすいのは『蒼天』やなくて『蒼』のイールドなんや」
つまり、比較的容易に扱えるであろう蒼天のイールドでさえ、まともに扱えないラウィは、蒼のイールドなどもっと使いこなせないということだ。
ラウィは少し自己嫌悪に陥る。そういえば、ドーマの家で黄色のイールドに光を灯そうと思った時も、僅かな光しか発生させられなかった。ラウィは、全体的にイールドを扱うのが下手なのかもしれない。
「じゃあアレス、黄色いイールドはなんなのさ? 別に電気で光ってるわけじゃないよね? あれも亜種なの?」
「そうやな。黄の亜種、『黄金』の神術は、光を操る。やからあれは正確には、黄金のイールドやな」
ここで、アレスがガタッと音を鳴らして席を立つ。
「さてラウィ。そろそろ行くで。あまり遅くなると、ナダスさんにどやされてまう。続きはまた今度や」
「わかったよ。僕なりにも勉強しておく」
「偉いで。おっちゃーん! お勘定ー!」
ラウィとアレスは店の出口へ向かう。出口のすぐそこで勘定とやらを行うようだ。「高っ! 嘘やろ?」とか何とか言いながらアレスが泣きそうな目でこちらを見てくるが、ラウィには何のことかさっぱりわからなかった。
金色に輝く『お金』を数枚店主に手渡すと、アレスは「食ってへんのに……」とかぶつぶつ言いながら店を出ていった。
相変わらず活気付いた街を歩いていく二人。暗い夜空と明るい街並みの差に酔いしれながらも、エメマ国を後にした。
大きな門を抜け、スカイランナーが隠してある大樹へ向かう。それをスルスルと登り、スカイランナーを持って飛び降りてくるアレス。
「さ、帰るでラウィ。暫くおやつ抜きのアレスさんが、遠い遠いアルカンシエルまで無賃で送ってやる」
「うん、よろしくね」
「今のは皮肉や! 全く、難儀な新人を持ったもんやで……」
「よくわかんないけど、取り敢えず帰ったら勉強するよ」
本当に、今日はわからない事が多すぎた。確かに、種族図鑑なんか眺めている暇など無いのかもしれない。
まずは、言語や色んなシステムを知っておいたほうが良いようである。今から帰っても、寝るまでには少し時間があるだろう。書庫で本を選んでおこうか――
そんな呑気な事を考えていた、その時だった。
『良いのかなぁ〜? このまま帰っちゃって』
ラウィの脳内に、突如聞き覚えのある声が響いた。
(……!?)
思わず、動きが止まる。表情を強張らせ、どこかわからない空間を瞳孔の開いた眼で見つめる。
「なんやラウィ、どうしたんや?」
アレスの心配そうな声も、今のラウィには届かない。ラウィの頭の中を占めているのは、男が女かもわからない、カミサマを騙るあの奇妙な子供の姿だけである。
『久しぶりっ、ラウィ。と言っても、十日くらいかな?』
レト。
性別も、種族も、髪の色も、正体も、何一つわからない不気味な子供。ラウィの精神世界に住むと豪語し、ラウィに全ての神術師の天敵となる力を与えてきた存在である。
ラウィも、頭に直接語りかけてくるその声に、同じ方法で返答する。
『いきなり何の用だよ、レト』
『あらら。敵意剥き出しだね? ボクのおかげでベクターを倒せたっていうのに、酷い扱いじゃないか』
『当然でしょ。その事は感謝してるけど、僕はお前を信用してない。怪しすぎる』
ラウィはレトに正直な気持ちをぶつけた。目的もわからず、自分の頭から声を降らす存在に不気味さを感じない方がおかしいのだ。
姿の見えないレトは、しかしその表情は簡単にわかった。どうせまた、ニヤニヤと悪い笑みを浮かべているに違いない。
『まあ別に信用してもらおうなんて思ってないからいいけどねっ。それより、ホントにこのまま帰っちゃうの?』
