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蒼天のアルカンシエル  作者: 長山久竜@第30回電撃大賞受賞
▼Chapter 8. 初めは何事も基本から
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8-3 杞憂に終わる

 

 アレスが制御するスカイランナーは、雲の中を突き進んでいく。


 細かい水滴がラウィの頬に付着し、襲いかかる逆風と気温の低さも相まって、ラウィに冷感を押し付けてくる。


 何故わざわざ視界の悪い空間を飛んでいるのかラウィは疑問に思ったが、それはすぐに自己解決した。


 アルカンシエルの位置を隠すためであろう。


 わざわざ外から見えないように偽装してあるアルカンシエルの城。そこから突然スカイランナーに乗った人間が飛び出せば、せっかくの迷彩が全く意味をなさなくなるのだ。


 しかし。


 それはわかっても、寒いものは寒い。


「ね、ねえアレス。いつまで雲の中飛ぶのさ? これじゃ風邪引いちゃうよ」


「んー? なんや寒いか? せやな、そろそろ降りても問題ないか」


 アレスは、スカイランナーを操作する。そこから発生する風を操り、高度を徐々に下げていく。


 ラウィ達が雲から抜け出すと、眼下には美しい翠色が広がっていた。


 森林、草原。それを分断するように流れる小川。巨大な崖に、滝。大きな湖も湖面を煌めかせることでその存在を主張していた。


 空を割るように一直線に伸びる地平線。遠くの方で薄っすらと見える、雲を突き破るほど高い山。


 目を凝らせば、自分たちの遥か下で村のようなものもちらほら見受けられる。草原では、もはや小さな点にしか見えない何かが集団で走っていた。


 ラウィは思わず息を飲む。この世界は、ここまで綺麗なものなのか。


 なんというか、今まで自分は異常なほど小さな世界で生きていたのだと、痛感した。


 やはり、知らないことを知るというのは、おもしろい。


 ラウィは、しばらくその絶景に酔いしれた。

 高速で飛行するスカイランナーは、辺りの景色をも後方へ押し流していく。


 飽きなかった。


 次々と変化していく地形。現れる未知の風景。


 吹きすさぶ風や寒さなど忘れ、ラウィは無言でずっと大地を見下ろしていた。自分もその景観の一部なのではないかと錯覚するほどに。


 そして、どれくらい経っただろうか。


 ふと自分にかけられた声に、ラウィははっと我に帰る。


「ラウィ、そろそろ到着やで」


「あ、うん、わかったよ」


 アレスは、スカイランナーの速度を落とす。更に高度を下げていき、段々と地面が近くなってくる。


 トッ、と。およそ人ふたりが乗っているものとは思えない軽い音とともに、スカイランナーは大地に降り立った。


 目的の集落に到着したのである。


「おや、旅のお方ですか?」


 そんな二人の目の前には、一人の初老の女性が果物の入った小さな籠を運んでいた。


 その女性は、麻で編まれた簡素な衣服に身を包み、頭髪は薄っすらと白みがかっていた。線の細い優しい瞳に、顔に刻まれた皺が彼女の長い人生経験を表している。


「ビアルダの長、イリアと申し上げます。本日は、こんな辺境の地までようこそいらっしゃいました。どのようなご用で?」


 手に持っていた籠を地面に置き、年齢相応の落ち着いた笑みを向けてくるイリアという女性。


 ラウィとアレスは一瞬顔を見合わせたが、すぐにアレスはイリアの方に向きなおした。


「俺たちはアルカンシエルのモンですわ。定期連絡が途絶えたから、異変が起きたと判断して参上した次第です」


 アレスが淡々と告げる。対してイリアは、目と口を大きく開け、口元を手のひらで覆った。表情から察するに、どうやら忘れていたようである。


「あ……も、申し訳ありません。それでわざわざ来ていただいたのですね」


「なんや、もしかして忘れとっただけかいな? 全く、勘弁してくれや! 時間の無駄やったで!」


 アレスは両手を頭の後ろで組んで、上空を見上げる。その辛辣な言葉に、イリアはバツが悪そうに視線を落としていた。


「……まあ、」


 アレスが顔を上げたまま、その少し上ずった口角の向こう側から言葉を紡ぐ。


「何事もなかったようで、何よりや」


 ニカッ、と。アレスは白い歯を輝かせてイリアに笑いかけた。


 途絶えた定期連絡。本来なら、村の壊滅など良くない事態を連想する。だからこそラウィとアレスはビアルダ集落へ派遣された。


 しかし、蓋を開けてみればただのミス。うっかり忘れていただけであった。最悪の事態を覚悟していたからこそ、その落差にアレスは頬を緩ませたのだろう。


 ラウィも、同じ気持ちだからわかる。


「あの……本当に申し訳ございませんでしたわ」


 イリアがペコペコと頭を何度も下げてくる。アレスは手のひらを彼女へ向け、困ったように眉を垂らして言葉を返す。


「いやいや。そんな謝らんといてくださいや。今後気をつけてくれれば、それでええです」


「いえ、それではわざわざ遠くから来ていただいたお二人に申し訳が……」


 イリアが頭を上げてそんな事を言いかけた、その時だった。


「イリアー? なにしてんのー? その人たちだれー?」


 イリアの後ろにある小さな小屋から、一人の子供が歩いてきた。


 その子供は、首のあたりで切り揃えられた紺色の髪を持ち、その黒目がちの大きな瞳は幼さと愛らしさを備えていた。かなり小柄だ。おそらく、十歳前後。サナと同い年くらいであろう。


(……あ、サナは十五歳なんだっけ。まあいいや)


