8-5 エメマ国の悲劇
「じゃ、またね。またあそびにきてよ?」
イリアの小屋から外に出て、スカイランナーに乗り込んで帰還しようとするラウィとアレスに、リシアが飛びついてきた。
既に陽は落ち、降るような星々が上空からラウィたちを見下ろしてきている。かなり寒い。ビアルダ集落は、ポツポツと明かりを灯していた。
「うん。また来るよ」
自分に抱きついてきたリシアの髪を撫でる。暗闇の中でも、リシアの笑顔だけははっきりと捉えられた。
「お二人とも、お気をつけて」
「イリアもな。じゃ、行くで。リシア、離れーや」
リシアは名残惜しそうに表情を曇らすも、スカイランナーの側を離れる。それを確認したアレスは、風を吹かせて自分たち二人を宙に浮かせた。
「あ、そうだ。リシア」
「なあに?」
「『びっくりゴブリン』で負けた人が言う事聞くってやつ、また今度ね」
ニヤリ、とリシアを見下ろして笑うラウィ。リシアは「あーっ!」とか何とか言っていたが、動き出したスカイランナーは、リシア達二人の姿をあっという間に後方へ追いやった。
小屋が放つ淡い光すら失われた、飲み込まれそうな星空を飛んでいくラウィとアレス。遥か下の地上に広がる草原は、もはやただの黒でしかない。ところどころに小さな光が見えるが、その数は実に少ない。
人口密度が異常に高いアルカンシエルで数日過ごすうちに忘れかけていたが、世界とはそんなものである。村や集落などはほとんど見当たらないのだ。国ともなれば話は変わってくるが。
ヒュオオオッと風を切る音だけが鼓膜を叩く。視覚も嗅覚もまともに機能しない暗闇の上空で、ふとアレスがラウィに声をかけてきた。
「なあラウィ、ちょっと寄りたいところがあるんやけど」
「ん、何?」
「確か、この辺りの名物料理が食える場所が近くにあるはずなんや。興味あらへん?」
「ある!」
ラウィは即答した。ラウィはもちろんアレスも、流石に芋だけでは胃袋が満足してくれなかったようである。
「よっしゃ、じゃあちょっとだけ寄るで!」
二人を乗せたスカイランナーは空中を大きく旋回し、明るい星々の間を走り抜けていく。
――
そしてそのすぐ後、ラウィ達は地面に足をつけていた。上空からでも認識できた比較的密集した光の束を頼りに向かったのは、大きな壁に囲まれた街であった。
スカイランナーを少し離れた所に立つ大きな樹の上に隠し、何やら大きな門を通ってその街の中へと入っていく。
ガヤガヤと活気付く人々。夜であることも相まって、店先で照らす明かりが何とも言えない幻想さを醸し出していた。
「エメマ国や。小さな国やが、これでも立派な商業国や。この辺りは――」
「それより、早く何か食べようよ」
アレスが興味もない事をベラベラと喋り始めたので、彼の肩を掴んで急かすラウィ。そんなラウィの耳に、野太い男の怒声が飛んできた。
「てめぇ待ちやがれぇぇぇぇ!!!」
ラウィとアレスの側を、二人の男性が走り去って行く。どうやら、追いかけっこをしているようだ。
そのすぐに小さくなっていく男の背中を見つめて、アレスが目を細める。
「――この辺りは、かなり治安が悪い。クルードストリートと同じように考えたらあかんで。まあよっぽど大丈夫やとは思うが、一応俺から離れるんやないで」
そう言うとアレスは、明るくも危険な香りが漂う街を歩いていく。ラウィもそれに付き従った。
「スカイランナーを国の外へ隠したのも、そういうわけや。預かってくれる店もあるみたいやが、いかんせん信用出来ひん」
「ふーん。まあ、美味しいものが食べられれば何でもいいよ」
「……ところでラウィ。自分、金は持っとるんか?」
「え? あ、そう言えば無いね。お金が無いと駄目なんだっけ?」
眉をひそめるアレスの疑問にあっさりと返答するラウィ。アレスは、何やら頭を抱え始めた。
「うわぁぁぁすっかり忘れとったで……そいやラウィはそういう奴やったな……」