『……どういう意味だよ』
『だってさぁ』
レトは、勿体振るように少し間を置く。そのレトの行動に若干の苛立ちを覚えるも、すぐ後に発せられるレトの言葉に、ラウィの思考は数秒停止することとなる。
『さっきの子……リシアだっけ? あの子今、襲われてるよ?』
抑揚のない、何処までも他人事のような声が脳内に木霊する。レトの口角が透けて見えた。上ずり、楽しそうに、無邪気に笑っている。
いや、無邪気ではない。むしろその笑みは、邪気の塊の様にさえ感じる。
『あはは。大変だねぇー。何だっけ? 「一方的な暴力を加えられた人には味方する」だっけ? じゃあ味方してあげなきゃ。もう遅いかもしれないけどね』
『……何でお前にそんな事がわかるんだよ』
頭の中がグルグルと混乱しているラウィだが、やっとの思いでレトに疑問をぶつける。
『だからさ、言ってるじゃんか。ボクはカミサマなんだよ? ま、キミはわがままだ。これからどうするか、勝手に決めればいい。それじゃね』
『ま、待ってレト!!』
ラウィは頭の中で必死に見えない存在の名を呼び続けるが、一向に返事は無かった。レトもまた、わがままなのである。
(く、くそっ! リシアは無事なの!? イリアは!? 集落の他の人達は!?)
思わず悪態を吐く。
集落は今どうなっている? 一体何が起きている? イリアが言っていた、『凶暴な種族』とやらが関係しているのか?
知りたい。知りたい。知りたい。もしレトの言うことが真実なら、自分は、見たくない物を見ることになるかもしれない。最悪の未来。起こりうる可能性。それはきっと――
「……ッ!?」
ふと、首筋の辺りに鋭い痛みが走った。皮膚が裂けるような、熱さを伴う激痛。ラウィは疼痛を吐き出す首元を抑えて地面に倒れ、背中を丸めてうずくまる。
「アアアアアアアァァァァァァ…………ッッッッ!!!!」
「お、おいラウィ、ホンマにどうしたんや! 大丈夫か!?」
その尋常ではない様子にアレスが駆け寄ってくるも、ラウィを襲う刺すような痛みは一向に引かない。そして、ラウィの頭に、幻覚のような映像が浮かんできた。
藁で出来た壁と天井。砂利の床。それらがボロボロに引き裂かれ、明るい星空が室内からでもしっかりと見ることができた。
そして、その地面では、砂にまみれた一人の子供が倒れ伏していた。
紺色の髪。華奢な手足。簡素な麻の服。頭から赤黒い液体を垂れ流すその幼い顔は――
「リシアァァァッッッッ!!!!!」
ガバッ!! と顔を勢いよくあげるラウィ。ハァハァと息を切らして肩を上下する。
首筋の痛みは引いていた。全身は本気の運動でもしたかのように膨大な熱を持ち、そんな体を冷やそうと大量の汗が吹き出している。
「ラウィ、平気か!? すぐにエメマ国の診療所へ――」
ようやく起き上がったラウィの肩を担いでくるアレス。そんなアレスを振り払って、ラウィは大声で喚き散らす。
「アレスッ!!! そんなことどうでもいい!! 今すぐビアルダ集落へ戻るんだ!!」
「な、なんやと!? 馬鹿野郎! 今はそんな場合じゃ……!!」
「そんな場合なんだよ!!! 今戻ってくれなかったら、アレスを一生恨んでやる!!!!!」
ラウィは、鬼気迫る表情でアレスを睨む。フーフーと鼻息を荒くし、折れそうなほどの力で歯をくいしばった。
「――ッッッッ!!!! なんやそれっ!? あぁクソッ!! 知らへんで!」
アレスは、もうどうにでもなれと言わんばかりに叫ぶ。ラウィがアレスの後ろに飛び乗ると、スカイランナーは風をばら撒いてものすごい勢いで夜空へ消えていった。