 本人に聞かれたらギャーギャー喚いてきそうな事を考えるラウィ。


「あらリシア。この方たちに私がご迷惑をおかけしてしまってね。何かお詫びがしたいの」


 イリアが、リシアと呼ばれた小さな子供を抱き寄せる。リシアは満面の笑みでそれを受け入れ、彼女を抱き返した。


「二人は、親子なの?」


 その微笑ましい様子に、ラウィがイリアへ問いかける。彼女は、本当に幸せそうに目を細め、ラウィを見返してきた。


「ええ。そうです。といっても、血は繋がってないのですけれどね。まあ、いわゆる捨て子だったのですわ」


「それからボクとイリアは、ずっとずっといっしょにすごしてるんだ。だから、ボクはイリアがだいすきなんだ!」


 イリアに続き、リシアも頬を赤らませてラウィに幸福の音を届けてくる。


 ラウィも、思わず表情が緩んだ。自分は母親というものを全く覚えていないが、それでもこの二人の関係は親子そのものであると確信を持てた。


「そうだイリア。このおちいさんたちにも、ごはん食べてってもらおうよ。おわびがしたいんでしょ?」


 イリアに抱きついているリシアが、その可愛らしい瞳で愛する母親を見上げる。その口元からは、小さな八重歯が覗いていた。


「え……」


「ねっ。いいでしょ?」


 何やら眉をひそめるイリアに、ニコニコと無邪気な笑みを向けるリシア。イリアはその笑顔を見て、仕方ないなとでも言いたげな表情で息を吐くと、リシアの紺色の髪を撫でる。


「……わかったわ。お二人方。よろしければ、ウチで夕食を取って行かれませんか?」


「食べる!」「いただくで!」


 落ち着いた物腰の初老の女性の提案に、ラウィとアレスはほとんど同時に了承の意を大声で示した。


 食べ盛りの二人。本来ならアルカンシエルへ帰還してから食べる予定であったが、ラウィとアレスは目の前にぶら下げられた欲望に、実に忠実な判断をした。


「うふふ。元気ですわね。こちらの小屋です。どうぞ」


 イリアは地面に置いた籠を持ち上げると、すぐ後ろに立っていた小屋へと向かう。


 簡単な造りの建物である。藁のような乾燥した植物を屋根として敷き、壁にもそれらが編まれている。天井から突き抜けている大きな支柱で全てを支えているようだ。


「すぐに用意いたしますので、お二人方は中で待っていていただけますか? ご迷惑でなければ、リシアの相手をしてやってくれると嬉しいですわ」


 それだけ言うと、イリアは軽く会釈をしてどこかへ去って行った。


「ねえおにいちゃんたち、おなまえは?」


 ふとリシアが、その小さな手でラウィとアレスの袖を掴んでくる。蒼と紅の少年二人は、簡潔に名乗った。


「ラウィだよ」


「アレスや」


「ふーん。ラウィに、アレス。よろしくね」


 リシアはラウィたちの袖を掴んだまま、藁で作られた小屋の入り口をくぐっていく。ラウィとアレスも、身をかがめて室内へと侵入した。