ハァ、と一つ大きなため息を零すアレス。
「しゃーない。連れてきてもーたのは俺やしな。奢ったる。但し、一品だけやで!」
アレスは、ビシィッ! とラウィへ向けて指をさしてきた。その必死な眼差しに、ラウィは思わず後ずさる。
「わ、わかったよ……」
「はぁ。俺はレーナに比べて薄給なんやぞ。全く、自分一人だけやと思っとったのに、また無駄な出費が……」
ブツブツと文句を垂れながら煉瓦造りの街並みを進んでいくアレス。何だかまた迷惑をかけているようで、ラウィは目を伏せる。
「なんかごめん、アレス」
「気にせんでええ。十日もすれば給料日や。それまで間食を減らせばええだけの事や……」
表面上はかなり強がっているが、その肩はがっくりと項垂れている。どう考えても気を落としている。
ラウィは背中を丸めて歩くアレスの前に回り込んだ。
「その給料日って、僕もお金もらえるんだよね? その時にまた何か食べようよ」
「いや、ホンマに気にせんでええよ。新人に奢ってもらう訳にはいかへん」
「……え? アレスの分は自分で出してよ?」
「なんでやねん! 奢り返す流れや無いんかい!」
アレスがラウィの頭に手刀を打ち込んでくる。何故か怒っているが、しかし笑顔は戻ってくれた。
紅い少年と蒼い少年は、妖しくも人々の欲望が飛び交う街並みを並んで歩いていく――
――
「へい、らっしゃい!!」
店主の元気な声が店内に響く。ジュージューと何かが焼ける音と煙がいっぱいに満ち、肉の嗅ぐかわしい芳香がラウィの唾液の分泌を促進する。
ラウィたちは、アレスが知っているのだという有名な飲食店に入っていた。二人がついている席のテーブルでは、熱々の大きな塊肉がとんでもない存在感を主張している。さすが大食漢アレスが興味を持った店である。ラウィの心を掴んで離さない。
「いや、ラウィ、その……確かに一品やけどさ……」
「どうしたの? アレスも食べようよ」
「……ちくしょうが!! こうなりゃやけ食いやぁぁぁっ!!!!」
アレスは巨大な肉塊をガシッと掴み取ると、そのまま大きな口を開けてかぶりついた。ブシュッと肉汁が溢れ、ぼたぼたと滴る。
「ああああああッ!? アレスずるいよ! 独り占めすんな!!」
思わずラウィは席を立ち、貪るアレスから肉を引き剥がそうと引っ張る。しかし、アレスも敵意のこもった獣みたいな目で思いっきりこちらを睨んできた。
「やかましい! 俺の金やぞ!! 大人しく水でも舐めとれや蒼の神術師!!」
「じゃあアレスは炭でも食べてなよ!! 肉は僕が食べるからぁぁぁぁッ!!!」
「ここまで連れてきたのも俺やろが!! 少しは遠慮っつーモンを覚えろやラウィいいいいッッ!!!」
「わがままで結構!! 僕はしたい事をするって決めたんだから!!」
「なんやその宣言!?」
ぐいぐいと肉塊を引っ張り合う二人の少年。やがて神術膜を行使するほどにまで発展していった争いは、ブチィッ、と言う音によって終わりを告げられる。
肉が千切れたのだ。当然である。大木を殴り倒してしまうほどの力で両側から力の限り引っ張られては、ただの食べ物が耐えられるわけがなかった。
そして、自分に対抗する力が突然消え失せた二人は、勢い余って後ろ向きにひっくり返ってしまう。
その突然の事態に対応できるはずもなく、二人が掴んでいた肉塊はピューッと宙を舞っていく。
一つは、店外の道にボトッと落ち、汚ならしい身なりの少年が嬉しそうにさっさと持って行ってしまった。
また一つは、店内で轟々と燃え盛る炎の中へと飲み込まれていった。
「…………」
紅と蒼の少年は、互いに死んだような目つきで見つめ合う。無言で席に着き、水を一口含んだ。
「……おっちゃん、焼肉丼小盛りひとつ」
「あいよっ!! 兄ちゃんら、そういう日もあるさ! 次はしっかり食ってくれよ!?」
アレスとラウィは互いに薄ら笑い、やがてやって来た小さな丼を仲良くもさもさと食すのだった。