「じゃあ、ラウィ、アレス。あそんでっ」


 小屋に入るなり、リシアが両手をラウィたちに伸ばしてくる。ぴょんぴょんと軽く飛び跳ね、満面の笑みでラウィに抱きついてきた。


「ちょ、ちょっと……えっと、リシア?」


「あれやりたいっ。『びっくりゴブリン』」


「な、なにそれ……」


 ラウィは口元を歪めて困惑を表情に貼り付ける。そんな名前の遊びなど自分は知らないし、大体遊んでやるつもりなどない。


 かなり精神的に成長してきたラウィだが、わがまなな性質は健在で、目の前の子供の頼みに対してその自己中心的な考えを遺憾なく発揮する。


 ラウィは自分の体を掴んで離さないリシアを力づくで引き剥がした。


「やだよ。アレスと遊んでもらってよ」


「なんやラウィ、そんなちっさい子との勝負から逃げるんか?」


「……えっ?」


 既に壁にもたれて腰掛けていたアレスの言葉に、ピク、と眉をひそませるラウィ。


「そういうことやんか。リシアが『びっくりゴブリン』やりたい言うて、ラウィが拒否ればそりゃ逃げやで」


「そういうことだよ。ラウィ、もしかしてまけるのがこわいの?」


 可愛らしくも邪悪な笑みを浮かべるリシア。その表情に、負けず嫌いなラウィは簡単に釣られてしまった。良いだろう、受けて立ってやる。


「僕は挑まれた勝負は逃げないよ。まず、どんな遊びか教えてよ」


「はぁ?」


 何故か目を丸くして呆けた声を漏らすアレス。リシアも、何やら口元を引きつらせて変な目でラウィを見つめてきていた。


 ああ、これはあれだ。何度も見たことがある。きっと自分はまた、世間では常識的な事を聞いているのに違いない。


 不本意ながら慣れてしまったこの光景にラウィは内心落ち込むも、彼らに言葉を投げる。


「いいから。簡単に説明してよ。知らないものは知らないんだから」


「わかったから、そんな怒るなやラウィ」


 アレスが両手を向けてラウィをなだめてくる。どうやら、かなり不機嫌な顔をしていたようだ。気持ちがすぐに表情に出てしまうのは、良くない癖である。


「『びっくりゴブリン』ってのは、その名の通りや。この遊びの光景が、驚いたゴブリンに似とることから付けられた」


 ラウィに向けていた両手の人差し指と中指以外を折り曲げるアレス。それをくるっと捻って下へ向けた。どうやら、二人の人をかたどっているようである。


「まず二人が背を向けて立つ。そんでお互いに徐々に近づいていく」


 人を模した両手を小さく揺らしながら、その距離を詰めていくアレス。そして、その二つが接触する。


「ぶつかった時が勝負や。振り向いて、相手の頭をぶっ叩く。早い方の勝ちや。簡単やろ? 周囲を警戒して何かにぶつかったゴブリンが、その何かを確認もせず叩き潰した事から考えられた遊びらしいで」


「なんかめちゃくちゃ面白くなさそうだけど」


 ラウィは頭を掻く。なんという単純な遊戯だろうか。まあ、負ける気はしないが。


「へへへ。ボクはまけたことがないんだよ。ラウィもたたいてあげる」


 ブンブンと、素振りのように腕を振り回すリシア。その無邪気な笑顔には悪いが、ラウィは完膚なきまでに勝利をものにするつもりであった。右手の感触を確かめるように、何度も握って開いてを繰り返す。


 アレスが、壁際にもたれかかったまま腕を振り上げる。


「掛け声は、俺がやったる。まずは、互いに背を向けぇ」


 ラウィは、リシアに背を向ける。視界には、藁でできた壁以外何も映っていない。なるほど、これは少し緊張する。


「はい始め」


 かなりあっさりしたアレスの合図を皮切りに、ラウィはゆっくりと下がっていく。


 この小屋は、床などという大層なものはない。砂利の上に適当に作られている。だから、地面を擦るじゃりじゃりという音が背後から聞こえてきた。


 まだ遠い。音だけを頼りに、ラウィは更に後ろへ向けて進んでいく。足音を出来るだけ殺し、リシアに与える情報を減らす。


 まだ……まだ……まだ……。


 しばらく空間は静寂に包まれていたが、ようやくラウィの背中に、トン……っと圧力が生じた。


(きたっ!!)


 ラウィは勢い良く振り返る。腕を振り上げ、リシアの紺色の頭を撃ち抜くべく視線を泳がせるが――


「……あれ」


 ラウィは右手を頭上で構えたままフリーズする。リシアがどこにもいないのだ。確かに背中にぶつかった感触がしたのだが。


「スキありっ」


 子供らしい甲高い声がラウィの背後から飛んでくる。ラウィは思わず体を前に投げ出して声の主から距離をとった。


「あれれ。よけられちゃった」


 小さな舌をべぇっと出して悔しがるリシアがそこにはいた。


 ラウィは眉をひそめる。何故かリシアは、『背後を振り返ったはずのラウィの背後』にいたのだ?


「はい、こっからはただの叩き合いや」


 アレスがパン、と手を叩く。何だそれ、とラウィは思ったが、勝利条件は『相手より早く相手の頭を叩くこと』。アレスの言う通り、ここからは普通の喧嘩なのである。


「リシア、君はどうやって僕の背後を取ったの?」


「ラウィって右ききだよね? さっき右手をぐっぱってしてたし。だからふりかえる向きも、だいたいきまってくるから、それにあわせてうごいただけだよ」


 ラウィは驚愕する。リシアの並外れた洞察力と応用力に。小さな子供として侮ってはいけない。


 これは、遊びじゃない。模擬戦だ。もし背後を取られたのがリシアでなく何かしらの敵であれば、ラウィの命は無かっただろう。


 訓練。ラウィはこの遊びを、そんなやたら物騒な言葉にまで昇華させていた。


 相手より先に急所をつく。単純なルールの中に、戦闘での基本的な事柄が組み込まれている――とかクソ真面目な事をラウィは考えていた。


「リシア、負けないよ」


「ボクがかつもん」


 ジリ……ジリ……と、ラウィはリシアとの距離を慎重に測っていく。リシアも子供にしては険しい目つきでこちらを見つめてきていた。


 壁際では、アレスがアホらしいと言わんばかりに腕を伸ばして欠伸をしている。


 そして、ラウィがリシアの元へ飛び出そうと足に力を込めた、その時だった。


「お待たせいたしました。夕食が出来上がりましたよ」


「えっ」


 リシアの母親である初老の女性イリアが、木製のお盆のような薄い板に料理を乗せて小屋に入ってきた。


 夕食。その甘美な響きにラウィが一瞬意識を取られてしまった、その隙に。


「やぁっ!」



 ポコン、とリシアの拳がラウィの頭で気持ちの良い音を鳴らした。


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